きみの夫は下層であった *

 

若かったころ

四谷の

三栄町の
公園の

鳩の

地面のパン屑をついばむのを
みてた

夏の初めの
空の

水いろの

松の葉がさわさわと揺れ
てた

さわさわと
さわさわと

揺れて

いたな
みていたな

若かったころ
きみの夫は下層であった *

鳩たちは

公園の
パン屑を拾って

生きてた

若かったころ
きみの唇は赤く睫毛は長く黒く

きみの夫は
四谷の

教会の鐘の音を聴いてた

若かったころ
若かったころ

知らなかった

ラルゴも
エレジーも

知らなかった

きみの夫は
松の葉がさわさわと揺れてた

きみの夫は下層であった *
きみの夫は下層であった *

いまは
1886年のエレジー **を聴いています

 
 

* 工藤冬里の詩「酢waters」からの引用
** エリック・サティ「1886年の3つの歌」の「エレジー」のこと

 

 

 

白馬に囲まれる *

 

空白から

はじめたのか

なぜ
空白から

はじめたのか

そこに波だつものがいたからか
そこに波だつうなばらの

女がいたからか

そうなのか

はじめたのか
同緯度同縮尺のつもりで *

旅に
でても

空白を連れていく

波だつもの


白馬

そこにわたしだけの白馬が裸足で佇ってる

女だ
白馬だ

白馬に囲まれる *
白馬に囲まれる *

白馬の汚れた長い髪を撫でる
白馬の汚れた長い髪を撫でる

うなばらの
汚れた長い髪の
女の
首の
白馬の

抱きしめている

うなばらに佇つ女の
白馬の

しろい首を抱いている

 
 

* 工藤冬里の詩「大阪で」からの引用

 

 

 

障害があって結婚しない人が忘れられている *

 

いちど
若いとき

百姓だね


言われたことがあった

小沢昭一さんに言われた

若い時から寄席に通う江戸っ子だったから
小沢さんの

百姓だねは

蔑称だと
思った

でも

どうなんだろう

たしかに
この男は百姓の子だった

百姓の子が百姓がやで都会に出てきたのだった
土地から引き剥がされれば

流浪者だけど

百姓の気持ちが残っていて
道端の草の葉を

噛んだり
する

工藤冬里の詩に
障害があって結婚しない人が忘れられている *

という言葉があった

土地から引き剥がされてみて
百姓は

流浪になる

流浪も忘れられている

 
 

* 工藤冬里の詩「興味を失くしたようだ」からの引用

 

 

 

あきれて物も言えない 07

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

去年の今日、だった

 

義母が入院したのは、去年の今日だった。
もう、一年が過ぎてしまった。

心不全と腎臓の機能低下のため義母の足は象の足のように浮腫んでしまっていた。
それで入院して強い薬を使って浮腫を抑えることになったのだった。
入院してすぐに薬を投入すると浮腫は驚くほど解消されたのだったがあの日、義母の意識は混濁してしまった。

大病院の五階の病室のベッドには虚ろな表情の義母がいた。

それから一ヶ月間、義母は入院した。
毎日、女とわたしは病院に見舞った。
混濁した意識は、まだらに回復して、家に帰りたがる義母を、
担当医に相談して在宅医療の医師、介護施設と連携してから、退院させた。
退院時に担当医から余命は約一ヶ月と言われた。

退院の日、義母を車に乗せて、すぐに家には帰らずに、
病院から出て、港町の風光のなかをドライブして、浜辺まで行き、義母に海を見せた。
最後のドライブだった。

空は、よく晴れていて、海は、キラキラ、光っていた。

退院した義母には、いちごやメロン、マグロ、牛肉や、和菓子など、好きなものを食べさせた。
美味しそうに、義母は、たくさん、食べてくれた。
犬のモコも、義母の帰りを喜んでベッドにあがって義母の顔を舐めていた。

しかし、担当医の言った通り、心臓はもたなかった。
義母は退院して一ヶ月で逝った。
もうすぐ、一年になる。

 

