michio sato について

つり人です。 休みの日にはひとりで海にボートで浮かんでいます。 魚はたまに釣れますが、 糸を垂らしているのはもっとわけのわからないものを探しているのです。 ほぼ毎日、さとう三千魚の詩と毎月15日にゲストの作品を掲載します。

2015年を振り返る

 

みわ はるか

 

 

12月の早朝。
山間からこぼれる日の出の光が美しかった。
オレンジ色と一言で表すのにはもったいないような光景だった。
もっと深い、そして暖かい色。
ほんの一瞬、忙しい朝の時間を忘れさせてくれる。
窓を通して室内から凝視する。
まばたきする時間さえも惜しいと感じさせられる。
そんなパワーを自然はもっている。

2015年が去ろうとしている。
どんな年だっただろう。
思い返すと本当に色んなことがあったなと驚く。

朝ごはんを食べようと誓った。
大学1年のなかごろから急に朝ごはんを食べなくなったから。
時間がないからというわけではなかった。
もともと朝からそんなに食べるほうではなくて、胃があまり受け付けないというか・・・・。
あるときを境に食べるのを好んで止めてしまった。
しかしながら、それに対する罪悪感は常にあった。
朝何かを食べるのは非常に大事だということは十分に分かっていたから。
頭を働かすのにも、体を動かすのにもその源となるものが必要だ。
湯気の立つ白米、味噌汁、ちょっとしたおかず。
きっとこんな感じが理想的な朝食なんだろうけれど、それに挑戦するのにはその時のわたしには無謀だった。
だから、野菜ジュースから始めることにした。
毎日同じ味では飽きると思い、数種類買ってきて毎日200ccほど飲む目標を作った。
これが意外にも難しかった。
飲みやすい味とはいえ好きになれなかった。
好きでないものを朝一から200ccも、それも毎日となると憂鬱で仕方なかった。
あっという間にリタイアしてしまった。
次に挑戦したのはお茶碗半分ほどの白米とこれまた同量ほどの味噌汁。
まだきちんと朝ごはんをとっていたときはこの倍量食べていた。
だから容易なのではないか・・・と思っていた。
ブランクが大きすぎた。
朝起きて、白米や味噌汁から漂ってくる香りは今の私にとっては心地いいものではなかった。
箸を口元まで運んでみるもののそれ以上進めることができなかった。
結果落ち着いた今の私の朝ごはんは前日のおかずを少しつまむというもの。
最大限の努力の結果ではあるものの、少しずつでも以前のようなしっかりとした朝ごはんに戻せるようにしていければなと思う。

10月グア ムに観光で訪れた。
パスポートの期限がせまっていたのだ。
運よく幼馴染と休みを合わせることができたので急いで旅行会社で飛行機と宿泊施設を確保してもらった。
久しぶりの旅行で珍しく興奮していた。
さんさんと降り注ぐ太陽の下には、広い広いそして青い青い海が広がっている。
風通しのいいワンピース、ビーチサンダル、サングラスなんかも身につけたりして歩くビーチ。
観光雑誌に載っているような「THE グアム」な風景を想像していた。
3時間半の飛行時間を無事終えて降り立ったグアムは・・・・・・暴風雨に見舞われていた。
実はそのとき、グアムの近くには大きな台風が存在していた。
それの影響で雨 、風はもちろんのこと気温も低く、半袖の服だけでは寒いほどだった。
グアムの空港に着いてすぐキャリーバックから長袖のカーディガンをとりだしたほどだ。
3拍4日の滞在中、連日雨風に悩まされた。
予定していたオプションの船でのツアーはもちろん中止。
雨がやんだ隙をねらって行ったプールと海からは早々に寒くて退散した。
専ら買い物に時間を費やす形になってしまったがこれはこれでよかったかなと思うことにした。
いずれはリベンジしたいとは思うけれど。
帰国する日、グアムの空港で搭乗手続きをしていると雲の切れ間から久しぶりの太陽が顔をのぞかせ始めていた。
それを幼馴染と見た。
顔を見合わせて どちらからともなくゲラゲラ笑った。
怒りを通り越し、あきれて笑いがこみあげてくるというのはきっとこういうものなんだろう。

