このようになくなるもの

 

雨が降るまえに
昨日

モコと散歩した

灰色の雲が
重なり

韮の白い花のかたまりが
ゆれていた

夜になって
雨は

降り出した

一昨日は
外に出かけていた

中野と
鎌倉と
高円寺と
四谷と
表参道と
新宿で

ヒトと会った

そこにはそのヒトがいてそのヒトの生があり
踠いている

“いつ突き落とされてもいいほど愛しているので”
“役割語の声色を抜いた”

と工藤冬里は書いてた

もう女は役割語を使わない

今朝も
雨は屋根と

窓ガラスを叩いている

the one thus gone.
このようになくなるもの.

荒井くんが
facebookですすめている曲をいま聴いてる

ANTON BATAGOVの曲だ

今朝
ここにいて

雨が窓ガラスを叩いて流れるのを見ている

その向こうに
西の山はあるが

灰色の雨雲でいまは見えない

 

 

 

そこから襞が、流れ出ていた

 

工藤冬里

 
 

コンパスの壊れた黒から
灰色の襞が流れ出ていた
ネパールの 黒い50度の溜まりから
流れ出ていた
晴天乱気流にぶつかり
高度がいきなり50メートル下がった
インド側に首を落とす
いつ突き落とされてもいいほど愛しているので
役割語の声色を抜いた
シエラレオネの
赤と黒の
蛸漁
以外を切り捨てる夢想が不可能なので
正しいことを行いたいと黒の背中に歌い掛ける
黒から四つの川が流れ出ている
第一の川の名はピションという
その辺りは金を産出する

 

 

 

光と風の中で

上野と六本木の2つの展覧会をみながら

*1

 

佐々木 眞

 
 

 

Ⅰ 世紀末ウィーン

五月の光と風が、赤茶色の建物の中まで、差し込んでいる。
上野の都美術館に足を踏み入れると、
何を考えているのかさっぱり分からない女が、
紅い唇をポカンと開いて、
呆けたように、立ちずさんでた。

クリムトが生きた世紀末のウィーンは *2
ビーダーマイアー様式の家具とかヴァーグナーの建築物とか、
いっけん、おしゃれでシックなふぁっちょんタウン、のようだが、
しかしてその内実は、R.シュトラウスの「薔薇の騎士」のように淫靡で、
熟れきったメロンのように甘美な文化都市だった。

1898年、クリムト選手は、そんな腐れメロンに対して、
「ウィーン分離派」なる独立行動隊をざっくり立ち上げた。
彼は権門に対して、激しい分派闘争を繰り広げた、闘う画家でした。

金粉をまぶしたキンキラキンのキャンバスの中に、
その伝説の妖艶な美女は、いた。
黄金の首輪を巻いた、半眼開きの黒髪女、ユディト!

だらりと伸びた右腕の下には、
女に首を斬られる快感に酔ったままの
男の首が、ぶら下がっている。

超美貌の寡婦ユディトの、色香に惑わされ、
さんざん葡萄酒を飲んで、
ぐっすり眠り込んでいたために、
ベトリアであっさり首を掻かれた
軍最高司令官のホロフェルネスだあ。

旧約聖書の「ユディト記」に出てくるこの題材は、
カラヴァジョやクラナッハなど多くの画家が、
競うようにして描いたけれど、
クリムトのように「殺す女」と「殺される男」の性的法悦を、
ふたつながらに描いた人は、いなかった。

茫洋、茫洋、また茫洋――
クリムトは、人物をリアルな描写ではなく、
しどけない雰囲気を、がばッと大きくつかまえて、
巧みな色遣いと、エディトリアル・デザインで、仕留める
いうならば「アトモスフェールの達人」でした。

Ⅱ イトレルの臓腑

フランツ・クサーヴァー・メッサーシュミットの *3
「究極の愚か者」という名のお調子者の彫刻を眺めていると、
なぜかクリムトの27年後に、この国に生まれ、
1907年に、一旗揚げようと、この街に出てきた、
保守的で、下手くそな絵描きのことが、思い出されてならぬ。

「なにくそクリムト! くたばれエゴン・シーレ!」なぞと呟きながら、
今をときめくウィーン分離派を、見返えす思いで、
欧州のみならず、全世界を震憾させる独裁者に成り上がった
暗い男のどす黒い情念を、
会場のどこかで、あなたも感じるのでは、ないだろうか。

