留学生

 

爽生ハム

 

 

ふざけたしりあいの子孫が
たわいない言われよう
子や孫じゃだめみたい
形の崩れたグミみたい

ハズレのない豊かさの
はしくれで
はかない教育からにげて
命じる壊乱
そして
埠頭を墨でなぞる

いわくつきの絵のとおり

鮫に喰われ
発光もなく
はじめたのは子作り
当分めかしこむこともない
二年後には
ふざけた子孫はいないだろうと
楽しみに蓋をする

痺れるふかいかんが
潮のようだから
蓋がすべって手が泣ける

埠頭の先が固まる

起伏に子孫がひっかかる
輪郭に住まう
そこは安堵のおまけのような峠

潮くさい髪と胴体に
紙エプロンをまく
潮と墨が
六本木っぽく光る
胴体が整形されて
稀に紙エプロンに肉汁がとぶ
この染みが人に見つかると

たわいない言われよう
信じるものを見つけろとの命令
信じるものは特に必要ない
それくらい豊かだよと
はねかえす

 

 

 

光の疵 その目を閉じてふたたび開くこと

 

芦田みゆき

 

 

2008年新宿。
あたしはカメラをもって地下道に座り込んでいる。

 

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あたしはもう何年も身近な人以外にあっていなかった。
カメラを持てば、
カメラを持ってシャッターを切ることでだったら、
外側に触れることができるかもしれない。

 

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この年、あたしは小さなカメラを買った。

 

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地下道の隅に座りこみ、
カメラのモニターをのぞき込む。
たくさんの足が通り過ぎていく。
そうやってあたしは、
歩行を取り戻した。

 

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瞬きをするように、
シャッターを切る。

 

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新宿の皮フは破れそうに震えていた。

 

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みわ はるか

 
 

青銅色の風鈴がベランダの物干しざおに吊らされていい音色を届けてくれる。
少し重い響きがいい。
ゆらゆらとゆれるかんじがいい。
風がない中じっと暑さに耐えるかのような姿もまたいい。

からんころん、からんころん、からんころ~ん。
いくつもの下駄が楽しそうにアスファルトの道を行き交う。
浴衣姿の女性はやはり美しい。
まっすぐな道に隙間がないくらいにたたずむ屋台。
中身よりも包んでいる袋のキャラクターにつられて買ってしまう綿あめ、食卓によくあるのにチョコレートでコーティングしただけで魅力を感じてしまうチョコバナナ、金魚すくい、水風船、その日の夜だけ光るアクセサリー・・・・・・・。
フィナーレの打ち上げ花火。
水面に映る反射した花火はよりいい。
見ているだけでもうきうきするそんな夏祭り。

すっと伸びた茎のてっぺんに大きな花弁を何枚もつけて元気よく咲くひまわり。
太陽の光を存分に浴びてのびのびと育った最終産物。
本当に濃い黄色はこのことなんだろうなと思う。
みつばちがとまる。
みつばちが立ち去る。
また他のみつばちが遊びに来る。
みんなから愛されるそんな花。

これでもかというくらいの金切り声で鳴き続ける。
その命は1週間しかないという。
土の中には何年もいるというのに。
なんだか切ない。
生きるということを身をもって教えてくれているような気がする。
蝉。

じりじりと照りつける太陽。
それを遮る麦わら帽子。
ぽたぽたと落ちる汗。
それをふきとる手。
薄着になる季節。
小麦色の肌。

そんな夏はもう目の前だ

 

 

 

国立新美術館で「マグリット展」をみて

 

佐々木 眞

 

 

 

君も知るように、「巨人の時代」には「飢餓」と「呪い」と「禁じられた書物」が欠かせない。

これこそが「永遠の明証」と「終りなき認識」の「生命線」なのだから。

「哲学者のランプ」が「自由の入り口で」照らすのは「弁証法礼賛」の「前兆」だ。

「空気の平原」で「絶対の探求」を目指す「人間嫌いたち」は、「禁じられた世界」へと「炎の帰還」を果たすだろう。

ごらん、「精神の自由」と「真理の探究」を求める「狂気について夢想する男」によって、自称「スノッブたちの行進」が「再開」された。

さあ我われもすみやかに旅立って、「精神界」の「赤いモデル」を目指そうではないか。

「ガラスの鍵」を使って密かに「王様の美術館」に忍び込み、「幕の宮殿」に飾られている「イレーヌ・アモワールの肖像」から「礼節の教え」を盗み取ろうではないか。

 

 

おや、そうこうする間に、いつのまにか「火の時代」が始まったようだ。

「恋人たちの散歩道」を待ち伏せしている「不穏な天気」と「風の装い」をよくごらん。

「誓言」をもって「白紙委任状」を「テーブルにつく男」に渡した「大家族」は、もはや「上流社会」の「同族意識」など抛り投げてしまい、「神々の怒り」と「自然の脅威」の前に恐れおののいているようだ。

今では「世紀の伝説」と化した「エルノシア」では、ハムレットの代わりに「不思議の国のアリス」が「観光案内人」となって、「心のまなざし」と「美しい言葉」で「心臓への一撃」をお見舞いしている。

「アルン・ハイムの地所」を流離う「巡礼者」たちは、「手の力」で「稲妻」を呼び集め、「ある聖人の回想」が物語られる瞬間を心待ちにしているようだ。

しかし、「彼は語らない」。

「水浴の女」たちが、いつのまにか「困難な航海」に出かけたからだ。

 

 

さあ友よ、今日は「ゴルコンダ」の「大潮」の日だ。

みなが待ち望んだ「ヘーゲルの休日」だ。

「空の島」にはいかなる「概念」もその「影」すらなく、「傑作あるいは地平線の神秘」という「イメージの忠実さ」、あるいは「イメージへの裏切り」という名の「即自的イメージ」だけが、「ハゲタカの公園」で鳩のように大空にはばたいている。

「一夜の博物館」には、「心臓の代わりに薔薇を持つ女」という名の「女盗賊」が、「博学な樹」に攀じ登って、「完全なる調和」を夢見ている。

さあ「町の鍵」を深く差し入れて、今こそ「美しい虜」を思うさま「凌辱」しようではないか!

「光の帝国Ⅱ」に滞在中の「シェヘラザード」と懇ろになって、「微笑」と「媚薬」で彩られた、終りなき「会話術」と「ことばの用法」を教わろう!

「青春の泉」から「絶対の声」をくみ上げ、果てしなき「愛のワルツ」を踊ろう!

けれども「観念」せよ、汝ら老い先短い者たちよ。

お前たちは、「ヨーゼフ・ファン・デル・エルスト男爵と娘の肖像」からは「応用弁証法」を、

「宝石」と「夜会服」を身に纏った「無知な妖精」からは、「レディ・メイドの真実」の「喜劇の精神」を学ばなければならない。

昼なお暗い「オルメイヤーの阿房宮」の「座敷席」で、一輪の「深淵の花」を見るまでに。

 

 

注 この詩は、2015年3月25日から6月29日まで東京国立新美術館で開催されたルネ・マグリットの展覧会に出品されたほぼすべての作品の題名を用いてつくられた。括弧の中の言葉がそれである。