michio sato について

つり人です。 休みの日にはひとりで海にボートで浮かんでいます。 魚はたまに釣れますが、 糸を垂らしているのはもっとわけのわからないものを探しているのです。 ほぼ毎日、さとう三千魚の詩と毎月15日にゲストの作品を掲載します。

叫び

 

みわ はるか

 
 

19時からの天気予報。
この冬一番の寒気が流れ込むでしょうと伝えている。
ん、その言葉数週間前にも聞いたような。
また雪か、ふぅ~と大きなため息がどうしても出てしまう。
雪は苦手だ。
きれいでワクワクするなんて言う人もいるけれど、わたしはどうしてもその気持ちを理解することができない。
道は凍る、滑る、事故が増える、厚着での外出を余儀なくされる、車の雪かきのために早目に起きなければならない、重い灯油を定期的に購入しなければならない、家の中はジメジメする、空は暗い、そして心はもっと暗い。
この土地に来る前は、住めば都かなと思ったりしたが、わたしにはそうはならなかった。
ここを出られることに、心の奥でほっとしている。
街は小京都のようで美しいけれど、それ以上にわたしには耐えがたい環境だった。
待ち望んだ春、短い夏、忘れられた秋、長すぎる冬。

夏が好きだ。
暑中お見舞いにデザインされている風鈴、金魚、浴衣、朝顔、センス、虫取り網を眺めていると心が躍る。
だから、玄関には年中夏の装飾品を置いている。
我が室内に四季はない。
うだるような太陽の下を歩いてたどり着いた喫茶店。
カランカランと押したドアの先はひんやりした空間が広がっている。
そこで飲むメロンソーダの美味しいこと。
サクランボは先に食べてしまう。
髪を上手に結ってアップにする。
首筋を1滴の汗が滴り落ちる。
花火が描かれた淡い青い浴衣の若者たち。
暑い暑いと言いながらも楽しそうに会話しながら歩いている。
「氷」と書かれた店の前で立ち止まる。
何のシロップにしようか真剣に悩んでいる。
ブルーハワイが人気のようだ。
薄着で、ぴょーんと外に出られる。
紫外線は気になるけれど、靴下を身に着けずサンダルでスタスタ歩くのは最高だ。
冷房がまだなかった小学生時代。
下敷きで風を作った。
あまりにも乱暴だとプラスチックのそれは無残にも割れた。
教科書をうちわ代わりにするには重すぎた。
すぐに新しい下敷きを買いに走ったっけな。

夏の写真をよく見る。
夏に着たい服をネットで検索してみる。
夏の予定を考えてみる。
あー、とりあえず京都に行きたい。

心のモヤモヤをただただ言葉にしただけの文章になってしまった。
ご愛敬。

 

 

 

歯車

 

塔島ひろみ

 
 

町はずれの川のほとりに障害者通所施設があり
喫茶店併設のしゃれたパン屋を運営し おいしいパンを焼いている
そこへつづく道は「ふれあい通り」として整備され
区の木や鳥を描いたオブジェが置かれている
バターの匂いが漂っている
そばの◯◯ギヤー製作所では歯車を作る
私はそこで生まれた歯車である
いっしょに生まれたぴったりかみ合う歯車と
近くの工場に納品された
来る日も来る日も
まわってまわって
かんでかんで
まわしてまわして
その回転の流れのずっと先で
なにかとても大切なものが たぶんできた
社会に役立つものが きっとできた
私は早くに死に
死んだまま彼女をまわしつづけた
生きていても死んでいても
歯車の仕事は同じだった
死んだまま彼女とかみあい
まわっていた
彼女は吐きそうな様子だった
彼女はもう私の目を見なかった
死んだ私に回されながら
となりの歯車を彼女は回し
ずっと先の方をじっと見ていた
静かに回りながら見つめていた
私たちが作りだしているものが
彼女には見えているのかもしれなかった
パン屋から漂う香りの先
その先を流れる大きな川 その川の流れのずっと先にできた何かを
私たちがつくった何かを
彼女は見ていた

 
 

(2月某日 南汐ふれあい通りにて)

 

 

 

笑顔

 

たいい りょう

 
 

あの子は
夢の中にいた

美しい容姿のまま
涼しげな眼差し

そっと笑顔で
語りかけた
    「お父さん」と

私は沈黙のまま
微笑み返した

あの子は
生きていた
私の中に
生きていた

これからも
生き続ける

穏やかな微笑みを
私にくれながら

 

 

 

アサイ アサイ アサヒ アサヒ
クライ クライ ウクライナ ウクライナ

 

工藤冬里

 
 

