michio sato について

つり人です。 休みの日にはひとりで海にボートで浮かんでいます。 魚はたまに釣れますが、 糸を垂らしているのはもっとわけのわからないものを探しているのです。 ほぼ毎日、さとう三千魚の詩と毎月15日にゲストの作品を掲載します。

「夢は第二の人生である」或いは「夢は五臓六腑の疲れである」第102回

 

佐々木 眞

 
 

 

2023年4月

私は全国労働者同盟の議長に祭り上げられていたのだが、春季大会冒頭の挨拶を頼まれたので、マイクの前に立ったが、なにもいうことが無かったので、そのまま控室にもどって鏡を見たらカストロの顔になっていたので超驚いた。4/1

「便箋2枚に認めた」という原文を、「便箋2枚にしたためた」ではなく、「便箋2枚にみとめた」というたので、これは阿呆莫迦女子アか、アホ馬鹿AIのどちらかが発音したのだと分かった。4/2

我々が安気に暮していた生活の基盤、社会の岩盤が、突如ガラガラと音を立てて、崩れ去ってしまった。4/3

おらっちニセ家族の家長に祭り上げられていたんだが、ニセ家子たちを善導するどころか、シメシすらつけられないので、全員の総スカンを食らって、とんずらする羽目になっちまったんよ。4/4

企画室には、多士済々の男女が出入りしていたが、その中で一人の楚々とした美人がいたので、おらっちは彼女の細い首の上にうっすらとはえた、柔らかな羊の毛を、せっせせっせと、摘み取っていたのよ。4/5

夜の青山球場で、かの大谷選手がカっ飛ばした、超特大ホームランの球を捜せ、と厳命されたので、もう1週間近く、関東平野をさすらっている。4/6

普段は、左側が汚れているおっさんが、今日は珍しく、右側が汚れていたので、おっさんは大声でわめき散らしていたが、いばらくすると、その喚き声が、焼き場の煙突から文字になって、湧きでてきた。4/7

カエルが跳びこんだ穴の奥をよく見ると、巨大な蛇の卵が4つ5つ転がっていたので、おらっちは、日本政府の敵基地攻撃の真似をして、突き殺してやったずら。4/8

おらっちが所属している素人劇団は、演出担当の座頭不在で、主役も脇役も、毎回役者が変わるのだが、ある日突然、「アカデミー演劇賞」を受賞したので、超驚いたよ。4/9

ミラノのヴェルディに倣って、ザルツブルク音楽院に、「引退した音楽家のためのモザール養老院」が出来、蒙録した御大カラヤン翁をはじめとする大勢の音楽家が、涎を垂らしながら、徘徊するようになった。4/10

その展覧会は、世界一広い会場で開催されていたので、数多の作品の中で、息子のちっぽけな作品がどこに展示されているのかは、いつまで経巡っても、ついぞ分からなかった。4/11

目の前に「世界のサカモト」が、カラシニコフを両腕で抱えたまま通称「民主のたこつぼ」に向かって突撃していったので、おらっちも立ち上がって、後を追ったのよ。4/12

阿呆莫迦議員たちの、破廉恥な私生活を記録した動画を、当局に提出したので、全身逮捕されて、極刑に処せられた。4/13

ヨシダ組の大幹部のマスダ若頭が、物凄くおっかない血走った眼で、おらっちの胸をこづきながら迫ってくるので、おらっちはどんどん後退して、とうとう吉田組の玄関の外まで追い出されてしまったが、あにはからんや、それは組と切り離そうとする若頭の親心なのだった。4/14

夜中に帰宅したおらっちは、2人の子を寝かせて夜なべしながら妻が待っている我が家にこっそり忍びこもうといている泥棒を見つけたので、手に持った傘を思いっきり背中に突き刺してやったずら。4/15

いつのまにか、また夢の中ではお馴染みの、あの町をさ迷い歩いている。かなり離れたところに、駅があるのだが、そこから汽車に乗っても、目的地に近付くどころか、かえって遠ざかってしまうことを、私は知っている。4/16

