とがりんぼう、ウフフっちゃ。

 

鈴木志郎康

 
 

尖った
尖った
とがりんぼう、
ウフフ。
とがりんぼう、
ウフフっちゃ。
ウフフ。

春だなあ、
四月も半ば、
夕方の日差しがながーく、
キッチンの床に射し込んでるっちゃ。
こんな一日もあるっちゃ。
とがりんぼう、
ウフフ。

とがりんぼうっちゃ、
何ね。
俺っちの、
禿げてきた
頭のてっぺんってか。
ウフフ。
違う、違う、
違うっちゃ。

尖った、
尖った、
とがりんぼう。
ウフフ。
春の気分の、
とがりんぼう。
ウフフ、
ウフフ。

 

 

 

貨幣について、桑原正彦へ 32

 

嵐の朝にめざめた

新丸子から
引っ越してきた

嵐の風の中に
ハクセキレイの声が聴こえた

チユチユチユと
鳴いてる

マリア・ユーディナの
平均律の

22番を聴く

そこにも枯れた花たちはいた
そこにも枯れた花たちはいた

閃光は言葉の先にあった

 

 

 

さくら

 

長尾高弘

 
 

さくらはやっぱりさ、
満開だってときより
ちょっと散ってる方がいいなって感じだよね、
そんなこと言っちゃいけないんだけど。
ってそこまで言ってから、
あれ、変なこと言っちゃったなって思ったよ。
そんなこと言っちゃいけないんだけどって
言ったことだけどね。
言われた相手はスルーしちゃったけどさ。
これって、毎年さくらの時期には言ってたことなんだよ。
でも、今年に限っては、
さくらのように潔く散れって言われて、
戦争で命を落とした人のことが頭をよぎったんだ。
なんでかって?
たぶん、
学校で銃剣道を教えてもいいってことになったとか、
教育勅語を教材にしてもいいと閣議決定したとか、
そんなニュースばかり聞かされてるからさ。
銃剣てさ、単なる人殺しの道具でしょ。
戦争のときはあれで無抵抗な人をどんどん突き殺したって話じゃない。
そうやって殺された人たちの子孫はどう思うんだろうね?
それにさ、戦後になってもあんなのやってたのは、
自衛隊だけだっていうんだよね。
誰が教えるんだよってことさ。
学校の体育の先生だって教えられないでしょ?
元自衛官が臨時教員にでもなって
学校に教えに来るのかしらん?
それじゃあ戦時中の軍事教練と変わんないじゃないか!
で、教育勅語といえば、
戦争になったら天皇のために死ねっていう
絶対的権力者の臣民に対する命令だよ。
さくらのように潔く散れって言葉のもとさ。
自分の生命を大切にしないことを叩き込まれて戦場に行ったから、
手当たり次第誰でも平気で殺せたんだと思うよ。
いや、平気ってことはなかったと思いたいけど。
だからこそ、今の憲法には、
国民は、個人として尊重される
って書いてあるんじゃないの?
その憲法に真っ向から対立するものとして、
国会が排除無効を宣言した教育勅語を
なぜ政府が勝手に復活させられるんだ?
そんなこと考えてたからさ、
潔く散れって言われて殺された人や
その人に殺された人のことを考えたら、
さくらが散るのがきれいだなんて、
とても言えないよねって、
思っちゃったんだよね。
むしろ、今までそこに頭がまわらなかったのが
おかしかったんじゃないかってことだよ。
でもさ、
そんな悪い比喩にいつまでも振り回されたくないじゃん。
さくらの花はたださくらの花として愛でたいよ。
戦前日本ときっぱり決別しない限り、
それが許される日は来ないんだけど。

 

 

 

引っ越しで生まれた情景のズレっちゃ何てこっちゃ。

 

鈴木志郎康

 

 

詩人のさとう三千魚さんが引っ越しちゃった。
「さよなら、新丸子」のFaceBookの投稿だっちゃ。
前の座席の背後の写真だっちゃ。
さとうさんは車の後ろの座席からスマホで撮ったっちゃ。
「新丸子から先程、しぞおかに帰ってきました。
あの洋品店のウインドウの老姉妹や、
帰りの裏道の花たちをもう見ることはないんですね。」
って、
日々を追ってFaceBookに投稿されてた、
老姉妹のあの洋品店のウインドウの写真、
夜の闇に吊るされてたセーターの写真、
帰りの裏道の花たちの写真、
それを、
俺っちも、
もう見ることはないっちゃ。
ここが、実は、極めての、
問題なんっちゃ。
さとう三千魚さんはコメントに、
「意味を持たずに堆積した記憶がわたしたちの自己の意識を形成していますね。
ことばはその堆積から生まれる萌芽でありましょうか。」
って、書いてるっちゃ。
日頃の生活で、
どんなふうに詩が生まれてくるかってこっちゃ。

