ねこと花 ***

 

無一物野郎の詩、乃至 無詩! Part2 003     kei さんへ

さとう三千魚

 
 

ねこも
花も

うつむく
ことがある

空を
みあげることも

ある

藤の花は
垂れて

咲いている
薫っている

 
 

***memo.

2025年8月23日(土)、
浜松「はままちプラス」で開催された”再詩丼”にて、
“無一物野郎の詩、乃至 無詩!” 第40回、第2期 3個めの即詩です。

タイトル ” ねこと花 ”
好きな花 ” フジ ”

 

 

 

#poetry #no poetry,no life;

鳥海山と手帳と

 

さとう三千魚

 
 

帰った

西馬音内から
帰ってきた

秋田では
姉と

鳥海山の鉾立まで登った
鉾立から人びとのいる地上を見た

花巻の賢治記念館では
照井良平先生にお会いした

賢治記念館に手帳の複製はなかった

珈琲の後に
羅須地人協会と

賢治の墓を見せていただいた
照井先生にはやわらかい笑顔があった

西馬音内では盆踊りを見た
西馬音内の盆踊りは亡霊の踊りだろう

笠を被り
頭巾を着け

顔を無くし
亡き者の傍らで踊る

幻影だろう
亡き者たちを抱いている

鳥海山も
手帳も

姉も
義兄も

幻影だろう

母も父も兄も祖父母も
沖縄の戦争で死んだ叔父も

幻影だろう
ウクライナもパレスチナも幻影だろう

奥羽本線で
山形に抜けるとき

電車の中から

やわらかなみどりの山々を見ていた
やわらかな懐かしい山たちを見ていた

畑のなかのトタン板の小屋も見た

山形新幹線は地上を走った
月山と羽黒山を遠く見て走った

埼玉では激しい雨のなかを走った
新幹線は激しい雨のなかを走っていった

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

激しい雨

 

さとう三千魚

 
 

昨日か


嵐の朝か

雨のなかを河口まで歩いてきた

小川沿いの歩道には
蛞蝓や

蝸牛が
いた

角のような眼をのばしていた
ゆっくり

歩いていた

時折
雨が地上を叩いた

蛞蝓も
蝸牛も

地上に
いた

人もいた

午後に女と
映画「国宝」を観に街に出かけた

女は

よかった
三時間眠らずに観れた

そう言った
満席の映画館は

夏休みのアニメ映画のようだ
エンターテインメントなんだ

面白ければいいのか
我を忘れるほどにか

昨日か

嵐の朝か
いつもの朝にか *

激しい雨に打たれて *

いた
歩いていた

角のような眼をのばして
ゆっくり歩いていった

 
 

* ボブ・ディランのアルバムのタイトル”HARD RAIN “と歌のタイトル「One Too Many Morning」を引用しました

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

街に佇つ

 

さとう三千魚

 
 

月の初めの
日曜の

夕方

街に佇つ
昨日も佇った

静岡駅北口の地下広場に佇つ

天窓の向こうに青空と駅前の木立が見える
地下広場には水の流れる音がする

“殺すな!”
“STOP KILLING IN GAZA! ”

そう書いた
ダンボールのプラカードを持つ

佇つ

ほとんどの人たちは目の前を通り過ぎていく
チラと見て眼を逸らし通り過ぎていく

この世のすべてが通り過ぎていく

昨日は
インドの人か男性がカンパしてくれた

ほほえんで
握手もしてくれた

MITさんも最後に来てくれた

流転の人を感じる
目の前に通り過ぎていく人たちも

GAZAの人たちも
ここに佇つ男も

地上を過ぎ去る者たちだろう

夜になり
MITさんと別れた

地下広場の丸い大きな天窓に群青の空が見えた

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

いない、猫 **

 

さとう三千魚

 
 

猫がいる

いない
猫がいる

三毛猫の鼻のあたまの黒い
いない猫が

いる

子どもをたくさん産んだ
子どもたちはもらわれていった

冬の初めにいなくなり
隣家の納屋の藁の中に干からびて見つかった

いない
猫がいる

河口にいる

河口に
いない猫と子猫たちがいる

 

