michio sato について

つり人です。 休みの日にはひとりで海にボートで浮かんでいます。 魚はたまに釣れますが、 糸を垂らしているのはもっとわけのわからないものを探しているのです。 ほぼ毎日、さとう三千魚の詩と毎月15日にゲストの作品を掲載します。

花を見届けるためには狂人のふりさえするだろう

 

工藤冬里

 
 

Apr 3
国立はノースウエスト的リベラルの牙城になってる、包囲網が狭まっている、どっちだ?

Apr 4
互いにナチ呼ばわりして罵り合う中間の、存在しない虚構の虚構がハードコアとしての現実であり、それ以外の表現は力を持てない
国立は存在しない。攻撃されているのは存在しない国立のイデアである。必要なのはすり寄せや統合ではなく、幻想と幻想の間の断片に過ぎない現実を先鋭化させることであり、ばくぜんと歩道橋からサクラを俯瞰することではない、ぼくらは一片の花弁にすぎない。

Apr 5
彦坂さんは達成感から饒舌になっているがあれは野獣の残骸ではなくただの南北であることがはっきりしてきた。彼は後続のものは発表しない方が良かった。
真実よりもフェイクの方が重要であることをきみたちは知らない。フェイクのみが存在しない真の現実を照らすのだ。照らされるのはあり得た現実たちのハードコアである。
そうしたあり得ない現実こそが存在しない真の現実なのであり、絵画はそこにしか存在し得ない。
フェイクニュースに照らされた絵画。しかし、フェイクニュースになってしまった絵画しかたいていは見ることができない。それを僕はworldlyと呼ぶ。
新たな戦争画の時代なのだ
非戦を貫くにはきみの絵画をやめなければならない
絵画をやめた人が描く絵画こそがつきづきしいのはそのためである
帰納的に想像されるロシアは存在しないし、存在しない人格から個々の出来事を演繹することもできない。われわれの特殊な球体の眼球で下から見上げる癖は拭い去らねばならない。

Apr 6
ゑでぃさん「悲しい顔をしてた していた」は翻訳が難しい、日本語表現の白眉だと思ってた 思っていた
ネカフェの食べ放題の具のないカレーを米なしで二皿食べてた 食べていた
路肩にタヌキが死んでた 死んでいた
肩を痛めてもスマホをいじってた いじっていた
バズったのでバズリンコフに、改名してた 改名していた
うまい安いという看板を見てにっこりしてた にっこりしていた
二人共ラーメン屋では小を頼んでた 頼んでいた
レベルが落ちてきたのでやめます
団地横のフィリピンパブのカラオケからとなりのインド人が流れてくるのを、昭和とか安心リベラルとかと同じく深掘りするジャンルではないと思い乍ら過ぎた。
AIのモアイ像かなんかだと思ってた 思っていた

Apr 7
東京は疲れている。自作自演は流行らないよ。
東京に求められているのは腕力でも知力でもなく笑顔で嘘をつくことができるという演技力のみである
疲弊しているので消耗せずに殺したいという切実な願いが伝わってくる
歩数だけは8000と一人前で、間違った正論しか無く、言わせた言わせられただけの世界観である
3年も行ってないと僕にはそう見える
ケレン味もゼレン味もある映像

煉込蛍手高杯

そのためには狂人のふりさえするだろう
マスクの中で困難な呼吸を続けている
指を何回怪我したかとかは何億年も経ったら覚えていない
瞬きする度に睫毛に引っかかった前髪が揺れて耳も腕も腐って落ちた

