餉々戦記 (微塵無尽にもどき 篇)

 

薦田愛

 
 

月改まって葉月はちがつ
屋外での活動はなるべく控えてください夜間も積極的に冷房を
という夏のさなかだのに
いささかもおとろえる気配のないわが家の
いえ私の食欲
夏やせ知らず
かえりみるに
いつの夏もそうだった
近ごろ外食は少なくなったが会社勤めの頃は
なんでももりもり食すもののとりわけ
穴子の天ぷらあじフライ蛸の唐揚げ鯖の竜田揚げ薩摩揚げ串揚げ
フリット諸々もメニューにあれば注文せずにはいられなかったほどに食いしん坊で
むろん厚揚げだの練り物のごぼう巻だのあぶって生姜醤油というのも目がない
けれど
うちご飯の朝餉夕餉に
そうだ作ってみようとスイッチが入らないのは
油が撥ねてアツッとなるにちがいないことや
使ったら漉してストックしたり固めて廃棄したりの始末を横着がる
不心得者だから
とはいえ
食べたい思いが募りにつのり
面倒くささを凌駕しそうな日があり
さらにごくごく稀だが
ついに凌駕する日もある
暑気より疲労より食欲がいやまさる恐ろしい夕べ
この場合けっして
つれあいユウキの底なし型食欲が招く事態ではない
だから
今夜はあれを作る

ネットでしばしば目にする
――と感じるのは恐らくアルゴリズムのなせる業だが
揚げないなにがしだの、何なにの揚げ焼きだのという文言
その
とても無理と彼方へ押しやるあきらめの呪縛をゆるませる言葉が
そよいで
フライパンをひたひた満たすから
つい、ね
つい
これならできるんじゃないかと
勘違いしてしまう
だってほら フライパンって
つまるところフライ用のパンではないか
炒めるのと揚げるのとの境界はどのあたり
目玉焼きはフライドエッグなのだもの

はじめは揚げない南蛮漬けだった
三枚におろされたあじやいわしのパックひとつ分
削ぎ切りにして塩こしょうに薄力粉
焼くより幾分多めのオリーブオイルでジュッジジッ
裏返してジュジュッ 蓋してそろそろいいかな皿にとり
にんじんの千切り玉ねぎスライスしめじも炒めてしんなりしたらドッドサッドサ
ああ多すぎたなと毎回 そこへぽん酢をたっぷり
って
食べていたのだったけれど
いま思えばどこかあの
豆腐ステーキの魚版って趣き

けれどある日
真夏ではなかったその日
いや いいや 
やっぱりね
欲望にはとことん正直になりたい
揚げない南蛮漬けも美味しいけれど 
本当のところ
がんもどき食べたい
あじフライより天ぷらより
がんもどき食べたい
飛竜頭というのだ関西では
豆腐生地に野菜やらひじきやら時に銀杏やらきれいにちりばめられて
じゅじゅうっと滴るほど煮汁をふくめるあの
やわらかさ
でも、ねえ
おでん種にするには他にも揃えるのがちょっと骨だし
何より
まぁるく揚げるには油をたっぷり張らなくては
でも食べたい がんもどき食べたい
あるかなあ揚げないがんもどき
揚げ焼きでできるかなあ
キーワードふたつかみっつでさがす
――あっ あるよ
揚げ焼き版がんもどき
おお 揚げないからがんもどきじゃなくて
がんもどきもどき、だってさ
同じくらいに油の始末が億劫なひとや
同じくらいに食いしん坊の始末屋のひとかな
同じくらいにヘルシー志向なのは確かだな
すごいすごいや
薄くまとめて作るレシピが次つぎ

木綿豆腐はキッチンペーパーきっちり巻いて重石の平皿乗っけて水切り
ゆでてざるにあげるやり方はその後に知った
探し続けてプリントしたレシピ三つを並べてふむふむ豆腐一丁分で片栗粉は
だいたい大さじ三杯なんだな
塩や砂糖は入れたり入れなかったり
超時短派レシピだと干し椎茸をそのまますりおろして投入するとか
別のレシピは豆腐の水分でもどるからひじきもそのまま使うとか
山芋入れるのもあるなあ
(これが本式なのだとわかったのはずっとあと)
すごいなあ考えた人たち
ありがたや
いいとこ取りとしっくりするやり方を手探り
もどした干し椎茸は細切りのち微塵切り芽ひじきも右に同じ
直売所でみつけた無農薬にんじんもカタカタ刻み
畑でとれた黒枝豆を昨日ゆがいた残りもひとにぎり大まかに刻み入れ
賞味期限きれて久しいけどアミを半袋
生姜も入れようおろさなくても粉末のがあったっけ
微塵無尽オレンジに緑こげ茶に黒
ぐぐぐっちゃり崩してゆく豆腐の生成りに色をこぼせば
ステンレスボウルの冷たい肌はすっと曇って隠れ
しとっと重くなる
片栗粉を大さじ三杯振り入れ使い捨てビニル手袋の手で混ぜる
にちゃっぬちゃっ
フライパンに大さじ三、四杯目分量のオリーブオイル
カレースプーンで掬ってずとっとおとし
隣にまた
ずずっとおとし
平たく平たぁく あっ
こんなだった
昔いただいたことのある豆腐屋さんの
木の葉に似たかたちの平たいがんもどき
木の葉がんもって呼ばせていただいたのだった
比べればこれはずっと小さいけれど
アツッ 少なめの油だってやっぱり撥ねる
水切りしたって豆腐だもの
あらら
あとから間におとしたのがくっついちゃった
フライ返しと菜箸でくくっと隙間をあけ
うらがえっあっ
ふちから落っこっあっ
だ だいじょうぶ
最初に焼いた側はつるっつる
こんがりには届かないもっと焼こう
「おお、何作ってるの なんだろう」
やぁ待っててねもうしばらく
お楽しみにと言って大丈夫かどうか
うらがえして皿に取ると油はすっかりなくなったので注ぎ足し
一丁の木綿豆腐から平べったい小さなそれが
フライパンで二回分つごう十四枚ほど
大皿に重ねてスマホで二カット
ぽん酢とおろし生姜を添えて食卓へはこぶ
箸をのばすユウキの口もとが気になる
いや
最初の思惑からすればね
食べて私が美味しければいいのだけれど
小さめの平たいそれを取り皿に二枚
ぽん酢をたらし口から迎えにゆく香ばしい大豆がふっとにおう
んん
美味しい
みるとユウキも頬張って一枚食べ終わったところ
「あのさ 
ふつうのがんもどきって僕はとくに好きじゃないんだけど
これは美味しいよ こんなふうに食べるのは好きだな
ふつうのよりこっちのほうがいいな」
ほんとに? もどきもどきなのに?
うれしいな たしかに美味しいよね
「きっと柚子胡椒があうと思うんだ」
持ってくるよ。こないだ買った柚子山椒もね
柚子胡椒はもちろん柚子山椒も後押ししてくれて
平べったく小さなそれは何枚も残らなかった

がんもどきもどき
なんて言うけれど
雁の肉とがんもどきの距離より
油少なめまんまるく揚げていないこのもどきもどきまでの距離は
思っていたよりずっと小さかったよ
もちろん本式もどきの
煮汁たっぷりふくむことのできるふっくら加減には
及びもつかない
けれど
とりどり混ぜ込む微塵無尽にいささか手間がかかる
けれど
暑さ寒さに負けないわが(家の)食欲みたすレパートリーのかなり上位にこの夜加わった
もどきもどきのための木綿豆腐をいま
冷蔵庫から出すところ