工藤冬里
コンパスの壊れた黒から
灰色の襞が流れ出ていた
ネパールの 黒い50度の溜まりから
流れ出ていた
晴天乱気流にぶつかり
高度がいきなり50メートル下がった
インド側に首を落とす
いつ突き落とされてもいいほど愛しているので
役割語の声色を抜いた
シエラレオネの
赤と黒の
蛸漁
以外を切り捨てる夢想が不可能なので
正しいことを行いたいと黒の背中に歌い掛ける
黒から四つの川が流れ出ている
第一の川の名はピションという
その辺りは金を産出する
コンパスの壊れた黒から
灰色の襞が流れ出ていた
ネパールの 黒い50度の溜まりから
流れ出ていた
晴天乱気流にぶつかり
高度がいきなり50メートル下がった
インド側に首を落とす
いつ突き落とされてもいいほど愛しているので
役割語の声色を抜いた
シエラレオネの
赤と黒の
蛸漁
以外を切り捨てる夢想が不可能なので
正しいことを行いたいと黒の背中に歌い掛ける
黒から四つの川が流れ出ている
第一の川の名はピションという
その辺りは金を産出する
*1
Ⅰ 世紀末ウィーン
五月の光と風が、赤茶色の建物の中まで、差し込んでいる。
上野の都美術館に足を踏み入れると、
何を考えているのかさっぱり分からない女が、
紅い唇をポカンと開いて、
呆けたように、立ちずさんでた。
クリムトが生きた世紀末のウィーンは *2
ビーダーマイアー様式の家具とかヴァーグナーの建築物とか、
いっけん、おしゃれでシックなふぁっちょんタウン、のようだが、
しかしてその内実は、R.シュトラウスの「薔薇の騎士」のように淫靡で、
熟れきったメロンのように甘美な文化都市だった。
1898年、クリムト選手は、そんな腐れメロンに対して、
「ウィーン分離派」なる独立行動隊をざっくり立ち上げた。
彼は権門に対して、激しい分派闘争を繰り広げた、闘う画家でした。
金粉をまぶしたキンキラキンのキャンバスの中に、
その伝説の妖艶な美女は、いた。
黄金の首輪を巻いた、半眼開きの黒髪女、ユディト!
だらりと伸びた右腕の下には、
女に首を斬られる快感に酔ったままの
男の首が、ぶら下がっている。
超美貌の寡婦ユディトの、色香に惑わされ、
さんざん葡萄酒を飲んで、
ぐっすり眠り込んでいたために、
ベトリアであっさり首を掻かれた
軍最高司令官のホロフェルネスだあ。
旧約聖書の「ユディト記」に出てくるこの題材は、
カラヴァジョやクラナッハなど多くの画家が、
競うようにして描いたけれど、
クリムトのように「殺す女」と「殺される男」の性的法悦を、
ふたつながらに描いた人は、いなかった。
茫洋、茫洋、また茫洋――
クリムトは、人物をリアルな描写ではなく、
しどけない雰囲気を、がばッと大きくつかまえて、
巧みな色遣いと、エディトリアル・デザインで、仕留める
いうならば「アトモスフェールの達人」でした。
Ⅱ イトレルの臓腑
フランツ・クサーヴァー・メッサーシュミットの *3
「究極の愚か者」という名のお調子者の彫刻を眺めていると、
なぜかクリムトの27年後に、この国に生まれ、
1907年に、一旗揚げようと、この街に出てきた、
保守的で、下手くそな絵描きのことが、思い出されてならぬ。
「なにくそクリムト! くたばれエゴン・シーレ!」なぞと呟きながら、
今をときめくウィーン分離派を、見返えす思いで、
欧州のみならず、全世界を震憾させる独裁者に成り上がった
暗い男のどす黒い情念を、
会場のどこかで、あなたも感じるのでは、ないだろうか。
華麗なる芸術の街ウィーンの陰画こそ、
独裁者イトレルの臓腑なのである。 *4
Ⅲ シューベルトの眼鏡
六本木「新国立美術館」の「ウィーン・モダン」展では、意外なものと出会った。