電車に乗ろうとしても、今日はここまで、なぜか自転車でやって来てしまったので、乗ることはできない。自転車をそこらにもたせかけて、ぶらぶら歩いていると、ヤクザのようなチンピラが、「やい、こんなとこに自転車なんか勝手に置きやがって」と絡んで来た。見ると、彼の後ろには長い行列が出来ているようなので、焦る、焦る。4/16

町の中には、平安時代に造営されたと思しき三重塔のある御寺や、長い参道を有する神社があって、その参道を歩いているときに、いくつかの出会いと事件が生起したようだが、その内容は、杳として霧の中で霞んでいる。4/16

会社に夜遅く戻ると、北海道の友人が送ってくれた1本の牛乳が、私の机の上に置かれていたので、大切に家に持ち帰ったずら。4/17

またセールスの電話がかかって来たので、すぐに切ろうと思ったのだが、さかんに「ほぼほぼ」と叫ぶので、『「保母」と「ほぼ」という日本語はあっても、「ほぼほぼ」という日本語はない。恐らくボボ・ブラジルあたりからやって来た外来語だろう』と、懇切丁寧に教えてやった。4/18

この美術館では、作家たちが来展を呼び掛ける動画メッセージを上映しているのだが、いずれも最初の呼びかけが、暫くすると、各人各様の芸術的、政治的スローガンの連呼に変わっていくのが、面白いといえば面白かった。4/19

久し振りに五味家を訪れたら、ウサギの大家族が繁殖していて、1階には母親と45人の子供、2階には父親と3人の子供が分かれて住んでいて、階段には、大勢の亀さんたちが、思い思いに寝そべっていた。4/20

北から、巨大ロケットにかんする、技術提携の話がきたのだが、いろいろ考えた末に、断ったずら。4/21

死んだ父が、相変わらずハトムギチャを守って、自己解体の危機に瀕したので、コロナ以後は、「2時間を超える映画は、みな1時間半までにカットせよ」というお達しが出たらしい。4/22

私が詩集の最後の校正をしていたら、どういう訳だか自作の詩ではなく、香港の民主派の新聞『りんご日報』の2021年6月24日の、「雨の中香港の人にお別れする。また会いましょう!」という最後の記事が載っかっている。じつに不思議だ。4/23

その男は、私の壊れたラジオや空気枕など、ありとあらゆる身の周りの品々を、まるで魔法使いのように、あっという間に直してくれた。4/24

清水通りから円神神社に向かう小道は、鬱蒼とした森の中にあって、相当不気味だが、神社で賽銭を投げこむと、地下を流れる河の底に蠢く、大勢の不思議な人たちが、我がちに拾い集めている姿が見えて、一層不気味だ。。4/24

イケダノブオが、26日に「サンフランに行く」というので、つい「じゃあ一緒に行こうか」というてしまったが、別に一緒に行って、一緒になにかをするあてがあるわけでもないので、後で後悔したのよ。4/25

ベルナルト・ベルトリッチ監督から、新作映画の劇伴の作曲を頼まれたのだが、ペンを執って真っ白な楽譜に向かうたびに、坂本選手の「シェルタリング・スカイ」の主題歌が頭ん中で鳴り響くので、涙を呑んで辞退してしまった。4/26

怪しげな茶色いカクテルを、誰かれなく「飲め飲め」と強いている、不届きな野郎がいた。4/27

白いワイシャツ姿の男が、てらこ下駄屋の店先に横付けして、花柄のブラウスを着て、おそらく20代の若さに輝く母の愛子さんに、なにやらぺらぺら話しかけている。危ない!きゃつが犯人なのだ。僕は、その場に全速力で駆け付けようとする。4/28

春の長雨が続き、おらっちは引き算ばかりしているので、くだんの伯爵夫人は「どこにもお出かけできないから、あたし詰まんないわ」と、のたまわるのだった。4/28

私の右隣の女は、タイコを叩きまわっているし、左隣の女は、パチンコ台の前に座って、延々とパチンコを続けている。ところが、突然右隣の女が、左隣の女と喧嘩をおっぱじめたので、私は困ってしまった。4/29

