≪友愛≫と、コインランドリー/カンバセ―ション

 

今井義行

 

 

これは、2014年 わたしが急速に 健康を 損ねていった
時期に 詩友・辻和人さんが 代々木上原の「鎌倉パスタ」
で 瞬く間に 箇条書きにして 渡してくれた メモです

重い鬱と連続飲酒に陥っていたわたしは働くことができず

家賃の3万円安い江戸川区・平井へと転居した直後でした
その物件を探しに 奔走してくれたのも 辻和人さんでした

 
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【CHECKLIST】

□ 就労支援事業についてのシステムを勉強する
□ 障害者の保障についてネットや本で勉強する
□ 地域担当の保健所の保健師と話す機会をもつ
□ 朝型の生活をこころがける
□ 栄養バランスのとれた食事をこころがける
□ 低賃金でも軽作業のアルバイトを探してみる
□ 相談できそうな人を増やす努力をする
□ お向かいのおばあさんと茶呑み友だちになる

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2016年 春
改めて見直してみて この【CHECKLIST】には 概ね レ点が 付いています

底へ底へ墜ちて 2度の入退院後も 希望はある、と今では甦りがきました
辻さんが「一生、今井さんを見放さない 罪を犯した訳ではないのだから」
そして、「人生の目的は何ですか? 詩を 書くことではないですか?」と
平井のちいさなアパートの6畳間── 家具類で実質3畳の生活空間に座り
わたしに真正面から向かい合い 確かめさせてくれたことが 想いだされる

辻さんは「今井さんの詩をまた読みたい」と言ってくれた 嬉しかったなあ
けれど、PCに触れることさえ辛く わたしは すぐには 詩を書けなかった
「みんな、喜ぶよ」 やがて詩作を再開したとき そこには 《友愛》という
物の存在── 静謐に波紋を描く存在が訪れると はっきり感じとりました
≪友愛≫という抽象的な概念が 具体的に 腑に落ちた 体験だったのです

この2月 平井と 亀戸の間 平井3丁目の旧中川河川敷の 河津桜並木まで
七分咲きになった光景を見に行けた 嘗て末梢神経が壊れて杖をついてさえ
つまずき ころんで 大きな 骨折をしたわたしには 眩しい出来事でした
「ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます」
あの 【CHECKLIST】には 概ね レ点が 付いていますが、

レ点が 付いたなかで いまなお 難しいのは お向かいの おばあさんと
「茶呑み友だちになる」という項目です
ご近所付き合いって 移ろいやすい 生ものですから──・・・・・
ということで、ここまでが 長い ≪Introduction≫ の 終わりであります

さてさて、はてさて、詩作から、詩人に就いて。

日本で一番詩集が売れている詩人は、谷川俊太郎ではないんですよお。
だれでしょう──・・・・・?
それは、池田大作です
創価学会名誉会長です
この人は 世界で秀でた詩人・桂冠詩人の称号を 授与されており
小説、随筆のほか 詩集も数多く出しています
その池田大作氏の詩集、ゴーストライター疑惑があろうと
国内公称・400万人の会員がこぞって購入、プレゼントもするのですから
まさに ベストセラー詩人でしょう

わたしの まわりには 学会員が多く 勧誘も説教もしません
親切ですよ 一緒に食事をして 四方山話をしたりね
詩人もいるけど 池田大作詩集を贈られ 拒否したりしません
その詩人の書く詩も 学会の教義を含むものが 多いですけど
日本人の中で 学会員の割合は高く
その意味で 日本で最も成功した ≪新興宗教≫だと言えます
わたしは 組織体と個人崇拝が きらいなので 入会しません
どのような ご利益が あってもね

池田大作の詩集には、「善いこと」が 書かれていると思う
≪いつも笑顔でいれば  輝かしい勝利が開ける≫みたいな
確かに「善いこと」なのだけど 誰にでも書けそうでもある

週刊文春あたりが 醜聞として、たとえば
学会に入っている芸能人を 悪行の如くリストアップしているが
浮き草稼業の人たちが 人気の持続を願って 何が悪い

≪広告搭≫って、エッフェル塔みたいで パリジャン

或る朝 お向かいの おばあさんが わたしの部屋のドアをノックして
「いらっしゃいますかあ !!」と 何度も呼んだ
70歳台半ばほどの独り身の方だが
平均寿命の伸びた時代 「おばあさん」扱いするのは気が引けるので
≪ヒグチさん≫ として 登場してもらいます

≪ヒグチさん≫・・・・・・・・

つつぬけの ばばあのくしゃみ 爆竹か?

なんて 思わないようにしていますから ご安心を。
「はーい、いま 開けます」
いそいで ドアを 開けてみると ≪ヒグチさん≫が
深々と頭をさげて 立っていたのです
「どうされたんですか」
「あの・・・・・ どの知り合いに言っても断られて最終手段に出ました
わたしが 購読料を払うので 3カ月間だけ
≪聖教新聞≫を 読んではもらえないでしょうか」
「う、・・・・・ ええ、いいですよ。 ≪ヒグチさん≫は
わたしが 3カ月入院していた時 溜まった郵便物を 丁寧に
保管してくださいましたからね」
「え、・・・・・ いいんですか !! ああ、これでほっとしたわっ」
「ノルマがあるんでしょう 購読者を増やすと
ひとつステージ=次元が 上がるんでしょう?」
「うん」と・・・・・ ≪ヒグチさん≫はうなずいて 部屋に戻り
3カ月分の 購読料 6,000円を 茶封筒に入れて 持ってきた
「お向かい同士、仲良くしましょうね
わたし このアパートの住人の誰とも付き合いないの 上の階の人が
窓から 塵取りで集めたごみを 捨てるものだから
昼間でもね 窓のシャッター下ろしてるの」

「ただでさえ 陽当たりの悪いアパートなのに たいへん」

そこまではよかったが 脅迫観念症に苛まれている わたしは
出かけるとき 鍵をかけても 戸締り確認を 10回はやります
それで 部屋の奥から ≪ヒグチさん≫が 「うるせえよ」と
大きな声で言っているのを 何度も 聞いたことがあるのです
また 近頃 写真を撮る楽しみを覚えたわたしは アパートの
門までの小径に敷かれた 雨に濡れた石を接写していたところ
たまたま≪ヒグチさん≫が 出てきて 「なに、やってんの?」
と訝しげに 尋ねたりもしました 確かに不審者ぽいものねえ

「雨の日には いろんな石が 綺麗なもの ですから」

そうかと思えば また別の朝に ≪ヒグチさん≫がやってきて
「マイナンバーの通知書の 不在配達票が入ってたんだけれど
うちの電話 *とか#がついてないから 連絡ができないの」
それで わたしが代わりに連絡をした 持ちつ持たれつ、かね

そうして 3月に入っていきました──・・・・・
わたしは、日々 とても追い込まれていました 何に? 溜まった洗濯物に。
アパートは 洗濯機が置けない造りなので
下着や靴下など薄物は お風呂に入ったとき 洗っていますが
厚手のシャツ、ズボン、ジャージ等は 部屋の隅に置いてある
コインランドリー行きの洗濯物袋に 放り込んでいきます
わたしは 食器洗いや 掃除などは あまり苦にならないけど
洗濯 それだけは・・・・・ 勘弁してくれ、だ

歩いて2分だけれど コインランドリーに行くのは億劫だ やだやだ !!
隣りの街まで 行くみたいで やだやだ !!
でも、実家の母から 電話がかかってきて
「洗濯物 溜めてないでしょうね!?」
「う、うん」
「いやあねえ、コインランドリーが近いんだからさっさと行きなさい」
なんて せっつかれて 或る晴れた日の午後イチに
膨らみきった洗濯物袋を抱えて わたしは行ったよ コインランドリーに。

コインランドリーには 洗濯機が5台あり、乾燥機が2台あり、
始めてしまえば 待ってればいいのだが それが 億劫億劫億劫億劫億劫だ
洗濯工程から乾燥工程まで 所要時間は大体1時間くらいでも
椅子にすわって ぼんやりしていると 飽きてきてしまう・・・・
ひまつぶしにしようとその日の≪聖教新聞≫を持っていったよ
その時 乾燥機から洗濯物を引っ張り出して パンンパンって
はたきながら 振り向いたのが半纏姿の ≪ヒグチさん≫だった
「あらー、ここで会うの、初めてね
≪ちょいと、あんた !!≫ その手に持っているのは──・・・・」
「はい、≪聖教新聞≫ですよ」
「あらまあ、こんなところまで
≪ちょいと、あんた !!≫ 善い事書いてあるでしょ──・・・・」
「はあ、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
ほんとは たまに 健康情報を 稀に切り抜いたりするだけで
普段は 大好きなフランスパンを カットして トーストして
カロリー60%カットのマーガリンを塗りたくって食べるのが好きで
ぽろぽろ パン屑が散らばるので 使い捨ての マットにしてるんだ
そんなこと 馬鹿正直に 言えないよなあ

「分ってるのよ 働くことのできない 身体なんでしょ?
≪ちょいと、あんた !!≫ 福祉のちからを借りなさい」
「福祉って 生活保護のことですか──・・・・ 江戸川区役所の保護課に
電話してみたことあるんですけど
貯蓄が10万円を切らないと 保護の対象にはならないそうです」
「分ってるわよ でも 働けない身体なんだから!
≪ちょいと、あんた !!≫ 即刻タンス貯金をしなさい」
「保護課のひとの話では 東日本大震災の影響で 受給者が急増したのと
不正受給者が後を絶たないので 支給額は減額されていくらしいです」
「生活保護を受けながら パチンコに明け暮れてる 知り合いなんて
たくさんいるんだから
≪ちょいと、あんた !!≫ お人よしも いいとこ
学会に相談して すぐに 何とかしてあげようか
東日本大震災の影響ったって ここは東京 福島じゃない」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「あと1年半くらいは なんとかなりますよ」
(学会に組み込まれるのは やだやだ !!)
(政教分離って どうなったのさ──・・・・)
(確かに東京・平井は 福島でないけどさ)

≪ヒグチさん≫は わたしの前に立ちはだかり
「もたもたしてちゃ だめだめだめだめ
≪ちょいと、あんた !!≫ お人よしも いい加減にしな
ケースワーカーが抜き打ち調査にきたってしらばっくれろ
自分の暮らしは 奴らの 暮らしじゃない」
そうして 乾いた衣類を椅子のうえで畳みはじめたが
ご婦人の衣類なので じろじろと 見ないようにした

わたしは 生活保護法とともに 詩を書く者として「詩人保護法」について
考えを めぐらせていた

≪「詩人保護法」についての考察≫ 今井義行の脳内施策
※Facebook上での詩人・鈴木志郎康さんとのやりとりを基盤として

国や自治体が詩人を保護する法律を制定すべきというのは極論かもしれません。
その保護というのは、「詩」の社会的意義について、国や自治体が理解を示し、
詩人の生活の支援に繋がる 何らかの方策を考えても良いのではないかという
ことになります。

