高円寺の
バー鳥渡で飲んだ
それから
新宿に出て
ゴールデン街の店で飲んだ
なまえを忘れたけど
綺麗なヒトと広瀬さんと
朝まで飲んだ
綺麗って
なんだろう
外見が綺麗なヒトを知っている
でも
別の綺麗もある
広瀬さんが歌うのを聴いた
高円寺の
バー鳥渡で飲んだ
それから
新宿に出て
ゴールデン街の店で飲んだ
なまえを忘れたけど
綺麗なヒトと広瀬さんと
朝まで飲んだ
綺麗って
なんだろう
外見が綺麗なヒトを知っている
でも
別の綺麗もある
広瀬さんが歌うのを聴いた
(もうひとつの四月馬鹿)
上野しのばず五條天神社の境内で
母と桜を見上げた、あれは六年前のこと
寒緋桜といったか それにしては花の色が白かった
と思うのは時の隔たりの作用で
今この駅の地下から雨の地上へ歩き
上野の山の縁を辿ってあの境内に到れば
春の闇のなかやっぱりその桜は
ほんのりと色づき
すらりと立っているのではないか
あの日
精養軒の並びにある韻松亭で母と
母の古い友人である宇野さんとご飯を食べた
まひる
染井吉野に少し間のある桜の季節
韻松亭の窓の外 枝ごとにまつわる柔らかなものがあって
芽を吹くもの頑ななもの屈まるかたちからほどけるものたちが
時の鐘の響きのなかゆらいでいるのだった
花籠弁当に盛り込まれた春をすっぽりお腹におさめて
つきない話のつづきを公園の道々しようと
並んでは前になり後になり女三人
階段を不忍池へと
下りかける足が向かうそぞろ道 くぐる鳥居
一礼もなしに
誘われていた その一本
いえ、幾本かの桜
とりどりにほころびていて
カメラを向ける母の
しずかな熱中をよそに
宇野さんと私は話しつづけていた
――とそこで映像はとぎれ
記憶はつづかない
ほんとうに一緒だったのか宇野さんと
おぼえているのは桜の枝に
鳥が止まっていたこと
なんという鳥かしら
訝しむ私たち(母と私)の後ろから
めじろですねえ、と男の人が
めじろですか
応えながら母の指はまだシャッターから離れない
かわいいねえ 呟く空 午後三時のさむさ
蜜を吸って枝をめぐる鳥を見るのは
初めてだった
(これはむろん私)
吸っていた花蜜 まんかい前の桜の
それはどれほど甘いものなのだろう
でね、実は最近知ったことなのだけれど
蜜だけで満足する鳥ばかりでないのだと
つぼみやら芽やらを啄んでしまう
気の早い鳥もいるのだと
うそって 口偏に虚しいではなくて
學つまり学問の学の旧字のかんむりに鳥という字
鷽と書く
ユーラシアン・ブルフィンチと称されるらしいとはwikiの受け売り
ブルフィンチって、ギリシャ・ローマ神話の編者だったっけ
口笛のような鳴き声はまだ
youtubeで聴けてない
打ち明けると
めじろからうそへの通路は
桜ではない
ものぐるおしい節目の今にいて
寒さの春は怒りにふるえ
いつまでも脱げないかなしみの外套を風になぶられながら
休みなく休むうち
思い出したのだ
こどもだった私に
祖父から送られてきた荷物
そのなかに木彫りのそれが
滝宮天満宮、天神様の
悪いことを良いことに
禍々しい怖いことの代わりに喜ばしいことを
祈りの言葉を添えて交わされる神事は
そんな効用あってこそ
けれど木彫りのうそのばあい
神様とではなく
ひとのうそとじぶんのうそとの交換
え、大丈夫かな
消去するのではなくて
取り換えるだけでいいのかな
怖気づくのは事の次第を知った今の私
けれど祖父からもたらされた木彫りのうそは
どこにやってしまったか
神事に行かなかったから誰のうそとも交換しないまま
飛び去ってしまったのか
