由良川狂詩曲~連載第3回

第1章 丹波人国記~プロテスタント

 

佐々木 眞

 
 

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さて綾部は、このお話の主人公、健ちゃんのお父さんの故郷でもあります。
お父さんのマコトさんは、大学生になってからは東京に出てしまったために、いまは綾部では健ちゃんのおじいちゃんのセイザブロウさんとおばあちゃんのアイコさんが、西本町で小さな下駄屋さんを開いています。
屋号を「てらこ」というのですが、江戸時代には寺子屋、つまりいまでいう幼稚園か小学校があった場所に、健ちゃんのお父さんのお父さんのお父さんのそのまたお父さんが下駄の商売を始めたのでした。
つまり健ちゃんのひいおじいさんが、明治の終わりごろに開業したのが「てらこ履物店」だったのです。

いまの人は、下駄なんて浴衣を着るときくらいしか履きませんが、健ちゃんのお父さんが子供の頃は、まだ和服を着る人も多く、下駄を履く人と靴を履く人がちょうど半分くらいの割合だったそうです。
あるとき、(それは健ちゃんのお父さんが、いまの健ちゃんくらいの12歳頃のことでしたが)マコトさんが、セイザブロウさんが下駄の鼻緒をすげるのを眺めていたところへ、ひとりのよぼよぼのおじいさんが、傘をついてやってきました。
ちなみに綾部では、ロンドンのようなにわか雨が降るのです。
そのおじいさんは、「てらこ履物店」のある綾部の中心街からバスで1時間半ほど丹波高原の山地へ入った上林村の、さらにいちばん奥地の奥上林村から、半日かけてやってきた80歳くらいの人物で、腰は曲がり、髪は真っ白、顔は白い口ひげとあごひげにおおわれて真っ白、まるで仙人のような、この世離れしたいでたちで、てらこのお店へやってきたのでした。
おじいさんは、左手に碁盤模様の風呂敷包みと古ぼけた傘、右手にはなにやら灰いろにすすけた木のかたまりのような、ボロのような、奇妙な物体をぶらさげていました。
そして、その汚らしい物体をカウンターの上にどさりと置きながら、こういいました。
「ほんま、この下駄は長いこともちよったわ。おおきに、ありがとう。どうぞ新しいやつと取り替えてやってつかあさい」
セイザブロウさんは、なんのことやらさっぱり分かりません。
「取り替える、といいますと?」
「いやあ、てらこはんの下駄は、ほんま丈夫で長持ちしますなあ。しゃあけんど、もうこうなってしもうたら、寿命や。ほんでなあ、これとおんなじやつがあったら、はよ取り替えてやってつかあさい」
「あのお、うちは古い下駄のお取り替えは、やっとらへんのですけどなあ」
そういいながら、セイザブロウさんは、あることに気づいて愕然としました。
人間よりも猪が多い、と冗談のようにいわれる山奥から、腰に弁当を下げ、雨傘をついて、えんやこらどっこい、町の繁華街に出かけてきたこの仙人のようなおじいさんは、昭和の34年にもなるというのに、下駄屋でも、どこの店でも、その都度お金を払って新しい商品を買うのだ、という商習慣が、てんで分かっていないという事実に。
おそらく彼はいまから4、5年前に、今日と同じように、中丹バスに揺られ揺られて、西本町の「てらこ履物店」にやって来て、そのときは間違いなくお金を払って1足の下駄を購ったのでしょう。
しかしその下駄が、ちびて、すり減り、とうとう使い物にならなくなったとき、てっきり、定めし、必ずや、てらこでは、無料で、ただで、ロハで、新しい下駄に丸ごと交換してくれるに違いない、という思い込み、信念、確信が、この奥上林村の仙人の頭の中には、ずっしり、どっしり、はっきり、とありすぎたために、健ちゃんのお父さんのセイザブロウさんも、新しい、まっさら、ピカピカの下駄を、その白髪三千丈のおじんさんのために、あやうく、あわや、ほとんど、カラスケースの中から取り出そうとしたくらいでした。
当時の綾部には、それくらい浮世離れした人々が大勢いましたし、じつは何を隠そう、いまでも素晴らしく浪漫的な人たちが、町のあちこちに住んでいるのです。

「てらこ履物店」の人々、とりわけ健ちゃんのひいおじいさんのコタロウさんは、この町の筋金入りのクリスチャンでした。
表通りは下駄屋でも、裏に回れば玄関のとっつきに「死線を越えて」の著者がこの家を訪ねた折の揮毫が、ついたてにして飾られ、欄間のあちこちに明治の基督者たち、たとえば、海老名弾正や新島襄の筆になる額がかけられていました。
ご存知のようにこの国では、戦時中は信教の自由なんてものはありませんでした。コタロウさんのような熱心なクリスチャンは、「ヤソじゃ、ヤソじゃ」と向こう三軒両隣からもさげすまれて、開戦直後に警察のブタ箱に放り込まれる始末でした。
ようやく戦後になっても、コタロウさんの筋金入りのプロテスタントぶりは痙攣的に発揮され、コタロウさんの孫たちは、神社や寺社仏閣の子供会の早朝参拝や掃除には参加を禁じられていました。
その代わりにコタロウさんが孫たちに強制したのは、日曜日の朝の礼拝への出席でしたが、これは現行憲法が保障する、個人の「信教の自由」の侵害であったといえるでしょう。
そういえばある晩のこと、中学生になっていた健ちゃんのお父さんのマコトさんが、毎週土曜夜の学生礼拝をさぼって、町でただ1軒の映画館「三つ丸劇場」で、ジェームズ・ギャグニー主演のめったやたらに面白いギャング映画を見物している最中に、てらこの特別捜索隊に発見され、泣く泣く教会に連れ戻されたという、聞くも涙、語るも涙の物語もありました。
その際、劇場の切符もぎりのおばさんが、思わず洩らしたひとこと、「せっかく楽しんどってやなのに、親がそこまでやらんでも、ええのにねえ」に、筆者(わたくし)は、いまなお衷心より共感いたすものであります。

 

空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空次回へつづく