わたし個人を例としますと健康上の理由では「うつ病」が治らないということ
で、会社解雇となりました。その後完治することはなく、アルバイトも続きま
せんでした。そしてメンタルクリニックの支援で「精神障害者手帳」の取得と
「精神障害者年金」月に約65,000円支給が得られ、それがわたしの所得
のほぼ全てです。しかしその支給は来年6月で打ち切られる見通しです。何故
ならば、わたしは「うつ病」に「アルコール依存症」が加わっているというの
が現在の姿で「うつ病」も 「アルコール依存症」も 厚生労働省により「保護
される疾患」とされているのですが、実態は「アルコール依存症」は自業自得
の病として、世間的にだけでなく 行政からも 侮蔑の対象となっており、医師
の診断書に 「アルコール関係の記述」が加わると 保護の対象からはまず外さ
れるのです。また 医療機関のミーティングでは「精神病院に 入院していた」
という履歴は、世間体があるからカミングアウトできないという人も多いです。

世の中には、健常者と同様に 働ける人とそうでない人がいる。しかし思うよう
に労働に従事できなくても、生き甲斐としてのみでなく 大げさに言えばですが、
天職として捉え、「やりたいことがある」 そんな志を持っている人たちは多く
いるのではないでしょうか。

≪わたしは、詩を 書いています。詩作は、自分が楽しいだけではなく、他者の
こころを震わせることもある、という意味で 「社会参加」と 捉えています。
わたしには 詩作が社会行為、すなわち「詩生活が軸」なのです≫

わたしの見通しとしては、来年に打ち切られる 可能性大の、月に換算して 約
65,000円支給を 埋め合わせるために、障害者枠で、 或いは 在宅勤務で
行える軽労働をしてみようと 考えていますが、毎月 確実に 赤字が発生して
「生活保護」の申請に 進んでいくでしょう。わたしは、そのような 生活の中
で、詩を書き続けようと 思っています。「生活保護」を受ける。 国民の権利
ではありますが、この時点で 国の保護を受けるということになります。

行政側は、不正受給防止なども 含めて、担当ケースワーカーが 抜き打ち訪問
して、「働ける状態にあるか、どうか」 チェックを 行います。その時、部屋
で 詩を書いていたとして 「これが、わたしにとって仕事なんです」と、どう
伝えたら良いのか。

「わたしは、詩で社会参加をしている」と 思っている。 小説家のように「家」
の付かない人は、職業として 認められませんが、望みもしない 文章を書いて、
「文筆家」などと 名乗りたくありません。制作費用のかかる、従来の 詩集の
出版は 特別 望んでいません。むしろ、詩の効能に 詩人側から関与して、そこ
から安価で良いので、収入を得るシステムは  行政側で検討されても良い、と
思います。個人の 生きる喜びとともに、国民の「生き甲斐」に 関わることに、
価値を 見出して 頂いて。「生活保護」の中で、現在 使っているパソコンが壊
れた場合、新規購入は 難しいので、周辺機器も含め 低額レンタルが あっても
いいのではないでしょうか。

先日、辻和人さんと 「詩人保護法」について 話し合う機会がありました。彼
は 「保護法」には反対で、それが施行されたなら 保護される対象は 「詩を書
いている人たち全員になってしまうから」と いうことでした。

辻和人さんは 以前わたしの母と 電話で議論する機会がありました。わたしの
母は、わたしが 詩作に熱心なことに、嫌悪感=馬鹿息子 と 思っていたようで、
苦労して大学まで 卒業させたので、企業で 定年まで 堅実に働き、家庭生活を
営むことなどを 以て、「自立」と 考えてきたようです。それは、概ねの 親が
願っていることなのかもしれませんが、そこからは 逸れて、健康を 害し、お
かねにならないことに 熱心なまま、というのには 「話にならん」ということ
だったのですね。わたしは、会社員時代、毎月 母に 仕送りしていて、それが
母の暮らしを ある程度 支えてきた面があったので、そういう不満も 持ったの
でしょう。

その母が、詩を 書きはじめました。わたしが 「詩は楽しい」「志郎康さんの
代々木上原のお宅での 詩の読み合いを満喫した」と 繰り返し言うので、歩行
困難で、部屋に独りで 1日過ごすこともある 母は、ためしに 「詩を書いてみ
よう」と思い立ち、実践したら 昂揚感が湧いてきた、と言います。通っている
デイサービスに それを 持って行ったら、所長さんが 朗読してくれて、壁に
貼ってくれて、「コピーが欲しい」という 参加者が 何人もいたのだそうです。
脳を活性化させるという だけでなく、生き甲斐ができたのですね。

そういうことがあるなら、「今井さんが お母さんに 詩についてアドバイスす
るだけでなく、そのような 施設に行って、詩を書く楽しみを 話して、実作し
てもらって それぞれの生き方を 褒めたらどうか。それが、詩人の 社会参加の
1つのモデルケースで、「友愛」の考えに 結びつくのではないか ───」と
は、辻和人さんの意見。

志郎康さんは、制作された 個人映画が 以前、或る機関に 買い上げられたとき
「嬉しい」と コメントされていたように 記憶していますが、詩について「国
の保護を受けるなんざ、まっぴら」という考えと どう 関わっているでしょう
か。わたしは、志郎康さんの作品を見出した、 ≪表現を解る≫人が いた、と
いうことに 感銘を受けるのですが。国や地方自治体の 文化行政 例えば文化課
や生き甲斐課や生涯学習課に そういう人材を きちんと配置することが 大切だ
と感じています。

しかし、そうなると「では、どこからどこまでが詩人なの」という 問題が出て
きます。実際、これは 判定不可能でしょう。東京都庁のHPで文化政策を見て
みますと、例えば ギャラリーの設立など、表現をしている人たちの利用できる
スペースの提供などに、予算を 使っているようでした。これは、わかりやすい
支援の仕方ですね。詩人の社会参加について、わたしは 「1篇の詩が、読者の
気持ちを良い方へ揺り動かすことがある」のだから それは ブラック企業は別
として、例えば会社という組織、そこに属する社員が 品質の良いものを探求し
て、暮らしやすい社会を築くことに寄与し、そこで 発生した利潤が、個人を生
活させるということと、ある程度同列に考えて「社会参加ではないか」と 書き
ました。

「詩作」は、生業にならないので、つまり 詩人は小説家など「家」の付くもの
と違って、例えば確定申告では、職業として 認知されません。たまに詩の原稿
料が発生するにしても、それは「雑所得」という、本来の収入とは 別の物とし
て区別されます。医者が講演会を頼まれて、講演料が 発生したとします。この
場合、医者の所得は 医療行為から発生する物を指し、講演料は「雑所得」とし
て扱われます。最近は、生業の他に「雑所得」を得ることに 熱心な人たちが急
増しているそうです。

詩では食べていけないから、結局、生活を安定させる 基盤として、大学で文学
を学んだ人たちが 文学部の大学教師となり、そこで詩を書いて、文化人として
「先生」と呼ばれて、本人も その気に なってしまう。結果 教養主義的な詩が、
世の中にはびこり、詩は、一般人には届かない。

わたしが言った「詩人保護法」とは、健康上の理由などで、最低限の 生活を営
むのに手いっぱい、一般労働というかたちで 社会参加が出来ない人に、提供さ
れるべきものと思います。ゆとり持つ人は、自分の生活力で 詩に関われば良い
と思います。ちなみに、先日 確定申告をしました。昨年、1度だけ在宅バイト
をしたのです。わたしの 年収は、12,800円。それでも 申告しておくと、
自動的に 住民税非課税となり、国民年金納入全額免除となります。しかし、社
会は 甘くありません。国民年金納入全額免除期間は、追納しない限り、老後に
支給される年金は 一般の方々の半分になるようです。

「あらあら あららら
≪ちょいと、あんた !!≫  洗濯機、とっくに 止まってるわよ」と
≪ヒグチさん≫が わたしに 言いました
「あれれれ ちょっと 考えごとを してました」
「≪聖教新聞≫ 善いこと 書いてある ものねえ
感極まっちゃった、のかな──・・・・?
≪ちょいと、あんたっ !!≫
今度、うちに お茶でも 呑みに いらっしゃいよ」

「はい──・・・・ ≪ヒグチさん≫ ありがとうございます」
近いうちに 懸案の 【CHECKLIST】に レ点が 付きそうです

 

 

 

永遠の綿畑 ── evergreen

 

今井義行

 

 

睡眠導入剤を 飲んでいても
午前三時には ベッドを出る
わたしのこころはいつだって
弾んでいます 起毛の速さで

明かりは灯さないのがすきだ
手探りの感触に艶があるから

「早朝覚醒」は異状じゃない
ってことを実証していくんだ

交感神経の昂揚── それは
希望の時刻を待ち侘びる自然

健康を示唆する、と言われる
≪既定値≫ それは

此処では 「真実」 ではない

睡眠導入剤には 種が含まれている
麺麭が 発酵するような 種が──・・・・・

夜明け遥か黒光り繁茂する場
鎮まりかえった 部屋の膜間
此処では 脳髄が 転倒をする
意味なんて捻ってしまうんだ

わたしは、わたしの日常だけは、カスタマイズするんだ
それは普遍に関わっていること「人」人にはそれぞれの
呼吸の仕方 そのときの姿 輪郭が在るんだよってこと

連綿とつづく 「早朝覚醒」、それは 永遠の綿畑 ──
地平線まで輝く 常緑の低木 綿の樹々に 季節が廻り
渇いたその種から現れた無限のふわふわまるい純白の綿
綿畑は白で埋るというが脳内跨ぎで緑の綿毛の球面地帯

わたしが 蒲団に居た 短い眠りの あいだに
六畳間の畳は 常緑の綿畑の 球面宇宙に 覆われ 生育していた幸福
永遠の、綿畑 ── evergreen

わたしは 球面の感触を 頼りにして
べんじょへ行って べんは排泄せずに
とても 浅かった「早朝の夢」の 結石を捨てる
それから ──・・・・・
コンピュータを起動
闇が、ひかるひかる
コンピュータの画面
に陽射しが踊ってる

画面のひかりが 綿になって へやに 噴きこぼれる

永遠の綿畑 常緑の その空間の 彼方まで 入っていくよ ── evergreen

「言葉」を さまざまに
置いては崩し また
置いては崩し かたちを創っていくのです

永遠の綿畑 常緑の綿の 球面宇宙を 遊泳しながら 言葉を 摘むんだ

「早朝覚醒」は 言葉織る 時間なんだ
キーを叩き変換し 初めて出会う物達
その場こそ 覚醒なのだ
わたしの 今日 それは
その時間を満喫しようと
する事から異化されます

