広瀬 勉
#photograph #photographer #concrete block wall
あまり書きたくない。
したがって読みたくもないだろう。
しかし、夢の記憶の中で重きを置いているので、通過儀礼としても書かなければならない。
とても多い。
夢の中のかなりの比重を占めている。
したがっていろんなパターンがある。
大きく分けると、ふたつ。
ひとつは、トイレを探している。
ふたつめは、汚泥の中を泳いでいる。
筆は進まないのに、膨大な夢の記憶がある。
しょうがないので、それぞれに三つづつ書くことにしよう。
三つということに特に意味はない。
トイレを探している。
その1。
その2。
その3。
汚泥の中を泳いでいる。
その1。
川、運河、人工河川。
流されてゆく。
その2。
その3。
と、ここまでというか、後で書こうと思い、題目だけメモった。元々筆が進まないので、ぼんやりとした時間だけが進む。
ふと、たけちゃんのことを書こうと思う。
たけちゃんのうちは貧乏だった。
トイレが、うちの外にあった。
便器は大きな壺で、壺の三分の二くらいが土に埋まっていた。
扉はあったが、腰扉だった。
僕はここで用を足したことはないが、ほぼ野糞と変わらない。
田舎ではない。家の前は飯田街道、角地なのでトイレのある方も道に塩付通に面している。人の往来は多い。
たけちゃんは、僕の小学校の時の同級生、僕のうちから飯田街道を挟んで向こう三軒に住んでいた。小学校の時のと接頭語を付けたのには意味がある。たけちゃんは中学生になったのかどうか記憶が無い。たけちゃんは、その辺あたり、つまり小学生から中学生になるはざま、春休みでは無いが、小学校卒業してから中学校が始まるそのはざま、そして中学校が始まっても中学生としてのたけちゃんの記憶は無い。もうすでに中学校に通う体力が無かったのか、そしてそのはざまあたりにたけちゃんは死んだ。死因は栄養失調だった。たけちゃんは映画どですかでんに出てくる主役の少年に姿形がとても良く似ている。
計算すると、たけちゃんが死んだのは1965年くらいかな。僕がたけちゃんのうちの前に引っ越したのは、小学校に上がると同時だったから、六年間ぐらいは一緒によく遊んだ。
たけちゃんは六年生の時、突然引っ越しをした。正確にはたけちゃんの家族全員が引っ越しをした。
と、ここまで書いて、たけちゃんのことを書いたメモがあることを思い出し、iPad のメモ内をたけちゃんで検索してみると、見つかった。今回は、排便つながりで、たけちゃんのうちのトイレの記憶から、たけちゃんのことを書こうと思ったが、見つかったメモとほぼ同じなので、それをそのままコピーして貼り付けます。重複した箇所や、たけちゃんのうちの便器のことを壺と言ったり、甕と言ったりしているが、これから書こうとする内容がほぼ一致しているので。ややこしいが、こうやって、記憶を辿るという行為は、夢の記憶を辿ることと同じことだと思っている。たまたま見つかったのはiPad のメモ内だが、僕の記憶では、それとは別にさらに過去に数回は書いた記憶があるので、そのメモも探したい。単なる白紙に書いたメモや、原稿用紙のもあると思う。
以下が今回見つけた昔に書いたたけちゃんのことについてのメモです。(どうやら、この時の記憶のきっかけは、傘だったようです。)
『もちろん、僕らが学校に通う時は、番傘の子はいなかったと思う。蝙蝠傘、黒くて、厚い布の濡れるとけっこう重いやつです。
向かいのたけちゃんの家が蝙蝠傘の修理屋だった。たけちゃんとはよく遊んだ。
でも、傘を直してもらった記憶もないし、おそらく、そういうことになっていただけのような気がする。
気がするというか、大人になってみて、分かった。