Apr 8
罪悪感でおぎした」

萌え系やサイバーパンクが何とか芸術になる形で窓に持っていくケースが多いがしかし

しかし窓はアクシデントでできた孔を埋めるためだったことを忘れてはならないししかも
しかもはめ殺しで10階から飛び降りはできないことも知っておいたほうがいい

言っちゃったね恣意いいんちょ
それでもわたしはわたしを使わずわたしを守らない

緑化した種芋のように不可逆的な九条を植え
メラトニンの夢を見るきみはメラニン

庭の蕗の葉の佃煮で弁当、茶も庭の柿の若葉と蓬

Apr 9
阻まれて蕎麦焼酎雲海状態のサウルが川の流れのようにとか唄って青線街は閉じてゆく 削られてゆく島の牝牛も痩せ細り閉じてゆく

Como la muerte vino mediante un hombre

医大病院近くのローソン店員の物腰が明らかに医大生で苦学してらっしゃるのねと思う

「スター劇場」のチラシを作るときこのロゴが欲しくてgoodman近くの映画館のポスターから「京王地下」という字を切り取ろうとしていたら映画館から出てきたヤクザ二人組にお嬢ちゃん何してんのと声をかけられ、ボコボコにされて血だらけになったことがある

アルトーそっくりなN響好きだが部屋はゴミ屋敷のワタナベさんが自転車を失くしたのか足を少し引き摺りながら歩いているのが見える。春の弁当特集良いですねと分館の司書に声をかけてダイドープレミアムデミタス最高峰のコク豆量1.5倍当社デミタス微糖史上プレミアム豆ブレンド微糖を買い山間部に向かう

ムサシアブミ割れて黒い花が咲き始めたけどほんとうに怖い

 

 

 

#poetry #rock musician

最後から2番目の思想

 

佐々木 眞

 
 

プーチンの不条理な命令で、ウクライナに侵攻し、軍民はもちろん、民草まで根こそぎ殺戮する、無慈悲な戦争犯罪の映像を見せつけられながら、考える。

もしおらっちが、第3国の日本人ではなく、ウクライナ人のまだ若い成人男子なら、どうするだろうか?

もとより、ロシアがすべて悪で、ウクライナがすべて善、という訳ではないが、今回のこのケースでは、非がプーチン率いるロシア軍にあることは、自明の理だ。

おらっちは、戦争に大反対だし、こよなく平和を愛する者だが、今回の侵略戦争に限って言うなら、それを是として、黙って見ているわけにはいかないだろう。
これはあえていうなら“正義の自衛戦争”だ。

では、軍隊に入り、武器を取って戦うか?
 
もし戦えば、おらっちは、敵の兵士を殺めたり、傷つけたりするかも知れないし、自分が殺されたり、傷ついたりするかも知れない。

どっちも嫌だ。嫌だ、嫌だ、嫌だ。

しかし、もしも武器を取って戦わなければ、おらっちは、まわりから卑怯者と罵られ、徴兵を拒否した罪で、牢屋に入れられるだろう。

どっちも嫌だ。嫌だ、嫌だ、嫌だ。

それでは、敵の兵士を殺めたり、傷つけたり、自分が殺されたり、傷ついたりするのと、まわりから卑怯者と罵られ、徴兵を拒否した罪で、牢屋に入れられるのとでは、どっちの方がより嫌か?

嫌だ、嫌だ、どっちも嫌だ。嫌だ、嫌だ、嫌だ。

すると、どこかで、誰かの声がした。

「お前さんは、愛する家族を、敵から守ろうとは、これっぽっちも思わないのかね? 攻め込んできた敵が、お前さんの愛する家族を、傷つけたり、殺しても平気なのかい?」

するとそのとき、おらっちは、自分の奥底に、またしても「嫌だ、嫌だ。嫌だ」、とは、どうしても言えない、もう一人の自分がいることを、初めて知ったのだった。

もしおらっちが、武器を取って敵と戦ったとしても、敵が愛する家族を傷つけたり、殺したりするかも知れないけれど、それでもなお、ここはやっぱりあえて戦場へ赴いて、なんとまあ!おらっちとしたことが、「一人でも多くの敵を倒さなければなるまい」と、思ったのだった。

―Q.E.D証明終り。

かねてから、あらゆる戦争を悪と断じ、たとえ武装した無法者の敵が侵略してきたとしても、抵抗せずにいさぎよく降伏し、最悪は、捨身飼虎の薩埵太子や聖徳太子の子の山背大兄王のように、家族もろとも皆殺しにされても構わない、と密かに考えていた筋金入りの“非武装絶対平和主義者”が、いともたやすく“積極果敢な殺戮主義者”に転向した瞬間なのだった。