華麗なる芸術の街ウィーンの陰画こそ、
独裁者イトレルの臓腑なのである。 *4

Ⅲ シューベルトの眼鏡

六本木「新国立美術館」の「ウィーン・モダン」展では、意外なものと出会った。
作曲家フランツ・ペーター・シューベルトの眼鏡である。 *5
銀で出来たそれは、とても小ぶりで、
親しみやすいけれど繊細な彼の音楽に、とてもよく似合っている。

眼鏡の左に掲げられている彼の肖像画と
(これはよくレコードやCDのジャケットデザインでお目にかかった)
かの有名な「シューベルティアーデ」で演奏し終わった瞬間の夜会の絵でも、
同じ眼鏡が、彼の顔に乗っかってる。

解説文によると、シューベルトは、
朝起きたらすぐに作曲できるように、
夜寝ている間も、この眼鏡を掛けていたそうです。

「これが僕の最期だ!」とうめきながら、
たった31歳の若さで、シュバちゃんがこの世に別れを告げた時にも、
この愛らしい眼鏡が、
仰向けの童顔に、ちょこなんと、乗っかっていたにちがいない。

Ⅳ アルノルト・シェーンベルクの絵

アルノルト・シェーンベルクが、 *6
油絵を描いていたとは、知らなんだ。

アルバン・ベルクを描いたものは、わざとのように下半身を簡略に描いているが *7
その音楽と同様、只ならぬ神経質な容貌は、しっかりと捉えられている。

驚いたのは、「グスタフ・マーラーの葬儀」の絵であった。 *8
画家自身をはじめ、数少ない参列者によって取り囲まれた、
お椀を伏せたような、小さなお墓のなかで、
葬られたばかりのマーラーは、
まるでコクーンに内蔵された宇宙人のように、
生暖かい橙色の光を、周囲に放散している。

「偉大な音楽家は、永遠に生きている!」
先輩に逝かれたシェーンベルクは、そう言いたかったのでしょう。

Ⅴ エゴン・シーレvsフィンセント・ファン・ゴッホ

エゴン・シーレは、ゴッホに対抗してた。 *9&10

シーレの、あの「ひまわり」を見よ!
命の限りを燃やしつくした、ゴッホの黄色いひまわりに、
「それがなんだ。それがどうした。」
と突きつけた、死んだひまわり。
死んだあとでも、冷ややかに美しい、黒いひまわり。

シーレのあの「寝室」を見よ!
生命力の輝きをみせる、ゴッホの黄色いベッドに対して、
「ノイレングバッハの画家の部屋」のベッドは、真っ黒の黒。
死に祝祭された、漆黒のベッドで、
エゴン・シーレは、今も眠っている。

 

 

1)上野と六本木の2つの展覧会
「グスタフ・クリムト展―ウィーンと日本1900」東京都美術館2019年7月10日迄
「ウィーン・モダン展―クリムト、シーレ世紀末への道」国立新美美術館2019年8月5日迄
2)Gustav Klimt 1862年7月14日 – 1918年2月6日
3)Franz Xaver Messerschmidt 1736年 – 1783年
4)Adolf Hitler 1889年4月20日 – 1945年4月30日
5)Franz Peter Schubert 1797年1月31日 – 1828年11月19日
6)シューベルトの友人やファンに囲まれて開催された音楽の集い。
7)Alban Maria Johannes Berg 1885年2月9日 – 1935年12月24日
8)Gustav Mahler 1860年7月7日 – 1911年5月18日
9)Egon Schiele [ˈeːɡɔn ˈʃiːlə] 1890年6月12日 – 1918年10月31日
10)Vincent Willem van Gogh 1853年3月30日 – 1890年7月29日
シーレは1890年6月12日に生まれたが、ゴッホはそれを見届けるかのように同年7月29日に亡くなった。

 

 

 

滝壺と蟻

 

原田淳子

 
 

 

街路樹の、凍れる波

千ねん百にちのあいだ
あなたは滝だったのですね

遺されたのは、あなたのうた
波の譜
指で聴く

蟻の彼はあなたの詩をおいかけて
滝壺に潜り
波を揺らしています

 

 

 

海から帰って

 