色んなものを見て、聴いて、触れて、感じた。
まだまだ人生経験が浅い私に人生経験が長い立派な大人がためになることをたくさん教えてくれた。
辛いことも数えきれないくらいあった。
そのたびに奈落の底におとされて落ち込み、泣いた。
時間とともに、そしてさしのべてくれる手にすがりつきながら復活した。
感謝しなければいけない人がたくさんいる。

2016年はもっともっと多くの人にとって幸せな年になりますように。

 

 

 

十二月だ、拘るってなんじゃい、生きたってことじゃんか。

 

鈴木志郎康

 

 

拘るんですね。
日記のこと。
麻理に言わせれば、
役に立たない、っていう
この日記のこと。
書いた日ごとにペンの色を
青と緑で交互に細かく書かれた、
その文字が文字になってないんで、
自分でもさらっとは読めないんで、
やったことを探すのが大変。
で、 役に立たないって言われちゃう。
でも、自分がしたことを書き留めるって、
そこに拘ってるんですね。
それなのに、それなのに、
拘ってるのにふっと書き忘れちゃう。
さきおととい、おととい、きのうと
日付のあるページを書き忘れるってこと、
書き間違えるってこと。
ウッふう、ふう。
ふうう。

12月14日の午前中に朝刊を読み終えて、
いつも通りにさて日記をつけようと、
日記帳の「DAY BY DAY」を開いてみたら、
左ページの11日の半分と、
右ぺージの12日と、
更にページをめくった
左の13日ページと
これから書こうとした右の14日のページが、
空白だったんですよ。
あれっ、書き忘れたのかな、と、
12日の空白のページに
12日の午前と午後のことを書いてしまい、
でも、変だぞ、
昨日の13日のページが空白って、
12日の午後と13日の午前中のことは、
書いた筈なのに、おかしいぞ、
昨日の日曜の午後には家で、
「ユアンドアイの会」の忘年会があって、
白鳥さんやさとう三千魚さんたち、
八人の皆さんが集まって和気藹々で楽しかった。
思い返すと、確かに、
13日のその午前中には
新聞を 読み終えたところで、
いつものように、
前日の12日の午後のことと、
その13日の午前中には新聞を読み終えたところまでは、
書いた記憶があると、
12月11日のページの半分に書いてあるのを見ると、
なんと、そこには青色のペンで、
13日には朝4時に起きて、
「『ヒロシマ』が鳴り響くとき」を
前日、麻理の友だちのDさんから手渡されたので、
それを早速、読んで、
TBSテレビの「ゲンキの時間」を見ながら朝食、
そして水素水を麻理と一緒に飲んで、
麻理が足をマッサージしてくれたってこと。
そして新聞を読み終えて、
庭に出て三つ目の水仙の花がほころんだのを撮ってから
日記を書いたのが10時36分、
と書いてあったんですよ。
あっ、そうか、そうか、
ページを書き間違えたんだと、
12月10日の日付のベージを見ると、
そこには緑色のペンで、
朝食後に麻理が足をマッサージしてくれて、
その後にNHKの「あさが来た」を見て朝刊を読んで、
9時50分に日記を書いたって書かれてる。
つまり、10日には緑色のペンで、
その日の9時50分までのことを、
ちゃんと書いたんですね。
ところが、それに続けて、
青色のペンで、
その後の半分のところには、
つまり、10日の9時50分に続けて、
12日にあったことの、
二つ目の水仙の花を撮ってSNSに投稿した後に、
10時半頃には、麻理が代々木上原ヒフ科に行くので、
豚骨ラーメンの早めの昼食の後、