いつのまにやら道路の上に、巨大なゴミが置かれているので、近所の人たちと一緒に調べてみたら、どうも同種同文の東アジアの民草の生活道具の一式らしいが、それがいったいどのようにしてこんなところにまでやって来たのか、については諸説紛紛だった。4/29

4年ごとに開催される映画祭にやってきたわたし。港の突提の先端には、不慮の事故で亡くなったわたしの夫の記念碑が建っているが、映画祭が終われば、誰一人訪れる人もなく、忘れ去られていくのだろう。4/30

 

2023年5月

わしは香川県動民村の出身なんじゃが、不心得者の村長が、わしの弾圧を命じ、物凄い村八分に遭わせたんで、じりじりと山間の僻地の方へと退避せんといかんかったのじゃ。5/1

夕方アパートに帰ってくると、人間の大きさのキューピー人形が、おらっちの布団をかついで階段を下りてきたので、おらっちは覚えず激怒して、不気味なキューピー人形どもを皆殺しにしてやった。5/1

せっかくワーナー映画の製作部に入ったのだが、なんでもきゃんでもオーディションに合格しないと仕事にありつけない。仕方なくサントラ・マーク監督の「汚された不在」の通行人役のオーディションを受けたら合格したので、一生懸命に務めていたら、いきなり主役に抜擢され、ヒロインと媾うことになったのよ。5/2

2人の兄がうまく取り持ってくれたので、ぼくは、やっとこさっとこ彼女とデートすることができたんだが、せっかく会ったというのに、ただのヒトコトも喋ることができへんかった。5/3

朝の5時すぎ。早く寝たのでもう起きだした長男が、疲労困憊してぐっすり寝こんでいる妻の枕を取り去り、ついでうわ掛けの毛布を、最後に敷布団まで力任せに引っ張るので、仕方なく妻は、睡眠不足の赤い目をこすりながら起き上がるしかない。5/4

私は日記に、現在と過去と2種類の話を書いていたのだが、現在も過去も、次ぎ次に過去と大過去にずれていくので、ずれていった分に、新しい現在と過去の新しい話が、次々に必要になるのだった。5/5

何十年ぶりに故郷の町に帰ってきた私は、この町の伝統であるマラソンレースに参加したのだが、案の上びりっけつでゴールインしたのだが、その時旧友の一人から、思いがけない話を聞いた。私の昔の恋人が、ここからそう遠くない隣町の炭海地区の洞穴に、1人で住んでいるというのだ。5/6

とっくの昔に誰かと結婚して、米国のLAに住んでいるはずなのに、「なんでまた?」と訊ねると、なんでもLAで暴漢に襲われて亭主が殺され、自分は重傷を負ったものの生き延びたので、帰国してからはずっとそこに住んでいるというので驚いた。さてどうしたものか?5/7

おらっちは、田舎のバッティングセンターで球拾いをして、生計を立てているのだが、時にはピッチングマシンから時速150キロで飛んできた球を撃ち返して、ホームランにしたりすることもあったが、そんな時にはいくら探しても、球は見つからないのだった。5/8

成瀬監督の私が、白い瓜実顔の新玉美千代を起用した映画「長い道」のラストシーンは、題名通り長い坂道を下って来る美千代のロングから始まり、クロースアップで終わるのだが、彼女の顔があまりにも透明で、余りにも美しいので、なかなかカットを命じることができなかった。5/9

キオスクに貼られているポスターで知ったのだが、私が知らない間に、突然今年のザルツブルク音楽祭への出演が決まったらしい。なんでも私は、メンデルスゾーンとモザール、そしてウェーベルンのピアノ曲を演奏するらしいが、はてさて、どうしたらいいのだろうか?5/10

いきなり暴漢共に襲われたおらっちは、ひとりだけうまく外に逃げ出したのだが、それを知った誰かが、後ろから追いかけて来る。ビルの階段を、下へ下へとどんどん逃げまくるおらっち。5/11

大相撲を引退した元横綱めがけて、右から左、大から小までのすべての党派が、「ぜひとも我が党から選挙に立って欲しい」と要請したのだが、元横綱は、どの党の要請にも応えることなく、吉本興業に入ったのであった。5/12