話は変わるが、
悲報だった。

12月4日、
アフガニスタンで活動している中村哲医師が銃撃されたというニュースだった。

翌日の新聞で中村哲医師が亡くなったことを知った。
アフガニスタン東部ジャララバードで12月4日朝、銃撃され、死亡した。

中村哲医師の活動については、かつてNHKのドキュメンタリーを見て知っていた。
ドキュメンタリーでは中村哲医師がアフガニスタンでユンボを運転して現地の人々と灌漑用水路建設に従事している映像を見た。
医師とは思えない姿だった。
映像の中で「100の診療所よりも1本の用水路」ということを語っていた。
現地に居て現地の人々の惨状を知り尽くして語った言葉だろう。
砂漠に水があれば、清潔になり、病気を予防し、食うものも作れるから、
アフガニスタンの人々には何よりも井戸と用水路が必要なのだということだったろう。
畑で食うものさえ作れれば、男たちがタリバーンやイスラム国の傭兵として金を稼がなくて済むということだったろう。

その中村哲医師が、運転手や警備員5人とともに銃撃され殺されてしまった。

タリバーンの幹部は事件後に犯行を否定する声明を出したのだという。
中村哲医師を殺害してアフガニスタンの人々にはどのようなメリットがあるというのだろう。
ジャララバードでは4日夜に中村哲医師の追悼集会が開かれたのだと12月5日朝日新聞の夕刊には書かれている。

「中村さんは懸命に働き、砂漠を天国の庭のように変えてくれた」
「あなたはアフガン人として生き、アフガン人として死んだ」

現地NGOメンバーたちの言葉だ。

人はいつか死ぬだろう。
誰にも平等に死はやってくるだろう。
身近な人々、友人、見知らぬ人、われわれ自身に、死は、訪れるだろう。

アフガニスタンで銃弾に倒れた中村哲医師のような人もいれば、
金髪の米国大統領の傍でニヤニヤしているこの国の首相は、日本ではお仲間を集めてお花見をしているわけなのだ。

この国で、よくも暴動が起こらないものだと思う。
この国の若者たちはおとなしく飼いならされた羊のようだ。
深く深く絶望しているのだろうか?

この世界を分断は覆いつつある。

あきれて物も言えません。
あきれて物も言えません。

 

作画解説 さとう三千魚

 

 

 

死の香り *

 

日曜日の午後に
出かけて

いった

もう
おとといか

ロジャー・ターナーと
高橋悠治の

DUO
“たちあがる音楽” に

いった

青嶋ホールという
コンクリートの打ちっぱなしの音楽堂で聴いた

ロジャー・ターナーのドラムス・パーカッションと
高橋悠治のピアノのDUOだった

ロジャーは
シンバルにフォークを突き刺した

キーキー
引き裂いた

高橋悠治はピアノをピアノで無化していた

そして

無音に
帰る

意味がなかった
無意味とも違う

佇む

ヒトがいた

星空を

過ぎる風が
いた

流れる乳白の星雲がいた

いつまでも
なつかしい死者たちの横にいて沈黙の音を聴いている

女たち
男たち

ヒトの生は死の香りがする

 
 

* 工藤冬里の詩「捕虜となった私」からの引用

 

 

 

浅い墓に埋める *

 

朝から
波多野 睦さんの

歌う

“溺れた少女のバラード” を聴いている

ブレヒトが

右翼に殺されて

運河に投げられた
ローザ・ルクセンブルクを悼み

書いた
詩に

クルト・ヴァイルが曲をつけた

天はオパール色にかがやいた **
神は(ゆっくり)忘れていった **

一昨日
姉と

電話で話した

秋田の西馬音内では
雪がたくさん

降って

朝4時に
起きて

雪かきをしてるといった

雪かきをしていると
姉はいった

去年まで
義兄がしていた

アフガニスタンでは
その医師も

銃撃され死んだ

浅い墓に埋める *
浅い墓に埋める *

そこにいつかはいる
そこにいつかこの男もはいる

今朝
庭のハクモクレンの花芽は雨に濡れて光っていた

いつか浅い墓にはいる

 
 

* 工藤冬里の詩「幻羊/浅い墓」からの引用
** 波多野 睦のCD「猫の歌」所収「溺れた少女のバラード」からの引用

 

 

 

魚群も鳥の群れもクラゲのように窄んで開く *

 