しゃあけんど、頭の中ではすでに解決済みの問題だったはずなのに、身体の方では、まだそれをいさぎよく受け入れることが出来ず、相も変わらず胸の奥の方で、ぶつぶつぶつぶつ言うておる、そんなおらっちなのだった。

どっちも嫌だ。嫌だ、嫌だ、嫌だ。
どっちも嫌だ。嫌だ、嫌だ、嫌だ。
どっちも嫌だ。嫌だ、嫌だ、嫌だ。

 

 

*魔訶羅陀王の第3王子、薩埵太子は、飢えた虎の親子のために自らの肉体を「布施」したという伝説があり、聖徳太子の子、山背大兄王とその一族は、643年11月1日に蘇我入鹿に襲われ、「わが身一つを入鹿に賜う」の言葉を遺し、滅亡したと伝わる。

 

 

 

一切だれにも向けられず

 

駿河昌樹

 
 

言語使用は
たとえ
無人の孤島でなされようとも
必然的に読み手を呼ぶ
ヒトがまったくいない場所であっても
言語そのものが
みずからを「読む」

この言語神学に到る者は少ない

一切だれにも向けられず
ヒトの読み手がまったく想定されず
ヒトに読まれるために言語配置が行なわれず
言語みずから
ひとり
言語使用痕跡を読む

意識的にこれがなされ続ける場で
はじめて
この界において
発生しはじめる波動がある

 

 

 

ただ在るように在りたい

 

一条美由紀

 
 


不安ばかりで不確定な日々は、過ぎた時が答えを見せる
いつも見守ってくれる人がいたのだと
感謝を伝えたいと思う時、なぜいつも遅すぎるのだろう
私もあなたも伝えたいことを秘めたまま消えていくのだ

 


すべてが敵のように思い込む若さが
必要だったと、
今わかる

 


少し小さくなったその顔は蝋人形のように黙っていた
いい歯医者さんを見つけたんだ、あの時言ってたね
待っている私たちの前に息を切らしてやってきたのはそれから半年後
遠くから写真を撮った
なぜもっと記録しておかなかったのか
消えてしまうその前に
記録しておかねばならない
記録は記憶となる
そして記憶も白檀の香りと共にいつか消える

 

 

 

わかりみがふかい

 

工藤冬里

 
 

何も失われていないが現象学的なエポケーによって変容するのはただその経験に対する主体の関係の仕方である

世界は変わらないように見えた
ただ私が抜き取られていた
後は現象のダンスが知覚されるだけだった
何も感じないダンスが続きその一環として私も動いている
メタはナイーブな自我の上に確立されている
直感のレベルで真になる可能性がないゆえに、それは真だと言える
国を擬人化することが普遍なのではない。個人こそが擬人化され、動物が喋るように喋っている、と看破されるべきなのだ
仏教的に透明な脳のダンスは済んだ
踊りながらのexitは見つからない
それでも核のボタンを押す禅坊主のように迷いがない
しかしそれは終わりの只中の或る一日に超越論的判断停止に一章を割くといった程度の箸休めに過ぎない
ハイデガーはマルクス、及びニーチェによるその転倒、そしてその後、をロック史だと思っている
その後、の連鎖から抜け出るのはロックでもロックの終わりでもなくある種の歴史性の無さであり、永遠についての誤解を殺すことだったりするのだろう

私たちは何とかしてガレルを赦してやりたいと思って観ている。存在の側から諦めて近付くか、出来事の側から現象化して遠ざけるかでアプローチは異なる。今回の鍵は涙の結晶化だ。*

独観念論の敗北後、哲学の仕事は不良ジジェク**に贖いを教えることではあるのだが、それがとてつもなく難しいミッションであり続けることによって問いじたいを延命させていくだけの装置なのだとしたら。

ああ! ――そのやうな時もありき、***

セラヤ 大体アサフ 顔に麻布
https://twitter.com/gruppa_voina/status/1509155364733960210?s=20&t=xKmER60i3j9cqRBUBV7Njw