「早朝覚醒」の 温みを
朝の御飯にすることから

「いただきます」 摘んだ言葉 ひとつひとつを 溶かした バターで 味わう

≪プログラムの関連付け≫という 言葉が しばしば 画面に表示されています

無意識の関連付けが 詩に
意識化の関連付けが 詩に
対象化の距離感覚が 詩に
錆びた技術の駆逐が 詩に

そして 朝陽の 地上に 立たないと
わたしは 今日に現れない
わたしは 在っていこうとして
無心に 画面と抱き合う
書き直して、 読み直して、
ことばを 保存しては
それを繰り返して、やっと
落ち着ちいて 平和的な息をもらす

ほうら・・・・・・・・・・・・・・・・・・
衛星の高さからイメージしてみよう
わたしは居るが 居ないにひとしい
居ないにひとしいが
接近していくと わたしは居るのだ
地上には ≪ Ashes To Ashes ! ≫
なんて曲もあり人間流砂はうごめく

灰から灰 輝いている、輝いている、*一部歌詞対訳
灰から蜜 輝いている、輝いている、

あたらしい生が いつも、生きたいと願ってる

思い出されてくるのだった──・・・・
いまは 梅の枝は盛り
散歩道の 一軒の住宅の 塀に
鉢物の 白梅が飾られていた

顔を 近づけ 匂いを かいだ

わたしは
その白梅の一枝を 手折りはしなかった
けれど・・・・・・・・
網膜に それを
保存していって

瞬間保存した儘
忘れない内に書いておこうと
心から 想った

それは 春めいた 慎ましさ だったので

忘れない内に 残像の言葉
詩に 書いて おきたいと
言葉、書いて おきたいと

「し」は しあわせの「し」
「し」は しあわせの「し」

「詩」は しあわせの「し」

そんな想いがあるから 永遠の綿畑に ごろごろ転がって
パジャマが 真みどりの 毛玉だらけに なったって
再起動して、 再起動して、 再起動して、
セカイ ノ 画面からは 欧州からの 報せもおとずれる

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【 2016 0110 】 英国の伝説的なシンガー
D・ボウイが 急逝したんだって、ね
米国では 必ずしも大きな成功をした訳では
ないのに 遺作は全米チャート 初登場一位
「駄目になった」と 散々に扱われてたのに
購買層 って、 げんきん だね
突然死 って、人を 神格化する

わたしは D・ボウイの未発表の音は聴きたい
死の前までに幾つものテイクがあっただろう

未発表の音は アレンジで捏ねられず
簡素な試行  或いは照笑い
或いは 苦笑いのもとに
囁きのような ナチュラルなヴォイシング
が 潜んでいることが多いんだ
商品にはなれなかったものを聴きたいのだ

ひっそり暮してるだけさ
淡々と 情熱を持続させ
「詩」を 立たせないと
わたしは日々を失うから

午前8時を 回った──

六畳間がいよいよ光っていって わたしはカーテン、窓を開けた
真冬の空は 壮大な円弧を描き 蒼の高速道路が 多層の螺旋を
重ねていた── あの路からは 何処へでも行けるのではないか

ヒトデのかたちをした 飛行機が 空をわたっていった
雲の海を まっすぐに 通り過ぎていった

ああ、もう一度だけ 蒼の高速道路に 乗って 湘南に還りたい
煩雑なTOKYOと 隣接していながら 海風にのんびり育てられた
わたしは。窓から 高速道路を 流している タクシーへ 合図した

≪ SYONANまで──≫

四季の折々に 固まりだった
わたしの 核家族は
神奈川県 藤沢市を基点に
しろい 細糸を伸ばす
国道路線図のように
散り散りになっていったんだ

母は藤沢市・丘陵の団地
亡父は豊島区の墓地のなか
妹は名古屋県・知多半島寄りの
自動車の 製造業圏
わたしは 江戸川区
荒川の傍 平井のアパート

みんな ばらばらに
かろうじて 細い糸で
霊的な通信を取り合っている
≪元気にしてる ? ≫
手をのばし揺らしていながら
≪家族の結び目って
それは本当に絆 ? ≫

わたしは独り者だけれど
それもまた核家族となるのか
独りの 核だから
抑えるものはなにも無い
資産を残す必要など無い
形見を残す必要など無い
墓石を残す必要など無い

家族、その子孫って なんだろう 蒼の高速道路、多層の螺旋、走って、走って・・・・・、

着いた その街は 波の寄せる 湘南、ではなかった
その街は・・・・・・ 球面宇宙に 覆われた 真鶴だった

真鶴の海のいろは 湘南の海のいろより 濃い
同じ相模湾に面していても 西ほど漁場が匂う

その街には わたしの 友人夫婦が住んでおり
彼は真鶴から東海道線で横浜銀行本店に勤務
長男23歳と長女19歳の 4人で暮らしていた

≪永井くん、急だけど 会ってみたくなった≫

何ひとつ 約束してなかったので 電話して
わたしは 彼らの自宅へ行き30年振りに会い
お茶を飲み「時間て速いな」等お喋りをした

友人夫妻は一様にわたしにこのような事を語った
「長男は細かなことを気にする子で まぁ緻密、
長女はおおらかすぎるほどの子で まぁ大胆」
わたしが「健康な子どもたちに恵まれたね」と
言うと 友人夫妻は一様に首を横に振るのだった

友人夫妻が言うには──「ほんとうは
長男の気質と長女の気質を足して2で割ったら
ちょうど良かったんじゃないかと思う」
「あるいは長男が女で長女が男に生まれて
きた方がうまく生きていかれるんじゃないか」

「そんなことはないんじゃない」とわたしは
言った たしかにわたしも長男で妹が居り
友人夫妻と同じようなことを親から何度も言われた
性格をくらべてみれば不可解という話ではないが

≪すきにヒトを造って 更に何をもとめる?≫

≪わたしからは まあまあの 人生と思える≫
と いうのが わたしの 言い分だった ──

≪その子たち は 愛の結晶、では ないの?≫

それから わたしは タクシーで バスターミナルに 向かった 蒼の高速道路、
多層の螺旋、走って、走って・・・・・、

バスターミナル のサンルーフから
あおぐと
2015の 夏のなごりの
空の
青さの
ちから
わたしは バスに乗って

降りた処は

── ここは、湘南か・・・・・?

バスターミナルの
ベンチに
数人の
少女たちが
きれいにならんですわっていた

── 人魚・・・・
── 人魚・・・・
── 人魚・・・・

蒼空と人魚たちの絵すがたが
そこには
おおきく
ひろがっていたのだった

舗道のカーヴミラーに映る
煉瓦の階段
辛子色の 落ちた葉の群れ
鳥たちの かわす
声音が成す テトラポッド

坂道をしたまで 降り行く
木綿の 衣服 の わたし

木綿・・・・ 永遠の綿畑 ── evergreen で

パチンコ店「パラッツオ」
ボード、 載せた VOLVO

わたしは 各駅停車の 小田急線に 乗りこんだ

「藤沢」までの 車窓の風景を ぼうと眺めてた
風の中 雲のような みどりの綿が 舞っていた

駅前の 南口の 周辺は
年に 一度の 市民祭り
デッキから見わたす市街
あふれかえる 市民たち

軒をつらねているテント
ステージでは
10代の女の子達のダンス
噴水の 隣りでは
路上のギターの ライヴ
信州からの出店には
冬映え、という名の林檎
地元産の お土産屋には
ふくろづめの
「しらすラスク」
がいっぱい積まれていた

ふふふふっ。 ≪ SYONANまで≫ 来てしまった
湘南 蒼浜には しぶきが 泡立っているだろう

けれど、老母居る筈の団地は 解体工事中だった

 

 

 

透明な、かえる

 

今井義行

 

 

テレビで 透明な、かえるを、観ました
あわい オレンジ色の 膜の
皮膚を通して 内臓の動きや体液の流れ
雌ならば卵塊の揺らぎなどが
かなり はっきりわかる かえるを・・・・

「北欧」 という 新宿西口の ベーカリーが すきです

そのあさ わたしは 「北欧」の
白パンを 生で 食べていて
過って くちびるを 噛んでしまった
「北欧」の 白パンの 生地に
真っ赤な 液が 滲み込んでいった

交配に 交配を かさねては──

透明な、かえるを 創った 主は
透明な、かえるを 創った 主は

生体実験 を されるが ゆえに
かえるに刃物を挿れたくない、と
繰り返し 言った── そうして
透明度を もっと もっと 高めたいと 言った

生と死の間の透明が
空白空白空白0うつくしい文脈とはかぎらない だから
空白空白空白空白空白空0かえる達は、さらに 抹殺されるかもしれない

ところで現代詩作家の荒川さんは
新聞で このように書いたそうだ
「読むに値する詩は少ないから、詩を厳密に読める人が増えたら
詩人は困る。しっかり読まれたら、終わりです」*引用

「詩人は困る」の「詩人」のなかに
荒川さんがいるのは あったりまえ
尖鋭な詩人と切開される詩人がいる
・・・・・・・・・・・・ っていう 訳なんだ

「読むに値する詩」と きたものだ

では、近頃の 詩のお仕事は 如何
技術の焼増し やってないですよね
詩を書いていて 人生のメロディラインは お好きですか

選考委員も多く務めてきているから
「詩を厳密に読める人」のなかにも
荒川さんは 含まれているでしょう

詩を書いていて 人生のメロディラインは お好きですか
見知らぬ人の書いた詩のメロディラインは 一筋縄ですか
平凡な暮らしって プリズムの結晶の前と 捉えてますか

ああああ。そんな、ばっかな 事態 ───!

