michio sato について

つり人です。 休みの日にはひとりで海にボートで浮かんでいます。 魚はたまに釣れますが、 糸を垂らしているのはもっとわけのわからないものを探しているのです。 ほぼ毎日、さとう三千魚の詩と毎月15日にゲストの作品を掲載します。

十一月ソノ二

 

工藤冬里

 
 

隠し場所を見付けられず元気がない
このインクもそろそろ終わりだ
爆発は口から
弁償のランチ
葉は一様に水分不足を訴えている
真理とは間違いからの自由
奴隷ではないので選べる
足を組み替え
家主の話を聴く
殺人したら追い出す
死にたいは録音できない
先祖の薬物
千八百万人の習慣からの自由
声を聴くってアナ雪みたいだね
結論を言ってから そして というのはやめてくれないかな
うろこ雲はイワシのフライのようにえぐれている
村山も武蔵野だった
唄えなかった
強制されて从(シタガ)う
三十年待って
f(x)=ax+bのグラフ
蛙の目玉
骸骨のママ
レール上を歩いていく陳腐
一台だけ売る外車屋
花弁波打つ周縁
房べり
花弁の房べり
水筒を落とすと
茶にガラスが混じる
種の中の柿の芽のように浮き出る
カーブの続く山道
死にたい は録音できない
死ねシネマよ
シネマへ
死ねおまえ
きのうやった
写真の継ぎ目はwaterfall
台形
ゲームのワーム
フォークで耕す 掌
子供を愛することを教わる必要があった
意識的に子供に愛情を表現する必要があった

起きれないので
空0ラ抜きは駄目だな
起きられないので
三十九度の追い焚きにして
温めようとした
出かけるには温めるしかなかった
その手続きがどうしても必要だから
使われても勤められないだろう
空0東京の勤め人は大変だろうな
空0六十年代的な瞬間の美学が悪いのだ
小便もしたいが寒いので後にする
水の中で水を我慢しているのがおかしい
水の中に水を入れた袋があるのと一緒だ
水は温まりにくく冷めにくい
体は水であるのでなかなか暖まらない
体はレトルトのカレーにすぎない
ただの水分の詰まった袋なのにものを考えたりしてすごいと思う
設定温度に近づくと四十度の熱とかやばいと思う
空0やばいとかあんまり使いたくないな
余程の炎症がないと体温はそんなに上がらないだろう
熱いものを飲むと自分を冷やそうとして体温は下がる
熱い湯に入るとそれでも徐々に体温は上昇するのだろうか
冷たいものを飲んで体に年寄りの冷や水を浴びせると
子供の頃の顔が柿の種の中の芽のように浮かび上がる

作者がいない映画
最大公約数に落ち着くのではなく
銅の代わりに金を携え入れる
臭みを除き
何年も先のことを決める
平たい赤い街の線描
のような声
干し煉瓦に新聞を貼った壁
作者のいない映画の
制作に参加できない者だけが作者であった
嫉みで曇らされて、批評どころではなかった
欠けていたので、殺してしまおうと思った
子供の頃の顔を殺そうとしたのだ
周りに立つ人々のために言っています
参加できない作者は語らされた

最高の仕事とは嘘を暴く仕事です
彼らはそれで爽やかさを得ることができます

問題はエネルギーが限られているということだけです

車は、頭であるか体であるかのどちらかだ。後部の窓が吊り上がった眦であるときその直下は目の下の整形の弛みとなるが、体であるならば凹凸は悉く四躯の筋肉となる。大型車でも頭だけのものもいる。外車は動物の体全体が多い。厄介なのは頭と体が混合しているもので、それをバッドデザインと呼ぶ。

象徴界にもピンキリがある
という言い方は想像界的だ
学問的には象徴界にピンキリはない
ということは象徴界という用語は無意味だ
象徴界という用語はそのために存在するのではないか