つぼみを啄みすぎるからと
憎まれもするうそよ
いっそ喰いちぎってしまえ
物狂おしいこの季節の胸もとから
あおぐろく傷んだかなしみの肉腫を
うそよ
よろず嘘のゆるされるこの卯月の夜に
うそよ
どれほど取り換えても消えることのない
おろかしい歩みをわすれはしないから
四月はいちばん残酷な月さ
ミルクもヨーグルトもケチャップも値上げになって
年金の手取りがみるみる減ってゆく
四月はいちばん残酷な月さ
政権に楯突くキャスターたちが
突如解雇されて路頭にさ迷う
四月はいちばん残酷な月さ
花見酒に浮かれてカッポレを踊っている間に
不戦の誓いがウジ虫に喰われていく
四月はいちばん残酷な月さ
終戦を敗戦、大学紛争を闘争と言い換えていた友が
2015年を平成27年という。
四月はいちばん残酷な月さ
かつて国立競技場を埋め尽くした人々が
スタジアムもろとも滅びていく
四月はいちばん残酷な月さ
桜の樹の下で眠る愛犬ムクが
早く来てねとワンワン吠える
水仙の黄色い
花の
写真を
facebookで
見た
それから
鳥取の日吉津海岸の
暗い海に
暗い空がひろがるのを見た
綺麗だと
思った
遠くにあるがここにある
綺麗なものは
ここに
あった
青空に
白い雲が
浮かんでいた
「私も、ワンちゃんよりネコちゃんの方に
近しいものを感じているんです。」
「それはなぜなんですか?」
「うまく言えないですけどね。フィリピンにいた頃飼ってたし…。
ネコちゃんかわいいですよね。」
明日は東京に帰るという夜
舞台は
政治家がお忍びで泊るみたいな(ってとこまで行かないけど)豪華な和室の窓の際
浴衣姿で並んで、高価そうな灯籠のある庭を眺めたりしているんだけど
ぼくのファミちゃん・レドちゃん自慢話を受けたその告白は
そのまま、ふっと空中に消え
代わりに
細身の彼女の生身のふっくらした抵抗感が
つい今しがたの
ふっくらした抵抗感が
熱を帯びて、浮かびあがってきた
何てゆったりした時間……
それから互いの家族の話になった
「ぼくの父は引退して長いから穏やかな感じですよ。
ファミちゃん、レドちゃんの世話が一番の仕事って感じかな。」
それを聞いたミヤコさん
ふぅーっと息を吐き出したかと思うと
「うちの父、悪い人じゃないんですが、
頑固者なんですよ。」
えーーーっ
頑固者ですか
いえいえ
ちょっと怖いけど
大丈夫
婚活で知り合った仲では
こうやって「次の段階」が
サラリと立ち現われる
サラリ、サラリ
すごーく自然
ずっと生身を寄り添わせてきたこの丸二日間は
まるで淀みのない時間だった
40越えのぼくらには
焼けつくような、とか、盲目の、といった類のモンじゃなく
よく見て、よく話して
それでいて淀みがないってことの方が重要なんだ
「頑固って、いいことじゃないですか。
それにミヤコさんだって結構頑固でしょ?」
「えーっ、そうですかぁ。そうかもしれないけど…。私はうちの父とは違うと思います!」
そ、そんなムキにならなくても……
ワンちゃんは主人の意向を探ることを優先するけれど
ネコちゃんというのは、そこにある身体を
そこに流れる時間に委ねきる
そこに淀みはあるか?
いいや、ない
サラリ、サラリ
待ってました、待ってました
それじゃ、いつの日か
頑固者相手に
どんな振る舞いをすればいいのかな?
ミヤコさん、一緒に考えて欲しいです
だれか来た
かおが来た
あしおと鳴らして
かた揺らし
身動きできないのか愛する人
だれかわからない
こえもする
したが伸びて風に揺れる
これはあの人のあの人じゃないか
何の音?何の音?