現代詩作家、って 何ものでしょう
詩の表現者のエゴイズムに力業で冠
をつけたかのように 感じています

───そんな訳で これは皮肉です
ビジネスマン詩人に対する皮肉です
荒川さん側の申立ては無視してます

詩人は、透明な妖精たちなどでない
詩人は、たとえば 都心の交差点の
人ごみにまざって 衣服を着ている

透明な、かえるなのだ

自家中毒の 現代詩作家・荒川さんが 告発をするなら
詩人は 衣服を脱ぎ捨てる
文豪になるために 生まれてきた訳では ないのだから

詩人のそれぞれの 透明な胴体には
得体の知れない流動体が詰っていて
それらの或る一瞬一瞬が たとえば
カミ、などに転写され、観れば
詩は或る一瞬一瞬の心の迷彩文字だ

透明な、皮膚を 透して 読み
それでもメスを振るおうとするなら
わたしたちはもうメスの先に居ない

何故ならば ──────・・・・・
わたしたちは透明な、かえるだから
そのようなときには 既に・・・・・
わたしたちは、
あなたに観えない先へと撥ねている

 

「文字言語を選び、闘ってきた詩にとって朗読は自殺行為だ。朗読を意識したら詩の言語が甘くなる。すぐれた詩には文字の中に豊かな音楽性があり、それで十分。文字を通して音楽性を感じる力が弱まったから声で演じたくなる。文字言語を通して考え、味わう力を詩人が捨てたら詩に未来はない」*引用
とも 現代詩作家の荒川さんは 言っている なるほどな。

≪荒川洋治≫という文字列 そこからは
内在する 硬い製鉄所の音が 聴こえる

カーン、カーン・・・・・・という音がひびく
だから ≪荒川洋治≫って名は「詩」だ

現代詩文庫で詩人の名前を一覧してみた
≪松浦寿輝≫≪川田絢音≫≪朝吹亮二≫など わたしは
彼らの 詩の よい読者で ないけれど

詩人の名前その文字から 何か聴こえる
だから それは既に「詩」なんでしょう

一方 ≪井坂洋子≫から何も聴こえない
だから この詩人から「詩」はできない
詩の題材にはならない 詩人がいるんだ

 

転調する瞬間、これは、詩だから 荒川さんから 転調をします

或る 詩友、 彼の 処女詩集は 何だったか──
ずっと おもいだそうとしている
わたしは ちいさな部屋の ちいさな本棚を 探り続けた
買ったり 戴いたりした 詩集を
棚に収まらない分 横に積んだりもしているので
或る 詩友、彼の、処女詩集を 見つけることに
ずいぶんと 難航してしまうのだった

題名に 「帰郷」という単語が含まれていたか
或いは 「桔梗」、だったろうか
わたしは そのイメージから 野原を巡っていた
ああ── 彼の 第一詩集は なぜ、処女なのか
きよらかな 処女のように
丁寧に触れるべきだったと
わたしは、いまにして おもうのでした
処女の名を わすれるとは ───・・・・・

「処女航海」 という ジャズをおもう
はじめて・・・・・ 分け入るように
あの彼の、処女詩集を 見つけ出して 海へ出たい
大洋に浮かび 日輪に照らされ
あの処女詩集を静かに読みたい

トレーナーの袖で拭いたら 黒い水の跡 それでも ───・・・・・
生きてることの メロディラインは好き?
わたしは わたしに問いかける
メロディラインは好き とりわけ 転調する瞬間が
ことば と ことばの 連鎖が
ひとかわ 剥ける ときだから

こころの 冬星の 殻が 背から 割れて
中身が 渇き切るのを 待って
海へと 飛び立って いくとき
色々な 粒の 涙は あるけど
わたしは 太陽に添って 謳っていく いびつな航跡を残し
トレーナーの袖で拭いたら 黒い水の跡 それでも ───・・・・・
生きてることの メロディラインは好きだ
色々ないろの なみだが 零れるにしても
そこを 晒された生理で放浪できればいい
生きてることの メロディラインは好き?
転調する 瞬間が 好きなんだ だいすき

 

転調する瞬間、これは、詩。 自由になれるから また転調するんです

▶火曜日は休息日 でも規則正しい生活リズムは保ちたい 写真のポスト
栄養バランスのよい食事 詩作を進めること 地道に焦らずに進みたい
新しい詩が ネット公開中です
▶先日の大雪には驚いた それでも遠くからデイケアに通所した人もいる
水曜日は肝機能改善のための注射 午後には武蔵野の公園を歩いてみよう
新しい詩が ネット公開中です・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ここは 真冬の日の 煉瓦色の・・・ むさしの その土壌
散歩して 靴で 地を踏む度 ざくっ、と いう音がする

はつしもだ しもばしらが 列をなして 立っている・・・・
綺麗だなあ わたしは 薄ら陽に映える
凍った葉のうえを辿って 歩いていった

すると はつしもが 最もあつまっている 場所に
現代詩作家の 荒川洋治が 佇んでいる
広告で見たとおりの 苦々しい顔つきと
文学者っぽい寒色系のスーツと黒革の靴

載っていた写真の残像からわかる
鴎外のようなりっぱな公人なんだ
だから当然のように敬称略なんだ

現代詩作家の荒川洋治は
黒革の靴で もくもくと
ただ もくもくと しもばしらを
はつしもの しもばしらの
塊を 踏んで、踏んで、いった ざくっ、ざくっ、ざくっ、ざくっ、
真っ直ぐな ものが
粉々に、光の灰に、なって いった ───

しもばしらは 死んだのでは? と おもいながら

ざくっ、ざくっ、ざくっ、ざくっ、
わたしは 現代詩作家の荒川洋治に 訊いた
「はじめまして 荒川さんですよね」
さ、さくさくっとは さかせない
ざ、ざくざくっとは ざかせない
わたしは 現代詩作家の荒川洋治に 訊いた
「はじめまして 荒川さんですよね」
「え、・・・・・・ どなたでしょうか?」

「自己紹介します・・・・・・ わたしは
現代詩を書いている 今井義行といいます」

「申し訳ない お名前、知りません
どのような詩を 書いているのですか?」

「口語の時代は寒くない、という詩です」*

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

土にまぎれた 氷のつぶが
陽に照らされて ビーズの
ように光るのを むさしの、その ただただ ひろい場所で
しくしくと 感じていたら
いつのまにかビーズたちが軟らかくなった土壌から
冬眠していたはずの 夥しい かえるが

ぴょこん、ぴょこん、ぴょこん、・・・・・・・・
つぎつぎに はりきって 飛び出してきた
それらは みな 透明な、かえる達だった

生と死の間の透明が
空白空白空白0整った鼓動とはかぎらない だから
空白空白空白空白空白空0かえる達は、さらに 抹殺されるかもしれない

だから 負けまいと 跳ねたのかもしれない

そのようなとき 透明な、皮膚を 透して 読み
それでも 切先を向けようとするなら
わたしたちは もうメスの先に居ない

荒川さん ───・・・・・
わたしは わたしたち、という 言葉を 使いましたが
その わたしたちって いうのは
書きたい詩を 書きたい儘に 書いている

詩を 楽しむことを生きている 人たちのことです
技術に 穢れる ことだって、あると思っています

荒川さん ───・・・・
詩を 楽しむことを生きている 人たちのことです

荒川さん ───・・・・・
時代も 跳ねて 変わってきた、っていうことです
時代は 跳ねて 変わってきた、っていいたいです

 

 

*荒川洋治 1970年代の 発言に基づく

 

 

 

きぬかつぎ

 

今井義行

 

 

ひとには うえと したが あると いう
【天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず】*引用
ひとは すべてに 平等ということでなく
学んだか そうでないかで あると いう
けれど揉まれても卒業は無いのではないか
自らの心の持ちよう、っていうことなのか

二色の街の 情景の中に わたしはいました
会社勤務を していたころの はなしです
定収入を漫然と得ていたころのはなしです
ここは夜だ、と 神楽坂下に たたずんで
神楽坂からなだらかにつづく灯りをたどり
(【大日本】印刷が すぐ傍にありました)
ひとりでカウンターにいたことがあります
(【大日本】印刷が すぐ傍にありました)
(【大日本】印刷は 外国人就労者が多く)
(彼ら安く危険な 断裁機を扱わされてた)
ここはどこ、と 神楽坂下から たどって
ひとりでカウンターにいたことがあります

「はい、きぬかつぎ」と
小鉢に はいった つきだしを だされて
わたしは 真冬に ビールを 飲みました
(経済観念が あいまい でしたから・・・)
その大瓶は 結構 高かったんじゃないか

【きぬかつぎは、サトイモの小芋を皮のまま蒸し、その皮を剥いて食べる料理。
サトイモの皮のついた様子を、平安時代の女性の衣装・衣被ぎ(きぬかつぎ)
になぞらえて名付けたもので由来からきぬかづきとも呼ばれたり「絹かつぎ」
と表記される場合もある。】*引用

曲解に曲解を重ねられて
十二単をひきずる人たち
が いきている この世

だれが すくうの なにが すくうの
たとえば 「あ、うううう・・・・・・」
そのように ないてる おんなたちを

おんなにはおんなの鬱憤
が 溜まり 摺った墨汁を

撒き散らし紋様を作るよ
この世の しろい部分に
それは多彩な黒い華紋様

会社を 辞めてから 七年が たちます
わたしは 組織で働くのが ずっと厭で
けれど 賞与で 詩集を 上梓しました
その詩集の中に「わたしは給料泥棒だ」
という一節があり 経営陣が読みました
わたしは 詩を 書きたかっただけの者
でしたので 辞職勧告され 当然でした

24年間 会社に利益をもたらすことは 唯の一度も考えませんでした

勤務時間も 詩を書いていました 「詩」が人生の 目的でしたから
しかし 「給料泥棒」に 本当に 「詩」が書けるわけないでしょう
漫然と盗んできた 者に 本当の 「詩」が書けるわけないでしょう

わたしは いまは無職で 僅かな貯えと福祉等
に依って暮しています 今夜は きぬかつぎを
惣菜としました 平井商店街で安く買えたので
電子レンジで 温めて 一合お米も炊きました

小芋があって そこから 仔芋という娘が垂れ
サトイモの仔芋ではなく 小芋のほうから──
わたしは 夕飯に きぬかつぎを たべました

何気なくたべましたが何処も官能的な丸みです
由来など忘れて 皮を剥かずにたべたのでした

衣被ぎ(きぬかつぎ)で あるというのならば
皮を剥いてたべるのがマナーであったでしょう

小芋には丁寧にあいさつせず いただきますと
皮を剥かずにたべて 大変に失礼いたしました

想像力をめぐらせるべきだったのでしょう──
皮にしみた塩味があまりによい具合だったので

白肌にふれるのが遅くなりましたごめんなさい
娘さんによろしくお伝えくださいごめんなさい

またサトイモの季節がきたら あなたや娘さん
に逢うことでしょう そのときにはきっと・・・・

つるんと皮を剥いて たべることにしましょう
サトイモのぬめりは血を滑らかにするそうです

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

勤務時間も 詩を書いていました 「詩」が人生の 目的でしたから

ひとには うえと したが あると いう
それは 仕組や性差、の不協和だけでない

サトイモのぬめりは血を滑らかにするそうです
ここは どこ・・・・と 神楽坂下から たどって
ひとりでカウンターに いた ことがあります

夜に神楽坂から 飯田橋駅まで 靡いていった
くしゃくしゃにされた 一枚の チラシとして
冷たい風に マフラーを 巻いていた わたし

寒気団の 気流の半ばは 端から凍みてきたな

抹茶の香り漂う 甘味処 「紀の善」を過ぎて
流行ったジャズバーは 別のバーになっていた
神楽小路で 艶やかな華芸妓さんが ────

流々としている わたしを 掌でひろってくれた・・・・・・「かぜひくよ、くしゃっん」

老境に達しても 襟足だけは 老いないんだね
楚々と歩き芳香を 仄かに漂わせる華芸妓さん
華芸妓さんも 坂をのぼり飯田橋駅へ漂うのか

華街から次第に 遠ざかって いったのだった
江戸城の 名残り 神田川の ながれ・・・・・・・・
わたしは 突風に吹かれ川面の方へと 翔んだ

きょう一日 蛋白質を 摂らなかったなあ・・・・・・

わたしのからだは 白空間をかたちづくる──蛋白質で出来ています
けれども わたしは きぬかつぎ という 「からだ」を
蛋白質で出来ている きぬかつぎ という 「からだ」を
ぷるぷると纏わりつく 蛋白質を食べたはず というわけなんだ
卵白のように 泡立つ 蛋白質 を・・・・・・