花ではなく実の色で飾るとは恐ろしいことだ

いきなり命
十代
二十代
三十代
六十代
七十代
short lives
をやり直せるなら

それも同じことだ
支配する者が
支配される者よりも先に死んでしまう

薬品業界のコンシューマー
延命商人

くの字型の死
アダムは九三十歳
十億倍の使用に耐える

今から
四万キロで地球一周

多様
才能性格能力
猫のような多様性

片道五十年の旅行

百五十億人
一ヘクタール
三千三百坪

山々の頂で豊作

獅子の歯の
黒地にレモンイエロー
香月泰男

投げ捨てることにより支払う

爽✖️✖️✖️✖️

Θυγάτηρ
thygater
娘よ
蛍光黄緑の爽✖️✖️✖️✖️

紫キャベツの色

湖に注ぐ川の
完結
だらだら流れる力じゃなくて

腕を通す喜び

脛骨の四番
首が折れる

最高の仕事とはうそを暴くという仕事
絶望の荷を引きずったまま生きる

一人一人が持つエネルギーは限られている

余ったエネルギーを使っていた

いつの間にか赤を入れられ

だらだら流れる力じゃなくて

がまんすればするぼど強くなります

 

 

 

UFOみたいなのが降りてきました

 

辻 和人

 
 

ぷわっ、ぷわり
左に傾き、右に傾き
降りてきたよ
UFOみたいなのが
仕事お休みになった日は雨ザーザー
出かける気力がくじけたところ
つけっぱなしのテレビが「いいもの見せてやるよ」って教えてくれたのが
ぶわっ、ぷわり
六角柱の
UFOみたいなの
がっちりした台の上に
ぺたっ着陸
ほぉー、見事見事
てっぺんにエラソーな金色の鳥さん
6つの角っこをちょっと地味な鳥さんたちが守ってる
ほぉー、見応えあるある
てっぺんの鳥さん、長い首をぷるーんっと折り曲げて
毛づくろいする余裕を見せる
地味な鳥さんたち、時々上を見上げては
てっぺんの鳥さんが毛づくろいする隙に
羽の中に隠し持ったポップコーンを放り投げては飲み込んでる
ほぉー、上手上手
おっと、長身のカラス天狗みたいなのが2人、UFOみたいのに近づいて
おっと、扉を開けたぞ
ほぉー、ほぉー、ほぉー
出てきた出てきた
星人みたいなの
茶色の前掛けみたいなのをまとって
髪がびゅーんと上に伸びる
伸びて伸びて
おっ、もっと伸びるぞ
ぷるーんっ
後ろに折れ曲がった
てっぺんの鳥さんの毛づくろい姿とおんなじだ
手にでかいシャモジみたいなの握ってる
目、ぱちくりさせたかと思うと
UFOみたいなのの中から
出てきて出てきた
正方形の台の下にはいつのまにか
ペンギンみたいなのが一羽畏まって立っていて
それを見たてっぺんの鳥さん
対抗意識か、羽をパタパタさせる
六角を守る地味な鳥さんたちもポップコーン食べるのやめてパタパタ
壮観だなあ
星人みたいなのはカラス天狗みたいなのからカンペを受け取ると
ぱちくりさせてた目を見開いてぎゅっと中央に寄せ
「私の星の住民が幸せになると自動的にこの星は平和になりますよーっ」
ってひと言
え? 何言ってんの?
意味わかんない
ペンギンみたいなのは目をぱちくり
カラス天狗みたいなのも目をぱちくり
てっぺんの鳥さんも地味な鳥さんたちもパタパタやめて目をぱちくり
おいおい、大丈夫か、とテレビ越しに不安になったが
ペンギンみたいなのが気を取り直して
「バンザーイ、バンザーイ」
両手を挙げる
カラス天狗もてっぺんの鳥さんも地味な鳥さんたちも唱和したから
ぼくもつられて「バンザーイ」って叫んじゃったよ
星人みたいなのは満足気にUFOみたいなのの中に戻り
カラス天狗みたいなのが扉を閉め
てっぺんの鳥さんと地味な鳥さんたちは羽を広げた姿勢で静止して
ぷわっ、ぷわり
左に傾き、右に傾きながら
UFOみたいなのは飛び去ってしまった
結局何しに来たんだかわからなかったけど
あんたんトコの星の人が幸せだとどうして地球が平和になるのかわからなかったけど
あー、見応えあった
雨ザーザーを楽しく乗り切れたよ
つけっぱなしのテレビさん
教えてくれてありがとね

 

 

 

覚醒しては眠る果実という種子

 

神坏弥生

 
 