口元にマイクを突き付けられたのだが、いったい誰に向かって、何を言うたらええのか、てんで分からんかったので、チャットAIを呼び出して、「おめえ、なんか言え」と命じて、代わりに答えてもらったずら。5/13

一度将棋でいう「歩を垂らす」というのをやってみたくて、歩を垂らして1歩進んで、晴れて「ト金」になってみたら、あっというまに、名人戦に買ってしまったよ。5/14

おらっちは、その男が正論をぶつのを聞いているうちに、正論は正論で結構なのだが、その正論を、あまりにも激烈にぶちあげる、その態度がだんだん不愉快になってきて、遂には、その男を憎悪するようになってしまった。5/15

おらっちは怒り狂って、今日こそその無礼な酔いどれ詩人をぶち殺そうと、晒しに巻いた出刃包丁を懐に忍ばせてやって来たのだが、それと知った取り捲き連中が、口々に「和を以て貴しとなせ」と、まるで聖徳太子のような科白を吐くので、とうとう決行できなかったわい。5/16

原宿の会社の1階で、エレベーターに乗ろうか乗るまいかと悩んでいると、部下のヒグマが「どうかしましたか?5階に行きましょうよ」と誘うのだが、やっぱり行きたくないので、地下の食堂でお茶を飲んでいると、お気に入りのカワイコちゃんがやって来て、超ミニをモンローみたく翻してくれた。5/17

僕は、シンプルブルブルジョワジーのタカギ伯爵の海辺の別荘に招かれて、ひと夏を過ごすことになったのだが、1冊の文庫本も持たずにやって来たので、突然原因不明の不安に襲われて、おちおち休暇を楽しむどころの騒ぎではなかった。5/18

とつぜん熊本のトミカワとかいう男が電話してきて、「ウチの娘を傷モノにしやがって、いったい全体、どう始末をつけるつもりだ」と怒鳴るので、「おたくの娘さんには会ったこともありません」と返事したが、てんで納得しない。どうやら大きな誤解があるようだ。5/19

俺たちゲリラ軍は、帝国軍の兵士とほぼ同じ格好で、一緒に行軍することもあったが、彼らが右肩に銃を担いでいるのに対して、俺たちは左肩に担いでいることで、両軍の区別が可能だった。5/20

月中には、コロナ怪獣と最前線で戦っていたのだが、月末になると、到底太刀打ちできなくなってきたので、全員医局に籠城せざるを得なくなってしまったずら。5/21

わいらあ南北朝時代に、主君より好き勝手ができた実権派の武将、高師直その人やったもんで、夜な夜な公家の深窓の美女をかっ攫っては犯し、かっ攫っては犯しの「酒池肉林性活」を、何年も何年もエンジョイできたんやった。最後は殺されたけど。5/22

その社会福祉法人の施設で、私は何十年も働いてきたのだが、その間施設長は何十人も代わり、法人の経営主体さえ何度か変わったが、私と妻、そしてまだ幼い時期の面影を宿している施設利用者の息子の3人だけは、朝から晩までいつも一緒に歳をとって来たのだった。5/23

私は、その前日に青年野球の監督を辞めていたものだから、大チョンボを繰り返す選手たちを、怒鳴ったり、苛めたり、体罰を加えたり、訓導したりすることも出来ず、イライラが募るばかりだった。5/24

夢の中の夢が、暗くて部厚い雲のように覆いかぶさっているので、息苦しくて暑苦しいのは、いつもと違う頻尿材を飲んだからに違いない。ところで、今何時だろう?5/25

デザイナーのイケダノブオがやってきて、「ササキさん昼飯でも喰いませんか?」と誘うので、あれっ、「君は、サンフランシスコでソノダと一緒に仕事をしているはずじゃなかったの?」と訊ねると、「ソノダなんて、知っちゃいないっすよ」と冷たい返事なので、超驚いたずら。5/26

