「詩」から
「詩じゃない詩」へ

中村登の未刊詩篇を読む

 

辻 和人

 
 

これまで中村登の3つの詩集を論じてきた。第1詩集『水剥ぎ』(1982年)は暗喩を多用して生活していくことの苦しさを訴え、第2詩集『プラスチックハンガー』(1985年)では換喩的表現に転じて言葉の遊戯的な面白さを追求し、第3詩集『笑うカモノハシ』(1987年)では散文性を取り入れた書法で抽象的な論理を展開した。短期間のうちに作風がくるくる変化を遂げている。これは、彼が書法について自問自答を繰り返していたことと、同時代の多様な詩の動向を注意深く見張っていたことを示していると思う。但し、その底にあったのは常に生命というものの在り方への関心だった。生命は、喜びと苦痛を味わう感受性を持ち、いつか失われる脆さを内包している。その捉え難い実態を、自身の身体を起点としながら、言葉でどこまで描き出せるか、中村登は詩人として試行錯誤を重ねていたように感じる。

中村登が出版した詩集は上記の3冊であるが、その後も詩作を続けていた。奥村真、根石吉久と組んだ同人誌『季刊パンティ』を、私は創刊号から18号まで持っている。これは中村登本人から送ってもらったものだ。創刊号は1989年8月、18号は1994年6月の刊行である(その後も続いたかどうかはわからない)。私にとっては、この『季刊パンティ』に掲載された詩の数々が、3冊の詩集以上に刺激的であり、正直言って驚きそのものだった。『笑うカモノハシ』は、尻切れトンボの結末が多い規格外の構成ではあるが、一応はきちんと物語が展開された詩集である。しかし、『季刊パンティ』に発表された詩の中には、構成も何もないような、生の断片がただただ殴り書きされたような作品が見受けられる。これをどうやって「詩作品」と位置付けたのか。3冊の詩集の出来から見て、中村登が詩史に疎くないことは明らかである。詩の可能性を広げていった挙句、「詩じゃない」領域に足を踏み入れてしまった、としか言いようがない。だが、これらを「散文」と呼ぶこともためらわれる。散文には散文の厳しさというものがあり、それなりの文意の起承転結が求められるからだ。詩でもなければ散文でもない、しかし、書いたその人の息遣いは濃厚にうかがわれる、そんな不思議な「行分け文」に、私は魅了されたのだ。
それでは具体的に作品を取り上げてみよう。

 

空0日差しを浴びて
空0匂い立った地面の
空0新鮮
空0手頃な広さの顔つきが
空0手玉にとれそうなその気持ち
空0残るこちらの目と口と胃袋
空0ついでにタネまき
空0キュウリのタネまき
空0地面のなかのタネ
空0あれはもうタネとは言えないのではないか
空0女体のなかに入った精子、あれはもう精子じゃない別の生き物
 
空0発芽したのは45粒のうちの11粒
空0のこる34粒はタネじゃなかった、なんだったろう
空0秋にたべるつもりの涼しいキュウリなんだけど
空0キュウリの筏汁ってしってるかい
空0擂鉢に焼き胡麻すっていい匂いがしてきたらなま味噌いれて胡麻味噌
空0砂糖はほんのひとつまみ、キュウリのうすぎりを胡麻味噌と和えて
空0できたキュウリもみを水でといて出来上がり、コツは擂鉢のなかで
空0キュウリも一緒にすりこぎ棒でこねること シソの葉をつまんできて
空0すりこんでもいい匂い
空0やってみな美味いよ
空0夏の炊きたてのゴハンに筏汁たっぷりかけて
空0ふがふがかきこむのたまんない」
空0犬とかわんない生き方してるわけで
空0鼻で喰うわけ

空白空白空白空白「匂い涼しい」より

 

中村登は会社勤めの傍ら、細々と農業も続けていた。この詩は自ら種をまいて育て収穫したキュウリを、汁にしてご飯にかけて食べる様を描いている。田舎料理のおいしさが伝わってきてお腹が空いてきそうになる。が、これが「詩」として書かれ、発表されているということに気づくと、途端に不安な気持ちになるだろう。ラフな口調で、比喩らしい比喩も見当たらず、一行の時数が長いことが多い。種はまかれると同時に種ではなくなり、自立した生物に進化しようとする(精子も女性の膣内に射精されると同時にヒトという生物になろうとする)。生殖というところにルーツを持つその生々しい在りようが、鮮烈な味と香りを生み、食欲を刺激することになるのである。種-性-食という3つの概念の交代と混ざり合いの具合が、散文を行で分けたようなこの作品を辛うじて詩にしているのだ。

