しずおか連詩の会について

 

しずおか 連詩の会

 

今日は東静岡駅の近くのグランシップで開催された、
「しずおか 連詩の会」にいってきた。

大勢の観衆を集めていた。
驚いた。

詩人は、
野村喜和夫さん、福間健二さん、石田瑞穂さん、三角みづ紀さん、文月悠光さん。

福間さんの言葉が挑発していて、
三角さん、文月さんがそのコトバに呼応し、
石田さんと野村さんが現代詩という入れ物にすくったということのようだった。

現代詩は短歌や俳句と比べて入れ物の強度が弱いのだろう。
その現代詩というものを静岡という場所にいかに着地させるかという課題も詩人たちは荷なったのだろう。

大変に参考になった。

 

thirsty のどが渇いた

深夜に
グールドを聴いている

バッハの協奏曲ニ短調BWV974
第2楽章アダージョを

グールドが呻いてます
グールドは微かに呻いています

渇きがありました
渇きはありました

浜辺を
歩きました

夕方にモコと浜辺を歩きました
夕方の浜辺をモコと歩きました

 

 

wild 野生の

かもめや
千鳥

磯ヒヨドリの

声を聴いたことあるかい

ハクセキレイと話したことあるかい

あれはズキンときた
ズキンズキンときた

野生だね
野生の声だね

野生の世界にはね
いるね

たしかにいるね

ズキンとね
ズキンズキンとね

ヒタヒタヒタヒタとね

 

 

kitchen 台所

毎朝
ひとつの詩とスープをつくっている

スープには
じゃがいもやブロッコリーやベーコンを入れます

味付けは鶏ガラと塩と胡椒

たまに台所で味見します

詩には何を入れるか
わかりません

ことばに幕が張るのを待って
幕の下にひかりをさがしています

 

 

end 終わり 端

今朝
浜辺の縁にモコとすわっていた

浜辺の縁から空と海をみていた
世界の終わりをみていた

終わりのなかに
はじまりの種子がつまっていた

波は音をたてて
くりかえし岸辺をあらっていた

はじまりは終わりからはじまった
はじまりは終わりからはじまっていた

 

 

 

flag 旗

今朝
浜辺をモコとあるいた

波打ち際にすわり
空をみていた

いままでに
たてたことがない

旗は立てたことがない

旗を

海にしずめたらどうか

すべての旗を海にしずめたらどうか
すべての国の旗を海にしずめたらどうか

旗を海底にしずめる
旗を海底にしずめる

 

 

朽ちた枝 キャベツ

加藤 閑

 

朽ちた枝

朽ちた枝

わたしの最初の個展は2007年4月。6年半以上前、四日市の山画廊で行なった。
魚住陽子の個人誌『花眼』の表紙にこの絵を描いたのが、思いもかけず八島正明先生に評価していただき、山画廊を紹介していただいた。女主人の満代さんは、どこの馬の骨とも知れないわたしの個展を開くのを承諾してくれた。その後もわたしが絵を描き続けていられるのは、このとき自分の絵をひとに見てもらうことができたという手応えによるところが大きい。山さんには、どんなに感謝しても感謝しきれない。
その山満代さんが昨日未明に亡くなった。わたしより4つも若いのに。
「朽ちた枝」を彼女にはじめて見せたとき、わたしは枝を流れた時間が描きたかったと言った。満代さんは、もっといろいろなかたちで時間を描けるといいですねと言った。
しかし、今となってはもう彼女との時間を持つことはできない。
今年4月に、この画廊では3度目となる個展をした。その最終日に三千魚さんから、ぼたるさんの訃報の電話をもらったのだった。
今年はその前に同級生が二人亡くなっている。
大事なひとが次から次へと向こう側に行ってしまう、そんな歳に自分もなったのだなと、思わずにいられない。

 

キャベツ

キャベツ

このところ、雑誌の仕事が続き、いきおい写真をモチーフにして絵を描いてしまうことが多い。このあいだ、なにか実際にある「モノ」を描いてみたいと強く思い、家にあったキャベツを描いてみた。何でもないものをごろんと描きたい…と口の中で言って、ぼたるさんの傑作「ごろん」が立ち上ってきた。