久し振りにマージャンをやったんやけど、おっらち、コウヘイにハネ満を振りこんでしまったい。5/27

歳のせいか、目も耳も頭も鈍くなってきたので、やむを得ず、ドタマに1発、ぴすとるの弾を撃ちこんだら、たちまちスッキリしちまったずら。5/28

故障していたテレビが、突然元通りに直ったことに関係するのかどうか分からないが、急に視力が回復して来て、物干し竿の最先端が、くっっきりと見えるようになったあ。5/29

住所録を作るために、エクセルを使わざるをえなくなったが、今までワードしか使ったことがないので、勝手が分からない。縦列全体に網目を掛けて、字体と級数を統一しようとしたら、なにかの弾みで、何丁目何番地のところが、グチャグチャになってしまったずら。5/30

光速を上回る速度で突き進んで行くと、空間がどんどん凝縮されて、葬式饅頭くらいの大きさで、白熱しているのが、観察できた。5/31

私のボールペンの筆先から、紅蓮の炎と共に、霊感に満ち満ちた御文章が発出されたのだが、その中身たるや、書いた本人すら、赤面せざるを得ないほど、無内容な代物だった。5/31

 

 

 

旅の最中

 

辻 和人

 
 

ハイ
ロー
ハイ
ロー
前に進んで
後に下がる
こかずとんのギャンギャン泣きが止まらない
洗濯にとりかかりたいのにできないよ
ハイローチェア様
出番ですよ
耳をつんざく声の主
ヒックヒック反り返らせる体を乗せて
カチッとベルト締める
ちょっと弾みをつけて
スイッチON!
耳つんざく声
だんだん弱まって
オッオッ……オッ
バタバタさせてた手がだらりと下がって
涙いっぱいの目も閉じていく
ああ、太古より赤ちゃんは移動時静かになる
移動中は危ないから騒ぐなって本能が教えてるんだって
前に進んで
後に下がる
プラマイゼロ
一歩も進んでないし一歩も下がってない
だけどこかずとん、君は今
抱っこされての旅の最中
振り落とされると危ないから静かにしようね
はぁい、くらーい森を通過中
はぁい、あかるーい平野を通過中
はぁい、あつーい砂漠を通過中
はぁい、すずしーい洞窟を通過中
進んで進んで
ひたすら進んで
はぁい、遂に眠りの国に到着
はぁい、プラマイゼロの旅、お疲れ様でした
ぽかっと開いた口からじゅるっとひと筋の涎
はぁい、まぁるい太古の顔だ
さてウンチついたベビー服手洗いするか
ハイ
ロー
ハイ
ロー

 

 

 

また旅だより 58

 

尾仲浩二

 
 

中国に来ている
ほんとうは4月に来るはずだったのに、ビザが間に合わなくて今月になった
中国のコロナ対策緩和で中国ビザセンターは大混雑
中国人の知り合いに助けてもらい、なんとか申告書提出までたどり着いた
本来なら四日後にビザは発給されるはずだったが、職業を写真家と書いたのがまずかった
滞在中はインタビューや取材は一切しないと一筆書かされ、大使館回しとなってしまった
報道カメラマンではないと説明したが無駄だった
ビザの発給日は不明、パスポートは預けたままセンターからの連絡を待つように言われた
困った。10日後には福岡から釜山に行くことになっている
しかもその前に福岡へ横須賀からのフェリーボートで行き、親戚の集まりもある
船もホテルも飛行機もずいぶん前に予約してある
実に困った、すべてキャンセルして、東京で連絡を待つか
いや、ここは一か八かで計画どおりに実行することにした
果たして、ビザセンターからの連絡は韓国へ渡る3日前に来た
翌日に知り合いに受け取りに行ってもらい、すぐに速達で発送
韓国出航前日の夕方、ビザが貼られたパスポートを無事受け取った

そして今、抗州のとある骨董茶房でこの原稿を書いている
次回の中国はビザなし渡航に戻っていることを願って

2023年6月14日 中国杭州にて

 


スイカは中国 プリクラは韓国 遊具は福岡です 次回はフランスからになります!