人が生きてそこに居れば、
そこにその人を囲む、
ぐるりの情景が生まれるっちゃ。
「新丸子には、13年程住みましたが、
週末には静岡に帰っていましたので静岡と東京を行ったり来たりしている感じですね。」
って、
さとうさんは、
週始めに、
新幹線で静岡から東京に、
その早朝の
「ひかり 5号車、通路にて」の車窓からの写真、
熱海辺りの遠い海と流れる家。
その週末に、
静岡への夜の車窓から、
「こだま 5号車11番A席」で、
縦横に並んだマンションの窓の灯り。
そして、
翌朝、
「good morning moco!
good sunday everyone!!!」
愛犬に挨拶、
SNSの徘徊者に挨拶。
そして海辺に散歩して、
「海辺にて」の写真。
磯辺に波が寄せてるっちゃ。
三千魚さんの写真はほとんどお決まりの写真。
お決まりの生活から撮られた
お決まりの写真。
ウフフ、
それがいいのだっちゃ。

さとう三千魚さんは
詩を書く。
言葉を書くって、
もともと、
権力者が支配の定めを書いたってところから、
始まったっちゃあね。
だからさ、
個人が
行き先の定まらない言葉を書くっちゃってことはさ、
己れの生きる権利の行使なんっちゃ。
貨幣に組み込まれたお決まりの生活、
お決まりの生活で産まれる言葉、
個人の感情の言葉、
個人の思考の言葉、
個人と個人の連けいの言葉、
俺っちたちは、
そこに生きてるってこっちゃ。
さとう三千魚さんは、
お決まりの生活して、
「左手でiPhoneを持って、
右手の親指でiPhoneの丸いボタンを押して」
お決まりの写真を撮って、
頭の中に、
詩の言葉が生まれたっちゃ。
そして、
その言葉を書いたってこっちゃ。

これがさとう三千魚さんの詩だっちゃ。

貨幣について、桑原正彦へ 28
投稿日時: 2017年3月15日

昨日は
ライヒのCome Outを聴いて

東横線で帰った
目をつむってた

ライヒは

外に出て彼らに見せてやれ
そう言ってた

外に出ろ
そう言った

新丸子で降りて

夜道を
帰る

老いた姉妹のウィンドウの前で佇ちどまる
重層した声が外に出ろと言った

さとう三千魚さんは引っ越しちゃった。
川崎の新丸子から
もともと住んでる静岡の下川原へ引っ越しちゃった。
もう老いた姉妹のウィンドウの前で佇ちどまることは
ないっちゃ。
このズレっちゃ、
このズレっちゃ。
ズレるとそれまでみえなかった姿が見えてくるっちゃ。
「引越し、やっと終わりました。
これから片付けが大変です。」
なんとも意味深い片付けだっちゃ。
言葉を書くと、
言葉の形が出てきちゃう、
形と意味とのぶつかり合い、
そこんところで、
言葉をぶっ壊す力が
要るんだっちゃ。
「外に出ろ」
ぶっ壊す力、
ぶっ壊す力、
それが、
俺っちの心掛けっちゃ。
ウフフ、
ハハハ。

 

 

 

4月の歌

 

佐々木 眞

 
 

 

だいだい色の夕空の下、
ぼくらは、思いっきり、両手を伸ばして、羽ばたいた。

のぶいっちゃんが、いた。ひとはるちゃんが、いた。
みわちゃんが、いた。ぜんちゃんも、いた。

ブーン、ブーン、ブーン
ぼくらは、みんな、ヒコーキだった。

丹波の、綾部の、西本町だった。
春の空気は、冷たかった。

のぶいっちゃんが、歌った。
「だーるまさん、こーろんだ」

ひとはるちゃんが、歌った。
「ぼんさんが、へーこいた」

みわちゃんが、歌った。
「商売繁盛、笹持ってこい」

ぜんちゃんも、歌った。
「弁当忘れても、傘忘れるな」

みんな、みんな、幼かった。
みんな、みんな、夢を見ていた。

みんな、みんな、いいこだった。
みんな、みんな、いいこだった。

 