土曜日で「うえはらんど」を開く日だけど、
麻理は1時には帰って来れない代わりに、
わたしが「うえはらんど」の留守番をしているところに、
麻理の友だちのDさんが来て、
DさんのパートナーのKさんが刊行に携わっていて、
そのKさんがわたしに贈ってくれたのだという
「『ヒロシマ』が鳴り響くとき」を手渡されたってこと、
夕食には野菜スープの残りをカレーにしたってこと、
それから夕刊を読んで、
7時過ぎにはもうベッドでうとうとして、
10時過ぎに目が覚めて、
炊飯器の釜を洗っってから
歯を磨いて吸入して、
ベッドに入って、
そして眠ったってことが
ちゃんと書かれてて、
ページを捲ると、更に左の11日のページには
同じ青色のペンで、
13日の朝の起きてから新聞を読み終えて、
三つ目の水仙の花を撮影して、
そこまでの日記を書いたっていうところまでが書かれていたんですね。
つまり、13日の午前中に日記を書いた時には、
10日のページの半分と11日のページと12日のページが
空白だったんですね。
そこで、その、
書き忘れちゃったって思い込んで、
13日に青色のペンで日記を書く時、
つまり空白の10日の午後のところに、
12日の午後のこととを書き、
空白の11日の午前中のことを書くべきところに、
その日、つまり13日の当日の午前中の新聞を読み終えたことを
書いちゃった。
10日の午前中の続きに、
12日の午後ことを書き、
11日のページに、
13日の午前中のことを書いちゃったっていうわけで、
また、それを忘れてて、
14日の午前中に日記を書き始めて、
空白の12日のページには12日の午前中と午後のことを書いてしまい、
ページを捲って、
13日の午後の「ユアンドアイ」の忘年会のことを書こうとして、
おやっと思い、
11日のページを見たら13日の午前中の
麻理と水素水を飲んだとか
三つ目の水仙の花を撮ったとかが書かれてあったので、
おや、おや、おやと思い、
10日のページを見ると、
その10日の9時50分以後のことを書くべきところに、
10日の午後のとして
12日の午後には麻理の代わりに「うえはらんど」に降りて、
麻理の友人のDさんから「『ヒロシマ』が鳴り響くとき」を貰ったって
ことが書かれていたってわけで、
ということで、
10日の9時50分に日記を書き終えた後から
わたしゃ、何をしてたか、それから、
11日の朝起きた時から寝るまで
わたしゃ、何をしてたかってことが
書かれていなかったというわけざんす。
日記の書き忘れと書き間違いが重なって、
ややこしいけど、
14日の今となっては、
10日の午後はいつも通りベッドでテレビを見ていたと思うんですが、
何を見たか忘れちまったし、
11日午前中には思潮社の藤井さんに「現代詩手帖」の原稿を送って、
そして戸田さんにはそのことをメールしたってことは、
思い出せる、その原稿には、
6月に亡くなった旧友の西江雅之さんの思い出を書いたんですよ。
6月3日に戸田さんの車で紀子さんと、誘ってくれた幾代さんと、
国立国際医療センターに西江さんをお見舞いしてから、
6月18日の夕刊を見ると、
6月14日に西江さんが亡くなった記事があったんです。
それから、8月29日には駒場公園の旧前田家の屋敷で
西江さんをしのぶ会があって、
西江さんの思い出を話したんですね。
原稿を送ったりメールしたりしたこと、
それ以外のことは、まあ、
確かなこととして思い出せないままなっちゃてるってわけ。
拘るって、
なんじゃい。
ウッふう、ふう。
ふうう。

