新・冒険論 17

 

帰ってきた

過ぎて
いった

景色は流れていった

きみは

工藤冬里の「棺」という名の詩集の
詩を

読んでいた

<そういう風にして、再びノスタルジーの契機さえ捉えることが出来るようになる>

そう
書かれていた

過ぎて流れていった

後に

歌は
生まれた

 

 

 

ボナールです!

国立新美術館でオルセー美術館企画「ピエール・ボナール展」をみて

 

佐々木 眞

 
 

 

今回のボナールは、「日本かぶれ」とか「ナビ派」とか下らない包装紙に包まれて巴里から六本木までやってきたが、んなもん余計なお世話である。

僕にとってのボナール選手は、その名前のとおり、あのボナーッとしていて、ヌボーっとしたダイダイ色などの暖色が、疲れた心身を穏やかに揉みほぐしてくれるやわらかな存在で、例えばルーベンスとかルオーなんかの重厚長大派とは対照的に、「親和力に富む絵描きはん」、なのである。

作品は静物や風景、室内画、それぞれに良きものがあるが、なんというても愛妻マルタの入浴図にとどめを刺すだろう。

もう半世紀以上も昔の大むかし、丹波の田舎の中学か高校生だった僕は、美術鑑賞の時間に同級生と一緒に、恐らく京都の美術館でボナールの入浴図を見て、その美しさとエロチシズムにしばし陶然となったことがある。

その展覧会は、当時ポピュラーだった印象派を中心とした寄せ集めの「泰西名画展」で、ボナールはおそらく1点か2点しかなかったはずだ。

小一時間の鑑賞を終えて、クラス担任のU先生から、「ササキ君、どうやった? どれが良かった?」と聞かれた僕が即答できずにいると、U先生は、どことなく自信なさげに、でもその自分の感想を、誰かに支えてもらいたそうに、「ボクは、ボナールがええなあ思たけど、君はどう思った?」と尋ねられた。

あろうことか、僕は黙って、うつむいてしまった。
しばらくして顔を上げると、U先生の姿はもうなかった。

僕が「ボナール!」と即答できなかったのには、2つの理由があった。

ひとつは自分もボナールに感動したのだが、その絵があまりにも官能的であったので、教師の問いかけに、つい躊躇ってしまったこと。

もうひとつは、普段は謹厳実直そのもののU先生が、ボナールの裸婦に、僕と同じか、あるいはそれ以上に感動し、先生の顔が、興奮で少し赤らんでさえいることに対して、不遜にもある種の嫌悪感を懐いてしまったからだった。

そんなU先生の顔を、まともに見ることもできず、うんともすんとも返事できなかった自分……。
あの頃、丹波の田舎の教育者が、自分の教え子にエロチックな作品への肯定的評価を伝えるのは、それなりに勇気を必要としたに違いない。

思いきって心を開いてくれたU先生に、率直に応えられずに、あまつさえ不快な思いまでさせてしまった僕は、ほんとに嫌な奴だった。

先生、どうかあの時の無礼をお許しください。
恐らくは在天の先生に、半世紀前に答えるべきであった返事を、遅まきながらいま致します。

「ボナールです! 先生と同じ、ボナールの裸婦です!」

 

 

 

ロックが欲しいのに

 

石川順一

 
 

ロックが欲しいのに
岩ばかりがやって来る
もっとロックのシャウトが
欲しいのに岩ばかりが蓄積する
南無阿弥陀仏の父の実家
南無妙法蓮華経の母の実家
門の怒りが江戸時代を象徴して居るのか
剣を抜いて精神を統一する
パーなのはつるぎの心か
左手の人差し指を置いた後頭部の位置に
出来物が出来る
今日は体育祭だった
やっぱりロックが欲しいのに
岩ばかりがやって来る

 

 

 

夢のカリフォルニア

 

今井義行

 
 

8月に精神的にひっ迫していたわたしは
いまの処方の薬で劇的な回復を得られた
薬で治せる物はさっと薬で治してしまう
方がさっぱりしてて良いとわたしは思う

サインバルタカプセル 20mg×3+リフレックス錠 15mg×3 が
わたしの場合 それだった
最高の相乗効果が得られる薬と薬の組み合わせを
カリフォルニア・ロケット*というそうだ
*アメリカ合衆国の精神薬理学者スティーブン・M・ストールが考案した療法で、
単剤処方では十分な治療効果が得られない難治性うつ病を異なる作用の抗うつ薬で
神経伝達物質のさらなる増加を図るものである。
(ネットより引用)