「匂い涼しい」はまだ詩的な象徴性を備えているが、「冬の追記」になると、見た目はリズミカルで「匂い涼しい」よりは詩らしいが、内容を見ていくと詩特有の象徴性を欠いていることに戸惑いを感じる程だ。全行引用しよう。

 

空0きょうは2月17日
空0突風が吹いている
空0このところ日の出がずいぶん東に移って
空0まばゆい朝だ
空0まばゆい光のように咲く
空0水仙が好きだが
空0まだ蕾だ

空0また季節が移って
空0沈丁花が匂う頃には
空0今度は
空0心が移って
空0沈丁花が好きになる
空0去年は6月14日に
空0百合が咲いている、と書いている

空0目前のものは
空0激しく風に煽られているのに
空0青空に浮かんだ
空0白雲は少しも動かない
空0なんだか
空0老年にいる両親に
空0きっとめぐってくる
空0死についてどんなふうに思っているか
空0聞いてみたいが
空0口幅ったくもあり聞かずに過ぎた
空0きのうからのこの風も
空0明日には止むだろう
空0死ぬまでに
空0ほんとうのことをいくつ知ることができるかと思う
空0知ったところでなんだというのかと思う
空0突風に煽られ
空0すずめらは飛んで
空0餌をさがしている
空0風にあらがって
空0身をひるがえして楽しんでいるように見える
空0そんなこともたちまち忘れてしまう
空0間もなく
空0春だ

 

冬の終わり頃、季節の移り変わりを感じながら、両親の死を思い、目の前の雀を思い、想ったことを忘れて、また季節を感じる。この詩にはいわゆる「さわり」とか「つかみ」といったものが全くない。その場にいて、感じたこと・思ったこと・見たことを、そのまま記述しているだけだ。『水剥ぎ』の中村登だったら死というテーマに重みを持たせ、暗喩を多用して凄みのある詩に仕立てただろう。『笑うカモノハシ』の中村登だったら、季節の移り変わりから時間の不可逆性を抽出し、その中で生きる者たちの儚さを鳥瞰する詩にしただろう。しかし、この詩における中村登は描写に意味を持たせることをせず、事態を収拾することをしない。言葉がある観念に凝縮しそうになると「知ったところでなんだというのかと思う」と、その流れを断ち切り、次の展開に向かう。ここでは語りの現場性・即時性が全てである。散文が成立する条件であるストーリーの起承転結を拒否することで「散文でない言葉」を志向し、それによって逆説的に「詩」を作り出しているのだ。この詩で描かれていることは、話者が「2月17日」に生きて存在して何某かのことを感受していることだけである。しかし、話者が生々しく立ち尽くしている姿だけは伝わってくる。

死は以前から中村登の関心事だったが、観念としての死ではなく物理的な死、つまり対象がはっきりした現実の死を問題にすることが多くなってくる。「コッコさんノンタンそれから」は飼っていたニワトリと猫の死を描いた詩である。

 

空0ボクはみんなが起きてこないうちに
空0コッコさんを埋めた
空0スモモの木の下に
空0コッコさんの穴は小さな穴で済んだ
 
空0ノンタンの穴が
空0思ったより大きくなってしまったのは
空0死後のノンタンが
空0寒い思いをしなくていいようにと
空0ヨーコさんが
空0着ていたチャンチャンコを着せてやったから

 

家族がショックを受けないようにこっそり墓穴を掘る中村登、死後の生活を考えて自分の着物を着せてやる妻のヨーコさん。生き物を思いやる気持ちに打たれる行為だが、中村登は感情を声高に歌いあげることはしない。中村家は動物好きで、他に「ユキのために飼ったウサギのプラム/ボクがつれてきたイヌのサクラ/サクラの生んだイヌのチビがいる」。

 

空0そしてチビ
空0最後にプラム
空0その度にボクは死の穴を掘るだろう
空0その度にボクはともに生きたものの
空0その穴の大きさを知るだろう

 

