あきれて物も言えない 25

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

東京五輪が開幕した。絶句した。呆れた。物が言えない。

 

ここのところ絶句している。

ほとんど、
絶句している。

あきれて物も言えない。

夕方に、
モコと散歩して近所の黒白のノラに会う。

挨拶する。

工場の倉庫のパレットの上で、
鬱陶しそうにノラはこちらを見ている。

この暑いのに暑苦しいおじさんと家犬のチビが来たわいと思っているのだろう。
この男には夕方に犬と散歩して黒白のノラと会うのがほとんど唯一の楽しみになってしまった。
地上では東京五輪がお祭り騒ぎのようだ。
TVのチャンネルを変えてもどこもオリンピックの映像が流れている。
ニュースもこの前まではコロナ映像が多かったがいまはオリンピックが主役になってしまった。

真剣な選手の皆さんに申し訳ないですが、
オリンピックをこれほどくだらないと思ったことはなかった。
オリンピックのプレゼンテーションの際にこの国の首相がマリオになった時もくだらないと思ったが、
今回の開会式の映像も途中でTVの電源を切った。

これがクールジャパンなのか。
呆れる。
物が言えない。

東日本大震災からの復興を世界に示すというビジョンは、
コロナに打ち勝つというビジョンに取り替えられたのだったか。
日本の被災地の人々の本当の姿が発信されているわけでもないし被災地の復興の現在が発信されているわけでもない。
日本はウイルスに打ち勝ってもいない。

嘘だった。
愚劣だった。
腐った意味を盛りだくさんに盛っていた。

女性蔑視発言でオリンピック組織委員会の会長を辞任した森元総理大臣を「名誉最高顧問」にするということが、
組織委員会と政府の間で水面下に進んでいるのだという。

日本はもう終わっているのだろうか?
日本の子どもたちはこの腐った政治家や大人たちをどのように見るだろうか?

体操の内村航選手が鉄棒から落下する映像とその後のインタビューの映像を朝のTVニュースで見た。
美しかった。
自分に失望しながらこの世界の地上に佇っているひとりの男がそこにいた。

そこに小さな光が見えた。

今日も、
夕方には犬のモコと散歩した。

近所の黒白のノラとあった。
ノラはこちらを鬱陶しそうに睨んだがわたし笑ってノラに挨拶した。

 

呆れてものも言えないが言わないわけにはいかない。

 
 

作画解説 さとう三千魚

 

 

 

愛する人たちが、この世を去った時、
まだここに留まりたいと思うだろうか?

 

一条美由紀

 
 


あなたの瞳は別な世界を映している。
友達だった時間は、金緑石に変化した。
たくさん話そう。
たくさん話そう。
あなたの世界へ、
わたしも雲をすり抜けていく時が来たら。

 


答えは孤独からは生まれない
でも孤独は質問してくる

 


わたしの見えない触角で
あなたの見えない触角に伝える
”積み木の色は、青くて少し甘辛い”

 

 

 

あきれて物も言えない 24

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

工藤冬里のボックスCD「goodman 1984-6」が届いた

 

24回目の5月には、なにを書こうとしていたのだったか?
5月の「あきれて物もいえない」を飛ばしてしまった。

“あきれて物も言えない 21 “では、わたしが毎日、詩を書くことについて、書いた。
2月だった。

“あきれて物も言えない 22 “では、モコと、女と、わたしの暮らしについて、書いた。
3月だった。

“あきれて物も言えない 23 “では、福島の原発汚染処理水の海洋放出ついて書いた。
4月だった。

書くべきことがないのはいつものことだった。
書くべきことがないということをいつもことさらに書いてきたのだった。

詩もそうだ。
はて、困ったと、いつも空を見上げて、書きはじめるのだった。

困ったなと、
あきれるところから書きはじめるのだった。

そして、
6月には、

工藤冬里のボックスCD「goodman 1984-6」が届いた。
ボックスCD「goodman 1984-6」の工藤冬里の音楽を聴いている。

絶句した。
あきれた。

工藤冬里もあの1980年代を生きていたのだったろう。
ほとんどすべては終わっていたように思えた時代だったろう。

絶句の後に、
工藤は、
ピアノの鍵盤を叩いたのだろう。
ギターの弦を爪弾いたのだったろう。

演奏中に電話が鳴ったりしている荻窪のGoodmanという場所で仲間たちと鍵盤を叩いたのだったろう。

わたしはいま、
工藤冬里の「僕は戦車[I am a tank](20 Feb 1985)」に絶句する。

空0戦車の中でまどろんでいた
空0目覚めぬ見張りの鎧の中は血でいっぱい
空0血は戦車の内側に流れ出ていた
空0この辺り一帯は廃墟
空0ペリカンの上に空漠の測り網
空0やまあらしの上に荒漢の測り網が張り巡らされる
空0Singing’ with the harp
空0is prophesying my wars.
空0Singin’ with the harp
空0is prophesying the war. *