作曲家フランツ・ペーター・シューベルトの眼鏡である。 *5
銀で出来たそれは、とても小ぶりで、
親しみやすいけれど繊細な彼の音楽に、とてもよく似合っている。
眼鏡の左に掲げられている彼の肖像画と
(これはよくレコードやCDのジャケットデザインでお目にかかった)
かの有名な「シューベルティアーデ」で演奏し終わった瞬間の夜会の絵でも、
同じ眼鏡が、彼の顔に乗っかってる。
解説文によると、シューベルトは、
朝起きたらすぐに作曲できるように、
夜寝ている間も、この眼鏡を掛けていたそうです。
「これが僕の最期だ!」とうめきながら、
たった31歳の若さで、シュバちゃんがこの世に別れを告げた時にも、
この愛らしい眼鏡が、
仰向けの童顔に、ちょこなんと、乗っかっていたにちがいない。
Ⅳ アルノルト・シェーンベルクの絵
アルノルト・シェーンベルクが、 *6
油絵を描いていたとは、知らなんだ。
アルバン・ベルクを描いたものは、わざとのように下半身を簡略に描いているが *7
その音楽と同様、只ならぬ神経質な容貌は、しっかりと捉えられている。
驚いたのは、「グスタフ・マーラーの葬儀」の絵であった。 *8
画家自身をはじめ、数少ない参列者によって取り囲まれた、
お椀を伏せたような、小さなお墓のなかで、
葬られたばかりのマーラーは、
まるでコクーンに内蔵された宇宙人のように、
生暖かい橙色の光を、周囲に放散している。
「偉大な音楽家は、永遠に生きている!」
先輩に逝かれたシェーンベルクは、そう言いたかったのでしょう。
Ⅴ エゴン・シーレvsフィンセント・ファン・ゴッホ
エゴン・シーレは、ゴッホに対抗してた。 *9&10
シーレの、あの「ひまわり」を見よ!
命の限りを燃やしつくした、ゴッホの黄色いひまわりに、
「それがなんだ。それがどうした。」
と突きつけた、死んだひまわり。
死んだあとでも、冷ややかに美しい、黒いひまわり。
シーレのあの「寝室」を見よ!
生命力の輝きをみせる、ゴッホの黄色いベッドに対して、
「ノイレングバッハの画家の部屋」のベッドは、真っ黒の黒。
死に祝祭された、漆黒のベッドで、
エゴン・シーレは、今も眠っている。
1)上野と六本木の2つの展覧会
「グスタフ・クリムト展―ウィーンと日本1900」東京都美術館2019年7月10日迄
「ウィーン・モダン展―クリムト、シーレ世紀末への道」国立新美美術館2019年8月5日迄
2)Gustav Klimt 1862年7月14日 – 1918年2月6日
3)Franz Xaver Messerschmidt 1736年 – 1783年
4)Adolf Hitler 1889年4月20日 – 1945年4月30日
5)Franz Peter Schubert 1797年1月31日 – 1828年11月19日
6)シューベルトの友人やファンに囲まれて開催された音楽の集い。
7)Alban Maria Johannes Berg 1885年2月9日 – 1935年12月24日
8)Gustav Mahler 1860年7月7日 – 1911年5月18日
9)Egon Schiele [ˈeːɡɔn ˈʃiːlə] 1890年6月12日 – 1918年10月31日
10)Vincent Willem van Gogh 1853年3月30日 – 1890年7月29日
シーレは1890年6月12日に生まれたが、ゴッホはそれを見届けるかのように同年7月29日に亡くなった。
街路樹の、凍れる波
千ねん百にちのあいだ
あなたは滝だったのですね
遺されたのは、あなたのうた
波の譜
指で聴く
蟻の彼はあなたの詩をおいかけて
滝壺に潜り
波を揺らしています