広瀬 勉
その後、室野井さんが、忙しくなったのか、
西暦2013年睦月蝶人酔生夢死幾百夜
ふと思い立って、昨年の1月から「夢日記」をつけはじめました。
ほとんど毎晩見る夢を、枕元の手帖にメモしておいて、朝一番にできるだけ忠実に再現したものなり。
いつのまにやらいっぱいたまったので、少し「風入」させて頂きます。
なおタイトルは、わが敬愛する仏蘭西の詩人ジェラール・ド・ネルヴァルの有名なお言葉をちょいと拝借しました。
ネルヴァルさん、許してね。
最近保守党の党首になった男から、自分のスピーチライターになってくれと執拗に頼まれたが、そもそも思想も主義主張もまるで正反対の人物なので、固辞し続けるうちに朝になった。13/1/3
オーストラリアでは革命が起こっていた。白人とアボリジニが激しい銃撃戦を繰り広げているが、その戦いの理由は判らない。どちらが革命派でどちらが反革命派なのかももちろん不明である。殺されないように逃げまわっているうちに朝が来た。1/3
それからわたしはようやく渋谷の大きな書店の入り口に辿りつき、そこに置いてあった汚れた布団を2つ折りにしてわたしの体を包み込むと、もう何があってもこのまま朝まで眠りこむぞ、と決意したのだった。1/4
私はとっくの昔に会社を辞めたはずなのに、当時の仲間が大勢集まってパーティを開いているようだ。事業部のリーダーがグラス片手にやってきて「あんさん、例の件どないなりましたか?」と尋ねる。はて、例の件とは何のことだろうか。1/5
そうだ忘れていた。吉本隆明にブランド宣伝の提灯持ちの本を書かせてくれるはずの講談社の鈴木編集長と大至急連絡を取らなければ、とんでもないものが世間に出てしまう。1/5
現場に駆けつけて見ると、想像以上の大混乱だった。 すでに暴徒と化した連中がてんでに武器を持って襲いかかって来たので、私はやむをえず腰にたばさんだコルトを取りだして先頭の男のどてっ腹めがけてぶちかますと、彼奴は朱に染まってその場に倒れた。 愉快だった。 1/6
急いで電車に飛び乗ると、国籍不明の奇妙な駅についた。線路の傍まで巨大な波が次々に押し寄せている。津波の前兆ではないかと私の身の毛はよだったが、誰も心配していないようだ。駅前ではボギーの極彩色の広告看板が「三つ数えろ!」と叫んでいる。1/6
ここはどこだか分からないが、どうやら私はがらがらの観光バスに乗って当地にやって来たらしい。しかし観光見物どころの騒ぎではない。なにやら怒り狂った連中がこちらに向かって走って来る。運転手が必死に押しとどめようとするのだが、バスの中に入ろうとしている。1/7
「これは乗り合いバスじゃない。券がなければ誰も乗れない全席指定の観光バスだ。」と運転手が怒鳴ったが、暴徒と化した彼奴等は耳を貸そうとしない。「指定席だかなんだか知らないがガラガラじゃないか。早く俺たちを乗せろ!」とまた怒鳴る。1/8
そこで俺はまたしても腰にたばさんだ愛用のコルトM1911を取りだして、バンバン撃ちまくると、彼奴等は蜘蛛の子を散らすように逃げて行ったので、俺はアテネ五輪金メダルの北島康介のように「チョー気持ちいい」と叫んだのであった。1/9
昨夜の私はなぜだかリヤカーか人力車のようなものに乗って誰かから逃げていた。ここは中国? それともヴェトナムなのだろうか。ふと隣を見るとなんとイラストレーターの川村みづえさんだ。久しぶりなので挨拶しなきゃと思っていると、人力車はいきなり全速力で発車した。1/10
「みづえさん、どうしてこんなものに乗っているの?」と尋ねると「わたしもどうしてだか分からないの。それよりあなたは?」と聞かれても、私にだって分かるわけがない。1/11
フランスの郊外を走るローカル電車に乗っている。昼下がりにの車内は人もまばらだ。やっと駅についたので降りると世界中どこでも見かけるショッピングモールが駅前にそびえていた。入ると見知らぬ人が「お待ちしていました」と笑顔で迎えてくれるのだった。1/12
