あるサボタージュのお話

辻 和人

 

一人暮らししていた頃、アパートで保護した野良猫のレドとファミ
実家で預かってもらって早4年、すっかり馴染んだと思っていたら……

レド
レドレド
レドレドレドレ
大変、大変

結婚式を無事終えてぐったりしていた2日後
実家の母より緊急の電話
「大変、大変
レドちゃん、昨日から散歩から戻らないの」
えぇーっ
「一度ベランダまで戻ってきたんだけど
お父さんが家に入れようとしてずんずん近づいたら
また逃げちゃってそれっきりなのよ」
あ、大変、そりゃ大変だ

それからぼくの頭は鳴りっぱなし
大変、大変
レド、どこ?
レドレドレドちゃん、どこにいる?
レド
レドレド
レドレドレドレ
仕事中も鳴りっぱなし
困ったな、週末に実家に帰って探しに行こ

ところが3日後の早朝また電話
「さっきレドちゃん戻ってきたの
ベランダで大きな声で鳴くから急いで戸を開けたら
家の中に走り込んで、ファミちゃん探してるのよ
ファミが、どうした、どうした?って顔して出てきたら
安心したみたいでエサ食べて
食べ終わったらお腹出して甘えるから
抱っこしていい子いい子してあげて
それで満足したみたいで冷蔵庫の上のいつもの場所にぴょーんと飛び乗って
いつものようにおねんねしちゃったよ
でもまあ、良かったねえ」

更に更にお昼頃
「さっき3つ隣の家の人が後で訪ねてきて
おたくの白い猫ちゃん、ウチの庭に3日間じっとしてたって言うのよ
じっとうずくまってるからどうしてるのかなって
かわいそうに思ってご飯あげてたって
ファミも時々会いに来てたらしいのね
なんか心配して損しちゃった感じよ」

えーえーっ
そんな近くにぃ
ファミも一緒!
大変、大変
って程じゃなかったのね
ぼくも心配して損しちゃったな
レド
レドレド
レドレドレ

「猫を外で飼わないでください」
なんてゆう回覧板が回ってくるご時世
だから猫たちは早朝だけ外に散歩に出ることを許されてる
いつもはお腹が空いて2時間もすると帰ってくるんだけど
その日、レドの心に
ふと
「今日は、帰らなくていいかな」
というアイディアがよぎっちゃったんだよ
な、レド
レドレド
レドレドレドレ

3月下旬の空気ってまだ結構冷たいじゃない?
我慢できなくはないよ
お庭の枯れ草に体を寄せてれば
一匹でずっといてさみしくない?
薄い陽の光が目の前でゆらゆら揺れていれば
さみしくないよ
それに毎朝仲良しのファミちゃんがあくびしながらやってきて
10秒臭いを嗅ぎに来てくれるから
全然さみしくない
かわいがってくれたお家の人の顔を見たいって思わない?
……
……

あはっ、何だそりゃ
たった3軒隣で「飼い猫する」ことををサボタージュかよ
何不自由ない暮らししてるくせに
レド
レドレド
レドレドレ

でも何となくわかるよ
いつもいつもかわいがられなけりゃいけないって
負担だもんな
甘えなきゃいけないって
負担だもんな
おいしいモノねだらなきゃならないって
負担だもんな
たまにはサボりたいよな
飼い猫をサボって
ただの猫に戻る
そういう時間って
ウン、大切だ
ぼくなんかこないだまで「ただの猫」状態に浸りきってたもの
レド
レドレド
レドレドレドレ

「婚約者」から「妻」になったばかりの妻が
電話を傍で聞いていて
「レドちゃん、帰ってきて良かったねえ」
というから
「そうだね、ほんと良かった、安心したよ」と答えた

でもね
ほんとにほんとは
プチ家出できて良かったね
飼い猫を休めて良かったね
なんだよ
ぼくはさすがに家出はできないけどさ(笑)
妻に「おはよう」を言ったりハグした後に現われる
弱い草が薄い陽光になぶられるようなしなる薄暗い空間に
ひゅっと入り込んで
冷たい地面の上にじっと体育座り
なんてことは「夫」になってからも何度かやったよ
(「夫」になって幾日もたたないけど)

大変、大変、じゃない
自然なことなのさ
レド
レドレド
レドレドレドレ