映画を見に行く普通の男

 

工藤冬里

 
 

今年の1本目は「running on empty」を見た。うーやんの映画を撮るなら先行するこれを避けて通ることは出来ない。因みにリバー・フェニックスは市川隼人に似ている。あと、カウリスマキの美はリベラルの臨界点というより潮解である。ジャームッシュのゾンビ映画と併置される時それは印章のように際立つ。
https://youtu.be/kDvqRVhQ9UU?si=HgZ8bJlmOUEavk6D

今年の1本目は「Nocturama」を見た。うーやんの映画を撮るなら先行するこれは避けて通りたいシドからブロンディに至る仮託できない実際の表層の必敗の現実のパンク史であり満たされることのない器としてのホームレスも絡め出入り自由だった百貨店での充実した妄想の過程とその果実の逆転を描き切った。
https://youtu.be/H-6EEsn3Akc?si=C9GZhz_4eZDRlbiJ

今年の1本目は「one false move」を見た。うーやんの映画を撮るなら避けて通れぬ差別の重層を風景に盛らなければ、つまり田舎者というコンプレックスと自分が白人だという居直りが共存するノワール仕立ての米帝の構造そのものが東アジア映画としては周到に転移転倒されていなければならないのだろう。
https://youtu.be/-3rH-x4LW3k?si=5nxrNZiWm3_a0hKO

今年の1本目は「pacifiction」を見た。うーやんの映画を撮るならオッティンガーのアル中女みたいにロックバーでカマンカマンと言いながら飲んでいるだけというのもいいなと思っていたので原爆実験の前にタヒチで飲んでいるだけという触れ込みのこの作品も筋より質感を重視するという点では同質だった。
https://youtu.be/CMrPRG3pTwE?si=Gkxdx8keiwYdJqL5

今年の1本目は「The Zone of Interest」を観た。うーやんの映画を撮るなら「それはあなたの関心領域ですよね?」の応酬にゼロから作るミカ・レヴィの外した音程を被せれば済むが「アウト・オブ・キリング」的な気付きは無意識の悪夢以外花や蜂からも遮断されており祖母の憎悪の方がまだましなのだった。
https://youtu.be/r-vfg3KkV54?si=4Ex4AnlamekVp0c3

桑の実がたくさん落ちて勿体無い

 

 

#poetry #rock musician

アイスクリーム

 

塔島ひろみ

 
 

のどかに走る京成電車の コトンコトンという音に揺られて
私は下車駅で降りそびれ うたた寝をしている
そのうえには
間違った青空が延々と広がり
陽当たりのよい川面の一角で
味のしみたカモたちが泳ぐ
気持ち悪い風が吹く
屋上にはアイスクリームの男がいる
見晴らしのいい屋上で
アイスクリームの男は 気持ち悪い風に吹かれながら
アイス(メロン味)を食べる
いろいろあったけど結局ふつうの 立派な大人になった男
成功した男 一人前でもう孫もいた
アイス(メロン味)を食べる
雲が垂れ下がり 落ちてきそうだ
このあたりで一番高かった屋上は 少し前5階建てのマンションに抜かれた
気持ち悪い風に吹かれながらマンションに抜かれ
気持ち悪い風に吹かれながらアイスを食べる
電車は武器を運んでいた
川は一旦火を止め カモに蓋をして再び強火に
男はそれを見ていない 見晴らしのいい屋上にいるのに川も空も電車も橋も人も鳥も見ていない
土手の斜面で麦わら帽子が花をむしりとり 雑巾のように並べている
バニラのにおい
アイスはもうすっかり溶けている
溶けたアイスを食べている
どうしてアイスを食べるのか
気持ち悪い風に吹かれながら
なぜマンションに抜かれた屋上でわざわざアイスを食べるのか
私はどこかで誰かを殺すために 京成電車に揺られて 眠っていた
屋上が段々遠くなる
いくつかの不快な出来事も今思えば必ずしもマイナスではなく
少しだけ憧れたお笑い芸人(お笑いの素質があった)にはなれなくても
家を建て替えて屋上付きにするぐらいの大人になった
アイスクリームの男 誰も知らないここだけの男 間違った空の下で気持ち悪い風に吹かれる男
さようなら
電車は単調な音を立てて武器を運ぶ
コトンコトンコトンコトン どこまでもどこまでも運んでいった

 
 

(5月某日、高砂1丁目中川近くで)

 

 

 

異空間

 

たいい りょう

 
 

ノルアドレナリンの夢
砂時計の中庭
どこから来たの?
あなたは 魔女?
窓際に 放たれた 石膏像
鏡に のっとられた クローゼット
黒い滲み
白いこころに こぼされた
無意識
異空間
マヌカンの踊り
声なき無機質
ふるえる 地面
わたしは
夢から覚めた

 

 

 

桜譜の風に

 

藤生すゆ葉

 
 

氷と氷が触れ合うと
木枝が波をうつ
空と地面が触れ合うとき
人はそれを雨と呼んだ
ただひたすらに降り注ぐ透明は
一つの線となり
一枚の五線譜のように

丸みを帯びた淡いピンクは
音符になって流れていく

交わり離れて この一瞬をよろこぶように

遠くの傘は風に形をうつして
いつか羽化するのだろうか

青にピンクが重なる昨日は
今日を知っているのだろうか

 

いつもの景色は記憶を好んだ

雨音が記憶の ため息 にかわるとき
その透明は 寂しさを纏わせる
誰にも気づかれない色
そっとそばに寄り添う色

手に触れる散りゆく花びら

 

記憶の片鱗を呼び起こし
やさしい もの を 
あたらしい旋律を

繋がれた色玉の反射は
今も続いている
今も

知らぬ間にできた歪みの記憶すら
愛せるように

そう口ずさみながら
かろやかに風は吹いていた

 

 

 

季節がよくわからぬ日々

 

ヒヨコブタ

 
 

体調よくないターンに陥る
とにかく寝すぎていて起きていない
ここまでは久しぶりかな
外の風があたたかいのかもわからぬ日々
時折少しだけ歩く
問題の根っこを知っている
と思いこんでいたのだけれど
だとしたら生きるしかないんだ
ここでこの世よさらば! 
なんてまったくの論外
わたしはこの生にしがみついて生きるのだと決めたのだ
けれども年齢的に若過ぎもせず、熟成もされていないちゅうぶらりんのわたしは
何を見、何を書けば生きていけるのだろう
何もかもを見て、何もかもを書き出したいのに
今はその時ではないということか

私のあとに何が残るのだろうな
誰の記憶にもあまり深く刺さらぬ存在でいたいような
けれどもことばだけは誰かのこころに
ずんとくるいっしゅんくらい、あったらいいのに
高望み高望みと、通院帰りをとぼとぼ歩く

 

 

 

よくあること

 

工藤冬里

 
 

泥色の河岸の風景に崩し字の火災が興っている
繋がれた先の犬の色にズボンが当たっている
若布の海水浴場で遠泳を追う
独りで暮らす
巻く料理のように遅くまで碧い残照
電磁波が立っている
流しのステンのひんやり
蛍への虞に崩し字の若布が川を流れている
赤に染めてみる液晶
軸のように野菜
赤い御影石が光って
ジオラマの目線で
会話を始める
高いバンドエイドを買う
透けた角部屋の壁面に赤い崩し字が流れて
苗字がコロコロ変わるミイラ
折り込み広告に児童画

父親が悪魔だというのはよくあることだ

 

 

#poetry #rock musician