夏の日の午後

突然、読んだ詩歌によって

垂直に伸びた日を臨む

向日葵になって

もう沈んでしまう

下弦の月が、朧に浮かぶ

ぽっかり空いた穴の中の

拙い原語の夢の続きを、追おうと

暗がりに暗転するのを繰り返し追いかける

きっと知っているんだわ

と、この夢の倫理性を求めてみても

繰り返し、繰り返し、

繰り返すことによって

忘却の彼方へとなだれの様に流れ

意識は薄れてゆく

白百合が奔放に、

まだたった今咲いたばかりの未熟な

雄しべを伸ばし、外では陽炎が立ち上る間

あなたを待つ

あなたを迎え入れようとするとき

寡黙なあなたを微細に感じて

暗闇の中、闇に慣れた眼が

室内に、眼を開き沈黙する

窓辺に差し込む光の陰影の中

私の指が、彼を求めては、背に縋りつく

時に、長い爪によって、傷つけ嫉妬を刻もうと

いつかなくなってしまう私たちの隠し部屋は

いずれ、互いの罪による檻に変わりゆくかもしれない

あなたが誘惑という、罠を仕掛ける間

街の一切の雑音は止んで

私達が唇を押し当てて、時間がとどまっている(?)

選ばれた互いの危ういバランスと要素の各々が

私達が哀しく、喜び、確かめ合うのを

人肌に暖かい抱擁や口づけを要素として

束ねられる

たとえ果実という種が実っても実らなくても

暗がりの内密から外へと向かって

満悦が広がってゆく

悦楽の果実はやがて豊満に熟し

鳥たちが、果実を食べ、種子は落ちて

私達が産んだ密やかな種子は暗闇の可視光線の中

目覚め、また再び沈黙する

 

 

 

カルタゴ、滅すべし!

 

佐々木 眞

 
 

在天のH・Mさん、その後いかがお過ごしですか?

こちら下界はいま晩秋。今日は少し寒いけれど快晴ですが、そちらの雲の上でも四季はあるのでしょうか?
季節はなくても五風十雨、もう毎日原稿を書くこともないし、高い税金を納める必要もないからいいですね。

きっと穏やかであるだろうそちらに比べて、下界では大変なことになっていますよ。

アメリカでは再選を目指すトランプ大統領が、民主党の対立候補をやつけようとウクライナの大統領に頼んだり、二酸化炭素を抑制する国際的な取り決め、パリ条約を脱退したりの大活躍。
これによって地球温暖化の勢いは加速され、アメリカではより多くのハリケーンが、わが国ではより多くの台風が、列島を襲撃することになるでしょう。たまったものではありません。

最近ホワイトハウスでは、全政府機関における「NYタイムズ」と「ワシントンポスト」の定期購読の廃止を命じたそうですが、自分に不都合な情報をすべてフェイクニュースとして退けるという前代未聞の狂気の振る舞いは、世界をますます分断し、余計な対立と混乱をまき散らしていくに違いありません。

そうそう、生前あなたが活躍されていた香港では、中華人民共和国による民草への民主化規制が一段と強化され、「5大要求」の実現を求めて立ち上がった学生や市民への弾圧は、丸腰の学生に対して武装警官がいきなり拳銃を発射するところにまでエスカレートしています。あのジャッキー・チェンも、さぞや驚いていることでしょう。

もしもあなたが香港に在住いていたら、きっと学生たちと一緒に戦っていたことでしょうね。いや、きっとあなたの魂は、香港理工大学のバリケードの中にあるのでしょう。

横暴と専制では、わが国の安倍首相も負けてはいません。
公職選挙法なにするものぞと、地元の後援会の大勢のメンバーを「桜を見る会」に送り込んだり、先日行われた天皇就任祝賀パレードでは、なにを勘違いしたのか、自分も車に乗り込んで沿道に向かって手を振ったり、最早やりたい放題なのに、誰も止めようとはしません。

金八先生の「3年B組」に出演して有名になり、自民党の参議院議員になって国会で「八紘一宇」礼賛演説をしてさらに名を上げた元女優は、「この国の政権を握っているのは、総理大臣だけですよ」と断言し、全国民を唖然とさせました。