それは 生き物を成す 大きな成分の一つ
生き物を成す 大きな成分の一つ そのような
ものとして ひとをかたちづくっていく 要素なのだ

一昨日の 冬の午後 荒れてきた 毛髪を切りに 出かけた
冷たい ハサミが入り 毛髪が 布に 散りゆくたびに
お肉としての わたしの 眉間が 拡がっていった
蛋白質、としての お肉
年齢なりに膚は渇いてた
散った毛髪に白があった

曲解に曲解を重ねられて
十二単をひきずるあなた

わたしは、散々 唾液を
撒き、散らし、あなたの
「尊厳」という輝きへと
執拗に・・・・ 斬りつけた

あなたにはあなたの鬱憤
が溜まり 摺った墨汁を
撒き散らし前科を作った

いまから 死ぬから、ね
あなたの慟哭は刃を握り

前科女(もの)になった
それは自然な現象であり

美しい前科女(もの)へ
鬱々とした漆黒を吐いた
わたし前科男(もの)が

そのような者に過ぎない
わたし前科男(もの)が
衣被ぎ(きぬかつぎ)を

抱きしめにへやへ帰った
冬の風が 囁いていたよ

西へと歩きなさい 銀杏の舞を見れるでしょう

南へと歩きなさい 熟した花を知れるでしょう

暖房に 温もった寝台に
華の黒紋様の肌着をきた
おんなが横たわっていた

わたしは おんなに かさなり「髪、切りすぎたかな」と訊いた
おんなは ことさらなにも いわなかった

100均の店で購入した
左手に在る 手の鏡は
気遣いを 持っていた

蒸気に 曇りを造らせ
わたしの眉間を精確に
映し出さなかったから

わたしたちには わたしたちの時間があって

水色の空には水色の時間があるが時間の色が

わたしたちにもひろがってそれぞれの時間が

長く短く異なっては連なって輝くのでしょう

わたしは おんなの衣(きぬ)を剥いて しろいからだにしました
わたしも はだかに なりました
脂肪層、という 冬の質が 震えていたよ

ひとには うえと したが あると いう
だから、うえに したに なりあったよ
おんなの衣(きぬ)に隠れていた しろい乳房はゆたかな蛋白質で
ぷるぷると 纏わりつく 弾力があり
わたしは 夢中で しろい乳首を食したのです

はじめてみたとき しろい乳首は粒のようで 窪んでさえいた
けれど 日を重ね 吸いつづけていくと
それは芽をだし 人さし指の 爪ほどの大きさの 真珠にまで育った

「夕飯は、パエリアを作ってみる」
おんなは 衣(きぬ)を被ぐことなく 台所へ向った

おんなの横隔膜の息の奥へと 歩いていったとき ちいさな室の中には
ちいさなおんなの娘がいて ぽろぽろいまに至るまで泣きつづけていた
いままで誰もおんなの娘の涙を拭ってやらなかったのか・・・・ 髪の毛を
撫でてやらなかったのか それ故に泣いているおんなの娘はいじられて
いない紫の原石のようでもあった でもいまこそは救われるべきだった

・・・・・・ やがて、宵闇が 訪れた

サフラン色の葱と鶏のパエリアが
弧を描くように 鉄鍋に広がって
いるその光景は満月のように輝き
檸檬を絞ると 葱は涙滴のように
鶏は動悸のようになり わたしは
心臓を探していた 何処にも無い
おんなも心臓を探していたそれは
どこか哀しい生きていく動機です
月は、まるいなあ大きいなあ・・・・

まるいなあとわたしたちは頷いた
ありがとうね、
ありがとうね、

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

心のなかの 満月は 心のなかの 満月は、

宵闇に灯る おそらく
蒼空 なんだろう 蒼空 なんだろう───

≪詩を、書きつづけていこうよ≫

わたしは ≪カミ≫という 媒体に依らずとも 自由気儘に描く
自由気儘 に 描いて
そうして いつか 「詩集、という、空間」 を 生みだすんだ

 

 

 

花の、筏(いかだ)

 

今井義行

 

 

いまが 旬の花があるんだな
散った花びらが
雨 あがりの
目の前の ちいさな露地を
埋めていて・・・わたしは 乗りたいな

いえ、

わたしたち は 乗りたいな
わたしたち は 乗りたい・・・・・・

雨 あがりの
目の前の ちいさな露地にある 細長い流れに
花弁の集まりを舟として

わたしたち は 老母と息子

紫の花だよ・・・ まだ
途上の紫の花ですよ
そう、 花弁には
花弁の青春時代がある
うまれて はなやいで、
しおれていき、

ちらばっていき、

いきを吹き返す為に
ぱらぱらと細胞殻に
一度は、解かれます

花の、筏(いかだ)に
儚く美しい花の、筏(いかだ)に

・・・わたしたちは 乗りたい
・・・わたしたちは 乗れるよ

目の前の ちいさな露地にある 細長い流れに

わたしは 七星天道虫 となり
ほしを もつ ものに なって
老母は 杖を持つ 細い幼虫として横たわり
・・・わたしたちは 進んでいた

・・・わたしたちは 進んでいた
七星天道虫は 七つの星を振り撒きながら 空から街を俯瞰する
(世界は 空や 雲や 水や 土や 人や建造物や 小動物や
植物群などで できている)
杖を持つ 細い幼虫は 子ども還りして わたしを見上げている

≪きれいかい?≫

おかあさん、
すこし からだを起たせてみて・・・・
ああ、複眼だから遠くまで見えます

おぼえて いるでしょう? ぼくは あのこと
入院中に 想って 詩に 書いていたんですよ

下田・金井旅館 1996年夏の夜 (記憶、)

空白空白「お客さん ほんとうに
空白空白よい日におこしになられましたね」と
空白空白千人風呂で知られる
空白空白南伊豆・下田 金井旅館の
空白空白女将(おかみ)はいった
空白空白「今夜は年に1度の花火大会なんですよ」

空白空白パパの急逝後 こころのバランスを
空白空白うしなって つかれていた
空白空白ママと おとずれた下田にて

空白空白千人風呂を満喫し 金目鯛の煮つけや
空白空白穫れたての生魚の舟盛を地酒で満喫した
空白空白わたしたちが
空白空白窓から外をながめると

空白空白地元のひとたちが ぞろぞろと
空白空白1箇所へ むかっていくのがみえた
空白空白女将が ふたたびあらわれて
空白空白わたしたちに いった
空白空白「お客さん 早くいったほうがいいですよ
空白空白すぐ傍の 小学校の校庭へ」

空白空白わたしたちが 浴衣のまま
空白空白いそいで そこへ いってみると
空白空白小学校の校庭に おおきな円筒をかかえた
空白空白祭り姿の 屈強そうな男衆がおり
空白空白横1列にならんで 矢継ぎばやに
空白空白打ち上げ花火を 壮麗に
空白空白天空に開かせていった 銀河の華
空白空白ひかりがやみをくりぬいて
空白空白夜が 花火模様の 朝に変わった
空白空白小学校の校庭に 流星群のような
空白空白火の粉が 舞い降りてきた

空白空白「こんなに きれいなもの うまれて
空白空白はじめてみた ──」

空白空白ママは ことばをうしないかけながらも
空白空白「あれは パパだ」と いった
空白空白そうか パパか・・・・
空白空白パパがわたしとママを下田へ招いて
空白空白くれたのか と わたしも合点した

空白空白あの女将には きっとパパが憑依していて
空白空白あの女将の ことばは
空白空白すべてパパからのことばだったのだ

今井登志子(1934-   )
うまれついてしまった時代というものがあり
それはどのように きめられたものでしょう
ひとは なぜ 地の上に 現れたのでしょう
それは 神とかかわる 領域なのでしょうか

だれも 傷つくことのない
いまが旬の花もあるんだな
紫の、散った花びらが
目の前の ながれる溝に沿って
水面を埋めていき、

花の、筏(いかだ)
儚く美しい花の、筏(いかだ)に
わたしたちは 乗っているのです
花の、筏(いかだ)に
乗りたいと想ったのは

細胞の房々を鳴らす為に
世界を、蜜で染める為に
何処かへ旅をしたかったから

何処かへ流されるのならば
綺麗な 渓谷を眺めながら
街並の 渓谷を眺めながら
何処ともわからぬ
何処かへ流されたかったのです

花の、筏(いかだ)
わたしたちを運んでくれないか
わたしたちを運んでくれないか

いまが旬の花もあるんだな
紫の、散った花びらが
目の前の ちいさな溝に散って
水面を埋めている── わたしが 離れた家にひとり棲む
老母へ 「きょうは 詩の仲間の集まりがあるんだ
病身でも 詩があるから楽しいよ」と 携帯電話で
詩を書くよろこびをつたえることが幾たびもあったんだ

詩の読書会で代々木上原の鈴木志郎康さんのお宅へ伺ったあと
「楽しかった?」と 老母はわたしに電話でいった
「うん、ほんとうに楽しかった」
そんなやりとりをした 数日後に・・・・・・・・
老母から 電話が あって
「あのね、わたしも詩を書き始めたんだよ」と いった
「読んでくれる?」と 老母はさらに わたしにいった
「読みたい。途中まででもいいからすぐ郵便で送って」
「うん、タイトルもない 作文みたいな ものだけれど
書きはじめたら 楽しくなっちゃって、」

そうして ほどなく 便箋に書かれた言葉が届いたのだ

motherpoem

ほどなく 便箋に書かれた言葉が届いたのだ そして、

いつのまにか いつのまにか、にね
わたしたちは 「言葉」のある 便箋に乗って 流れていたよ

便箋の 筏(いかだ)の 舳先から・・・・・・
七星天道虫は 羽根を ぱたぱた させて
その詩に「太陽」というタイトルをつけた

「言葉」の絨毯に 杖をささえに 身をおこし
わたしを見つめる 細長い老母へ
わたしは 宙中に 浮かびながら
「言葉」を 詠みはじめていたのでした

太陽

今井登志子

今 リハビリ中の
わたしの身体全体が
わたしに牙をむく
例えば、
ゆっくりゆっくりと十分位歩いても
ふくらはぎは頑として前進をこばみ
腰と膝も同様
ひたすら ベンチを求める
杖をもつ指さきにも
結構 ちからが必要であることを知った
毎日 こんな日々の中で
いちばん好きなのは