愛する動物たちの死は、死骸の穴掘りという行為に直接結ばれる。その間に説明を挟むことはない。穴を掘る行為だけが、掘られた穴の大きさだけが、悼む気持を表している。中村登はここで詩を書こうとしていない。気の利いた比喩を廃し、事実を淡々と並べるだけ。その並べる手つきの中に発生したのが、詩だった、そんな風に見える。

このやり方で顕著なのは具体的な「日付」の記述である。『季刊パンティ』に発表した中村登の詩は、後になる程日付が出てくるものが多くなってくる。『流々転々』は

 

空0きょうは3月8日
空0日曜日だから朝早く起きて
空0犬の散歩
空0思ったより寒くて
空0満開の梅の花もうら悲しく見えたよ
空0オレも寒いのは苦手なんだ

 

と独り言のように始まり、

 

空0いろんな朝があるけど
空0会社に行かなくてもいい朝は
空0みんな新しくて
空0みんないとおしいよ
空0高いところでたくましいカラスが
空0なんだかしきりにわめいているぜ
空0やつらはきっと 
空0ニンゲンのくらしとうまが合うんだろうな
空0そう思う

空0さあ もう書けることがなくなった
空0サヨナラダ

 

で終わる。テーマに求心性がまるでなく、ほとんど日録のようである。しかし、これは日録ではない。日録であれば「カラス」の暮らしについての考えを巡らしたりしない。その場で思いついたことをさっと流して書いているように見えるが、核になるのは思いつきの中身ではなく、とりとめのない想念の淀みに嵌っている話者の姿なのだ。詩の後半に、

 

空0オーイ、フジワラシゲキよ
空0ヤカベチョウスケよ
空0この詩を読んでくれているかい
空0もし、読んでくれているのならふたりがいま疑問に思っている
空0そのとおりにこれは二人が考えているような詩ではないよ
空0それに実はオレ、詩なんてわからないのさ

 

というフレーズが出てくる。「フジワラシゲキ」「ヤカベチョウスケ」は中村登の詩の仲間だろう。2人はこの詩に何かしらの求心的なテーマが隠されていて、それがどのような比喩によって暗示されているかを読み取ろうとする。詩を読む時は誰でもそうするだろう。しかし、中村登は言葉の裏を読むという、詩の通常の読み方を否定する。何かの観念を象徴させるという言葉の使い方を廃し、そこに「オレ」がいるという具体的な事実だけを浮かび上がらせようとしている。「詩なんてわからないのさ」は斜に構えた言い方ではなく、作者の本音に違いない。「詩作品」という形を取ることによって、ナマの現実が何かの「象徴」にされていくことに、疑問を叩きつけているのだ。

この先の中村登の詩は、心をそそる言葉の「さわり」や「つかみ」といったものを徹底的に排除した、「非詩」的なものに変貌していく。「詩じゃない詩」になっていくのである。それに伴い、日付そのものが詩のタイトルになっていく。

 

空0あの花の性格のまずさが
空0サツマイモにもあって
空0彼にしても
空0生きていくってことは
空0ヒマワリ以上に大変なこと
空0雨にぬれて
空0風にふるえている
空0彼の葉っぱがなんだかみょうにうつくしい

空白空白空白空白「6月21日(日)きょうも雨」より

 

空0ひとつの現実
空0そこには
空0生きている人間の数だけの現実
空0そのとき
空0現実とは境界

空0皮膚は個体を形成する
空0境界である
空0といえるが
空0その境界がじつは
空0むすうの穴なのだ

空白空白空白空白「6月28日(月)晴れ」全行

 

空0きのうの
空0駅までつづく道があり
空0水たまりがあった

空0(畑のネギはわずかに伸びたかもしれない)

空白空白空白空白「9月18日(土)快晴」全行

 

日常の風景であったり、抽象的な思考だったりとまちまちだが、それらは徹底して「断片」として投げ出されている。発展を拒否した「断片」として提示することに、中村登は異様な執着を示している。「断片」を発展させて深みのあるストーリーを作るのでなく、「断片」そのものの深さを端的に追求している。現実は、統一的な意味概念ではなく、「ただそこにあるもの」なのである。それを意識的に行っている。「詩がわからない」ではなく、これまでの「詩というもの」の概念に挑戦していると言えるだろう。ナマの現実を捕まえるためには「詩」らしい体裁など知ったことじゃない、ということ。

 