カリフォルニア・ロケットを就寝前に経口投与すると
その翌朝には 脳内に花が咲き広がっていました

カリフォルニアへ行こう
わたしにも暮らせそうな 夢のカリフォルニアへ・・・・・・・・
自分の居たい場所は
制度に水を差されないところに
自分で創ろう、ってこと

そんな気持ちになれたことは、素晴らしい、ってこと

〈ありがとう、カリフォルニア・ロケット!〉

いま・ここ
築40年の 朝でも陽の当たらない アパートの
6畳間の 空容量の 3畳分を
ちいさな ちいさな 書斎として
わたしが、認識するという 出来事

デスクトップパソコンをひとつの中枢神経とする
都市計画・・・・・・・・
まわりには
亡くなった母の微笑んでいる一葉の写真と
Bluetooth キーボードと
機種変更したばかりのこれから慣れたい Android Ver8と
漆黒のプリンタと 直角の座椅子と
それから・・・・・・・・
詩のことばを求めて 漂い巡る わたしの指先。

〈ありがとう、カリフォルニア・ロケット!〉

〈ここは、とても 生き心地の 良い 場所です〉

All the leaves are brown (all the leaves are brown)
And the sky is grey (and the sky is grey)
I’ve been for a walk (I’ve been for a walk)
On a winter’s day (on a winter’s day)
I’d be safe and warm (I’d be safe and warm)
If I was in L.A. (if I was in L.A.) (ネットより引用)

どんな状況でも カリフォルニアを夢見よう

さまざまな時にさまざまな光と出遭った
さまざまな場でさまざまな光と出遭った
今朝も早朝覚醒だ 涼しくひと気の無い
早朝散歩の後にはノンアルコールビール
9月の わたしは 生まれ変わったよう

Stopped into a church
I passed along the way
Well, I got down on my knees (got down on my knees)
And I pretend to pray (I pretend to pray)
You know the preacher like the cold (preacher like the cold)
He knows I’m gonna stay (knows I’m gonna stay)

8月に精神的にひっ迫していたわたしは
いまの処方の薬で劇的な回復を得られた
気がつけば初秋だ早朝覚醒の続く初秋だ
新しいスマホに慣れようとしている今だ
不意打ちのような尿意に慌てている今だ

California dreamin’ (California dreamin’)
On such a winter’s day

California dreamin’ (California dreamin’)
On such a winter’s day

どんな状況でも カリフォルニアを 夢見よう

詩のことばを求めて 彷徨い巡るわたしの指先。

〈ありがとう、カリフォルニア・ロケット!〉

(ああ、いま・ここは、)

〈とても 生き心地の 良い 時空です〉

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

不意打ちのような尿意に慌てている今だ

 

 

 

2018 夏の終わりを迎えて

 

みわ はるか

 
 

台風が容赦なくたくさんやってきた夏だった。
ものすごい勢力の風と大粒の雨を一度にふりまいていった。
ニュースによると、各地のいたるところで交通網は麻痺し、車は横転。
家を飛ばされた人や、浸水被害にあった人まで。
テレビの画面を通してみる世界は恐ろしいものだった。
日本は自然災害にわりと多く見舞われる地域だとはいわれているが、こうも頻繁に来られては疲労困憊である。
被害にあわれた方が一生懸命に前を向いて掃除や後片付けをしている姿には本当に心がうたれた。
もちろん他人事ではないのでそういう時に備えた対策をしなければと思う。
小学生だったころは台風や大雪が降った日なんかはなんだかどきどきわくわくしていた気がする。
非日常な光景に教室の窓から食い入るように見つめていた。
友達とこれはすごいねすごいねと言葉を交わすことで気持ちが変に高まっていた。
だがしかし、大人になった今そんなことは言ってられない。
風でもしガラスが割れたら、もし雨漏りしたら、考えても考えても嫌な光景ばかりよぎる。
雪の中いくら除雪がしてあるとはいえ車での運転はものすごく億劫だ。
天気予報で台風の接近や大雪情報が流れようものならうらめしくお天気お姉さんを見る日々だ。
ただ、防ぎきれるものでもないのでどこかあきらめている自分もいる。
日本全国の大人のみなさんはそんな感じなのかな??