・・・

 

** この詩は、
2025年7月25日 金曜日に、書肆「猫に縁側」にて開催された「やさしい詩のつどい」第19回で、参加された皆さんと一緒にさとうが即興で書いた詩に加筆した詩です。

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

モネの池

 

さとう三千魚

 
 

連休の
最後の

日の
朝の

女と
睡蓮を見にいく

女は
お茶と珈琲を

クーラーバッグに入れた
西方150kmにある美術館の睡蓮を見にいく

クルマでいく

時の過ぎ去ることの先に
画家は描いた

睡蓮は
いた

空の
青空の

水面に揺れていた

睡蓮は揺れていた
波紋は揺れていた

白い髭づらの太った大男がそこにいた
池の柳の睡蓮の波紋の太鼓橋の空の青空の水面の

揺れてた

緑につつまれた池が青黒く振動していた
大男の筆が激しく振動して静止していた

夕方に
帰ってきた

浜辺にいた
浜辺に波が打ち寄せていた

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

花たちへ

 

さとう三千魚

 
 

ここのところ
夏バテか

走らなかった

検診でバリウムを飲むから
今朝は

なにも
食べなかった

水も
飲まなかった

すこしだけ
身軽になって

河口まで走ってみた
ゆっくり走ってみた

河口には白い雲を被った不二がいた
鮎の稚魚たちか

群れて泳いでいた

燕たちが低い空を餌を求めて飛びまわっていた
子どもたちが待っているだろう

帰りは
歩いてきた

ゆっくり歩いて帰ってきた

義母の仏壇に女は花を供えていた
灯籠の蓮の花の絵がゆっくりまわっていた

庭のカサブランカの花弁の
地に落ちて

残った雌しべの

突きでていた
尖端が濡れて光っていた

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

花たち

 

さとう三千魚

 
 

女が出かけるのを

見送りに
出て

今朝

ひらいて
いた

薄みどりの花芽の
膨らんで

クリーム色に膨らんで
白い

花は
咲いた

義母が逝って
犬のモコが逝った

鉢から
金木犀の木の下に

カサブランカを移し
植えた

光を求めて茎が横に長く伸びるのを
紙紐で吊り下げて

支えた

カサブランカは
花弁をひらいた

一つだけ花は大きく白くひらいた

花の中に
モコがいる

花の中に義母がいる
たこさんもいる

カサブランカの花の中心には太い雌しべが突き出ている
その周りを紅い花粉にまみれた6本の雄しべたちが取り巻いている

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

消えた **

 

さとう三千魚

 
 

白と黒の
猫は

テーブルにねそべっていた

背中のまるい毛なみの
ねそべっていた

いつかテーブルから降りて襖の向こうへ
消えた

消えて
音がない

 

・・・

 

** この詩は、
2025年6月27日 金曜日に、書肆「猫に縁側」にて開催された「やさしい詩のつどい」第18回で、参加された皆さんと一緒にさとうが即興で書いた詩です。

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

島へ

 

さとう三千魚

 
 

昨日か

河口まで走った
川沿いを走った

歩道にミミズたちの死骸がいた
たくさんいた

乾いているものもいた

ゴンチチの
ラジオを聴きながら

走った

Archie Sheppのサックスで
“Embraceable You” という曲が鳴った

“抱きしめたいきみ”

というのか
聴いていた

しばらく川沿いの歩道に佇ち止まって聴いていた

まだ
元気だったころ

母を連れて
南の島へ行ったことがあった

島の南端の海の見える公園に
たくさんの四角い石が並んでいた

ひとびとの名が刻まれていた

その石の前で
母は

泣き崩れた

そこに
母の兄の名もあった

母との旅は一度きりだった
母にはなにも返さなかった

その後母は病気で横になった
死んだ母を抱きしめなかった

 

 

 

#poetry #no poetry,no life