広瀬 勉
#photograph #photographer #concrete block wall
桜が咲き誇る日を遠い目で眺めていたときはすぎ
沿道のツツジは満開に。
春から夏へと移りゆく時季を待ち望んでいたのは
少しでもよい兆しを待っていたからだろう。
かなしみに押しつぶされそうなニュースが続くのはなぜだろう。
あまりに、あまりに。
時間の経過とともに癒されるということをわたしじしん信じて生きてきた。
生きていられるうちには喜びが感じられることを信じ続けてきた。
少しの喜びでいいのだ。大きなものを望むとき、人は尊大になりすぎる。
歴史というのは何かと考える。
人のあり方について考える。
今なお戦禍にある人たちに尊大になってはならないと戒める。
それでもことばや気持ちにこころがずきずきする。
過去を知ることは未来に必ず繋がるのだろう。
その過去への認識を誤ってはならないと更に戒める。
知らないふりをして生きてはならない。
外国から見たこの国のありよう、犯した罪、
それらは事実として学び続けなければ
また一歩ずつ認識がずれていくのだろうと
それがかなしい。
受けとめ、思考すること。
いったん手放して現実のなかにいることを確認すること。
同時並行でできることは確実にあるのだと。
嘘を並べればそれらは必ず明らかになる。
ズルをすればじぶんまではだませない。
そんな生き方しかできないけれど
今日も少しの勇気を持って一歩踏み出す。
かなしみや怒りにとらわれすぎぬように。
他者やじぶんを責め過ぎぬように。
あまりに過酷だ。生きるというのはときに。
それでも喜ぶことが互いにあると信じれば
明日は必ずあるのだと今日も踏み出す。
Apr 18
中西龍
https://youtu.be/ZQHDUmiujc8
Muerte, ¿dónde está tu victoria? Muerte, ¿dónde está tu aguijón?
Apr 19
「失われたのはパブリックである」から10年経った。今や世界は音声off機能の無いzoomのようなもので、理性の外側の領域の炙り出しが始まっている。強者と弱者はメビウスの輪のように絡み合いながら共に死滅するのだ。
私は自分の頭がネズミの頭のように小さくなったのを感じた。死ぬ前に一回り小さくなるのは知っている。
前もって死体を溢れさせている、現象ですらない裂け目が私である
らしかった
「悪にでもなる」がコンビニに溢れていた時期があった。裂け目としての自分があり得ない未来に跳躍するのが希望なら、つまりその等式が希望なら、私たちは「ナチにでもなる」
40万と聞いてそのクラスなら「目覚める前に遺伝子組み換え添加物漬けにする」の符牒だったのでは?と一瞬は思った
Tengo esperanza de que va a haber una resurrección tanto de justos como de injustos
Apr 20
ロンドンに居た頃日本語というと義父から毎月送られてくる文藝春秋しかなかったので頭のなかがすっかりおじさんになるという剰余享楽を体感しました
https://twitter.com/KS_1013/status/1513954014538637312?s=20&t=oJilCN9ubciA2jsYJ5FYBw
日常など続いていくわけがない。右手と額のしるしが続いていくだけだからだ。明日がデジタル・タトゥー化されていく進み行き
進み行きて大江の文末によくある
大江
人間が戦いを終わらせることができないのはなぜだと思いますか
藤棚の傍には必ずホークウィンドのジャケみたいなmumble beeがいるが怖くない

山越のsikuruスリランカでゲロおいしかった今日はホタルイカ
Apr 21
クラクラアブリール
足を洗ってカウンターだけのサイフォンを始めて、おいこれなんだっけママ、都忘れよ。

年号や数え年の共通点はゼロを1と見做すことである
令和ゼロ年の不在は不在(ゼロ天皇)自体を積極的に規定するものと見做される
それは既存の天皇に含まれない全ての天皇を一つの年号として含む
これはすなわち天皇としての浩宮、天皇全体の一部ではない部分としての浩宮part of no partなのである
だから数え年の人生は、人間が絵の一部ではなく、絵についた染みであることを正しく示しているのだ
いや僕も最初はアブリルラヴィーンか思てんけどな、オカンが言うには、店長自ら炙ってくれるらしいんや
毎日がXデーです
ヒロシ
I wanna be your dogは淡々と歌わないと眈々とはならんとです
Apr 22
重層を使うことを思いついた時点で路地の鉢植え氏は負けていた
逃げる場所は非決定ではなく逃げる場所がないという決定だからである
リベラル左派の分断こそがパンデミックの目的であった
そしてそれはこういうことかと接種してみせる魂が逆説的に命の芳名録にカウントされたのだ
Le digo a cada uno de ustedes que no piense de sí mismo más de lo que debe pensar
ポンコピピンはびっくらポンコピピンに変えたらいいと思う
今来たがってるのは城戸君、ゑでぃさんたちとかだけど投げ銭以上の援助が出来ないのがパンデミック以前みたいで
THOSE WERE THE DAYS MY FRIEND
https://youtu.be/2KODZtjOIPg
Había paz en la región.