だれだろ、「はーい、はーい」
ここで出逢うか
かおに風が吹いている
骨のような
膜のような
ぶぶんに音が跳ねている
なにゆえに
黄色いひよっこ
ピヨピヨピヨ
生きてるだけで
たのしいからさ
なにゆえに
めんどりおばさん
コケコッコ
生きてるだけで
仕合わせだからさ
なにゆえに
うちのムクちゃん
ワンワンワン
生きてるだけで
うれしいからさ
なにゆえに
隣のタマちゃん
ミャウミャウミャウ
鳴いてるだけで
恋しいからさ
なにゆえに
うちの耕君
ニコニコニコ
生きてるだけで
面白いからさ
なにゆえに
うちの奥さん
オホホノホ
思い出しても
可笑しいからさ
なにゆえに
うちの父さん
グウグウグウ
とにかく人世
疲れるからさ
みてたね
暗い居間の
片隅に
テレビが
あった
なにを見てたのかな
アニメを見た
ソランは
空を飛ぶ
車に乗っていた
みんな忘れたけど
こどもは
見ていた
忘れたけど残るものも
ある
あなたは
そちらにいったけど
よかった
会えて
よかった
鋭角って言えば、
先が鋭い刃物。
で、身体を刺せば、
血が出るね。
そして、出血多量なら死ぬね。
でも、
木を削ると、
温かみが生まれる。
曲面が温かみを生むんだね。
曲面を削り出す手を持つ人、
鋭角を持って温かみを生み出す人、
わたしは、
そんな手を持つ人じゃなかったなあ。
ん、でね。
わたしはね、
今年になって、
一月の末から二月の末に、
三度、慶應大学付属病院の救急外来に運ばれたんだ。
一度はタクシーで、二度は救急車で、
頭痛と顔の強ばり、烈しい嘔吐の感じ、そして痰が絡んでの呼吸困難。
救急車の中で過呼吸になり手先が痺れ、
「ゆっくり深く呼吸して」って言われた。
救急外来の診察じゃ、
採血して、CT撮って、レントゲン撮って、
別に異常ない、
と薬を吸入して痰を吐いて
家に戻った。
そして、町内の小林医院にいって
吸入の薬を処方して貰って、
家で、まあ、なんとかFBに投稿はしたが、
その直後、
玄関の段差で仰向け転倒しちゃった。
麻理ひとりじゃ起きあがらせることができないで、
丁度来ていた電気工事の人に起こして貰い、
ベッドに運んで貰ったわけ。
麻理いわく。
仰向けなった蝦蟇ガエルみたいだったってね。
10日経っても左の胸を痛めてまだ痛い。
発作っていうのはね。
頭痛と顔の強ばりは朝の六時、
烈しい嘔吐の感じは夜中の三時、
呼吸困難は夜中の二時、
夜中から朝に掛けて、
気持ちが悪くなったり、
息苦しくなったり、
それは三月になった今でも続いている。
近く小林医院で処方して貰った
吐き気止めの薬と吸入の薬で
何とか時を過ごしている。
昨年の七月から服用している
前立腺癌の新薬のパンフを見たら、
どうも、その副作用じゃないかと、
当てずっぽうに思ってる。
だが、担当医はそんなことはないと言ってる。
ぐだぐだ書いたけど、
書いてもしょうもないことですね。
身体って、
当人だけものなんだからね。
病のことを言葉にすると、
「お大事に」
と、言葉が返ってくる。
当人じゃないからどうしようもないものね。
でも、そこで、
身体が当人だけものでもなくなってくるんだ。
つまり、その先の身体の消失ってこと。
そこに、
名前と言葉と写真とか、
身体無き存在が残ってくる。
また記憶の中の存在になる。
家の中で、
麻理がいると、
麻理の身体が
なんやかんや
動いているのを感じて、
安心しているけど、
彼女が外出してしまって、
いなくなると、
急に、
寂しさが襲ってくるんですね。
身体の存在って、
そういうもんなんですね。
その存在が温かみってことかな。
荒井くん
たちと
宇奈月温泉にいったな
がたがたと
揺れる単線の電車に乗って
いった
田圃のなかの
小さな駅をたくさん過ぎて
荒井くんと
シンガポールや
タイや
フィリピンや
香港や中国の友人たちと
いったな
風が吹いていたな
光っていた