わかりみがふかい
てはやりことはね
きゃうりゅうもてぬまつじつはみきこみがたかいし
でんきガスはねあがりみがねあかリミット
ひらかないつだつみはつかさみがある
おはらしょうすけは終了みがある
二枚貝しか加担
ウイルスミスみがないふきとぢよをとめのすがたしばしとどめむ
をとめみ、、ガーリック
ガリにシャリ
あるふれたジャリの指王
フェイクみのあるクライングVがUVelvetsカットメディア観音関門峡に水は流れてありにけり
別人みが尊く打ち止めみの高いミーム
山頭火三頭飼ってサントーム
哲学者は大他者の中に欠如を見出し、分離を避けるためにそこに同じく欠如としての自己をはめ込み、そこから大他者を非難し続ける。
月とは対象αでありS1→S 2が昔の月(月やあらぬ春や昔の春ならぬ わが身ひとつはもとの身にして)と考えるとサントームみがふかい
三重の人は大体べちゃってしてる(平手打ち)

彦坂さんさっきハヤカワ娼婦を喰った野獣の残骸デジタル屏風を挙げて到達店だと宣言した

ラジオ。グロフェは畏怖と荒廃を取り違えた採掘場跡としてのキャニオンを黄土色の凡庸に染め上げた

カレー皿は民芸などと言う前に最後の湾曲の角度がないと、コロナ下にスプーン一本で食べるのは難しい
じゃなきゃ右手で掬えということになるがそれが野蛮ではないという論争よりもとりあえずは縁の角度と底面に対する黄金比が実際的な知恵ということだ

芒はススキと読ませているが伏せ焼きのことである
覆輪を咬ませる代わりに低温の銅とかで上絵にしてみてはどうか。
乃木大将プロジェクト、ですな ゴールデンカムイも佳境だし ここは紋白蝶でしょうな
何言ってんですかこれが最後の口縁です

この前加西で手に入れたvin-shu2019開けた
ブラッディオレンジの単一

再遊記が必然的になのかどうか言葉を食べるところにまで進んでいて隔週置きのネカフェのマガジンラックが尊い

Miren, los campos están blancos, listos para la cosecha

https://youtube.com/shorts/fiyAPbQNWJI?feature=share
https://wehavenozen.bandcamp.com/track/psalm-27-11013
Єгова — світло моє і мій порятунок. Кого ж мені боятись? Єгова — твердиня мого життя. Кого ж мені лякатись?
Навіть якщо батько й мати покинуть мене, Єгова мене прийме.
Що було б зі мною, якби я не вірив, що побачу доброту Єгови в краю живих?

山野草フェアでいただきましたヒトリシズカとミヤコワスレとムサシアブミです

dogbowlをお使い頂いております

正津さんの文体には余人をして眼を見張らせるものがある

ただ、いかんせん、肺活量が足りない。

国立はノースウエスト的リベラルの牙城になってる、包囲網が狭まっている、どっちだ?

切り落とされた耳をまた付けてもらって国を守るために武器を取って戦うことはしないのだと理解した

声に曇りがあるままに前線は進み桜の下に潜り込んだ
上唇を上げないまま国民は真実のフェイクを語った
預言者のように振る舞いながら半身裸のサウルがイヌの歌を叫んだ
黄色人種のポピーオイルの急流が州を作り別の地肌を顕にした
短期間で石灰質の泥は固まりライダーやら針金やら、浅い同盟のように結石した
好きだというところまでは誰でも一緒だが、何合目かで2グループに分かれる
鎌の声に切られても断食してもロバは平たい石の休憩小屋から上へは登れない
そこから荷を負って雪男なりを探すのは自分なのだ
走馬灯の下界のネオンを精々見開きで
出来事を引き起こしているわけではないが、利用しようとしている

ロシアが先か己れが先か
いよいよ隕石衝突だ
それにしても肩が痛いわ

 

* Le sel des larmes: Philippe Garrel, 2020
**Sex and the Failed Absolute: Slavoj Žižek; Bloomsbury Academic, London, 2020
***冬の長門峡:中原中也

 

 

 

#poetry #rock musician