海から帰って

モコと
ソファーで眠った

めざめて
ゴミを出しに行った

それから
溟い部屋で

ラウテンクラヴィーアのパルティータを聴いていた

海では
ノラをみた

海が

ゆっくりとうねるのを
みてた

海にはしらす船が浮かんでいた

漁師たちは
たくさんのしらすたちを捕らなければならないのだ

川面を燕たちが曲線を曳いて飛ぶのをみた

ニラの花が実って
重たく揺れるのをみた

ラウテンクラヴィーアはバッハが出会った楽器だ

反近代の楽器だ

パルティータには
細い一本の道がみえる

その男は
どうなんだろうと問う

ほそい道を歩いていったのだったろう

 

 

 

かーん、かーん、キラキラ

 

長田典子

 
 

雪、ゆき、雪、
まーっしろ、キラキラ
野原に
ひざまでつもった

きぃちゃんと足跡を付けて歩きまわる
長靴で
かーん、かーん、キラキラ、
聞こえない音が
響きわたり
ふたりの声は 靴音は
雪野原に吸い込まれていく
かーん、かーん、キラキラ、

学校は休み

きぃちゃん
あなたは今
どこにいますか

いっぱいあそんだあとは
いっつもおなかがすいた
きぃちゃんの家に行くと
お父さんもお母さんもいない
いっつもいない
おそくまでいない
きぃちゃんは小さな手で塩おにぎりを握ってくれた
小学2年生のきぃちゃんの手は
まほうの手だった

おにぎりを頬ばりながら
きぃちゃんは うちあけた
おとうさんね
よく なくの
くにからの お手紙よみながら

おとなが泣くとは知らなかった
家に帰ってまっさきにおばあちゃんにおしえると
おばあちゃんは
おくにに帰りたくても帰れないんだよ
だれにも言っちゃだめだよ
ふしぎなことを言った
おまえはきぃちゃんと
なかよくしなくちゃいけないよ、って

きぃちゃんは
わたしのいちばんのおともだちで
そんけいするおねえさんだった

きぃちゃんのお母さんは
出かけるとき
リヤカーをひいて出かけた
ウチに電話がかかってくると
きぃちゃんちに走って呼びに行った
黒電話の受話器にむかって
きぃちゃんのお母さんは
聞いたことのないことばで喋っていた

ダム建設のために
村の家が一件、また一件と引っ越していったとき
きぃちゃんも
いつのまにか
どこかに行ってしまった
何も言わないで

雪、ゆき、雪、
まーっしろ、キラキラ
だれもいない
雪野原
かーん、かーん、キラキラ
雪の
無音の音が響きわたり
きぃちゃんはいない
ひとりぼっちの雪野原はつまらなくて
足跡ちょっとつけても足跡じゃなくて

ウチもいよいよ引っすことになったころ
きぃちゃんが森戸坂の橋に立っていたよ
誰かが言っていた
朝鮮学校の制服を着ていたよ
チマ・チョゴリっていうんだよ、って

朝鮮学校の制服?
見たことがあった
八王子に買い物に行ったとき

ひざまで積もった
雪野原に穴をあけながら
きぃちゃんといっしょに歩きまわった朝
たくさんの穴をあけた
ふたりで 長靴で
たくさんの穴をあけたのに

ひとりぼっちの雪野原はつまらなくて
足跡ちょっとつけても足跡じゃなくて
胸のあちこちにたくさんの穴が開いたようで
ひゅうーっ、ひゅうーっ、にゅうーっ、にゅうーっ、
冷たい風が いつまでもいつまでも
吹き抜けていった
きーん、きーん、きーん、きーん、
凍えて 痛かった

きぃちゃんは
ものすごく遠いところに行ってしまった
もう にどと
会えないところに行ってしまった

かーん、かーん、キラキラ、
かーん、かーん、キラキラ、

きぃちゃんと
わたし
なにもちがわない
おくにが違っても
朝鮮学校の制服を着ても着ていなくても
なにもちがわない
いっしょに雪を踏んで遊んだ
いっしょに塩おにぎりを食べた

かーん、かーん、キラキラ、
かーん、かーん、キラキラ、

きぃちゃん、
あなたは今
どうしていますか

 

 

連作「不津倉(ふづくら)シリーズ」より

 

 

 

また旅だより 09

 

尾仲浩二

 
 

寺泊の港に座り一杯やった。
つまみはスーパーのカニカマとオカラ。
酒は芋焼酎。
せっかくの日本海なのに。
気がつけば三杯もやっていて
とっぷりと暮れていた。
ちょっと寒くなって宿に戻った。

2019年5月9日 新潟寺泊にて