そして、「unknown Happiness ‘of’ the past(20 Feb 1985)」に絶句する。
そして、また、「guitar improvisation ‘86 7/3 at home」にも絶句する。

1980年代以降の資本主義は世界を平らに踏み潰していたのだったろう。
わたしもその時代を東京で生きていた。
わたしの知らなかった工藤冬里も荻窪のあたりで生きていたのだろう。
1980年代に「キャタピラー」というタイトルの詩をわたしも書いていただろう。
いま彼と彼の仲間たちの音楽を聴くと不自由の中での自由を感じることができるだろう。

工藤冬里のボックスCD「goodman 1984-6」には、
「パラレル通信」[ GO AHEAD,MAKE MY DAY 1987 5.1 ]という当時の冊子の複写が付録として付いてきていた。
そこには1985年当時の工藤冬里のテキストが資料として掲載されていた。

「私達はコード進行をその生み出す種々の実によって選びとり、更生することができます。決してそこから別の音楽様式が生まれる訳ではありませんが、私達はそのことによって音楽に対する平衡のとれた態度を示すことができます。高さも深さも私達にとって意味のないものになろうとしています。深い精神性なるものも他愛のない子供の歌も同じ平面で考えることができるようになります。それは良い果実を生みだすこと、・・・・・・・・・・何であれそうしたものを思いつづけていることです。」

いま、新聞には疫病や、ワクチンや、非常事態宣言や、宣言の解除や、オリンピックや、オリンピックにおける政府と専門家との意見や、対立や、河合元法相の実刑判決や、原発汚染処理水の海洋放出や、ミャンマーのクーデターと市民への弾圧、香港リンゴ日報幹部の逮捕、イランの保守強硬派新大統領の誕生などなどの記事が掲載されています。

混乱した世界のなかで人々はどこに向かっているのでしょうか?

ここのところ工藤冬里のボックスCD「goodman 1984-6」の音楽を聴きつづけていました。
工藤冬里の歌もこの世界の中にあります。

「それは良い果実を生みだすこと、・・・・・・・・・・何であれそうしたものを思いつづけていることです。」

私達はあの時代の中で発声された工藤冬里の苦渋に満ちた”肯定的な声”を聴くことができます。
そこに小さな光が見えています。

 

夕方の西の山は灰色の雲の下に青く佇んでいます。
呆れてものも言えないが、言わないわけにはいかないのです。

 
 

作画解説 さとう三千魚

 
 

* 工藤冬里の”僕は戦車[I am a tank](20 Feb 1985)”より引用しました。

 

 

 

列車を見送ったのは、ホームに記憶された影たちだった

 

一条美由紀

 
 


鬼は人間をバクバク食べるのが好き。
人間の悲鳴もちょいとしたスパイスだ。
ある時変な人間を食べてしまった。
そいつは食べてくれてありがとうといい、
そいつを噛み砕いている時、
うふふ、うふふと喜んでいた。
何十年何百年と年月は過ぎていったが、
鬼はあの人間の喜ぶ声が忘れられなくて、
ある日あの人間に変わってしまい、
食べてくれる鬼を探し続けることとなった。

 


言葉を探すのはつらい
考えてる時、頭の中に言葉はない
感覚の湖の中にドブんと沈み込み
そこでキラキラしたものを探してる
言葉で現実に戻そうとしたって
言葉は嘘つきだから
キライ

 


私が猫だったら、
いつも可愛い可愛いと言ってくれるのかな。
うっかりあなたの大切なものを壊しても
仕方ないか、猫だもの。と言って許してくれる。
私が猫だったら、
いつも側に来て優しく撫でてくれるのかな。
そしていつかあなたより先に死んでいっても
あなたには私との美しい思い出しか残らないのだ。

 

 

 

あきれて物も言えない 23

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

処理水 海洋放出へ

 