空0朝、チビを連れて母を見舞う
空0あれほど苦しんでいた母の容態は
空0急速に回復に向かい
空0眠っていた

空0辻和人さんから
空0お願いしていた詩の原稿が届く
空0ハガキが同封されていて
空0「作品を成立させる言葉」と書いてあった
空0でもオレの書くものはとても「作品」とはいいがたい

空0昼過ぎに雨は止んで
空0テニス仲間のサトーさんから電話があった
空0「明日晴れたらテニスをしませんか」
空0「もちろんやりましょう」
空0サトーさんとは気が合うと思った
空0気の合うひとと
空0気の合わないひととがいて
空0思い出してみれば
空0出会いの印象だった
 
空0声の感じに含まれた気温と湿度
空0顔の表情に含まれた季節
空0喋り方に含まれた風向
 
空02月に生まれたオレを
空0冬の天気が
空0萎縮させる

空白空白空白空白「1月16日(土)雨」全行

 

母親の見舞い、作品の感想、テニス仲間からの電話、気が合う合わないということについての考察、が例によってぱらぱらと記述される。第2連で辻のコメントの一部が挿入されているが、これは私が中村登に、詩という作品を成立させる言葉についてどう思うかを問うものだった。この頃の中村登の詩は、暗示的表現を封じ、構成された「詩」を否定し、代わりに断片としての現実を突きつけるという点で、極めて先鋭的な問題意識を備えている。現代詩は長らく磨き上げた暗示的表現を最大の武器としてきた。飛躍の大きい「わかりにくい比喩」を通して、社会や日常に潜む闇を暴くというものである。一見意味はわかりにくいが、その底にある心理主義的な図式が横たわっていることは自明であり、読み慣れてくれば外見の複雑さにかかわらず、どうということはなくなってくる。何らかの意味の図式を象徴的に描いているということさえわかれば良いのである。中村登は現代詩がほとんど自明のように備えている意味の図式に疑問の目を向け、図式に還元されないナマの現実の断片を断片のままに提示しようとしたのだろう。同時代の誰も試みたことのないそのラディカルさに惹かれずにはいられなかったが、同時に疑問も抱かざるを得なかった。詩を「作品」として発表するということは、基本的に読む人=他者とコミュニケーションを結ぼうとすることである。しかし、メッセージ性を持たないこれらの詩は言葉の内部で完結しており、悪く言えば自閉してしまっている。敢えて自閉した言葉を見せることによって、他者とどういう関係を結ぼうとしているのか、それが見えてこない気がしたわけである。 それに対し「オレの書くものはとても「作品」とはいいがたい」と流すように応じつつ、3・4連目では「人と気が合う・合わない」を問題にする。中村登を追いかけて読むような人、つまり「気の合う人」なら、そこから浮かび上がる人となりを頼りに、この即物的な記述からナマの現場の空気を感じ取ることができる。しかし、そうでない人なら、素通りしてしまうかもしれない。

そもそも「表現」と「作品」は矛盾を隠し持っている。表現はその人が固有の現実と触れ合って内発的な衝動を覚えるところから始まるが、作品は他者に開かれた器としてあるものである。内側に秘められたものを他者に向けて開く時、表現者は出発点となる固有の現実をいったん手放さなくてはならない。そうしないといつまでたっても表現は他者に開かれない。ナマの現実を作品内の現実として再創造することで初めて表現は他者のものになる。そして現代詩は主に暗喩を使って、現実から現実への変換を行ってきたと言えるだろう。そのやり方は効率的だが、元にあったナマの現実の「ナマさ」を削ぎ落すことにもなる。中村登は固有の現実をとことん相手にする道を選び、試行錯誤の結果、できあがったのが日付をタイトルにする一連の「詩じゃない詩」だった。言葉をぎりぎりまでナマの現実に近づけるために「作品」を捨てる。文字通り捨て身の詩法であり、意味が辿りやすい平易な語り口でありながら、読者を拒否する寸前の際どい所まで踏み込んだ詩だと言えるだろう。

以上述べたことは、実は中村登も意識していたようである。というのは、その後、日付をタイトルに持ちながらも、今までとは違って小説的な展開を取り入れた詩を書いているからである。

 