この日記帳というのはですね、
NAVA DESIGN YOUR LIFEの
「DAY BY DAY」という
1日1ページの日付と曜日が
日本語とヨーロッパ数カ国語で印刷されてるイタリヤ製で、
この20年余り、
毎年、銀座の伊東屋で買ってるんですね。
この数年は銀座に行けないので、
今年も着払いで通販で買っちゃいました。
6264円もするんですね。
高級な日記帳なんですよ。
拘りってことです。
そんな高級な日記帳に、
汚い字で書き殴ってるって、
それがわたしなんですね。
ウッふう、ふう。
ふうう。

この詩を書き始めてから、
もう数日が経って、
12月も半ばを過ぎて、
日記帳には、
正月の一日から、
三百頁を超えてびっしりと、
まあ、ちょと空白のページもありますが、
自分が何をしたかってことが、
だいたい、毎日、家にいて、
同じようなことをしてるんですが、
青色のペンと緑色のペンで、
さっとは読みとれない崩れた小さな文字で、
一見乱雑に、
書き込まれてる。
わたしの一年の生活の記録ざんすよ。

わたしは、
今年の五月十九日に八十歳になったんざんす。
でも、でも、
今年は変わったことがいくつもあった。
1月20日には夜中にひどい吐き気に襲われ、逡巡した末に、
タクシーで慶応大学病院の救急外来に行ったら、
「殴らないでよう、
警官を呼ばなでよう」って、
大声で叫び続けてる女の人がいましたね。
わたしは別に緊急に処置することはないと帰されました。
昼間、外来に来なさいってことでした。
2月21日には朝食の支度でキャベツやニンジンを切っていたら、
手が痺れて顔面が硬直して仮面を被ったようになっちゃって、
慌てて救急車を呼んでもらって、
またまた、慶応大学病院の救急外来に行き、
CTやら何やら検査の結果、
またもや別に緊急に処置することはないということでした。
ところが、また更に、
2月25日には明け方に痰が絡んで呼吸困難になっちゃって、
草多に呼んで貰った救急車に乗せられて、
慶応大学病院の救急外来に運ばれて、
吸入器で吸入薬を吸入してゼーゼー痰を吐いちゃってね、
近くの掛かり付けの小林医院で吸入薬を処方してもらったんですね。
三回も救急外来、
二回も救急車。
八十歳になるって、
大変だ。
ウッふう、ふう。
ふうう。

それから、
難病の麻理が、
ガレージを改装して、
地域交流の場の「うえはらんど」を開きたいと言うんで、
いろんなものを断捨離し片付けようって、
先ずは、
1月17日には、
辻和人さん、薦田さん、今井さん、長田さんに、
手伝いに来てもらって、
いたる所積み上げれれた本なんかを
片付けてもらっちゃて、ありがとうございました。
ガレージの改装工事が始まり、
3月3日には、
「うえはらんど」が開場したんですね。
火、木、土の午後に開いて、
12月の現在で、六百人余りの人が来たって、
その人たちとの交流の所為か、
麻理の進行性難病が進行が遅れているようで、
担当の医師も驚いてるって。
よかったなあ。
ウッふう、ふう。
ふうう。

4月24日には海老塚さんと書肆山田の一民さんが来て、
「どんどん詩を書いちゃえで詩を書いた」っていう
詩集の表紙の色を決めて、
5月11日に印刷が終わったってメールを貰い、
5月16日に一民さんが新詩集の見本を持って来てくれたってことで、
八十歳の誕生日には詩集が発行できたんですよ。
一民さん大泉さんありがとうございます。
今年、この詩集が出せたのも、
さとう三千魚さんの「浜風文庫」のおかげです。
ありがとう。
今年も、毎月詩を発表できてるのも、
「浜風文庫」のおかげです。
ありがとう。
そして誕生日には、
薦田さんたちから花のアレンジメントを貰って、
ありがとう。
7月12日にはみなさんが集まってくれて、
詩集の感想を聞けた。
ありがとう。
それが詩の読書会の「ユアンドアイの会」のスタートになっちゃった。
生きて行く励みって、
ちょと面倒くさいけど、
寂しさから逃れられるってこと。
よかったなあ。
ウッふう、ふう。
ふうう。

今年の夏は、
よく西瓜を食べたざんすね。
近くのセブンイレブンで、
丸ごと買ってきて、
二つに切って、
四つに切って、
麻理と二人で、
毎日毎日、
西瓜を食べたんですね。
八十歳の夏でした。

ところが、
9月10日、
鬼怒川が氾濫して、
濁流が流れる中で、
一人で電信柱に掴まってるおっさんの姿が、
テレビに映し出されたんですね。
どうなることかとヘリで救出されるまで見ちゃった。
そしたら、
翌日、わたしゃ、複視になっちゃた。
近くも遠くも物が二つに見えるんですね。
9月12日に電動車椅子で上原眼科に行ったら、
神経内科に行けって紹介状を書いてくれましてね。
9月15日に麻理が片目で物を一つに見えるようにと、
片目の眼帯を作ってくれて、
独眼流ウインク生活が始まったってわけ。
9月18日には東邦大の医療センター大橋病院に行くと、
即入院で、
採血やらCTやらMRIやらエコーやらなんやら、
一週間の検査の結果が、
脳梗塞じゃないが、
その後遺症とかで、
血行をサラサラにする薬出して貰って退院。
その後、複視は、
11月11日ごろから、
手元の視野から治まり出して、
11月15日には、
眼帯を外して独眼流ウインク生活は終わったのでした。
上目使いの遠くはまだ二つに見えるけど、
やれやれってことざんす。
ちょうど「ユリイカ」の編集部の明石さんから
詩の依頼があって、
まあ、久しくなかったことなので、嬉しくって、
「独眼流ウインク生活でこの空無を突っ走れ。」って
長い詩を書いちゃった。
ウッふう、ふう。
ふうう。