近い戦争と遠い戦争がある。きみたちは戦争の音、戦争の知らせを聞く。
https://6105.teacup.com/iaf/bbs/5615
Apr 24
白い、薄汚れたとまではいかないけれどトドのように大きい
千羽鶴を折る時間を生贄にする
理性
ロギコス
合理的な
聡明な
言語化された原則の、文法を理解する
規則を探すな
無差別攻撃を避けるためにプロにやらせろという一理は宇田丸の押井新作への批判を少しばかりは、虚無の鏡餅の上に乗ってるお飾り付けた蜜柑くらいの一理という意味で、ずらしますかね
Me alegra recibir insultos
Apr 25
Sigamos amándonos unos a otros
コブラで落ち着くのはエンタメとして良いがじゃ参加ウグライナフェンの戦果どうなったんだと諦めの地盤沈下
八重までも散って呑み込む茶漬哉
#poetry #rock musician
雨になる朝
川沿いを河口まで歩いた
遠い国で
戦争は続いている
どんよりとした空の
下には
流浪する人たちがいる
わたしは
川沿いを歩いていった
売ってしまったけど
かつて
小舟を持っていた
小さな
エンジンを積んで
青暗い
朝の海に出ていった
凪いだ海のおもての
水面の
ゆらゆらと揺れて朝陽に輝いた
魚は
釣れなかった
釣れたこともあった
なにを釣ろうとしていたのかな
糸を垂らしていたな
午後には風がでて飛沫をあげて海は波立つだろう
* 高橋悠治のCD「サティ・ピアノ曲集 02 諧謔の時代」”自動描写” より
#poetry #no poetry,no life
運ばれてきた
2台のワゴンのプラスチックごし
バクバクッ
真っ赤な手足を火のように投げ出して暴れる者
白い布に包まれたままヒクヒク微動している者
こかずとんだ
コミヤミヤだ
昨日妻ミヤミヤから帝王切開の日程が早まって明日になった、と電話があった
コロナ禍だから立ち会えない
但し双子の赤ちゃんには新生児保育室に運ぶ途中の廊下で会える
そわそわ待機していたぼく、かずとん
呼び出されて
ばったり、その瞬間
バクバクッ
嬉しい、とかない
かわいい、とかない
生命体だ
しわくちゃに
白い皮脂震わせて
息してる
見つめて心臓バクバクッ痛くなる
「写真撮っていいですか」「ちょっとならいいですよ」
透明プラスチックに光が乱反射
不格好な写真が撮れた
「ではエレベーター来ましたのでまた後ほど」
慌ただしく運ばれていき
バクバクッ
バクバクッ
痛いッ
ぼくも息してるじゃないか
ぼくとぼくから分離した小さな者たち
薄暗い廊下でばったり邂逅した計3体
揃いも揃って
息してた