どうやら先方は私のことを知っているらしい。差し出された手を握るといきなり「例のシャツですが平織りにしますか、それとも綾織りで行きますか?」と聞かれた。いったいどういうことなのだろう? 1/13
この人が誰なのかは分からないが、恐らく服飾の世界の人であり、どうやら生地の問題でもめているらしいが、私にはなんのことやらさっぱり分からない。はてさてどう答えたものかと天を仰いだが、生憎太陽も星も見えなかった。1/14
するとその時、突然「平織り8割、綾織り2割で行きましょう。これがいちばん売れるんです」という声が聞こえたので、誰かと思ってその人物の顔をじっと見るとデザイナーの池田ノブオだった。1/15
私が荒れ地に巨大な木の枠をつくり、それを2階建て、3階建てへと拡大していると、人々がやって来て、「おおなんと素晴らしい。あなたは行く宛てのない難民のための住居をつくろうとしているのですね」と口々に言って握手を求めてきた。1/16
しかし私はそんなことは夢にも考えずに、ただ自分の夢の中でいたずらをしただけのことなのに、彼らはそれを勝手に拡大解釈して世間に触れまわっているのだ。1/17
昨日は大変だった。上司と組んで仕事をするのだが、その上司は「お前は仕事をしなくてもいいから、BGMにマーラーの交響曲を流してくれればいい」というのだ。1/18
法隆寺の沈香のような白壇の古木を11本並べておけば、馥郁たる芳香を放ちながらまるでCDラックのようにマーラーの交響曲を演奏してくれるという訳だが、その並べ方が難しい。1/19
また白壇の古木を9本ではなく11本というのは、マーラーの9つの交響曲のほかに「大地の歌」と未完の交響曲第10番も含まれているのだった。1/20
Twitterのツイートの欄にうなぎを入れ、そいつにチョイチョイ味付けをしてから私は自宅のメールアドレスに発送した。これで帰宅したら美味いかば焼きを食べることができる。1/21
ここはどこだ? たぶん中国の古い城塞だろう。私が大きな石積みの間の狭い道を登っていくと行き止まりとなり、そこから見下ろすと目がくらむような断崖絶壁だった。1/22
城塞の上からは遥か遠くにそびえる山々や平野を流れる川や、中国の古い様式の建物などがよく見えた。青い空の真ん中をさまざまな動物の形をした雲がゆるやかに流れている。1/23
疲れを癒しながらしばし絶景の鑑賞に耽っていた私は、自分の仕事を思い出して愛用のソニーの初代ビデオカメラを左の肩に乗せ、この素晴らしい景観を撮影しはじめた。これはちょっと重いが赤と緑の発色が鮮やかなのである。1/24
ふと気がつくと私から少し離れた所で、ソニーよりも大きなミッチェル撮影機がカタカタと音を立てながら回っている。昔映画の撮影によく使われた名機をひとりで操作しているのは頭の禿げたオッサンだった。1/25
よく見るとオッサンのとなりには、もうひとりもっと頭の禿げたオッサンが立っていて、ジタンを喫みながらミッチェルの回転に留意している。どこかで見た顔だと思っていたらゴダールとラウル・クタールの凸凹絶妙コンビだった。1/26
この至高の景色を前にしてゴダールがC’est Magnifiqueというかと思ったが、C’est mieuxといった。ゴダールたちと並んで撮影しながら私は限りなく幸福だった。1/27
センスの良くないデザイナーが示したレイアウトを前にしてウームと唸るわたし。明らかに彼奴は無能で悪しき表現物なのだが、ではどこをどう直せと具体的に言えないから困るのだ。1/28
私はおそらくモンゴルにいて、かなり高さのあるなんとか峠から大平原を見下ろしている。すると京マチ子似の白い着物姿の女性が、わたしに「どうしてもシェルタリングスカイに変えて頂かなくては困ります」と激しく迫るのだった。でも「シェルタリングスカイに変える」って、どういうこと?1/29
