ディヌのショパン

 

萩原健次郎

 
 

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ディヌ、眠ってないで、覚めて怒ってもいいのに
きょうの演奏も、やさしく逃げないで
あなたはまた、あなたの土の温もりの中でじっとしていた。

水の丘は、隠されている。
山の下から眺めた時に、そこに
散るように配置された池塘があるなんて
想像もできない。
水の丘の、腹の部分に横たわった物は、
生きた物であり、夜になると鼾のような
大きな吐息をひびかせている。

池塘のひとつひとつは、せせらぎで結ばれて
そこには、ワルツの粒が溶けている。
ワルツの粒は、水で溶解されれば
気体状に、空に散乱する。

あれっ、涎。
ショパンを弾きながら
ディヌがまた、呆けている。

おんなに叱られる。
と、言ったことがあったね。
おんなとは、母、姉、それとも恋人ですか。
ディヌ。
涎は、いいよ。
わるくない。
ワルツの詩(譜)が
蜻蛉に、空中で喰われている。

山の腹の、飛ぶ虫の腹の、ショパンの腹。
みんなの腹が踊っているよ。
涎まみれで
延々と、
おんなに叱られながらね。

ね、ディヌ。

 

 

空白空白空白空白空白空白空白空白注 ディヌは、ディヌ・リパッティ

 

空白空白空白空白空白空白空白空白空白空白空白(連作「暗譜の谷」のうち)