たけちゃんの家は知らない男の人たちが、入れ替わり出入りしていた。
たけちゃんのお母さんは売春婦で、売春宿だったんだ。
トイレは、外に甕が埋めてあって、それだけだった。一応扉はついていたが、腰までの扉だった。
たけちゃん一家は、僕たちが12歳くらいの時、引っ越しをした。川名中学校の近くにあるアパートだった。役場が、貧困家庭用に用意した施設でもあった。
ぼくも中学生になって、川名中学校に通うようになって、たけちゃんの家に行ったこともある。小綺麗だった。
数ヶ月後に、たけちゃんは死んだ。栄養失調とのことだった。
ちょっと戻る。
たけちゃんが、引っ越ししたあと、たけちゃんの家が解体される前に、同い年の友達数人で、探検に行った。探検というより、ボロ屋に入るのは子供達にとっては単に面白い遊びだった。
腐った畳というか、土のたたきというか、あまり区別もできないほど、建物の中は荒れ果てていたが、おそらく、一家はたけちゃんを入れて5人くらい。こんなところで生活していたんだ。考えてみると、たけちゃんとはよく遊んだが、家の中に入ったことはなかった。
ただ、僕たちは、嬉々となって、探索すると、大量の注射針が見つかった。僕たちは、宝物を探し当てたように、腐った畳や土をほじくってはいっぱい集めた。
大人になって考えてみると、おそらくは、たけちゃんのお父さんとかお母さんは、ヘロインとかヒロポンの中毒者だったのだろう。』
以上が昔、たけちゃんについて書いたメモ。
相変わらず、汚泥の夢の記憶については筆が進まない。
しかし、なぜ、たけちゃんのことを思い出したのだろう。
やはり、たけちゃんのうちの便器…だろうなあ。
猫を抱いて朝を待つ
眠れないんだ
猫を撫でて朝を待つ
餌を欲しがり鳴いている
言いようのない憂鬱が
僕を包む
夜が続くのを願った
幸せな人ってどんな人なんだろう
何を手にしたら幸せになれるんだろう
静かに猫に話しかける
猫はあくびをして目を閉じる
ドアを開けたら ああ・・・とうとう あの 娘(コ)が 玄関に 立っていた
薄いピンクの マスクなど 付けて・・・
「お久しぶり」「お久しぶりですネッ!」
(その ネッ!っていう 感じが いかにも 親しげで イヤ〜!)
親しげだというのに まったく 笑顔というものが ない・・・
お若いのにね・・・どこまでも 無愛想な 訪問看護師さんの 〇〇さん・・・
(ああッ・・・ホントウに 無愛想で イヤだなぁ〜!)
「どうぞ おあがりください」
「はい はい」
(ああッ・・・その靴の雑な脱ぎ方 ホントウに 無愛想で イヤだなぁ〜!)
あまりにも 無愛想過ぎて つくづく
(ムダな 30分間を 過ごしたなぁ〜)と 猛烈に感じて 訪問看護ステーションの
所長さんに 「あの 〇〇さんという 看護師さんだけは わたしに 派遣しないで
ください!!」と 電話をしかけた わたしだった・・・
その〇〇さん わたしの部屋に 入るなり
サッサと 足をくずして
サッサと 羽根さえ 伸ばしているようだった・・・
(ああ そのくつろぎ方・・・ホントウに 無愛想で イヤだなぁ〜!)
(無愛想〜!無愛想〜!無愛想〜!無愛想〜!無愛想〜!)
わたしは 訪ねてくる どの訪問看護師さんより 30歳くらい年上なので どの娘(コ)たちにも むすめみたいに 気を遣いながら 接してきたつもり だったのだが・・・
(申し訳ないが この看護師さんだけは ダメ〜!!)
「まず バイタル(血圧・脈拍・体温)を 測定しましょう!!」
わたしの腕に ゴムのチューブを ギューッと 巻き付けて
「血圧 上 128 下 86 はい 問題ナシ!」と 彼女は言った
(その 無愛想で 勝ち誇ったような 感じ 何だか とっても イヤだなぁ〜!)