外交・安保、経済などの誤謬に満ちた政策展開にもかかわらず、三権を利権と忖度で固める強権維持体制を確立したことによって、陰険かつ凶悪な安倍独裁体制は当分続いていくのでしょう。

でも、暗くて憂鬱な話ばかりでもありません。
先日はラグビーのW杯で日本チームが思いがけず善戦健闘して全国を沸かせましたし、野球チームが世界選手権で見事優勝しました。

我が家では、昨日の午後、庭で芝刈りをしていたら、子狸と鉢合わせしました。
「ほらこっちへおいで」と呼びかけたのですが、子狸はちょっと小首を傾げてから、納屋の裏手にトコトコ歩み去りました。

それがあんまり可愛かったので、私は「タンタンタヌキのタヌサブロー」と名付けてやりました。またタヌサブローと交歓できたら、とひそかに願う今日この頃です。

とりとめのない手紙になりましたが、詩一篇を同封しましたので、ご笑覧ください。
またお便りいたします。それまでどうか愚かな私たちを温かく見守っていてください。

 
 

カルタゴ、滅すべし!

 

香港は、いま真夏、
秋も終わりだというのに、
朝から真っ赤な太陽が、
ギラギラと燃え盛っている。

百千の雨傘は、ワラワラと花開き
「自由」と「民主」の理想は、
地上で最後のオオムラサキのように
虹色に輝く。

カルタゴ、滅すべし!
巨悪は、腐敗しているぞ。
カルタゴ、滅すべし!
正義は、君らの頭上にあるぞ。

戦え!
戦さ上手のカルタゴと戦え!
殷鑑遠からず
君らの内なるカルタゴとも戦え!
さらば自立への道は、
おのずから切り開かれん。

目を開け!
走れ!
どこからも、助けなんか来やしないぞ。
遠くまで走り続けよ。
彼方へ! 彼方へ!

カルタゴ、滅すべし!
いま君らの高鳴る心臓が、夢見ているものは、
まだ誰もみたことがない、新しい時代の到来の予感か。

もしかすると、これが民主主義というやつか?
いくたびも多くの国で人々が味わい、
味わっては、やっぱり挫折してきたという。

そう。
あの奇跡の高揚を、
おそらくは、生涯でたった一度の瞬間を
君らは、その戦い疲れた全身で、抱きしめよ。

カルタゴ、滅すべし!
カルタゴ、滅すべし!

若者よ、行け!
いまは迷うことなく、
ジャッキー・チェンのいない国際警察に向かって、
クリストファー・パッテン総督のいない香港政庁に向かって、
まっしぐらに突撃せよ!

 

 

 

足はつめたい *

 

墓参に

行ってきた
今朝

義母の月命日だった

女と
車で行った

帰りは

駅に車を置いて
歩いて

帰ってきた

義母は
二月十九日に

心臓が止まった
死んだ

それを見ていた
見ていた

月末になると

義母は
お金をくれた

隠れて
お金をくれた

全部

飲んでしまった

たまに間違えてわたしのことを
むっちゃんと呼んだ

みっちゃんだよ
というと

笑ってた

足はつめたい *
足はつめたい *

車を駅の駐車場に置いて

帰ってきた

川沿いを
歩いて

帰ってきた

 

* 工藤冬里の詩「11月」からの引用

 

 

 

雨と炎

 

原田淳子

 
 

 

あれは雨ですか
いいえ あれは炎です

不在の手紙を山羊が燃やしたのです

立ち上がる火柱は水の姿をかえた

野葡萄の海いろ
花に触れぬ蜘蛛の群青
青ざめた右下がりの文字
永遠に別れた緑

毒か、薬か

涙か、河か

嘘できれいなものと
泥でうつくしいものを交換する

貨幣は空まわる
贈与なんて、きれいすぎる

家を失くして
すべての地が庭となった
服は遺された譜
曝されたポケット
落とされた実は必ず拾う
拐かす蛇すらいない
苦さを頬ばる

夜ばかり描いているのは
朝がきてほしいから

夜にいるゆめを
朝につれてゆきたいから

 

 

 

あきれて物も言えない 06

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

竿を出してみた

 

先週の金曜日だったか、
竿を出してみた。

竿を出すのは、二年ぶりくらいだろうか?

