なむあみだぶつサーカス

あるいは今井義行著「Meeting Of The Soul(たましい、し、あわせ)」を読みて歌える

 

佐々木 眞

 

 

野比のび太
ああ面白かった!
久しぶりに心が自由になって、外へも、内へものびのびと広がっていくような不思議な現代詩を読んだな。

源静香
自由な詩だというのは、分かるけど、「外へも、内へも」というのは?

のび太
なんかさあ、能の「羽衣」を見物しているような気分。
「♪東遊びの数々にー」の謡に合わせて、漁師から羽衣を返してもらった天女が、嬉しくなって三保の松原で踊ると、漁師だけじゃなくて、私たちの心まで晴れ晴れとしていって、最後に天女は、富士の高嶺の果てに消えてゆく。
そんな広大無辺の精神世界を、詩が「花粉を舞わせながら」、霞のように、昔風に言うとエーテルのように、舞っているような気がしたんだ。

源静香
へえー、よく分かんないけど、わたしは、世知辛いこの世の中をなんとか生き延びながら、「地球が突然垂れ下がろうとも」、一篇の詩を命がけで紡いでいる鶴。暮らしと「友愛」のために、身を粉にして織物を紡ぎながら、気宇壮大な「東遊び」を楽しんでいるボーダーレス、ジェンダーレスの一羽の「つう」が飛んでいるんだ、ということは分かったわ。

ドラエもん
分かったずら。「夕鶴」、ね。

のび太
その「夕鶴」っていう名詞ひとつが、まごうかたなき詩である、と「あまでうす」という人がさかんに主張しているんだけど、誰か知ってる?

イクラ
パブーン。

静香
でもこの今井さんて人、詩の言葉の構成、発芽と生成過程、遊び方も独特のものがあるけど、それだけじゃなくて、無機的になりがちな散文の美しいこと!
単なる自伝的文章とか考察が詩に化ける、なんて、ちょっとすごくない?

ドラエもん
毎朝4時に起きてPCに向い、点滅する最初の一字、最初の一行、「輝珠」から、世界が、詩的宇宙が切り開かれていくなんて、なんかぼくの「どこでもドア」みたい。親しみが持てるなあ。

のび太
きみの「どこでもドア」なら、多くの詩人が羨ましがっていると思うよ。
問題は、「どこでもドア」を開いた後だ。その一字、その一行をどうやって次の一字、次の一行につなげていくかということなんだけど、この詩人は、その連続的な軽業を、まるでサーカスのブランコ乗りのように、(少なくとも傍目には)いともたやすく自由自在にやってのけるんだ。

ドラエもん
天才じゃん。ぼくの「4次元ポケット」みたいずら。
サーカスの天才、ぼく、超うらやま。

のび太
「なみあみだぶつサーカス」、てんだけど、聞いたことない?

イクラ
パブーン。

静香
初耳だけど、不思議な響きね。詩になりそう。

のび太
この「なむあみだぶつサーカス」の最大のウリはなにか、きみたち知ってるかい?

ドラエもん
なに? なに? 教えて! 教えて!

のび太
鉄製の円球の中に閉じ込められたオートバイがね、エンジンを最大限にふかしながら、大音声を上げて、球形の内部をぐるぐる回る。
何度も何度も全速力で回るもんだから、ドラーバーの頭の中も、ぐるぐるぐるぐる全速力で回転し、見物しているわれわれの脳味噌も、心拍も、身魂さえも紅蓮の烈のように燃えたぎって、尋常ならざる異世界へぶっ飛ばされてしまう。なむあみだぶつ なむあみだぶつ。
そして気が付くと、狂気のように回転し続けていたオートバイは、ドライバーもろともいつのまにか跡形もなく消え去り、サーカスのテントのてっぺんからはスーパームーンがぬっと顔をのぞかせているんだって。

静香
なんか面白そうね。

のび太
うん。一度のぞいてみたら。

ドラエもん
あした行ってみるずら。
なむあみだぶつ なむあみだぶつ なむあみだぶつ なむあみだぶつ