毎日の午前中の新聞と午後のベッドで見てるテレビでは、
安保法制を無理やり通して、
憲法改正をスタートさせた
安倍総理の戦争に傾く姿勢に向かって、
SEALDsのお兄さんたちのデモがよかったなあ。
そして、
ノーベル賞の、
木村のお爺さんに梶田のお父さん。
そして、そして、
ラクビーの、拝む姿勢でボールを蹴飛ばす
五郎丸、五郎丸。
スケートの、自己世界記録を更に更新した
羽生結弦、結弦。
この辺のことは、
日記帳には書いてないけど、
来年の今頃には、
忘れてるんだろな。
ウッふう、ふう。
ふうう。

そうそう、
忘れちゃいけないのが、
17年飼ってる猫のママニの大病ですよ。
猫の17歳は人間の80歳っていうから、
わたしと同い年だ。
6月28日に血を吐いて、
驚いて、心配しましてね。
7月1日には、
野々歩が猫を入れる籠を買って来て、
三軒茶屋のアマノ動物病院に連れってたら、
そのまま入院になっちゃった。
採血して検査の結果、
膵炎だってことでした。
退院して通院となって、
とにかく食べさせなくっちゃと、
強制給餌ってことで、
わたしが四つの足を押さえて、
麻理が口を無理やり開けて、
餌を食べさせる。
ぎゃーにゃー。
わたしらは、
ヒーヒーッふう
まあ、でも
今じゃ、まあま元気になって、
朝晩の薬を混ぜた餌の他に、
ニャーニャー、
マリの後を追って餌を欲しがる。
よかったなあ、
ウッふう、ふう。
ふうう。

ここまで読んでくださった
皆さん、ありがとう。
来年が良い年でありますように。
わたしも、
更に生き永らえたいですね。

 

 

 

2015年を振り返る

 

みわ はるか

 
 

12月の早朝。
山間からこぼれる日の出の光が美しかった。
オレンジ色と一言で表すのにはもったいないような光景だった。
もっと深い、そして暖かい色。
ほんの一瞬、忙しい朝の時間を忘れさせてくれる。
窓を通して室内から凝視する。
まばたきする時間さえも惜しいと感じさせられる。
そんなパワーを自然はもっている。

2015年が去ろうとしている。
どんな年だっただろう。
思い返すと本当に色んなことがあったなと驚く。

朝ごはんを食べようと誓った。
大学1年のなかごろから急に朝ごはんを食べなくなったから。
時間がないからというわけではなかった。
もともと朝からそんなに食べるほうではなくて、胃があまり受け付けないというか・・・・。
あるときを境に食べるのを好んで止めてしまった。
しかしながら、それに対する罪悪感は常にあった。
朝何かを食べるのは非常に大事だということは十分に分かっていたから。
頭を働かすのにも、体を動かすのにもその源となるものが必要だ。
湯気の立つ白米、味噌汁、ちょっとしたおかず。
きっとこんな感じが理想的な朝食なんだろうけれど、それに挑戦するのにはその時のわたしには無謀だった。
だから、野菜ジュースから始めることにした。
毎日同じ味では飽きると思い、数種類買ってきて毎日200ccほど飲む目標を作った。
これが意外にも難しかった。
飲みやすい味とはいえ好きになれなかった。
好きでないものを朝一から200ccも、それも毎日となると憂鬱で仕方なかった。
あっという間にリタイアしてしまった。
次に挑戦したのはお茶碗半分ほどの白米とこれまた同量ほどの味噌汁。
まだきちんと朝ごはんをとっていたときはこの倍量食べていた。
だから容易なのではないか・・・と思っていた。
ブランクが大きすぎた。
朝起きて、白米や味噌汁から漂ってくる香りは今の私にとっては心地いいものではなかった。
箸を口元まで運んでみるもののそれ以上進めることができなかった。
結果落ち着いた今の私の朝ごはんは前日のおかずを少しつまむというもの。
最大限の努力の結果ではあるものの、少しずつでも以前のようなしっかりとした朝ごはんに戻せるようにしていければなと思う。