追加でここでテキストを書いてる写真も

 

 

 

心から心へ

西暦2023年皐月廿日銕仙会能楽研修所にて
青山実験工房第7回公演「追善・一柳慧」を4時間半立て膝で見聞きして

 

佐々木 眞

 

 

これは昨年10月に急逝された敬愛する作曲家を追悼する催しの、駆け足レポートです。

敬愛する音楽家が、多数登場する異色のコンサートとあれば、万難を排して駆けつけねばなりませんが、期待以上の感動的な音楽会でした。

まずバーバラ・モンク=フェルドマン構成・作曲による世界初演の「松の風吹くとき」では、高橋アキの研ぎ澄まされた感性と熱演が、劇空間と時間の全体を終始完璧にコントロールしていました。

ワキ西村高夫、シテ清水寛二の朗詠と能舞で、小野小町の3つの和歌が朗詠されるなか、高橋アキのピアノが、西洋音楽の主旋律と能の謡、地謡、囃子の劇伴を、同時並行かつ重層的に奏でる和洋折衷の新世界は、まことにエキサイティングでありました。

ただ、小町の世界に「羽衣」を不器用に接ぎ木したような能舞や、突如登場した鳳凰?の模型を、シテからワキへと手渡したりする直截的な演出に対しては、古典的な能の世界に馴染んできた観客は、多少の違和感を覚えたことでしょう。もっとも、それが演出家の狙いかも知れませんが。

トイレに並んでいうちに終わってしまった短い休憩の後で、慌ただしく第2部が始まります。なんせ猛烈に中身の濃い演目が、出番を待って犇めきあっているのです。

まずは前衛音楽の世界の重鎮、高橋悠治御大へのインタビューから。
御年84歳ながら、お洒落でシックな服装が素敵です。

「米国で映画音楽を手掛けると一流に非ず、というのが常識だったのに、わが国では武満、黛、林などの現代音楽家が挙って手掛けるのは不可解だ」と米国では言うておった、というような証言が印象に残りましたが、前日と同じ演題では、思い出噺もしんどいですよね。

次は1994年生まれの超若手作曲家、森円花の「神話 独奏ヴァイオリンのために」を甲斐史子が独奏しました。どんどん良く鳴る法華の太鼓、いつ終わるとも知れないアレグロの、テープの張られないゴールに向かって、莫大な熱量で爆走する巨大な行進に拳を握りしめて、「そうだ、そうだ、どこまでも、どこどこまでも突き進めえ!」と、胸の奥で怒鳴っているうちに、白内障でろくに見えない左目から、突如涙が噴き出してきたのには、いささか驚きました。

私は古典音楽では、かのチェリビダッケ&読響の生演奏に絶叫し、涙したことはありますが、現代音楽で泣いたのは、生まれて初めて。彼女が「一柳賞」を獲ったのも宜なるかな。この若き作曲家と、この物凄いヴァイオリニストの名前を、心の中でがっつり銘記したことでした。

息つく間もなく、今度は御大高橋悠治選手の登場で、一柳慧作曲の「イン・メモリー・オヴ・ジョン・ケージ」が、悠揚迫らぬ風格を保ちながら、演奏される。
終わり近くに御大突然立ち上がってピアノの中を弄ったのち、バアーンと全体重を掛けて「思い出を閉じた」あたりは、いかにも<ケージー=一柳=悠治>の濃密な交わりを象徴しているようで、それはそれは特別な瞬間でした。

甲斐史子のヴァイオリンと高橋アキのピアノで、やはりジョン・ケージの「ノクターン」、続いて石川高の笙、甲斐史子のヴァイオリンと清水寛二の能舞で、一柳慧の「月の変容」が奏された後で、メゾソプラノの波多野睦美が登場し、高橋悠治の伴奏で彼が作曲した「黒い河」が演奏されました。

これは解説によると、アムール川のほとりの日本人収容所で1954年に病死した俳人山本幡男による8つの俳句に基づく作品ですが、俳句の四季の循環を再現するように、舞台に円弧を描いて移動しながら歌う波多野睦美の、故人への深い思い入れが印象に残りました。