ところが彼女・・・そのあと 脈拍・体温の測定を終えてから アパートの部屋の
斜め上の 空間を そっと 見上げながら
「実は ワタシには 100万個くらいの 悩みが あるんです よ・・・」と わたしに
言った・・・・
「100万個ですか それは ずいぶん 多くないですか?」
「はい ものすごく 多いんです・・・」
「失礼ですが あの どのような 悩みを 抱えていらっしゃるのですか・・・?」
「訪問看護ステーションの 看護師さんたちって 〇〇さんも 〇〇さんも 誰もが
看護師さんらしい 看護師さんじゃありませんか・・・?
ところが ワタシときたら・・・」
(ははーん この看護師さん 無愛想過ぎて 訪問看護ステーションに クレームが 相当 殺到しているのに 違いないな!)
「ワタシ その100万個の悩みを 1つずつ つぶして なんていうか 自己肯定っていうんですか・・・毎日 そういう事に 取り組んでいるんです・・・」
よく見ると 彼女の瞼には 薄く 銀の真珠の粉が塗られている・・・
(ああ 彼女 は 軽くお化粧を してきて いるんだな それに 彼女の睫毛には
気のせいかもしれないけれど 泪のようなものが 少し滲んでいる ような・・・)
(ああ 〇〇さん・・・100万個の悩みの事は 少しずつ 彼女の 親しい
女ともだちだけに 打ち明けてきているんだろうなぁ・・・)
そんな 彼女の 仕草を見つめていたら
わたし 何だか その娘(コ)が 少しずつ カワイクなって きちゃったんだ な・・・
「どんなお宅に 訪問するたびにも 胸の鼓動が 激しく鳴ってしまって・・・
あの お願いなんですが ワタシの・・・左の胸の上に そうっと 手を 置いてみて
もらえませんか?」
「えぇッ!! 左の胸の上に?」
わたしは 重い精神疾患を 患っているから 男性性なんて 既に すっかり 失っているのだけれど・・・だから 言われるままに 彼女の 左の胸の上に 手を 置いて
みた
「ああ 確かに 静かな鼓動が 伝わってきます ね」 そうして わたしは 重い
精神疾患者だといいながらも イタズラごころで 彼女の乳首も ちょっと つまんで
みた よ
「ああ 乳首はダメです これでも 敏感な ほうなんですから・・・」
わたしは真珠の粉が 薄く 塗ってある 彼女の瞼を じっと 見つめた
そうしたら 去年の10月 わたしが通っている 作業所のメンバーで 茨城県・大洗の水族館に 行った事を 思い出してしまった・・・
わたしは 体調が悪くて うまく歩けなかったので 受け付けで 車イスを借りて
女性スタッフの 鈴岡さんに ゆっくり 車イスを 押してもらいながら 幅広い通路の水族館を泳いでいる 魚たちを 眺めていったのだった
(ああ 広い 水族館には 小魚たちが 気もち良さそうに 右に左に 上に下に
群がって キレイに 回遊しているなぁ あの 銀色に輝く 小魚たちは きっと イワシたちなんだろうなぁ・・・)
(あの たくさんのイワシたちは たくさんの たくさんの 銀色の粒々のように 見える
よなぁ・・・)
「ああ 魚たち いっぱい 泳いでいるわねぇ とっても とっても キレイねぇ・・・」と スタッフの鈴岡さんも 感嘆していた
あの 銀色の 粒子のような イワシたち それが 今日 訪れた 訪問看護師
〇〇さんの 薄いお化粧に すっかり 重なって わたしには 感じられてしまったの
だった・・・
それから わたしは アパートの部屋の 斜め上の 空間を ずっと 見上げている
訪問看護師さんの 〇〇さんに 思わず 話しかけていたのだった
「ああ・・・アナタは とても 素敵な ヒトだなぁと感じますよ 1人の 女性としても
とても 素敵だと感じるし 1人の 訪問看護師さんとしても とても 素敵だなぁ・・・と
感じますよ!」
「えぇっ ホントウですか!?」