9月半ばにに東京へ行った。
妹の所へ行った。
日本橋や人形町、資生堂パーラー、銀座SIXなど少し観光もしたけれど普通にスーパーとか近所の図書館へも行った。
東京の野菜は驚くほど高かった。
この夏は元々野菜が高値になっていたこととも関係あるのだろうけれどびっくりした。
普通に一緒にご飯を作って、食べて、ゴミをまとめてゴミ捨て場まで持って行った。
ただただ普通のことだけれど、わたしが知らない間に妹はたくましく一人で生きていた。
あの複雑な鉄道も乗りこなしていたし、ゴミの分別もきちんとしていたし、図書館で小難しそうな本も借りていた。
時間になったら起きて仕事に向かっていたし、昼休みの時間を利用して銀行にも足を運んでいた。
遠いところに住んでいるのでやっぱり心配だけれど、姉が思う以上に妹は強かった。
わたしが行きたかった観光地も嫌な顔せずに予定をたててくれて一緒に行ってくれた。
最後東京駅でお土産を選ぶときも優柔不断でなかなか決められないわたしに根気強く付き合ってくれた。
新幹線の時間が近づき改札まで送ってくれた。
その姿はやっぱりたくましかった。
わたしは安心して帰りの新幹線に乗ることができた。
この夏、妹と会えてよかったと思った。
数時間して地元の最寄駅に着いた。
田園風景と山々が広がっている。
ふぅ~と深呼吸した。
わたしは田舎の方がやっぱり好きだなと思った。
とぼとぼとキャリーケースを引きながら、夜風に当たりながら家までの道を歩いた。
その日の月は半月で深い輝きがあった。

10月がやってきた。
わたしが大好きなモンブランが出回る季節だ。
鈴虫の鳴き声も心地いい。
落ち葉をくしゃくしゃと靴で踏む音は面白い。
ベランダにつるしてあった銅製の風鈴を回収しながら秋の到来を楽しむ気持ちがわいてきた。

 

 

 

木根川橋

 

塔島ひろみ

 
 

ぐらぐら頭がふらついて
座ろうとしたら、体が傾いて滑り落ちた
人が見ている
目立ちたくない、私は焦る
もう一度 座席によじ登ろうとして
後ろに転び頭を打った

私は車内通路に醜く伸びる、
腐敗臭を放出するゴミであった

ガタンガタン、ガタンガタン、電車が鉄橋を渡っている
荒川河川敷でススキが風にそよいでいる

まもなくヤヒロ、ヤヒロ

何も知らない(たぶん)車掌が放送している
窓から西日が差しこんで、倒れている私の顔を照らす
誰かが窓を開け、心地よい空気が入って来た

橋が見えるよ!

声の方に目を向けると、薄汚れた猫が数匹
窓に顔をくっつけて外を見ている

ヤヒロで駅員が2人乗ってきて、車内清掃が始まった
乗客が次々掃き出されるように降りて行く
そしてこのおぞましく邪魔な物体をそのままにして、ドアが閉まった

見ると座席にホーキを立てかけて、駅員たちが気持ちよさそうに目を閉じている
向い側には猫たちが座り、そして私の足元では何ものかが丸くなっている
足に、暖かいものを感じた

行き先のない電車はヤヒロで引き返し、再び鉄橋を渡り始めた

起きているゴミたちはみな顔を上げ、夕日に照らされた木根川橋を見つめていた

 
 

(2018年9月2日、京成押上線車内で)

 

 

 

Inner Worlds

 

正山千夏

 
 

これまで
私のインナーワールドに
そういう光を当てられたことが
あったかしら

その景色
起伏
闇に溶けている奥行

夜明け前の薄闇のような
日暮れ後の夕闇のような
遠慮がちな光のなか

浮かび上がる
その景色のひろがりに
目をみはる

私は
一瞬で
恋におちる

カモメは
その光の軌跡をたどり
深く暗い海の上を飛んでいく

私は
見つめることを
やめられない

その光が
いったいどこからやってくるのか
知りたくて