今日も手も指も足も元気でいてくれた
呼吸もリズム良く
メトロノームのように力強く
波打っている
今朝も元気にめざめた実感
だから、わたしは朝が好き
そんなわたしに
神様は
唯一の贈り物をくれました
身体が云うことをきいてくれないから
「すこしばかりの脳みそ」の
詰まった頭をもらいました
わたしの欠点も 記憶力もすべて
「その脳みそ」が
コントロールしてくれている
ありがたい
今日中にやるべきこと
三カ月先の約束
一カ月先の予約
わたしの頭の中で「脳みそ」は
くるくると一刻もやすまず働き続ける
さあ、今日は何をしましょうか?
街に出かけ友達と食事でも如何?
花屋のカラフルな沢山の花を
ゆっくり 眺めたり
化粧品売り場で お気に入りの
口紅を手に取って選んだり
久しく鎌倉にも行っていないから
広い海も見たいし
わたしの想像の世界は無限大
大空一面に広がり
自由の空間を楽しんでいるんですよ
想像の世界は
次から次から
楽しさを与えてくれるのです
さて、今日は?
明日は何をしましょうか?
太陽も待ってくれているよう

*引用した母の詩は 内容はオリジナルのまま
改行・句読点の有無のみ わたしが手を加えました

≪詩に、なっているかしら≫
いじるところなんて どこも なかったよ 「脳みそ」の
なかで そんな旅をしてるなんて はじめて知って おどろいた!
≪詩は、たのしいなあ また書きたいな≫
つぎの詩も またつぎの詩も 書いてね
そんなふうに語りあいながら わたしたち 七星天道虫と
杖を持った 細長い幼虫の親子は
街並のちいさな渓谷の流れから空へと浮かんでいたのです

・・・わたしたちは 浮かんで、進んでいた・・・

・・・わたしたちは 浮かんで、進んでいた・・・
七星天道虫は 七つの星を振り撒きながら 空から街を俯瞰する
(世界は 空や 雲や 水や 土や 人や建造物や 小動物や
植物群などで できている)
杖を持つ 細い幼虫は 子ども還りして わたしを見つめている

≪たのしいな!≫

今井登志子(1934-   )
これから 成虫(おとな)に なっていく母

うまれついてしまった時代というものがあり
それはどのように きめられたものでしょう

おおきな 声をだすのが 大切 なんだって
「おかあさん、たくさん おっきくなあれ」

ひとは なぜ 地の上に 現れたのでしょう
それは 神とかかわる 領域なのでしょうか

 

 

 

よこしまなすいようび

 

今井義行

 
 

・・・・よこしまな匂いのすいようび
そのような あさの おとずれに
あけがたの月星の残りでは足りず
ろうそく、のような妻を創ろう・・・。
哀歓を しる ひと そんな妻を

葦原をすぎて
朝凪へいたり

そのひとはやってきた 晩い夏のうまれというほか
は なにも知らされず、

どこの 土地から 来たのかも、

潮煙にのまれ
どこの そらから 来たのかも、なにも

なめらかな 息が わたしの耳を撫でた

わたしは 何度も
寝返りをうつので
わたしの
眠りの姿態とは
ひらがなの「く」の字の形で

その眠りの姿態
「く」の字 は 
《 あ、なにか、「く」るよ 》の「く」
のような 想いがしていて、

わたしは 「ようこそ」と いいました

渡り廊下を 過ぎるような 夢、みよう

夢、みよう 夢、みよう

なめらかな ろうそくの ような・・・・
姿態とは 動作したときのからだの薫

わたし、瑠璃色の 記念碑を建てます

≪晩夏にゆきがふるのならば
着衣のみだれ、まどのゆき≫

歓喜もあれば 哀訴もあって 甘酸ともいう

それが何だ?
姦淫のないじんせいなんてあるか

環礁のある ももは、ゆれつつ

暁のまきば は あしとあしのあいだに 茂り──
天井の 霧もよう きれい
敷布の 蘭もよう きれい

広い緑のまきばには、放牧されている羊たちが仰ぎ

くちびるとつめさきがあればゆるやかに濡れあえる
と わたしたちは いのって うたがうことはなく

あなたは しろい鼠蹊部をひらかれて「蜜蠟に挿して」と 欲した

敷布の 蘭もよう きれい
なみもようねがえりはねて
わたしはこしをひきよせる

わたしはこしにひたいをつける
わたしはこしをひきよせる
わたしはこしにまぶたをつける
わたしはまつげつまびかれ

わたしは睾丸に ろうを ぬりこまれ・・・
わたしはちぢれつまびかれ

暁の まきば は あしとあしのあいだに 茂る──
碧いトルコ石の首飾りの妻

ひたいにまあるいあせの珠
脱がれたヒールや靴したや
わたしはちぢれつまびかれ

わたしはまつげつまびかれ
わたしはろうそくのくちにふくまれてとけそうで
わたしはまつげつまびかれ

わたしはまつげつまびかれ
わたしは睾丸に ろうを ぬりこまれ・・・
わたしはちぢれつまびかれ

わたしは まるい ろうそくのむねを
わたしはむねをひきよせる
わたしは まるい ろうそくのむねを
つよく、つよく こねる

暁のまきば は あしとあしのあいだに 茂る──
ガス火をともすおとがする
葉ものをきざむおとがする

豆を茹でるせなかの揺れに
湯気さえへやへ身をよじる
ろうそくのような妻は、すこしずつしろくにじむ
わたしは ほのおをとめる

ろうそくのような妻は、すこしずつしろくにじむ
葉ものを盛るしろい背に
湯気さえへやへ身をよじる
ろうそくのような妻は、≪おたべなさい≫と わたしにいった

わたしはくちに豆をふくむ
わたしはゆびで葉をつまむ
わたしはくちにふくみつつ

≪晩夏にゆきがふるのならば
着衣のみだれ、まどのゆき≫

≪晩夏にゆきがふるのならば
着衣のみだれ、まどのゆき≫

暁のまきば は あしとあしのあいだに 茂る──

わたしはくちに唇、ふくみ
尿道と性愛はあわせかがみ

そして ろうそくのような妻は 折りたたまれた ちいさな紙片を ひらき

stay hungry, stay foolish
そう ジョブズは いったの と わたしにいった
そうして──
なんでも鑑定団 は 何曜日? と ろうそくのような妻は、わたしにいった

「火曜日 それに夜の番組だ
空0識りたいもの があるの・・・・・・?」

≪あたしのこころ、あたしのからだ≫

stay hungry, stay foolishと ジョブズは いったの
直感で いきよ といった

直感で いきよ といった

はずされた蠟のレンズから檸檬のひとみ
敷布の 蘭もよう きれい
わたしはつめでおしひらく

わたしはつめでおしひらく
わたしはつめで蘭を左右におしひらく
わたしはつめでおしひらく

わたしはつめでおしひらく
わたしはつめで蘭を左右におしひらく
わたしはつめでおしひらく

つめさきで蘭をおしひらきおしひらきおしひらき、
のばしてのばしてのばしてのばしてのばして・・・・・、 閃光礼拝──

羊たちが飛び散る、いちもくさんに飛び散って、

ときのうつりに見舞われて
尿道と性愛はあわせかがみ
夢の中で とろけるような
靴はく影の背にてをまわし

≪晩夏にゆきがふるのならば
着衣のみだれ、まどのゆき≫

≪晩夏にゆきがふるのならば
着衣のみだれ、まどのゆき≫

暁のまきば は あしとあしのあいだに 茂る──

天井の 霧もよう きれい
夢の中に しずまるような
靴はく影の背にてをまわし

いかないで、暁のまきば 暁のまきば・・・・・・
いかないで、暁のまきば 暁のまきば・・・・・・
いかないで、暁のまきば 暁のまきば・・・・・・
いかないで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、

≪晩夏にゆきがふるのならば
着衣のみだれ、まどのゆき≫

≪晩夏にゆきがふるのならば
着衣のみだれ、まどのゆき≫

とろとろとろ とろとろとろ しろいこころとからだ こぼす
ろうそく、のような妻 哀歓を しる ひと そんな妻・・・・・・。

 

 

 

Rhythm,Of,The Rain  (11月へ、向かう想い)

 

今井義行

 

 

11月の 俄雨は 蔵前橋通りに
気ままな 音符に なって降り
傘を さすのも いいけれ do
傘を ささずに
音符と 戯れるのもいいも の

ば ら ら ら ば ら baっ

広島生まれで ないけれど、っ
Rhythm,Of,The Rain じゃけん

脳の 血管が 燃えたつ 感じ
Rhythm,Of,The Rainじゃけん

その ば ら ら baっ laっ baっ・・・・・・・・・・・・が

わたしから 隣の人への おくりもの です
踊ってしまえば それで ええじゃないかい

隣の人って 誰ぁれ それ、は、
見渡したって いないじゃない
あ たとえ あ ば ら らっ、

「涙そうそう」の
<いちばん星に いのる
それが わたしの癖になり・・・・>と いう
ところが すきな ひと とか

と いう 気がして なりません
近くて遠かっ、た の だ la la ら

ら、la、ば、la、 la らっ la ばっ

≪わたし、ね・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
閉鎖病棟にいたことがあり 同室の若者から
閉鎖病棟から 開放病棟へ 移ると言われた
病歴をひけらかす 若者を わたしは嫌った≫

急に 去年の 退院日 甦えli・・・
Rhythm,Of,The Rain じゃけ N

相手の 口から 「いままで 挨拶
ひとつせず もうしわけありませんでした
ここで 消えますが これからもよろしくお願いします」
と いうことばが でた toki

「これからもよろしくお願いします」と わたしも言った

あのこが よく 聴いていたのさ
「涙そうそう」の
<いちばん星に いのる
それが わたしの癖になり・・・・>と いう
ところを ne !!

でも、わたし、ね・・・・・・・・・・・・・・・・
病歴ひけらかす 若者、嫌ったne !!