10月グアムに観光で訪れた。
パスポートの期限がせまっていたのだ。
運よく幼馴染と休みを合わせることができたので急いで旅行会社で飛行機と宿泊施設を確保してもらった。
久しぶりの旅行で珍しく興奮していた。
さんさんと降り注ぐ太陽の下には、広い広いそして青い青い海が広がっている。
風通しのいいワンピース、ビーチサンダル、サングラスなんかも身につけたりして歩くビーチ。
観光雑誌に載っているような「THE グアム」な風景を想像していた。
3時間半の飛行時間を無事終えて降り立ったグアムは・・・・・・暴風雨に見舞われていた。
実はそのとき、グアムの近くには大きな台風が存在していた。
それの影響で雨、風はもちろんのこと気温も低く、半袖の服だけでは寒いほどだった。
グアムの空港に着いてすぐキャリーバックから長袖のカーディガンをとりだしたほどだ。
3拍4日の滞在中、連日雨風に悩まされた。
予定していたオプションの船でのツアーはもちろん中止。
雨がやんだ隙をねらって行ったプールと海からは早々に寒くて退散した。
専ら買い物に時間を費やす形になってしまったがこれはこれでよかったかなと思うことにした。
いずれはリベンジしたいとは思うけれど。
帰国する日、グアムの空港で搭乗手続きをしていると雲の切れ間から久しぶりの太陽が顔をのぞかせ始めていた。
それを幼馴染と見た。
顔を見合わせてどちらからともなくゲラゲラ笑った。
怒りを通り越し、あきれて笑いがこみあげてくるというのはきっとこういうものなんだろう。

色んなものを見て、聴いて、触れて、感じた。
まだまだ人生経験が浅い私に人生経験が長い立派な大人がためになることをたくさん教えてくれた。
辛いことも数えきれないくらいあった。
そのたびに奈落の底におとされて落ち込み、泣いた。
時間とともに、そしてさしのべてくれる手にすがりつきながら復活した。
感謝しなければいけない人がたくさんいる。

2016年はもっともっと多くの人にとって幸せな年になりますように。

 

 

 

花の、筏(いかだ)

 

今井義行

 

 

いまが 旬の花があるんだな
散った花びらが
雨 あがりの
目の前の ちいさな露地を
埋めていて・・・わたしは 乗りたいな

いえ、

わたしたち は 乗りたいな
わたしたち は 乗りたい・・・・・・

雨 あがりの
目の前の ちいさな露地にある 細長い流れに
花弁の集まりを舟として

わたしたち は 老母と息子

紫の花だよ・・・ まだ
途上の紫の花ですよ
そう、 花弁には
花弁の青春時代がある
うまれて はなやいで、
しおれていき、

ちらばっていき、

いきを吹き返す為に
ぱらぱらと細胞殻に
一度は、解かれます

花の、筏(いかだ)に
儚く美しい花の、筏(いかだ)に

・・・わたしたちは 乗りたい
・・・わたしたちは 乗れるよ

目の前の ちいさな露地にある 細長い流れに

わたしは 七星天道虫 となり
ほしを もつ ものに なって
老母は 杖を持つ 細い幼虫として横たわり
・・・わたしたちは 進んでいた

・・・わたしたちは 進んでいた
七星天道虫は 七つの星を振り撒きながら 空から街を俯瞰する
(世界は 空や 雲や 水や 土や 人や建造物や 小動物や
植物群などで できている)
杖を持つ 細い幼虫は 子ども還りして わたしを見上げている

≪きれいかい?≫

おかあさん、
すこし からだを起たせてみて・・・・
ああ、複眼だから遠くまで見えます

おぼえて いるでしょう? ぼくは あのこと
入院中に 想って 詩に 書いていたんですよ

下田・金井旅館 1996年夏の夜 (記憶、)

空白空白「お客さん ほんとうに
空白空白よい日におこしになられましたね」と
空白空白千人風呂で知られる
空白空白南伊豆・下田 金井旅館の
空白空白女将(おかみ)はいった
空白空白「今夜は年に1度の花火大会なんですよ」

空白空白パパの急逝後 こころのバランスを
空白空白うしなって つかれていた
空白空白ママと おとずれた下田にて

空白空白千人風呂を満喫し 金目鯛の煮つけや
空白空白穫れたての生魚の舟盛を地酒で満喫した
空白空白わたしたちが
空白空白窓から外をながめると

空白空白地元のひとたちが ぞろぞろと
空白空白1箇所へ むかっていくのがみえた
空白空白女将が ふたたびあらわれて
空白空白わたしたちに いった
空白空白「お客さん 早くいったほうがいいですよ
空白空白すぐ傍の 小学校の校庭へ」