 

 

俺っち赤ん坊を抱いたの何年振りだっちゃ。

 

鈴木志郎康

 
 

みつききぬよよしみつつばさの
尻取り名前家族が、
俺っちの、
家にやって来たっちゃ。
義光ちゃん、三ヶ月と一日、
三月ちゃん、七年零ヶ月十三日、
翼さん、二十三年八ヶ月二十五日、
絹代さん、三十四年四ヶ月二十日、
麻里、六十六年五ヶ月と九日、
俺っち、八十一年十カ月と六日。
わーいわーい、
生きた日にちの数が部屋に溢れたっちゃ。
みんな、生きているっちゃ。
三ヶ月と一日の義光ちゃん、よっちゃん、
義光坊よ、
これから事故に合わず病気せず、
事件にも戦争にも巻き込まれずに、
九十、百まで、
長い長い月日を生き抜いくれっちゃ。
その時この世界はどんな世界っちゃあね。
俺っちはもういないっちゃ。
ホイホイ。

母親の絹代さんに抱かれた
義光くんは
喃語を口に、
父親の翼さんに渡されて、
俺っちの
この部屋の
テーブルの
椅子にちょこんと、
座らせられ、
王子様よろしく、
頭をぐるりと回したっちゃ。
可愛いねえ。
そして次に、
お父さんから、
俺っちに、手渡されたっちゃ。
おう、おう、
俺っちは、
何年振りかで、
赤ん坊を抱いたっちゃ。
重いっちゃ、
重い。
頬を指先で触って見た。
ウッホッホッ、
ウッホッホッ。
義光ちゃん、
義光坊、
どんどん大きくなれっちゃ。

義光ちゃんは
お母さんの胸に抱かれて、
両方の乳房からおっぱいを飲んで、
両腕の中で、
ゆるゆる揺られれて、
喃語をつぶやき、
眠っちまった。
満腹の至福に眠るって、
それが人が生きるってことっちゃ。
生き物ってことっちゃ。
おやおや、
俺っち、
赤ん坊を前に哲学かいな。
ウフフ、
ホイホイ。

 

 

 

由良川狂詩曲~連載第10回

第3章 ウナギストQの冒険~旅路の果て

 

佐々木 眞

 
 

 

そうやって波のまにまにアップアップしていると、いつの間にか犬吠崎の灯台が近付いてきたの。ケンちゃんも知っていると思うけど、坂東太郎の利根川は、この犬吠崎の手前、銚子で鹿島灘に流れ込んでる。

僕は波にもまれもまれている間に、前にもニシン、後にもニシンの大群にとりかこまれたて、どんどん海の浅いところへ、浅いところへとまるでオミコシでかつがれたように近付いてきて、気がついたら突然利根川の河口に入りこんでた。

本当はもっと南に下がって相模川から内陸部へ侵入する予定だったんだけど、もう全身くたくたに疲れ切ってるし、ひょっとしたらこれが相模川かもしれないし、ええい、ままよ、思い切ってさかのぼってみよう。、あとはなんとかなるだろう、と思って全力を振り絞って上流をめざしたってわけ。

うわお!なんという汚さ、なんとにごりににごったヘドの出るような水なんだ!
僕は長かった海水生活に慣れ親しんだ塩漬けの体が、一挙に淡水に触れたために全身を襲ってきた猛烈なめまいと悪寒と吐き気に必死に耐えながら、怒涛のように押し寄せてくる大河の壁を1センチまた1センチと押し返しながら、上流へ上流へとさかのぼっていったよ。

悪戦苦闘6時間、それでも水は少しづつきれいになってきたし、僕の体もようやく淡水に慣れてきたみたい。途中、悪臭ふんぷんで息もつけない霞ヶ浦に迷い込んで、酸欠で窒息しそうになったりみしたけれど、気を取り直して利根川の本流に戻り、埼玉県の南河原のあたりで南に流れ下がる武蔵水路にうまく乗り換えて荒川に移り、支流から支流を辿ってそこからなんとか多摩川へ移って、多摩川からさらに相模川へ移動できないか、と頑張ってみたんだけど、世の中そんなに甘くないや、結局元のもくあみ、ムチャクチャに汚い荒川に放水路にドドッと放り出されて着いたところが東京湾だった。

