広瀬 勉
#photograph #photographer #concrete block wall
寝て見る夢である。
20年くらい前かなあ、「夢記憶交感儀」というのを名古屋市民ギャラリーで二週間ぐらい開いたことがある。
10センチ角の木材と晒し木綿で、畳二畳程の小屋を作り、ギャラリー内に設置した。床面は10ミリ厚ベニア板で、ギャラリー床面より30センチくらい浮いている。晒し木綿で囲ってある。
中には裸電球を一本吊るした。そして小さなちゃぶ台、座布団はおそらく無かったと思うが、ベニア板の上にはござを敷いた。僕はそこに鎮座した。ギャラリー内のあかりは無く、まあ外から見れば大きな行燈といった言った態、朝から夕刻までの二週間。外には、古いブラウン管モニター6台に、メッセージを文字で「どうぞ中にお入りください。あなたが見た夢についてお話し下さい。」もっと丁寧に書いたと思う。僕は入ってきた人に煎茶を出した。
で、こうも言った。「お話しは全て録音したいです。カセットテープに。そしてこのカセットテープは、この会期の後、コンクリート詰めにします。80年後にこの交感儀に参列(参加)した皆んなと一緒に、聴きましょう。」
この時すでに僕は50歳を過ぎていたと思う。つまり、生きていれば130歳。あながち不可能ということも無いが、おそらく死んでいる。見ず知らずの人も、晒しをビヨーンとひらげて小屋の中に入って来る。年齢は様々だ。一番の若年が10歳、上は90歳。10歳なら80年後でも90歳だから、幾分かのリアリティはある。
小屋は前述どおり、2畳くらい、ちゃぶ台を置いて、周りに5人も座れば満員だ。時間も無制限だから、1日にそう何人も入れるわけではない。記憶では1日12時間✖️二週間やったと思う。
不思議なことに、夢の話となると、赤裸々にかなり際どい事も、知らない人同士でとうとうと話す。これは意外だった。
とここまで書いたらもう7時半だ。毎日の労働のために、そろそろ寝なければならない。二時起きなので。前書きの前書きのさらにその半分にもいたらないが、もう寝よう。一切の推敲も無く。
つづく。
おやすみなさい。
目を瞑ると
見える
ものがある
目を瞑ると
見える
人がいる
たぶん
忘れてしまったことも人も
ある
その人はメガネの厚いガラスの向こうで眼を見開いてやがて細くして笑った
さっと
風が吹いて
花が
揺れて
笑った
笑ってた
沖縄の戦争で
一人息子を亡くした女
戦争で痛んで酒ばかり飲んでいた男
その男を
支え
子どもを産んで育てた女
みんな死んでしまったが
みんな死んでいったが
断片が
破片が
残っている
白い野ばらの花が揺れて
鳳仙花がはじけた
花のある庭を眺めていた
*タイトルは、twitterの「楽しい英単語」さんから引用させていただきました.
#poetry #no poetry,no life
和歌
藤と八重が共に咲くので見に来たが藤と八重は今年も共に咲いていたことだ
和歌
今年はせめて藤と八重が共に咲いている(短い)期間だけでもお会いすることはできるでしょうか(いやできない)
和歌
藤と八重とが共に咲いているというコンセプトでコーディネイトしたのに今年は誰に見てもらえるのでしょうか
和歌
藤と八重とが共に咲いているのに大友山の霍公鳥は今年は来てくれません
和歌
(震災以来)藤と八重が共に空に打ち寄せられてデブリになって久しいのに(今年は)そうした空の廃墟を見ることすらできなくなりましたね
和歌
藤と八重とが共に咲いている写真アルシーヴ作りに忙しく、今年はもう終わっているだろうと思って来てみたら(見事に咲いている)、この公園の三番目の消失点を空に置きたいほどですねぇ
和歌
藤は寄り掛かるもの、八重は共に波に打ち寄せられるもの、毎年来ていますが、今年も一人で見るのでしょうか
和歌
大友山の麓にあるこの藤と八重の公園を、また巡ってくる千年後にもこんな風に眺めたいものですね
和歌
ジェノサイドの記憶が永遠に消えないようにスーヴェニールとしてこの藤と八重を植えたのでしょうか
和歌
藤と八重が共に咲くのを見て、東京の都のことを思ってしまうことだ
詩
七重八重桜の空に藤浪は打ち寄せられて共に消えたり
#poetry #rock musician
いつだったか
上原で
詩の包摂ですね
そう
志郎康さんに言われた
こと
憶えている
facebookの志郎康さんの花のコメントを
引用して
詩を書いた
ことへの
言葉だったか
類概念に種概念が包括される
普遍に特殊が従属する
そんなことか
普遍性なんてありませんよ
そんな
言葉も
憶えている
吸収と
専心か
詩は
いまいない君のこと思っている
*タイトルは、twitterの「楽しい英単語」さんから引用させていただきました.
#poetry #no poetry,no life
弘前城は枝垂れが満開で
お濠は花で真っ白だった
僕はハルコと四阿にいた
水面はハルコなら歩けるんじゃないかと思うくらい真っ白だった
毎年こんなに真っ白になるんだと思った
その頃の写真は失われている
あんなに真っ白になるんだった
齶田から津軽に入ると丘はウィーン幻想派のみどりで
浅虫海岸の黒は海鞘のにおいがした
弘前はユパンキという店に呼ばれていた
城址の桜が満開だった
僕はハルコとピアニカを吹いていた
僕が息を震わせるとハルコも音を震わせ
僕が勢い余って吹き口を外すとハルコは笑った
お濠は真っ白だった
毎年こんなに真っ白になるんだと思った
その頃の画像は失われている
5Gは希望を奪うんだろうか
全てを奪われた脳に残るのは失われた画像だけだ
お濠は花で真っ白だった
あんなに真っ白になるんだった
ああ あんなに
真っ白になるんだった
#poetry #rock musician
北の
街の
駅の
前の
人びとのまえ
歌ってた
潮騒のメロディー
歌ってた
きみは
眼を瞑って
歌った
あの年の
夏
流された街を歩いた
長崎の街も
歩いた
福生の街を歩いた
のも
夏だった
すべて流されてしまった
きみは
眼を瞑った
うっとりした
うっとりしてた
きみは
流されてしまった
なにもない
歌がない
歌しかない
きみは歌うしかない
*タイトルは、twitterの「楽しい英単語」さんから引用させていただきました.
#poetry #no poetry,no life