釣り人たちといる

 

さとう三千魚

 
 

朝には
事務所に

忘れていた
年末調整の書類を届けた

帰って
机の前で

ぼんやりしてた
ふと

ゴンチチが聴きたくなり
CDを聴いた

最後の方
16番に

アート・リンゼイが歌っている

なんども聴いたのに
忘れていた

アート・リンゼイは若い頃に聴いた

顔が死んだ義兄に似ている
アレクセイ・リュビモフにも似ている

 夜が来て光を分ける *
 ただ繰り返し *

 反省し *
 ただ *

 気を紛らわせておくれ *

夕方に
海を見に行った

マリーナ横には
釣り人たちがつどっている

糸を垂れて
おしゃべりしてる

野良も釣り人たちといる
鷺も餌をもらいにくる

青い波が穏やかに揺れている
青い波がいくつも揺れている

 

*アート・リンゼイの詩「templo」の一部をgoogle翻訳しました
 

 

 

#poetry #no poetry,no life

マーサ

 

道 ケージ

 

まあさまあまあだ
マーサまだだ
まっいいかまだいいか
待つよ待てよ
舞う前、魔王まさか
摩訶不思議
ママン膜巻く枕
魔剣曲げ巻け
誠、真菰、真琴、馬子マゴまことちゃん
まさかまさしまたか
魔性魔女真白
まずまずマッスルマスター
麻酔マスクまずいマスコット
ませガキ混ぜ
末席まそっとマゾ
またねまたかまたぐまた
待たせたなマタイ
マタギマタンキ又郎
マッチマチマチ待ちかねて町田
マッチョ街場の祭り間違い待って
末端真っ白抹消末梢
待てってマテウス待てない
まとめ纏まどかまとも
待とうまとめて窓からマンタ
学んだ真名序
真夏まなこ眼差し
マイナス間に合うマニ教
マニアマニキュアマニアック
間抜け免れ
マノン目の当たり
マッハマッハマルハ丸々
真昼麻痺マフラー
真冬マフィンマブダチ
眩しいまふまふ
目深真帆魔法
まほろば幻
ママンママ友ままごと
見えるまみれた真向かい
マキシム魔夢まむし
豆つぶ豆まき豆状
まもなく守る摩耗
摩耶馬屋マヤまやかし
眉繭黛眉毛まゆみ
マヨネーズ迷って真夜中真横
魔羅マラソンマラカスマニラ
鞠まりこ摩利支天
マリンマリアマリーマリーナマリコ
丸いマルコスマルサマルクス
丸天うどん丸美屋 
マルタまんまる漫画
まれにマレーまるまろまろん
周り回るまわしマンション
卍漫才万年饅じゅう
まんずまんずマンゴー 
マンタンマント満月
まんまでまんま満州
マンスリーマンキー曼陀羅万力満願
マンセーマンコー!

 

 

 

村岡由梨第2詩集「一本足の少女」を読んで歌える

 

佐々木 眞

 
 

血を流しながら書き綴られた村岡由梨の第2詩集は、読めば血が出る22篇だ。
私は、この真率で、真情溢れる、痛切な詩行を読みながら、改めて詩とは何かと考えていた。

最初に浮かんだ考えは、詩とは「見守りボッド」のようなものではないか、というまことに幼稚なものである。

病ゆえに絶えざる自殺願望に取り付かれ、陸橋を渡りながら、何もかもを、愛する家族さえも見捨てて、硬い車道に身を投げようと思う作者を、詩は、「跳べ」とも言わず、「止めよ」とも言いわず、黙ってじっと見つめている。

その時、詩はまるで天体をぐるぐる経めぐりながら、地上に蠢く微細な存在、生きとし生ける森羅万象を、ことごとく把握しながら、じっと見つめている。
見守っている。

詩はもとより、人間と同じく無力で、そもそも無用の存在であるが、人間がそこにあって、心身に刻み付けられる体験する喜怒哀楽をしかと見届け、激しく流動する事態を、一時的に棚上げして、半永久的に保存することもできるのである。

なぜ詩を書くのか?と問われた谷川俊太郎は、「書いてくれという注文があるからです」とユーモラスに答えたが、村岡由梨は、「私が詩を書くのは、まっとうな人間になりたいからです」(「No.46」より)と、まっすぐに答えている。

詩を書くことによって、まっとうな人間になることはできないかもしれないが、 まっとうな人間になりたいという願いを、詩は、そして天は、嘉して受け止めてくれるだろう。

まっとうな人間になりたいと祈り続ける人を、
詩は、そして天は、
ずうっと優しく見守り続けてくれるだろう。