michio sato について

つり人です。 休みの日にはひとりで海にボートで浮かんでいます。 魚はたまに釣れますが、 糸を垂らしているのはもっとわけのわからないものを探しているのです。 ほぼ毎日、さとう三千魚の詩と毎月15日にゲストの作品を掲載します。

小石を拾う

 

さとう三千魚

 
 

昨日は
立石の

二人展の後に *
駅前のブンカ堂で飲んだ

それから
桑原正彦の墓所に向かった **

立石の
桑原の

墓石に水を掛けた
手を合わせていた

墓石の下の
小石を拾い

ポケットに入れて
最終の新幹線で帰ってきた

今朝
義母の仏壇の

大日の足元に石を置いた
そこには

一昨年
女と登った

不二の小石もふたつ置いてある

赤い石と
黒い石と

溶岩石を置いてある

去年の
出雲崎の良寛記念館の

裏庭の
拾った瓦の欠片も

置いてある
小石や瓦はそこにある

あることのほかにはない

記憶が
曖昧になって

いる

亡き者たちを抱いて
無き者になっている

 

* 二人展:つげ忠男 × 中里和人 二人展「東京原風景・サブが居た街」のこと
** 桑原正彦:画家 桑原正彦のこと

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

光市

 

工藤冬里

 
 

家々の色はとりどりで
晴れ晴れとはしていないけれども
とりどりで
クラフトマッコリのブリューワリーもあり
中国名の寸劇が街を覆う

分裂症つまり統合失調症が全体性への無理矢理の回復であるとしたらそれは、 部分と部分を劇的に結びつけようとするという点で知恵と似ている。 資本主義が全体主義に吸い取られる際に使われる物語がおどろくほど無理矢理で劇的なのはそのためである。

角谷の箴言めいた口調
例えば道を歩きながら「すべてに逆説がある」

ゑでぃまあこんのハロー警報はニルヴァーナの後だったが、 角谷のハローシカはソ連邦崩壊前だった。《故に》角谷はソ連邦を崩壊させたのだ。

 

 

 

#poetry #rock musician

準備

 

道 ケージ

 

春、午前一時
ゴミ出しで
廊下に出ようとすると
電話をとった妻が
お母さん亡くなったって

そうか、と廊下に出る
途端
ものすごい号泣
息が詰まるほどだ
崩れ落ち
こんなに泣くのかよと思う自分

息苦しくて
起きる

夢だった
福岡の兄にライン
あゝそう
「こっちは大事ないたい
すっかり誰が誰ともわからなくなったが
口から食べられるごとなった
ケージは? とも言ったったい」

昨夏、危篤、救急車に同乗
覚悟した
春、驚くほどの回復
ゼリーを食べた!
夏、また会う直前
本当に亡くなってしまった

棺におさまる母
こんなんなっちゃって
父への母の言葉
嗚咽

まぁ号泣はしない
ホッペを触る
冷たい

  いまさら孝行息子でもあるまい。よせやい。泣いたらウソだ。涙はウソだ…
  いまにも、嗚咽が出そうになるのだ。
  私は実に閉口した。(太宰治「故郷」改)

嘘だ嘘だ
泣くのはよしにして
飲みに行く

ついでに吉野ヶ里
カメに入った大王は
丸まって笑みをもらす

刀剣は出ない
印章は出ない
ここに卑弥呼はいないよ
汗だくの元自衛官のガイドが笑う

蚊をつぶす