私が森の中で腰を下ろしていると、人々も思い思いに座っていたが、いきなり2匹の白い犬が1匹の黒い犬と喧嘩をはじめた。白い犬が黒に咬まれて悲鳴を上げているが誰も助けようとしない。人々がすがるような目で私を見るので、しかたなく「シロシロ」と呼ぶと、私のところに飛んで来た。1/30
ファニー・アルダンが夢の中で出てきて私に何か語りかけたのだが、ジュリア・ロバーツと同じくらい大きな口が動くのを見ていたので、彼女がなんと言うたのか忘れてしまった。1/31
光って
振動していた
そのヒトはいった
激しく振動していた
のだと
そのヒトから
飛び出して
林のなかで光っていた
それは
わたしたちだろう
深夜に
荒井くんは電話でいった
おめえはなんもわかってねえ
ガザのことも
竹田賢一のことも
そう
いった
残して
きただろう
その男は
残してきただろう
鳥のいる
小さな店の奥にいた
白い歯がこぼれて
ちいさく笑った
小鳥たちが
つぶやいていた
藤圭子が歌っていた
夢は夜ひらくと歌っていた
男は
歩いてきたろう
その男は残してきただろう
7月9日、東京ステーションギャラリーでジャン・フォートリエ展を観た。
フォートリエのことは何も知らないと言っていいほどだったのだが、なぜかこの展覧会の開催を知ったとき、これは見たい、いや見なければという気持ちが湧いた。
これまで図録などで見た何点かの作品の記憶と、誰だったか作者が思い出せないけれど「フォートリエの鳥」という題の詩があったはずだとか、アンフォルメルという今一つ自分の中で明確でない概念を確かめたい等、いくつかの思いが重なっていた。
この展覧会は大々的に宣伝されたものではなかったし、東京ステーションギャラリーもそれほどメジャーな美術館ではないのが幸いして、大きく混雑しているというようなことはない。なによりも、ほんとうにこれを見たいという人が一人(団体でなく)で来ていて、それが会場の雰囲気をよいものにしていたのも有難かった。
しかし、作品の質の高さは群を抜いていて、わたしが今年見た展覧会ではいちばん、もしかするとここ何年かでいちばんかもしれないと思うほどだった。優れた展覧会は会場に一歩足を踏み入れたときに感じるものがある。並んだ作品が醸し出す空気の厚みのようなものがあって自分はそこに入るのだという意識を覚える。かつて横浜美術館で開かれたセザンヌ展(1999)には圧倒的にそれがあった。フォートリエの作品を見ていくうちに、セザンヌ展の会場に立ったときの感覚が甦ってくるのを感じた。
もっと新しいところでは、同じ横浜美術館での松井冬子展(2011)にも少しだけれどそれがあった。というより、意図的にそれをつくろうとしてある程度成功したということだろうか。松井冬子展の最高傑作は池に映る桜の巨木を描いた「この疾患を治癒させるために破壊する」(デュラスの小説のようなタイトル)だが、展覧会を成功させるにあたってさらに重要な役割を果たしたのは、「ただちに穏やかになって眠りにおち」という、沼に沈んでゆく象の絵だった。わたしはそう確信している。これがはじめの方の部屋にあるからこそ、グロテスクな傾向の強いその他の多くの作品が絵画作品として実際よりも一段高められて見える。この絵を描いたこともそうだが、それ以上にここに展示したことに彼女の才能と見識を感じさせられた。
フォートリエ展に話をもどそう。林檎の絵がふたつあった。これがわたしにとって今回の展覧会のピークを成していた。展示としては、有名な「人質」のシリーズが中心なのだろう。会場を一巡すればわたしにもそういう印象がないわけではない。しかし、「人質」についてはレジスタンスとの関連で多くが語られているし、他の美術展に比べれば宣伝が少ないとはいうものの、展覧会の案内などではやはり中心作品として扱われているのは間違いない。するとどうしても、既視感というか、先入観にとらわれて絵の前に立つことになる。情報があるということは、必ずしも幸福な結果をもたらすものではない。