わたしのなかには銃弾(タマ)があり
ゆずれぬこころは ゆずれぬままに
わたしは ゆずり葉に なれないさ

ば ら ら baっ laっ baっ・・・・・・・・・・・・

わたしのなかには銃弾(タマ)があり
ゆずれぬこころは ゆずれぬままに
わたし、ゆずり葉に なれん mon

深夜の天空の真下 燦々と タクシーは はしりぬける
すみだの方へ と 煌めくタクシー

ら、la、ば、la、 la らっ la ばっ

隣の人って 過ぎ去るひとか さ らば 薔 薇 さん

でも あなただけは 「個」で。 ひかりの縞のなかにね
さっきまで いた あなたは
あなただけは ne・・・・ あなただけは ne・・・・

「また、来週にね」だ nante 鈴、ふるえるように 呟いて
あなただけ は 帰らないで ── ne・・・・ne・・・・
君、恋し

手をとりあって隅田川沿いにあるきたいけど

言問橋の 向こうへ
君、恋し

手をとりあって
露地に入り
深夜の 熱帯魚を
観たいけど na

吾妻橋の 向こうへ
君、恋し

≪閉鎖病棟にいたことがあり 同室の若者から
閉鎖病棟から 開放病棟へ 移ると言われた
病歴をひけらかす 若者を わたしは嫌った≫

相手の 口から 「いままで 挨、拶
ひと つせず もう し わけあ、りま せんでした
ここで 消 えますが これからもよ、ろしくお願いします」
と いうことばが でた toki

「これからも、よろしくお願いします」と わたしも言っta

ば ら ら baっ baっ baっ・・・・・・・・・・・・

俄雨に遭って
体のうえの要らないものが剥ぎ取られte
想いは
買った牛乳と共に
体のしたに抱いているのde
牛乳パックのなかの
生乳が ぴちゃぴちゃする・・・・・・・・ pi cha pi cha、

ひとの 口から 「いままで、挨拶
ひとつせず も う し わ け あ り ま せ ん で し た
こ こ で 消えますが これからも よ ろ し く お 願 い し ま す」
と いうことばが でたころ
わたしは 何も いいませんでした

別れ際のよろしくお願いします、ka。
儚い声の ひとは せかいのなかni
ずいぶんと たくさん いるんだna
と まつげを 瞬かせたものでしta

ば、la、ば、la、 la らっ la ばっ

わたしのなかには銃弾(タマ)がある

別れ際のよろしくお願いします、を
どのように うけとめたら いいno
ゆずれぬこころは ゆずれぬままに
わたし、ゆずり葉に なれん mon

虹、まねて 水平に 腕をひらいて
胴、軸に 回転運動を してみると
音符たち は kirakira しながら
kerakeraしながら 落ちる・・・・・・・・

ことばは 破片です

広島生まれで ないけれど、っ
Rhythm,Of,The Rain じゃけん

わたしは でんわを まいにち します。

わたしは でんわを まいにち します。

それは 老いた ははへの でんわです。

「おかあさん・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・はい、」

いま ははの 声が

らん lan らら lan

やわらかい骨片として
湘南海岸のなみうちぎわに散らばっていきます

その日は朝から晴れていた
9月のころの想い出、da、
湿度は彼岸花より渇いてた
破片は立ち上がり繋がった
*
ひがんばな
機上の如き
空・街・野─

ははのはか
何処の国に
建つみらい

ひがんばな
機上の如き
空・街・野─

ははのはか
何処の国に
建つみらい
いま、は名残り惜しくて
 いま、を更新しているよ・・・・・・・・・・・・・・って、ne

「まだわかい ケアマネージャーさんが いままで よく
がんばりました、と 表彰状を もってきてくれたから」

ベッドに 還り 胸おさえ
11月の雨を 聴いています
その頃 わたし みらいの
何処に いるのでしょうか
あかるく 老いて 戯れて

らん lan らら lan

その らん lan らら laaa
・・・・・・ が
それが、ね
わたしから
隣の人への
おくりもの・・・・・・

ゆずれぬこころは ゆずれぬままに
わたしは ゆずり葉に なれないよ

その らん lan らら laaa
・・・・・・ が
わたしから
目のまえの 総ての人への
おくりもの

おくりものなのです・・・・・・・・・・・・が、

ゆずれぬこころは ゆずれぬままに
わたし、ゆずり葉に なれん mon

広島生まれで ないけれど、っ
Rhythm,Of,The Rain じゃけん

わたしは、11月7日の、午前10時すぎに閉鎖
病棟をあとに致しました。空はよく晴れていた。
入院初期に、血液中のアルコールを解毒されて
いく中、わたしは詩人としての精神性まで専門
医療機関に解毒されてはならないと思いました。
退院後は、退院したその日だけ安堵の気持ちが
あり、その後は体は回復したにしても心はつく
づく疲れていることに気づきました。けれども
ひとつひとつの空間の中でひとりひとりの人と
一緒に生きてきたか、と・・・(2014 November)
*フォルダーに memo の 断片をみつけた

脳の 血管が 燃えたつ 感じ
Rhythm,Of,The Rainじゃけん

わたしは 皆と ささえあえたらna

わたしは 皆と ささえあえたらna

 

 

 

けもの路から あるいは、 if・・・・・・・・・。

 

今井義行

 

 

PCを中心 にして 組んだ 狭い スペース
ここが言葉と舞い踊る わたしの場となっています
うねる荒川を渡り 緑の繁れるなか
わたしは ここへとやってきたんだ

まずタイトルのてまえにけもの路と渚

印字 印字 印字 印字 印字 印字 印字 印字 印字 印字

なんども なんども はしる その路

わたしは 画面の中を スクロールし

すると太陽の 黒点の 泣きぼくろが

あるの 詩を書く楽しみがそこにあり

出発「点」だけが そこにともるので

いま始めている詩を「NOW PRI

NTING」と仮のタイトルとします

その路は 林道から外れ 鬱蒼として

何処までも 地平線に 続いているの

なんども なんども ふみあらし・・・・

そこには 渚の気配が添い 波が鳴り

なんども なんども ふみかため・・・・

そこには おびただしい 種子が散り

芽ばえを まちわびる ときが 跳ね

明日もプリントしているの 明後日に

も 「NOW PRINTING」とプ

リントしているの 終着駅が 決まっ

ていないので けもの路は わたしを

印字 印字 印字 印字 印字 印字 印字 印字 印字 印字

昂揚させる≪「愛」ハ、不思議ナ言葉

「あい」ト書クト、白イ綿ノヨウ「ア

イ」ト書クト、硬イ物質ノヨウ。サワ

レソウナ気モスルノニ、中ヲ見ヨウト

スルト、霧ノヨウダ。≫ 詩はそのよ

うに書きためされた 更に数行書いて

はプリント、おもに 余白についての

顧みを 「NOW PRINTING」

蕨ふみながら あるいは、if・・・・・・・・・。

if・・・・・・・・・。もしも 渚から浅草へ出て 暖簾の和菓子屋

さんへ佇み わたしが 胡桃餅を 頬ばると みちばたに

向日葵の 数千の種
が 見つめているの

疲れたときはベッド
おおく眠っていると
血液が
煮凝りのように
ぷるぷるとして
パイプを通り辛く
なるようです・・・・

飴玉みたいに沢山の
錠剤を飲む毎日
どれにも眠気成分が
ふくまれていて
泳いでいた魚が
煮つけられてその
翌日の甘い煮汁が
煮凝りのように
血管を塞ぎ動く力を
奪うようです

眠りと眠りの濃霧の
間を見出しては
ことばをさがす
ことばをさがす
ことばをさがす
そうして再び濃霧の
世界へ入っていく

印字 印字 印字 印字 印字 印字 印字 印字 印字 印字

わたしという者は
ぷるぷる震える
煮凝りを含んでいます
だからわたしは
透過性の高い夢を
見たいと欲する けもの路 あるいは、if・・・・・・・・・。

陽に透けて向こうが
見えるような夢

海の街で生まれたので
渚まで 歩いて行けた

光る渚に太陽が重なる
わたしは堤防に跨って

風に吹かれていたんだ
釣り人や 恋人たちが

たおやかな光景に溶け
時には半裸で寝そべり

肌を灼いてる人も居た
ヘッドフォンを付けて

ヨットハーバーが傍に
あり帆がはためいてた

海の街で生まれたので
渚まで 歩いて行けた

別室のような物だった
たおやかな 別室・・・・

それからまた あるいは、if・・・・・・・・・・・・・・・・・。
あまりに暑いのでアイスクリームを買ってきた
眺めていたらあまりにも涼しげなたたずまいに
憎しみが湧き 食べることはやめて燃えるゴミ
へとだしたアイスクリームが燃えていくという
イメージそれがその日のわたしの暮らしの実感
となった溶ける事を大きく越えて青々と燃えろ

あるいは、if・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
賃貸料の安い都営住宅の 申込用紙をもらいに

区役所の出張所へ 行った 担当者がぽかんと

して 「あの、紙」いつも 何処にあるんだっけ

と 同僚にたずねた 同僚もすこしたってから

前回の申込は終わりましたので 次回の申込用

紙の配布は秋になりますねえ・・・・・・・・と言った

申込用紙は どうやったら入手できますかと訊

いてみたら ええと あの、「花」の ところで

すと言います あの花、と言われても判らない

その、「花」 は何処にあるのですか と訊いて

みたら あの、テーブルですよ、と言う その、

「花」は あのテーブルにありますよと 語る

パンフレットを欲したけれど その、「花」 が

つぎに咲くのは秋の何処かになるのだそうです

けもの路 あるいは、if・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
つぎに咲くのは秋の何処かになるのだそうです

きょうは いっぽも しゃばへ でず
みずは あまりとらず 尿もすくない

皮膚の露命が欠けていた
皮膚の露命が欠けていた
皮膚の露命が欠けていた
けれど 動いている指先

きょうは いっぽも しゃばへ でず

画面と ベッドの あいだに いきて

まずタイトルのてまえにけもの路と渚

わたしは 画面の中を スクロールし

すると太陽の 黒点の 泣きぼくろが

あるの 終日 へやの暗がりに居ても

出発「点」だけが そこにともるので

いま 始めている詩を 「けもの路から

あるいは、if・・・・・・・・・。」という タイ

トルにしてみました 印字 印字 印字 印字 印字 印字 印字

夏の日がおわる わたし いきていくのです・・・・・・・・・。

 

 

 

フランダースの犬

 

今井義行

 

 

わたしは 夕御飯を ちいさな テーブルで 食べている
きょうは 塩バターパンと ブロッコリーやかぼちゃ 海藻類のサラダ
デザートに チョコワッフル

デイケアの仕出弁当では不足しやすい
栄養分を 夕御飯で おぎなっている

締めの チョコワッフルを(カロリ―オーバー)
うっとりと 齧りながら・・・・

賢治祭 平成27年 9月21日 宮沢賢治詩碑にて
と いうNHKニュースを みた

食後には 忘れずに 安定剤のまなくっちゃ、ね

わたしは 宮沢賢治詩碑にて
と いうNHKニュースを 知る

宮沢賢治は 命日かさね 神になり
宮沢賢治は 命日かさね 神になり

随分 憧れられて いるのですね
人びとを たすけました ものね

ところで、

新美南吉は 何処へ いったろう・・・・・・・・・・・・・
「フ」 とおもいたって
パソコンを 開いて 検索して
そうすると その、「フ」 って

幾つもの ことばの 候補のなかから 物語の
「フランダースの犬」の 結果へとつながった
そうしてね・・・・・・・・
「フランダースの犬」の 記憶へとつながった
わたしは子供の頃に本を読んだアニメも見てた

ウィキペディア(Wikipedia)などで、

あらすじを たどるだけで
どうにも しずくが にじんでしまう──

風車小屋の 風車が 回っています

大聖堂の うつくしい ルーベンスの 絵画の
したで 冷たくなっている
少年と 愛犬の 抱きあう
すがたが 想いおこされて
最終話が たちあがって きて それは

さいごには 駆けつけた ≪人びとには≫ 「まにあわなかった」という物語なんだ

≪人びとには≫ って いうことは にんげん如きには、だ

欧州では このものがたり
「負け犬」の ものがたり
として 酷評されているというのです
米国では このものがたり
「希望がない」とハッピー
エンドに替えられているというのです

欧州にも米国にも <神>という天上の概念があり
「自立」や「勝利」が 天に尊ばれる風土・・・?
棲んだことはないし 語れる筋合などありません

欧米では 日本で この ものがたりが なぜ
そんなに 愛されているのか 不可思議なんだ

高邁な悲劇ではなく 賤民の俗物ということ かしら
さいごには ≪人びとには≫ 「まにあわなかった」という 結ばれなさは

おなみだ ちょうだいの 大衆演劇に あやまりな!
おなみだ いただいてね 活きている 大衆歌謡に!