空0男は泣いていた
空0深夜のタクシーのなかで
 
空0泣く男には夜の闇を越えた
空0理解を越えた
空0心の闇が広がっていた

空0闇のなかでも
空0そこにいる少女の姿は痛いほどよく見えた
空0見ているのは記憶に過ぎないのか
空0見えるのにいま
空0見えない
空0触れることができるのにいま
空0触れえない
空0いま悔やみきれない

空0名を呼べば
空0呼ぶ声を聞分け
空0その腕のなかに抱かれた幼かった少女を
空0思い出す
空0思い出す思いに
空0成長したいま
空0誤りがあったとは思えない
空0そんなハズはない
空0ない道を生きはじめてしまった
 
空0しまった
空0応える声を
空0しまいこんでしまった
空0少女は泣く男の娘なのだ

空0いまは見える少女の姿が救いなのだが
空0心の奥底深く迷いこんでしまって見えない
空0いまは触れることのできない少女の体温が救いなのだが
空0触れえない
空0無念が車内の薄闇をふるわせ

空0涙にふるえる
空0コートを引っ被った男に応える言葉がなかった

空白空白空白空白「2月4日(金)深夜の帰宅だった」全行

 

心に闇を抱えた男が深夜のタクシーの中で泣く。男の救いとなるものは朧気に見える幼い少女の像だが、それは彼の娘だった。娘のことをあえて少女と呼び、自分のことを男と呼ぶことによって、現実の位相をずらし、外から覗いた仮構の空間に作り変える。その冷めた視線で、娘を素直に娘と呼べない、父親になりきれない、大人になりきれない自分の寂しさを暗に浮かび上がらせているのだ。この詩は、ナマの現実と虚構の中で生まれる現実の乖離に悩み続けた中村登が出した一つの回答であり、彼が始めた「詩じゃない詩」の進化と言うこべきではないかと思う。

『季刊パンティ』への参加後、私の知っている限り、中村登はしばらく詩を発表しなくなったようだ。理由はわからない。ただ、2012年に加藤閑、さとう三千魚とともにウェブ同人誌『句楽詩区」を開始する。その際に筆名は本名の中村登から古川ぼたるに変えている(但し、本稿では中村登を使ってきておりそれを続行する)。中村登は俳句も書き始めており、俳号として古川ぼたるを名乗ったのかと思える。

 

*「古川ぼたる詩・句集」として鈴木志郎康の手でまとめられている。
http://www.haizara.net/~shirouyasu/hurukawa/hurukawabotaru.html

 

この期間に書かれた作品、つまり中村登の最晩年の作品はまた大きな変化を遂げていた。テーマは季節・自然・家族など自分の周辺のことが多く、その点では以前と余り変わらない。しかし、今までになくストレートな筆致で素直に抒情を述べている。凝った暗喩や換喩表現を使った初期の詩や、物語を喩として扱った『笑うカモノハシ』の詩、喩を拒否して現実を断片として扱った『季刊パンティ』の詩、のような尖った外見の詩とは異なり、穏やかで暖かみのある抒情詩に変貌している。散文性が高い点では「詩じゃない詩」は継承しているが、現実を一個のオブジェとみなすかのような、他者の共感を敢えて拒むような姿勢は失せている。「大雪が降った」を全行引用する。

 

空02013年1月14日は月曜日でも休日だった
空0昼前から思いがけない大雪が降って
空0雪の深さは足首まで埋まりそうだった
空0午後になっても降り続けてたが
空0畑作業用のゴム長靴を履いて
空0家のそばを流れる古利根川伝いに歩いた
空0吹雪く川原はきれいだった
空0降り続ける雪で
空0昨日までの見慣れた景色が一変していた
空0白い景色は目的もなく立入るのを拒んでいるのに
空0開かれるのを待っている
空0大勢の死者や未知の人たちが書いた
空0閉ざされた文字が整然と立ち尽くしている
空0沈黙のなかに入って行く時のように
空0内臓がずり落ちそうで
空0自分をなんとか
空0閉じ込めようとしている
空0私は幼児のようだ

空0あの角まで行ってみよう
空0あの角まで行く途中に
空0大きな胡桃の木が生えている
空0大きな木に呼ばれるように
空0そばに行って
空0その先の角を右に折れて家に帰るつもりで歩いた
空0歩きながら今日の大雪を記録しようとカメラに収めた
空0画像には年月日時刻が入るようにセットして
空0写した景色を日付のなかに閉じ込めておくと
空0あの胡桃の種子のように
空0新しく芽生える日がくると思って