ウクライナの友人が僕のお碗を持って何か言いたげな顔をしています
どうなんでしょうね
ロッシャは

ウクライナ暗いなう
ウクライナ行くなウラ
ウクライナ無い楽う
ウクライナ裏食いな

https://www.facebook.com/1055252466/posts/10220349714427044/?d=n
意地でも戦争のことを云わない。手のことだけだ。焼き物屋は妻もアナーキーになるのか知らん
https://www.instagram.com/p/B-fqCwcDihL/?utm_medium=copy_link&fbclid=IwAR0jGoexzVj5L1W3Mh_55PLydvE8I89Atg9Xe_M-U0EJV-nswlbni2BfTUc

ただそれも侵攻当日までのことだった

アサイ アサイ アサイ アサヒ
クライ クライ ウクライナ ウクライナ

ナポレオン戦争に始まり第二次大戦前後ひいては「ジャズ喫茶マイナー」に至る様々に穿った総括から、過去を変えることができるということを私達は学んだ。
現在も過去に含まれる。未来を変えることはできないが思い込みによって現在を変えることはできる。様々な言説が並び立つのはそのためである。
第三次大戦という箱を未来から持ってくることはできる。そのためには未来のプーチンが箱を現在に送り返すことを選択しなければならない。もしその選択をしないなら、箱だけ残って、プーチンもその閣僚も、ひいては宇宙全体も消滅する。プーチンの自由意志とはそのようなものなのである。

不意に訪れる挑戦
ドライバー次第である
警備員はカイロを7枚貼っていたが
ガードレールは霧に包まれ
乳白の飲料は尖った峰に対抗する優しさだった
正しさについては決して論うことはなかった
家に火の玉が落ちることは願った
春霞は白梅を包んだ
觔斗雲

肩が治らないのは怒りから来ている

反陰謀論と陰謀論がセットで大海のイデオロギーを構成し、そこと飾りの地との中間に設ける野営地がプーチンの場所である。彼を助けるものは誰もいない。

戦争反対を叫ぶ人はメギドの戦いにも反対するだろうし、戦争賛成を叫ぶ人は平気で神と戦うことになるのだろう。どちらも身体のストレスに対する誤解が関係している。平和はストレス・ゼロの弛緩ではありえず、安全はバランスの問題ではない。ドネツクからの、見事に相反するふたつのビデオプロバガンダを見て考えてほしい。プーチンが悪でゼレンスキーが善なのではない。プーチンとゼレンスキーは悪の南北なのである。
https://www.bbc.com/japanese/video-60542957https://www.facebook.com/norionakadate/videos/471436484623651

もし自分がウクライナ人だとしたら、18歳以上60歳未満の男は防衛のために戦わなければならず国を出ることが出来ないので、周囲の愛国的雰囲気の中、自分にとっての直接の抑圧者はロシアではなくまずゼレンスキーということになる。

 

 

 

#poetry #rock musician

2022年2月ウクライナに思う

 

ヒヨコブタ

 
 

あの緑色のような明るい光が飛び交うのを
ぼんやり眺めていたころ
わたしはまだこどもだった
戦争体験を聴くことも多かったころだ
それでもいったい世界で何が起こっているのか
わからずにいた
緑のような光のもとでどのくらいの人が傷つけられているのかすらわからずにいた

戦争というのはいったい
侵略というのはいったい
人からあらゆるものを奪うことはいったい

わたしには一生解せぬ考えや行為

誰一人として死んでほしくないせめて今日だけは
子どもの頃からの祈りを
いつもこころに秘めているというのに
それは打ち砕かれ、嘲笑うように破壊されていく

傲慢な考えだと友がわたしにいったのは
当たっているかもしれない
子どもじみて上から目線だと

総てが大人になった人間の合理性からは
かけはなれているのだから
言われても泣くことしかできない
それでも下を向いて踏ん張っているじぶんがいる

戦争はだめだ
と思うとき
あの無言の背中を思い出す
あの人はその体験をなにも語らなかった
子どもである人達もなにも知らない
ただ、壮絶な死と隣り合わせだったろう
他の人を振り落としてでも還ってきたのだろう
あの人がいた国が、今侵略と攻撃のただなかにいる
わたしに何ができるだろうか
おこがましくていい
そう嗤うなら嗤えばいい
わたしの大事なこころは
悲しみにいつも寄り添うだけのゆとりを持っていたいんだ

 

 

 

島影 40

 

白石ちえこ

 
 


千葉県旭市

 

旧道沿いの食堂のテレビ。
ふいに目を疑うような映像が飛び込んできた。
ビールを飲んでいたおじさんが、チャンネルを野球に変えろ、と言った。
そこにいた誰もが、現実のことだと思わなかった。
2001年9月11日のこと。

翌朝、窓から太平洋を見ていた。
水平線が見えた。
海の向こうには空しか見えなかった。
いつもと同じ。
胸が苦しくなった。
今も、胸がざわざわしている。