毎月、19日は義母の月命日で墓参している。
女と車で霊園に向かい墓前に花を活け線香を立てる。

紫の煙が香る。

もう随分、たくさんのヒトたちを失った。
墓前では、もうちょっと待っていてね、もうすぐそっちに行くからね、と、祈る。

父も、母も、兄も、義兄も、義母も、友も、あのコも、詩人のあの人もあっちにいってしまった。

ともに生きた人たち、好きだった人たち、りっぱに生きていた人たちが骨になり煙となった。
しかし、わたしの中で彼らは生きていて、たまには会話する。

そして、今を生きている、遠い、家族たち、あのヒト、あの詩人、友たちの無事を祈っている。
ソファーで犬の首を撫でている。
もう、随分、釣りには行っていない。

小舟も売ってしまった。

 

さて、
2021年4月14日、新聞朝刊一面に「処理水 海洋放出へ」* の見出しを見た。

東京電力福島第一原発の処理水を海洋放出する処分方針を政府が決定したというのだ。
約一千基を超えるタンクに保管された原発汚染処理水、約125万トン、東京ドーム一杯分を海洋に放出するのだという。

確か、昨年の10月17日の朝日新聞の朝刊一面にも「処理水 海洋放出へ調整」と見出しがあった。
副題に「関係閣僚会議で月内にも決定」とあった。
それが、”月内”(2020年10月)には決定されずに、菅義偉総理が訪米しバイデン大統領と会談をする直前に決定された。
アメリカ大統領の承認を貰うためだろう。

海洋放出される原発汚染水は多核種除去装置(ALPS)で処理され、原発汚染物質はALPSで濾過され基準値以下まで下げられるが、ALPSで濾過できない放射性物質トリチウムは事故前の福島第一原発の放出の上限、年間22兆ベクレルを下回る水準にして30年以上をかけて放出するのだという。トリチウムの半減期は12.3年。トリチウムのベータ線は多様な海洋生物のDNAにダメージを与えるかもしれない。
海洋生物のDNAへのダメージは長い時間を掛けてわれわれやわれわれの子供たちに帰ってくるかもしれない。

処理水を海洋放出する前に、保管方法や処理方法の新たな開発、改善をこの国はできないのだろうか?

政府は「風評被害、適切に対応」* するという。
福島の漁民たちが震災、原発事故後に試験操業を開始し今年に終了させた10年の努力が無駄になるのだろうか。
海は世界に繋がっている。
大型の魚たちは世界の海を回遊している。
福島の漁民や日本各地の漁民、日本国民、近隣諸国や世界の人々はこの日本政府の決定に反発するだろう。

海に囲まれた島国の日本、
海の恵みを貰ってきたこの国の人々、
雨が、たくさん降り、雪もたくさん積もり、雨や雪は川となり、海に注ぐ日本という島国だ。
山々には豊かに樹木が繁り、雨が山々の養分を海に届けてきた。
何万年も続いた自然の豊かな循環なのだ。

戦後、原発は、政治家や官僚が作った「国策」によって、アメリカから移植されたものだろう。
わたしたちはTVで鉄腕アトムを観ながら育ったのだった。
安全なエネルギーと言われた原子力エネルギーがこれほどに日本国民を不幸にしてしまったことが残念でならない。
政治家と官僚に憤りをおぼえる。
敗戦後の政治の構図が、今、新たに明らかになっている。
原発も、防衛も、経済も、オリンピックも、コロナも、農民も、漁民も、サラリーマンも、人々は、この構図の中にあった。

魚は人と繋がっています。
魚たちはわたしたちと水で繋がっています。
魚たちはわたしたちの祖先であり、母であり父であり兄であり義兄であり義母であり友だちであり、わたしたち自身です。

トリチウムの半減期は12.3年だそうです。
どうか、海に、トリチウムを放出しないでください。
約一千基を超えるタンクに保管された原発汚染処理水のトリチウムは60年経てば半減を5回繰り返し現在の32分の1(3.125%)になるのです。

そこに小さな光が見えています。

 

この島国の日本から、この世界にとって取り返しのつかない事が起こりつつあるように思えます。
呆れてものも言えないが、言わないわけにはいかない。

 
 

作画解説 さとう三千魚

 
 

* 朝日新聞 2021年4月14日朝刊より引用しました。

 

 

 

監督:「常に観客にはセンセーショナルに見せよう」

 

一条美由紀

 
 


あなたの欲しいものはなんだろう
欲しいものを捧げたら喜ぶのだろうか
与えることで私は嬉しいのだろうか

 


落とし物を見つけた
昔々捨てたものだった
捨てたものは年月の間に甘く変化していた

 


ずっと待ってる
ずっと待ってる