以前に通った海浜公園の下にある釣場で竿を出してみたんだ。
ここでは黒鯛を釣ったことがある。
メジナもたくさん釣った。
大きなボラも釣れたことがあった。
ボラは釣れると横に走って引きが楽しいが釣場が荒れるので釣仲間には嫌がられてしまう。やっとタモですくいあげても直ぐにリリースする。

この釣場では、以前、ひとりの漁師のじいさんが釣りをしているのを見かけた。

じいさんは、いつも、グレーの作業服とズボン、グレーの作業帽子で無精髭を生やしていた。
釣り人は道具にこだわる人が多くいる。
とんでもなく高価な竿や道具だったりする。
でも、そのじいさんは延べ竿一本で、タモも持たずに、撒餌もしなかった。
自作の浮子を浮かべ、餌は練餌だけで、メジナを狙っていた。
たくさん釣れるわけでもなく、シンプルな仕掛けだけで、メジナを狙っていた。

まわりにはメジナを釣ろうと釣り人たちが撒餌を散々に撒いて釣りをしているのだ。
その隣りでそんな単純な仕掛けでメジナが釣れるわけがないのだ。
だけど、そのじいさんは、いつも、そんな仕掛けで、メジナを狙っていたんだ。

いつだったか、
じいさんは赤灯台の突堤で釣りをしていて海に落ちて死んだと、
他の釣り人から聞いた。

じいさんはもう釣りをしていないのだ。

さて、そんなことを思い出しながら、竿を出してみたのだ。
じいさんの真似をして、浮子と練餌だけで狙ってみた。
金曜日に竿を出すというのは、
人がいない時に狙った方が撒餌もなく魚も空腹になっていて釣れると思えるからだ。
金曜日の午前に釣りをしている者はほとんどいない。

しかし、海は荒れている。
波は荒く、浮子が上下して、釣りにならない。
ほんとは海中で餌を安定させなきゃいけない。
餌が波の上下で不自然に動いたら魚だって食ってくれないだろう。

荒れた海を見ながら何度か竿を出してみる。
浮子がどんどん波に流されてしまう。
浮子が波間に揺れるのを楽しみながら目で追うのは味わいがある。
波は一つとして同じではなくその波の中を浮子が流されていくのを見るのは楽しい。
やはり今日は釣れないと思う。
それでも竿を出すのは楽しい。
そこに海があり、波があり、テトラポットがあり、その中に、風に晒されて名前のない釣り人がいる。

今朝の新聞で、大阪豊中市のアパートで、孤独死した独居老人の記事を読んだ。
その老人は奄美群島の加計呂麻島の出身で、金の卵として集団就職で関西にやってきたのだという。
はじめに船会社で船員になり、それから阪急梅田駅近くのパチンコ店で住み込みで働き、店が潰れたあと、土木仕事で転々としたそうだ。
60年代後半は大阪万博に向けた工事の仕事があったのだったろう。
万博が終わった後には、釜ヶ崎などには吹き溜まりのように労働者たちが流れ着いたのだろう。

このように孤独死して死後2日以上経過して発見された独居老人は2011年には2万7千人いたのだと民間調査機関の数値を新聞記事は示していた。

戦後、石炭から石油へのエネルギー転換があり、大阪万博があり、急速な工業化があり、原発推進もあった。
国策だった。
官僚がこしらえた政策だった。
その国策の流れの中に日本があった。
日本の都市も、農村も、漁村もあった。
その国策の中に、金の卵たちや出稼ぎ労働者たち、炭鉱労働者たち、満州引揚者たち、在日の人たちもいて、農村の崩壊と離農があり、水俣があり、原発推進も、安保闘争も、三里塚闘争も、あったのだろう。

いま、日本の明治以降を振り返る時に、はっきりと見えることがある。
大きな国策という流れの中で最底辺の者たちが最後の最後まで利用されて使い捨てられているということだ。
いまや外国人労働者たちもその最底辺に組み込まれようとしているわけだろう。
国策という流れはいまも変わっていないと思える。
アベノミクスという強者たちに都合の良い政策が国策として進められているように思える。

もう一度、海を見ていた。
荒れた海の波間に浮子は激しく上下して漂っていた。

あきれて物も言えません。
あきれて物も言えません。

 

作画解説 さとう三千魚