空0雪を被った胡桃の木は
空0遠くから見ると
空0たっぷりと髪の毛を蓄えた生き物のようだし
空0近づくにつれて
空0苦しんでいる
空0人の姿のようだ
空0土のなかに頭をうずめて
空0空のたくさんの手足は疲れて硬直している
空0それで
空0何を求めているのだろう
空0こんな日にも
空0土のなかの頭部と地上の胴体とは
空0私が立っている地面を境界にして
空0少しずつ少しずつ何を地下に求め
空0少しずつ少しずつ何を上空に求め
空0春には新芽を膨らませ
空0初夏には鉛筆ほどの長さの緑色の花をつける
空0光合成をしているのだという
空0根本は周囲1メートルほどの太さになっている
空0一度噛んだ果肉は渋く殻は固い
空0忘れられない果肉
空0果肉の数だけ忘れられないことが多くなる
空0人ではない胡桃の木は数十年
空0季節の実を結んでいる

空0雪は10センチ以上積もっても降り続けた
空0ストーブを焚いている部屋に帰ってきて
空0胡桃の実の固い殻のなかから
空0なかにしまわれた記憶を取り出すように
空0カメラからPCにデータを送る
空0撮って来た画像を再生し
空0帰りを待っていた女房にも見せた
空0彼女とは40年近く一緒に住んでいるが
空0こんな降り方をした大雪を
空0ここに住んで見るのは初めてのような気がする
空0吹雪く川原の
空0雪をまとった胡桃の木は
空0日付もうまく入っていて
空0彼女もきれいだと言ってくれたので
空0うれしかった
空0あの日
空0長女の生まれた日も
空0雪の降る日だった
空0その子は予定日より十日ほど早く破水したので
空0大きな川のほとりにある病院に向かって
空0明け方の雪の中
空0転ばないように
空0二人とぼとぼ歩いていったのだった
空0雪の日の赤ちゃんは逆子で生まれた
空0女の子だったので
空0雪江と名づけたのだった

 

雪が降った日に外を歩いて、そこで目にしたもの一つ一つを大切に慈しんでいる。その慈しみの様子を、実況中継するように逐一生々しく伝えていく。「雪を被った胡桃の木は/遠くから見ると/たっぷりと髪の毛を蓄えた生き物のようだし/近づくにつれて/苦しんでいる/人の姿のようだ」は話者がその距離を確かに歩いたことの息遣いを伝え、対象を捉える心が刻々変化していることを伝える。「こんな日にも/土のなかの頭部と地上の胴体とは
私が立っている地面を境界にして/少しずつ少しずつ何を地下に求め/少しずつ少しずつ何を上空に求め/春には新芽を膨らませ/その初夏には鉛筆ほどの長さの緑色の花をつける」はその土地で暮らす者特有の鋭敏な感覚で微細な自然を感じ取り、そこから生活者特有の哲学を汲み出していく。その一連のことが、「断片」ではなく「流れ」として詩の言葉で記録されているのだ。読者は詩を読むのでなく体験するのだ。何と豊かな体験だろう。詩の終わり頃には、妻の出産にまつわる思い出が描かれる。その日も大雪だった。予定より速く破水した妻をケアしながら病院まで歩き、生まれた女の子に雪にちなんで「雪江」と名づける。雪を通じて現在と過去が結ばれるわけだが、娘の誕生を愛おしく思い出す行為もまた、自然の営みの中にあるものとして、把握されていることに注意したい。

中村登が初期から一貫して関心を持っていたことは、命の在りようだった。命や身体についての記述は、自分・家族・知人・動物・植物と、どの詩にも必ずと言っていい程現れる。生まれて、飲食し、性交して、死ぬ。中村登は自分もこのサイクルの中に在ることを常に強く意識している。自分を精神的な存在とはせず、身体ある存在として扱うことに拘った。詩のスタイルは変化していったが、核にあるのは生命への関心であり、そこがブレることはなかった。生きているということは、身体とともに在るということであり、時間もまた身体という概念とともに在る。中村登は詩もまた身体ともにあるものと考え、命や身体のリアリティを丸ごと実感できるような言葉の在り方を模索していたと思われる。
以上が4回にわたる、私の中村登の詩に対する論考であるが、拙論を通して中村登という詩人に興味を持っていただけたら、これ以上嬉しいことはない。