空白空白わたしたちが 浴衣のまま
空白空白いそいで そこへ いってみると
空白空白小学校の校庭に おおきな円筒をかかえた
空白空白祭り姿の 屈強そうな男衆がおり
空白空白横1列にならんで 矢継ぎばやに
空白空白打ち上げ花火を 壮麗に
空白空白天空に開かせていった 銀河の華
空白空白ひかりがやみをくりぬいて
空白空白夜が 花火模様の 朝に変わった
空白空白小学校の校庭に 流星群のような
空白空白火の粉が 舞い降りてきた

空白空白「こんなに きれいなもの うまれて
空白空白はじめてみた ──」

空白空白ママは ことばをうしないかけながらも
空白空白「あれは パパだ」と いった
空白空白そうか パパか・・・・
空白空白パパがわたしとママを下田へ招いて
空白空白くれたのか と わたしも合点した

空白空白あの女将には きっとパパが憑依していて
空白空白あの女将の ことばは
空白空白すべてパパからのことばだったのだ

今井登志子(1934-   )
うまれついてしまった時代というものがあり
それはどのように きめられたものでしょう
ひとは なぜ 地の上に 現れたのでしょう
それは 神とかかわる 領域なのでしょうか

だれも 傷つくことのない
いまが旬の花もあるんだな
紫の、散った花びらが
目の前の ながれる溝に沿って
水面を埋めていき、

花の、筏(いかだ)
儚く美しい花の、筏(いかだ)に
わたしたちは 乗っているのです
花の、筏(いかだ)に
乗りたいと想ったのは

細胞の房々を鳴らす為に
世界を、蜜で染める為に
何処かへ旅をしたかったから

何処かへ流されるのならば
綺麗な 渓谷を眺めながら
街並の 渓谷を眺めながら
何処ともわからぬ
何処かへ流されたかったのです

花の、筏(いかだ)
わたしたちを運んでくれないか
わたしたちを運んでくれないか

いまが旬の花もあるんだな
紫の、散った花びらが
目の前の ちいさな溝に散って
水面を埋めている── わたしが 離れた家にひとり棲む
老母へ 「きょうは 詩の仲間の集まりがあるんだ
病身でも 詩があるから楽しいよ」と 携帯電話で
詩を書くよろこびをつたえることが幾たびもあったんだ

詩の読書会で代々木上原の鈴木志郎康さんのお宅へ伺ったあと
「楽しかった?」と 老母はわたしに電話でいった
「うん、ほんとうに楽しかった」
そんなやりとりをした 数日後に・・・・・・・・
老母から 電話が あって
「あのね、わたしも詩を書き始めたんだよ」と いった
「読んでくれる?」と 老母はさらに わたしにいった
「読みたい。途中まででもいいからすぐ郵便で送って」
「うん、タイトルもない 作文みたいな ものだけれど
書きはじめたら 楽しくなっちゃって、」

そうして ほどなく 便箋に書かれた言葉が届いたのだ

motherpoem

ほどなく 便箋に書かれた言葉が届いたのだ そして、

いつのまにか いつのまにか、にね
わたしたちは 「言葉」のある 便箋に乗って 流れていたよ

便箋の 筏(いかだ)の 舳先から・・・・・・
七星天道虫は 羽根を ぱたぱた させて
その詩に「太陽」というタイトルをつけた

「言葉」の絨毯に 杖をささえに 身をおこし
わたしを見つめる 細長い老母へ
わたしは 宙中に 浮かびながら
「言葉」を 詠みはじめていたのでした

太陽

今井登志子

今 リハビリ中の
わたしの身体全体が
わたしに牙をむく
例えば、
ゆっくりゆっくりと十分位歩いても
ふくらはぎは頑として前進をこばみ
腰と膝も同様
ひたすら ベンチを求める
杖をもつ指さきにも
結構 ちからが必要であることを知った
毎日 こんな日々の中で
いちばん好きなのは