ハゼとボラとコノシロに聞いた話だけど、東京湾は年々ますます住みにくくなってるんだって。発ガン性や催奇性がきわめて高い有害化学物質のダイオキシン、そのダイオキシンの中でももっとも毒性の強い「2・3・7・8―TCDD」に汚染された魚がウヨウヨ泳いでいるってことを、ぜひ東京都のみなさんに伝えてほしい、ってメッセージを託されたんだけど、僕だって故郷由良川の仲間たちのことを思って気が気じゃなかった。

ダイオキシンによって0.0014pptの濃度で限りなく汚染された東京湾の海水をできるだけ口に入れないように、エラの奥深くためにためこんだ空気を大切に使いながら、4月27日の真夜中に、ベイブリッジを右手に見みながら浦賀水道を通り過ぎ、三浦半島をぐるっと回りこんで、ようやく潮のみれいな相模灘に出たときは、ほっとしたよ。

真夏を思わせる青空の下を、真面目な入道雲がムクムクと湧き起こるのを呆然と眺め、ああ、いずれ僕たちウナギも由良川の魚も遅かれ早かれ死んでしまうんだな、でも、有機物より無機物の方が寿命で長いのはなぜなんだろう、なんてアホなことをぼんやり考えながら、いつものようにお腹を天日で乾かしていたら、マンボウとヤリマンボウが仲良く波の上で昼寝しながら流れていくのに出会っちゃった。

あ、そうそう、ハナオコゼとイザリウオが大喧嘩して、ハリセンボンがあわてて止めに入っているのも面白かったったし、いちばん素敵なのは、なんといってもリュウグウノツカイとしばらく一緒に泳いだことかな……

苦しいことがあまり多すぎて、たまに楽しいことがあっても、すぐに忘れちゃう。
ケンちゃん、幸福はいつも急いで君の傍を通り過ぎるから、手をのばしてしっかりつかまえないと、一生そいつをとりのがしてしまうかもしれないよ。
エヘン、どう、ウナギストって哲学者でしょ。長い旅をしてるとついついいろんな物思いにふけってしまうのさ……

おっといけねえ、そうこうしてるうちに茅ヶ崎だ。
「サザンの桑田君が砂浜で勝手にシンドバッドしてるのが目印だ」とお父さんが教えてくれた、その茅ヶ崎と大磯の間を貫流している相模川に必死でとりついて、またもや逆行に次ぐ逆行、ようやく寒川町にある取水堰に辿りつき、直径2メートルもある太い真っ暗な水道管の中をうねうねうね15キロもうねったんだ。

よおし、これで最後の旅だと気力を振り絞ってようやく浄水場にもぐりこめたと思ったら、大量の塩素をどっさりあびて消毒されて、ほとんど死にかけたんだけど、ナニクソと頑張りぬいて浄水場の裏口からこっそり忍びこんで、送水ポンプと揚水ポンプをつづけざまにさかさまに、ウナギのぼって、ウナギ下り、送水管をつうじて排水池に入って一日中ゆっくり休んだあとは、鎌倉中の真っ暗な給水管の中をあっちこっち匍匐前進しながら、本日ただいまやっとのことでケンちゃんちの水道まで辿りついたってわけ。
ああくたびれた、くたびれた!

ウナギのQちゃんは、いっきに語り終えると、どっと長旅の疲れが出たようで、水盤の中でぐったりと横になりました。

その間にケンちゃんは、2階の勉強部屋から理科や社会の教科書や地図を持ちだして、Qちゃんの大冒険のあとを辿り、これはもしかして人間でいえばマルコ・ポーロやバスコ・ダ・ガマよりすごい大旅行じゃないだろうか。か細い一匹のウナギストにできることが立派な一人前の少年に出来ないわけはない。
よおし、命懸けの大ツアーを敢行したQちゃんに負けてたまるか。由良川の魚たちを救うために、ボギー、俺も男だ。ムク、お前は僕の愛犬だ。何でもしてやるよ! 何でもやってやるよ!と、固く固く心に誓ったのでした。

 

空白空白空白空白空つづく