そのとき わたしは ふと 彼女の 「乳首」についての 話を 思い出した
(ああ 〇〇さんの その 敏感な乳首・・・おそらく 彼女には 彼女が寄り添う
素敵な 彼氏が いるのだろう なぁ・・・)
(だから 〇〇さんは あまり多くを わたしに 語らないのかもしれない なぁ・・・)
「ホントウです とっても失礼ながら 今頃になって わたしは アナタの魅力を
しっかりと 感じたようなんです よ」
「じゃあ こんな ワタシでも また 訪問看護に来ても いいんですか・・・?」
「モチロンですよ!」
わたしは 彼女の右手を取って
「良かったら 訪問看護師さんとしてだけではなく わたしの・・・お友だちにも なって いただけませんか・・・?」
・・・・・・・・・・・
「・・・ハイ ワタシで良ければ」
それから わたしたちは LINEの交換をして お互いに 笑いあった
「アナタは シフトがいろいろあって なかなか 都合がつかないでしょうから アナタの 時間が空きそうなときに 連絡をください ご覧の通り わたしは こんなふうに
1日中 横になっていることが 多いんですから・・・」
「・・・ハイ 連絡します ネ」
(ああ もう 無愛想な感じが しないなぁ〜 それは 何だか 随分と 不思議な事
だなぁ〜!!)
「この近くの 荒川沿いに 千本桜という 広くて キレイな 公園が あるんです
モチロン 今の時期 サクラは 咲いていませんが・・・そこに いっしょに 行って
みませんか?」
「とっても キレイそうです ネ その千本桜という公園 行ってみたいです」
「もしも 千本桜という公園で わたしたちが 手をつないで 歩いてみたら・・・
わたしたちは どんなふうに 見えるのかなぁ〜・・・」
「手をつないでいても・・・やっぱり 親子に 見えるのかしら でも ワタシ とっても 楽しみにしています!」
それから 彼女は 玄関のドアを開けて 次の訪問先へと 向かっていった
ときどき こちらを 振り返りながら
・・・・・・・・・・・・・・・・
ああ そのような事を 「詩」に 書きとめている わたし
この詩が みじかい 人情噺に 終わってしまわない事を わたしは 強く 願っているワケです・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・
(ああ・・・愛しあい方にも いろいろ あるんだなぁ〜!!)って ネ
今朝も
モコに起こされた
一度
3時に起こされて
おしっこに
連れていった
庭に降ろすと
モコは
暗闇にしゃがんで
した
それで
ベッドに戻って眠った
次は
6時だった
もう
外は明るかった
大風が過ぎて空は晴れわたっていた
洗濯機をまわした
録画してあった中村哲さん追悼のアフガンのドキュメンタリーを見た
「武器ではなく 命の水を」
というタイトルの映像だった
“彼らには分からぬ幸せと喜びが、地上にはある。” *
“乾いた大地で水を得て、歓喜する者の気持ちを我々は知っている。” *
中村哲さんの手記が
テロップで流されていた
“彼ら”
とは
アメリカや日本や連合国の人たちだったろう
“長い戦乱の後の干ばつで喰うものもない者たちの上に爆弾を降らせるのか”と中村哲さんは語っていた
午後には
RC寺田の息子さんに電話して
クルマの切れたテールランプを交換してもらった
古いクルマだからランプカバーを固定するボルトが錆びて固まっていた
息子さんはクルマの下に潜り込んで
汗と埃にまみれて
ランプを交換してくれた
帰って
夕方に
モコと
散歩にいった
西の山の上の群青の空に星が光っていた
金星だった
いつだったか
桑原正彦が電話で”光だ”と言っていた
光だった
光っていた
* NHKドキュメンタリー「武器ではなく 命の水を」から引用しました
#poetry #no poetry,no life