アサイ アサイ アサヒ アサヒ
クライ クライ ウクライナ ウクライナ

 

工藤冬里

 
 

ウクライナの友人が僕のお碗を持って何か言いたげな顔をしています
どうなんでしょうね
ロッシャは

ウクライナ暗いなう
ウクライナ行くなウラ
ウクライナ無い楽う
ウクライナ裏食いな

https://www.facebook.com/1055252466/posts/10220349714427044/?d=n
意地でも戦争のことを云わない。手のことだけだ。焼き物屋は妻もアナーキーになるのか知らん
https://www.instagram.com/p/B-fqCwcDihL/?utm_medium=copy_link&fbclid=IwAR0jGoexzVj5L1W3Mh_55PLydvE8I89Atg9Xe_M-U0EJV-nswlbni2BfTUc

ただそれも侵攻当日までのことだった

アサイ アサイ アサイ アサヒ
クライ クライ ウクライナ ウクライナ

ナポレオン戦争に始まり第二次大戦前後ひいては「ジャズ喫茶マイナー」に至る様々に穿った総括から、過去を変えることができるということを私達は学んだ。
現在も過去に含まれる。未来を変えることはできないが思い込みによって現在を変えることはできる。様々な言説が並び立つのはそのためである。
第三次大戦という箱を未来から持ってくることはできる。そのためには未来のプーチンが箱を現在に送り返すことを選択しなければならない。もしその選択をしないなら、箱だけ残って、プーチンもその閣僚も、ひいては宇宙全体も消滅する。プーチンの自由意志とはそのようなものなのである。

不意に訪れる挑戦
ドライバー次第である
警備員はカイロを7枚貼っていたが
ガードレールは霧に包まれ
乳白の飲料は尖った峰に対抗する優しさだった
正しさについては決して論うことはなかった
家に火の玉が落ちることは願った
春霞は白梅を包んだ
觔斗雲

肩が治らないのは怒りから来ている

反陰謀論と陰謀論がセットで大海のイデオロギーを構成し、そこと飾りの地との中間に設ける野営地がプーチンの場所である。彼を助けるものは誰もいない。

戦争反対を叫ぶ人はメギドの戦いにも反対するだろうし、戦争賛成を叫ぶ人は平気で神と戦うことになるのだろう。どちらも身体のストレスに対する誤解が関係している。平和はストレス・ゼロの弛緩ではありえず、安全はバランスの問題ではない。ドネツクからの、見事に相反するふたつのビデオプロバガンダを見て考えてほしい。プーチンが悪でゼレンスキーが善なのではない。プーチンとゼレンスキーは悪の南北なのである。
https://www.bbc.com/japanese/video-60542957https://www.facebook.com/norionakadate/videos/471436484623651

もし自分がウクライナ人だとしたら、18歳以上60歳未満の男は防衛のために戦わなければならず国を出ることが出来ないので、周囲の愛国的雰囲気の中、自分にとっての直接の抑圧者はロシアではなくまずゼレンスキーということになる。

 

 

 

#poetry #rock musician

2022年2月ウクライナに思う

 

ヒヨコブタ

 
 

あの緑色のような明るい光が飛び交うのを
ぼんやり眺めていたころ
わたしはまだこどもだった
戦争体験を聴くことも多かったころだ
それでもいったい世界で何が起こっているのか
わからずにいた
緑のような光のもとでどのくらいの人が傷つけられているのかすらわからずにいた

戦争というのはいったい
侵略というのはいったい
人からあらゆるものを奪うことはいったい

わたしには一生解せぬ考えや行為

誰一人として死んでほしくないせめて今日だけは
子どもの頃からの祈りを
いつもこころに秘めているというのに
それは打ち砕かれ、嘲笑うように破壊されていく

傲慢な考えだと友がわたしにいったのは
当たっているかもしれない
子どもじみて上から目線だと

総てが大人になった人間の合理性からは
かけはなれているのだから
言われても泣くことしかできない
それでも下を向いて踏ん張っているじぶんがいる

戦争はだめだ
と思うとき
あの無言の背中を思い出す
あの人はその体験をなにも語らなかった
子どもである人達もなにも知らない
ただ、壮絶な死と隣り合わせだったろう
他の人を振り落としてでも還ってきたのだろう
あの人がいた国が、今侵略と攻撃のただなかにいる
わたしに何ができるだろうか
おこがましくていい
そう嗤うなら嗤えばいい
わたしの大事なこころは
悲しみにいつも寄り添うだけのゆとりを持っていたいんだ

 

 

 

島影 40

 

白石ちえこ

 
 


千葉県旭市

 

旧道沿いの食堂のテレビ。
ふいに目を疑うような映像が飛び込んできた。
ビールを飲んでいたおじさんが、チャンネルを野球に変えろ、と言った。
そこにいた誰もが、現実のことだと思わなかった。
2001年9月11日のこと。

翌朝、窓から太平洋を見ていた。
水平線が見えた。
海の向こうには空しか見えなかった。
いつもと同じ。
胸が苦しくなった。
今も、胸がざわざわしている。