今日も手も指も足も元気でいてくれた
呼吸もリズム良く
メトロノームのように力強く
波打っている
今朝も元気にめざめた実感
だから、わたしは朝が好き
そんなわたしに
神様は
唯一の贈り物をくれました
身体が云うことをきいてくれないから
「すこしばかりの脳みそ」の
詰まった頭をもらいました
わたしの欠点も 記憶力もすべて
「その脳みそ」が
コントロールしてくれている
ありがたい
今日中にやるべきこと
三カ月先の約束
一カ月先の予約
わたしの頭の中で「脳みそ」は
くるくると一刻もやすまず働き続ける
さあ、今日は何をしましょうか?
街に出かけ友達と食事でも如何?
花屋のカラフルな沢山の花を
ゆっくり 眺めたり
化粧品売り場で お気に入りの
口紅を手に取って選んだり
久しく鎌倉にも行っていないから
広い海も見たいし
わたしの想像の世界は無限大
大空一面に広がり
自由の空間を楽しんでいるんですよ
想像の世界は
次から次から
楽しさを与えてくれるのです
さて、今日は?
明日は何をしましょうか?
太陽も待ってくれているよう

*引用した母の詩は 内容はオリジナルのまま
改行・句読点の有無のみ わたしが手を加えました

≪詩に、なっているかしら≫
いじるところなんて どこも なかったよ 「脳みそ」の
なかで そんな旅をしてるなんて はじめて知って おどろいた!
≪詩は、たのしいなあ また書きたいな≫
つぎの詩も またつぎの詩も 書いてね
そんなふうに語りあいながら わたしたち 七星天道虫と
杖を持った 細長い幼虫の親子は
街並のちいさな渓谷の流れから空へと浮かんでいたのです

・・・わたしたちは 浮かんで、進んでいた・・・

・・・わたしたちは 浮かんで、進んでいた・・・
七星天道虫は 七つの星を振り撒きながら 空から街を俯瞰する
(世界は 空や 雲や 水や 土や 人や建造物や 小動物や
植物群などで できている)
杖を持つ 細い幼虫は 子ども還りして わたしを見つめている

≪たのしいな!≫

今井登志子(1934-   )
これから 成虫(おとな)に なっていく母

うまれついてしまった時代というものがあり
それはどのように きめられたものでしょう

おおきな 声をだすのが 大切 なんだって
「おかあさん、たくさん おっきくなあれ」

ひとは なぜ 地の上に 現れたのでしょう
それは 神とかかわる 領域なのでしょうか

 

 

 

網、づくも疼く

 

爽生ハム

 

 

網膜を布教してほしいから、きみを追いつめているし、こぼしてほしい形をしたんだよ。目を交換したいし、目を否定したい。夜景はコンビニ飯かもしれない。へんにあるより、へんにないものの方が落ちつく。

この形をつぶして、
摂取と、見たことのない。形の力で、うっぷん。を落とす

きみの大人びてく幼稚さでわたしごと燃やしたりする。
最近のわたし、渡来する。見たか、遊ぶ独走を、これからさらに最近のわたしを遡れるよ。

わたしのホコリも落ちてこない。わたしってきみの妄想の事だよ。奇を衒う色彩で塗られてる。わたしはコンビニエンスな距離をめざす。でも、解凍できないので、すごく昔の写真を燃やしたりする。

いま、死に後れるわたしの、情緒はなにに化けちゃうの。きみの娯楽に化けちゃう、なるほど。蓋したパックではじめようと思います。蘇生ごっこですね。
つのを撫で終えたわたしは、鯉がパクついたであろう物語を、人としての触感で妬む。この感じ心底。呆れる。恥ずかしく変容する。起毛は全てを感じてる。

ああ、きみの目だ。全く見えない代表的な目を装ってる。
真っ直ぐにつく嘘ほど醜い形はないよね。そうだ、不十分なきみの慾望は美しい、確かにきみはゆっくり歩いて思考停止するし、ノーブルに性行為もしない。
わたしはこれからさらにイメージです。遊ぶ独走にいけるよ

 

 

 

fly 飛ぶ

 

風が強かった

モコを
抱いて

浜辺を歩いた

波は砕けて
海面が

光っていた

鳩たちが
いた

白鷺と
海鵜が佇ってた

カモメは
テトラポットに並んでた

空高く
一羽のカモメが旋回していた

刹那には青い水面が揺れていた

青空に
白い雲が浮かんでいた