次が一柳慧の「限りなき湧水」です。タイトル通りに高橋アキが、ピアノが壊れんばかりに、力奏、力演また力奏。これほど勁い思いで書かれた激烈な音楽を、私は初めて耳にしながら、ビアニストの指と、ピアノの無事を切に祈っておりました。

まだまだコンサートは続きに続いて、またまた世界初演曲が登場! 殺された長男元雅の死を悼んで父世阿弥が書いた追悼文に拠る高橋悠治の「夢跡一紙」です。

これは波多野睦美のメゾと清水寛二の朗読、高橋悠治のピアノで演奏されましたが、ここでは能で鍛えた清水寛二の<声>の力が圧倒的。最近はよく詩人がみだりに朗読するようですが、まずは謡曲で喉を鍛錬してからがよさそうです。

さうして、ようやくやってきたのが今日のマチネーのオオトリ、一柳慧の図形楽譜に拠る「アプローチ」です。(この楽譜は1972年に製作されたそうですから、もしかすると、私がその頃の原宿で、ある日あるとき、ほんの一瞬だけ拝見させて頂いた楽譜の中にあったものかもしれないぞ)。

なんせ音楽の全体像に対する図形と漢字による表示はあっても、オアマジャクシがないのだから、石川高、甲斐史子、清水寛二、高橋アキ、高橋悠治、波多野睦美の全出演者が、思い思いに能舞台に現れ出てきても、誰が何を「アプローチ」するのかは、決まっていない。はずである。

それでも、いちおうのリーダー役は高橋アキ選手が司っているらしく、彼女が大声をあげてドラムを叩いたり、その綿棒でピアノの底面を叩いたり、高橋悠治が死んだ振りをして柱に寄りかかったり、清水寛二がピンポン球を客席に飛ばしたり、いきなり窓を開いて午後4時の陽光を招き入れたり、全員が三々五々やたら動き回ったりする姿を見ていると、既成のコンサートホールの音楽のありようを否定して、なんとか「アナーキーな非音楽的音楽状態」を立ちあげようとした一柳慧選手の心中の意図だけは理会できた、ように思ったことでした。

「でんでん太鼓」に「ガラガラ」で対抗しようとする高橋兄妹のユーモラスな顔と顔を、楽しく見物しているうちに、はしなくも私が思い出したのは、かのチャプリンとキートンが芸人根性でシノギを削った映画「ライムライト」でありました。

あそこでは、ヴァイオリンとピアノを破壊しての激烈な音楽バトルが繰り広げられましたが、もしかすると、一柳選手の図形楽譜の端っこには、そんなハチャメチャ・スラップスティック像が想定されていたのかもしれない。

とまれかくまれ、皆さんお手を拝借。過ぎてしまえば、いずれは演じた人も、見た人も、誰もが忘却してしまうであろう、一期一会の夢のコンサートに万歳三唱!!!

 
 

   その昔“昭和の世阿弥”が出入りした銕仙会で「現音」を聴く 蝶人

 

 

 

ドクダミのうた

 

工藤冬里

 
 

場所がないので猫を抱いた
歌がないので歌を聴いた
光がないので女になった
愛がないので蛍を数えた
さわれないので木星を見た
悪がないのでドクダミを貼った
スペリオールに出ていた乾麺を5分茹でた
うすくらやみに白い十字のドクダミが看護婦のように浮かび上がっていた

遠くの信号が青になり
最期の蛍は泪のように消えた
蛙の弔いの声が永く続いた

 

 

 

#poetry #rock musician

コメディア・デラルテ *

 

さとう三千魚

 
 

小雨の
まだ

降っていた

女は

西の街の
ショッピングモールに出かけていった

クルマでいった

わたしは
モコといた

カレーパウダーと
クミンと

オリーブオイルと
ハニーバターミックスナッツは

買ってきて

女に
言った

庭の金木犀の木立の下に
カサブランカは

いた

緑の花芽は雨に濡れていた
膨らんでいた

佇ってた

 
 

* 高橋悠治のCD「サティ・ピアノ曲集 02 諧謔の時代」”スポーツとあそび” より

 

 

 

#poetry #no poetry,no life