物の恋

 

萩原健次郎

 
 

 

細い川が流れている。
こころ細いと、書いて消す。

脚から溶けていくのかと、

頭の中の水は溶けない。

頭の中では、哀が、薄まって
真水になろうとしている。

小鳥は、物なのだろうか
頭も、物なのだろうか。
山や川は、

桎梏という、箱型の竹藪の脇に墓碑が並んでいて、それは
おそらく旧村民の先祖たちが眠っているのだろう。かれら
は、退屈しない。彼らは、毎日、晴れたり曇ったり、暴風
が吹いたり、豪雨が、こころ細い川を流れているのを眺め
て生きている(死んでいる)。滅び唄を聴くこともできる。
風や雨がかすかに擦れ重なり合う時に、ざざざあと、混線
した電波のような音楽を生じさせているのを、そのままに
している。

碑の上で、真紅の蜻蛉が交尾することもある。
嗚呼も、ううっもかすかに擦れ重なり合う。

頭の外ばかりが、明るいのだなあ
物ばかりが、健やかなのだなあ

交尾する、二つ(一つ)の物。

石粒を固め表面を刳りぬいた門には、「竹尾」という表札
が掲げられている。その家に嫁いで半世紀はたったある日
老婦は脳溢血で昏倒し、亡くなった。生前彼女は、竹藪に
ある竹尾家の墓に入ることを拒んでいた。

蜻蛉は、産卵するのだろう。
草茎をめぐり生き、さまよって恋をして。

墓碑は、七基ある。そこをハミングしながら通りすぎる人
もいれば、ふと拝みそうになって立ち止まる人もいる。川
は、下流に向かって、真水になろうとしてひたすら流れ下
りていく。

最初に枯れていく虫は
誰よりも、よく鳴いた
一個だった。