初期(1920年代)の具象から「人質」に至る作品はみなすばらしい。「森の中の男」をはじめとする油絵や、「左を向いて立つ裸婦」などのドローイング、どれも胃の中に石を投げ込まれるような絵だ。会場が静かなのもわかる気がする。目つきの悪い少女を描いた「セットの幼い娘」と題された油絵の前に立ったとき、唐突にルノワールの「ルグラン嬢の肖像」を思い出した。まったく対極にある絵なのに、鮮明に頭の中に画面が開かれた。その絵は2007年のフィラデルフィア美術館展で観たのだった。その愛らしさをわたしは何人かの友人に告げてまわった記憶がある。だが、この「セットの幼い娘」を同じように扱うことはできない。この絵からわたしが受け取っている情報は、わたしの中で極めて個人的に処理されていると思う。別の人が見ればその人なりの、また別の人が見れば別の見方で感得されるような作品なのだ。「ルグラン嬢」のように誰が見ても同じ愛らしさというのでは決してない。
フォートリエの作品は、すべてそのようにわたし一人に語りかけてくる。いや、語りかけるというようななまやさしいものではない。わたしの心の扉をこじ開けてはいってくるようだ。だから彼の絵から受ける感動は、瞬時に人生を生きなおすような衝撃がある。
一連の人物画を経て、果物などを描いた静物画の部屋にはいると、わたしの中につよくこみ上げてくるものがあった。描かれているのは梨や蒲萄、しかも筆致はぞんざいで緻密なものではないのに、わたしの深い感情をざわつかせた。そしてその正面に「林檎」の絵はあった。たまたま同じころ会場に入り、だいたい同じペースで進んできた男性が、この絵の前に立ったときほんとうに深く深く息を吐いたのが印象的だった。ものすごく個的にそれぞれの作品に対峙するような絵なのに、感銘は等しく訪れる。もう一つ、「醸造用の林檎」という、もはや林檎の形象をとどめていない絵があった。この二つの林檎があったからフォートリエは「人質」を描くことができた。それは疑いを容れない。先に二つの林檎がピークだと描いたのにはこの意味も含まれている。奇しくも15年前に訪れて生涯に何度めぐりあえるか分らない最高の展覧会と感じたセザンヌ展で、もっともわたしを捉えたのが「リンゴとオレンジ」という静物画の傑作だったのもなにかの符牒のようだ。
しかし、「人質」以後のフォートリエの作品をなぜアンフォルメルというのかはわからなかった。会場の途中でフォートリエがジャン・ポーランと語る短いビデオが放映されていて、フォートリエ自身が自分の作品を指して何度も「アンフォルメル」と言っているが、なんだか面倒だからそう言っておくかというように見えた。ただ、その中で「抽象は繰り返し繰り返し考えるが自分はそうではない」というようなことを言っていたのが興味深かった。ちょうどこの半月ほど前に東郷青児美術館で「オランダ・ハーグ派展」を見た。モンドリアンが4点来ていたので見に行ったのだが、「ダイフェンドレヒトの農場」という良い作品があった。もっとも、モンドリアンを見に来ようと思ったきっかけは、新聞で「夕暮れの風車」の図が紹介されていて、風車の背景となっている暮れゆく空が美しいと感じたからだ。その美しさは抽象を予感させる美しさだった。モンドリアンは有名な「樹」もそうだけれど、種明かしのように抽象への過程を作品でなぞってみせる。考えたかどうかは知らないが、思索的に見えるのは確かだ。それに比べるとフォートリエの方が直接的だ。樹や雲で抽象への道筋を示唆しようとするモンドリアンよりも、そのまま「林檎」や「人質」に入っていく。フォートリエは晩年の作品を、モンドリアンが「ブロードウェイ・ブギウギ」を描いたようには、描いていない。「アンフォルメル」とみんなが言うから名乗ってみたが、案外最初から最後まで、根は同じところにあったのかもしれない。