ご、「ごん狐」は どうなるの

に、「人魚姫」は どうなるの

撃ち殺されてしまった野狐や 泡になるほかなかった人魚
理想郷を夢みた賢治は 哀しみの深さに沈潜した人よりも
すぐれて いるのでしょうか

「よだかの星」は inori 「永訣の朝」は satori
昇華すること 浄化すること 自らの志向で
「愛」というものを 体を張って つたえた のだろう
それは それで うつくしく 愛されながら

宮沢賢治は 命日かさね 神になり
宮沢賢治は 命日かさね 神になり

新美南吉は 何処へ いったろう・・・・・・・・・・・・・
新美南吉は 何処へ いったろう・・・・・・・・・・・・・

南吉はこころやさしかったかもしれないが
日記に 延々と怨恨を書き綴ったというし
女子校に赴任したときは ウキウキだったみたいよ

宮沢賢治は 神秘を 遺したひと

アンデルセンは ホモセクシュアル だったという
あひるは醜で 白鳥は美 それは偏向、じゃないよ

人魚も 彼も マイノリティ だったのさ

彼は 泡となって
天に かくまわれたかったのではないのかな さて、

季節の変り目 あかるい お茶でも 飲もうと
わたしは 秋色のともだちと 秋色の昼下がり
公園通りの喫茶店で 待ちあわせをしたのです

わたしは やわらかい椅子に座って
紅茶が いいなあ・・・・って 想った

あっ、風車小屋の 風車が 回っています

宮沢賢治は 命日かさね 神になり
宮沢賢治は 命日かさね 神になり

そう、ネロとパトラッシュは牛乳を積んだ荷車を牽いていたんだ
いつの日も 何処までも いつまでも

わたしは ミルクティーを たのんだ
ともだちは コーヒーを ミルクで割った

紅茶の あかは 太陽の ようだな と想った

ミルクティーって・・・・太陽に 乳液を垂らすことなんだね

アイスティーって・・・・つまり冷やした太陽のことなんだね
レモンティーって・・・・太陽にレモンを垂らすことなんだね
ミルクティーって・・・・太陽に 乳液を垂らすことなんだね

一週間という なかで さまざまな ひとに 出あっているなあ
鬱々しているときに愛が怯えている そんなうつろな愛で行うとき わたしは わたしを
含め 誰に対しても うつろな愛にしか 成らないと 想ったり・・・ それは過ちなのですか

窓から人波を眺めている 秋色のともだちの横顔は
ジャニーズの 岡田准一に 似ているけれど 正面を向くと
鶴太郎に変化するので ヘン ( あはは・・・ ) 「帰りに ヒカリエに 寄りたい」と言う

宮沢賢治は 命日かさね 神、となる
宮沢賢治は 命日かさね 神、となる

ともだちは ヒカリエに行きたいと言うけど わたしは どこへ行きたい、か
生と負の蝶つがい 折りたたまれ お互いの話をかたり
生きてやるも 退いてやるも
ああ、似てるねと 希望を 持って
それぞれが 片方ずつの翅になって
蝶となって おそるおそる翔いて 午後は過ぎる

新美南吉は 何処へ いったろう・・・・・・・・・・・・・
「フ」 とおもいたって 検索して
そうすると その、「フ」 って

幾つもの ことばの 候補のなかから 物語の
「フランダースの犬」の 結果へとつながった
そうしてね・・・・・・・・

わたしは 四季のある 日本で 詩を書いています
ある日には 湿潤した 一日があり それが春でも
哀しいときには 哀しいですよ 誰につげなくても

そうしてね・・・・・・・・
「フランダースの犬」の 記憶へとつながった
わたしは子供の頃に本を読んだアニメも見てた

大聖堂の うつくしい ルーベンスの 絵画の
したで 冷たくなっている
少年と 愛犬の 抱きあう
すがたが 想いおこされて

そう、ネロとパトラッシュは牛乳を積んだ荷車を牽いていたんだ

風車小屋の 風車が 回っています

いつの日も 何処までも いつまでも
ネロとパトラッシュはね、 牛乳を積んだ荷車を牽いていたんだ

わたしは ミルクティーを のみつつ
わたしは ミルクティーを のみつつ

わたしは ときに 日常の隙間に 神をかんじることがある それは、
例えば 小型冷蔵庫とモルタル壁の隘路から 一瞬を見護る瞳でした
でもね 世界の あちらこちらに 意地悪な神、いましたよ・・・・・・・・

宮沢賢治は 命日かさね 神、になり
宮沢賢治は 命日かさね 神、になり

だけど 人が そうなって どうする

そうして わたしは ミルクティーを のみほした・・・・・・・・・
わたしは ミルクティーを のみほした・・・・・・・・・
ほら、ネロとパトラッシュが牛乳を積んだ荷車を牽いていきます

 

 

 

魑魅魍魎の華は咲く

 

今井義行

 

 

安息日には「独り」 朝の陽、射さない アパートのなかで
夕、訪れて ぼっと蠢くヒカリはみな 魑魅魍魎
異貌の昆虫が舞っている
異貌の稲光が降ってくる 東京 平井 荒川の這い寄るけはいが
忍び来る デジタル数字、異貌の時刻が灯っている 綺羅綺羅羅 部屋のなかで
異貌の時刻が移っていく 綺羅綺羅羅 部屋の なかで
SNSをみつめながら そこには ことばや画像の
へんげが 在って 想う・・・・・・ 魑魅魍魎の華は咲く

夏から持ってきた 心の なかの 風鈴──
月の満ち欠けの最も細くなった瞼のところで
music from big pink 心のなかの風鈴が初秋にへんげする

右と左の手いっぱいに光りを集め
換算されると それは 初秋の・・・・・・
あなたのソレイユになるのですって
music from big pink それ、「わたし」を発信するお家

ソレイユ(太陽)・・・・ 光りの集合としてわたしが最も
すきなことば

アヴェマリア 南無妙法蓮華経 美醜・・・・・・ 魑魅魍魎

暮らしを ふるふると 歪むような世界には
したくないのに

心が 良いふるえを 求道 してしまいます

「あ」行の人たちがパンを求めて泣いていた
「か」行の人たちがパンを求めて泣いていた
「さ」行の人たちがパンを求めて泣いていた
…………………………………………………………………

わたしは「あ」行の人なんだ でも泣かない

「た」行の人たちが生乳を求めて泣いていた
「な」行の人たちが生乳を求めて泣いていた
「は」行の人たちが生乳を求めて泣いていた
…………………………………………………………………

「ま」行の人たちが草原を求めて泣いていた
「や」行の人たちが草原を求めて泣いていた
「ら」行の人たちが草原を求めて泣いていた
…………………………………………………………………

あかさたなはまやらわ あ、か、さ、た・・

music from big pink いまは 心のなかにある 「銀巴里」
「詩人の魂」という唄は うたわないでほしい

お、まりあ
奇跡を
もたらせたまえよ

唄の途中の
わたしは金魚草

お、まりあ
奇跡を
もたらせたまえよ

カラのペットボトルを ぐしゃぐしゃっと 握りつぶした
カラのペットボトルを ぐしゃぐしゃっと 握りつぶした
あしたは・・・・・・。 資源ごみ の 回収日な もんですから

お、まりあ
奇跡を
もたらせたまえよ

秋の夜空

星のシレーヌは泣いていた

自分には

なまえがあるのに

わたしはどうして

地上にいないの?

歩けないのですか ・・・・・・・・・・・・?

シレーヌ ──
悲観するな

貴方は秋の夜空で

皆をつつむ

唯一の月あかりなんだよ

地上には無情の

現状が あって

それを照らしているのが

シレーヌ 君なのだ──

地球上で何万人もの

人が亡くなろうとも

白骨を、「美」に変えるのが

シレーヌ 君の天職なんだ

泣かせ商売は いつも 笑っている

朧月夜に つめたく
なされた 約束は 反故になり
冷凍みかんが 硬く
わたしより おとなに なっている

魑魅魍魎の 華は咲く

………………………………………………

いまは こころのなかにある 「銀巴里」

銀座の道幅は広く その片隅にあったシャンソン喫茶

わたしは 美輪を聴きたくて

夢精をしたことがない うすかわの服を脱がせる
早稲みかん と して

銀座の道幅は広く その片隅にあったシャンソン喫茶

「美輪」を聴きたく、 「美輪」を聴きたく、
《魑魅魍魎の華は咲く》《魑魅魍魎の華ヒラク》《魑魅魍魎の華は咲く》

「美輪」は その頃 いまの わたしと 同じ位の 歳で
その喉は まさに 最高の 実りを むかえて いた──

その宵には泪橋に佇んでいた “お客さまは神様です”もの

内臓が泣いているのがわかるので腹を両手で押さえていた

ジングルベル ジングルベル

身体を無理やり 聖夜に変えた

お菓子が まどれーぬ
なんて名をつけられて
おしゃれ するなんて
──と、腹かかえる友
ばっかじゃねーの !!

画面の女に「いつかまた生まれるとしたら何が良い」と訊いたら

すぐさまに ≪平凡≫と言った

女の左目になみだがふくらんでいるのかと思ったら

それはカーソルの穂先だった・・・・・・・・魑魅魍魎の華ヒラク

厚い外皮から齧っていくと苦味がまざり

冷凍みかんが わたしよりおとなになっている

(Good Vibrations)

さえざえとした 抱擁をしていた

数時間。 右腕一杯に 天の川のような 青紫が

ふつふつと出ていた 濃い青紫だ 魑魅魍魎の華ヒラク

下町の秋空にあがった 青紫の花火のようだ

挨拶と挨拶は美しい けれど
そこには 熱情が欠けている

ばっかじゃねーの !!

すずをふるようにして元気に声音をだしたいこころです

わたしは 実家のひきだしにわたし宛の遺言状が入って
いるのを 知っています
万年筆が 母の 形見と なるでしょう

安息日には「独り」 朝の陽、射さない アパートのなかで
夕、訪れて ぼっと蠢くヒカリはみな 魑魅魍魎
異貌の昆虫が舞っている
異貌の稲光が降ってくる 東京 平井 荒川の這い寄るけはいが忍び来る デジタル数字、異貌の時刻が灯っている 綺羅綺羅羅 部屋のなかで
異貌の時刻が移っていく 綺羅綺羅羅 部屋のなかで
異貌の時刻が移っていく 部屋の 畳の うえに──

カラのペットボトルを ぐしゃぐしゃっと 踏みつぶした
カラのペットボトルを ぐしゃぐしゃっと 踏みつぶした
あしたは・・・・・・。 資源ごみの 回収日な もんですから