小さな

旅から
帰ってきた

女と犬が迎えてくれた

旅では
生きてるうちに見られなかった夢を **

聴いた

竹田さんが
嗚咽するのをみた

それから
荒井くんと

吾妻橋藪で蕎麦を食べた

夕方
村岡由梨さんのイデアという映画をみた

ひかりがあり
そのひかりを問う映画だった

肉体の
牢獄からひかりをみたのだろう

死のレッスンはまだつづけなければならない

それから
山形訛りの男たちと会った

男は
村では

赤だと言われたのだろう

上原では
詩人たちの詩を聴いた

詩はあなたとわたしの間にある
詩はあなたとわたしの間にある

魚群も鳥の群れもクラゲのように窄んで開く *

窄んで開く *

ことばで
語れないこともある

背黒イワシの群れが
海面を真っ黒に染めるのを小舟から見たことがある

浜辺でカモメたちが空中に浮かんで停止するのを見たことがある

語れない林のなかに
紅い山茶花の花がひらいている

 

* 工藤冬里の詩「海抜ゼロ」からの引用
** A-Musikの曲「生きてるうちに見られなかった夢を」

 

 

 

東京の勤め人は大変だろうな *

 

雨は止んでた


仏壇の花の水をかえ

水とお茶とご飯を供えた
線香をあげた

線香をあげて
女は

出かけて行った

モコと
見送った

車のガラスの向こうで
横顔が

過ぎていった
それから

皿を洗う
洗濯をする

洗濯物を干す

東京の勤め人は大変だろうな *

東京で
働いたことがある

毎日

夜遅くまで働いた
長い電車に乗った

別の女と
住んで

子どもが生まれた

時間を無駄にしたとはいわない

 

* 工藤冬里の詩「十一月ソノ二」からの引用

 

 

 

足はつめたい *

 

墓参に

行ってきた
今朝

義母の月命日だった

女と
車で行った

帰りは

駅に車を置いて
歩いて

帰ってきた

義母は
二月十九日に

心臓が止まった
死んだ

それを見ていた
見ていた

月末になると

義母は
お金をくれた

隠れて
お金をくれた

全部

飲んでしまった

たまに間違えてわたしのことを
むっちゃんと呼んだ

みっちゃんだよ
というと

笑ってた

足はつめたい *
足はつめたい *

車を駅の駐車場に置いて

帰ってきた

川沿いを
歩いて

帰ってきた

 

* 工藤冬里の詩「11月」からの引用

 

 

 

あきれて物も言えない 06

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

竿を出してみた

 

先週の金曜日だったか、
竿を出してみた。

竿を出すのは、二年ぶりくらいだろうか?

以前に通った海浜公園の下にある釣場で竿を出してみたんだ。
ここでは黒鯛を釣ったことがある。
メジナもたくさん釣った。
大きなボラも釣れたことがあった。
ボラは釣れると横に走って引きが楽しいが釣場が荒れるので釣仲間には嫌がられてしまう。やっとタモですくいあげても直ぐにリリースする。

この釣場では、以前、ひとりの漁師のじいさんが釣りをしているのを見かけた。

じいさんは、いつも、グレーの作業服とズボン、グレーの作業帽子で無精髭を生やしていた。
釣り人は道具にこだわる人が多くいる。
とんでもなく高価な竿や道具だったりする。
でも、そのじいさんは延べ竿一本で、タモも持たずに、撒餌もしなかった。
自作の浮子を浮かべ、餌は練餌だけで、メジナを狙っていた。
たくさん釣れるわけでもなく、シンプルな仕掛けだけで、メジナを狙っていた。

まわりにはメジナを釣ろうと釣り人たちが撒餌を散々に撒いて釣りをしているのだ。
その隣りでそんな単純な仕掛けでメジナが釣れるわけがないのだ。
だけど、そのじいさんは、いつも、そんな仕掛けで、メジナを狙っていたんだ。

いつだったか、
じいさんは赤灯台の突堤で釣りをしていて海に落ちて死んだと、
他の釣り人から聞いた。

じいさんはもう釣りをしていないのだ。

さて、そんなことを思い出しながら、竿を出してみたのだ。
じいさんの真似をして、浮子と練餌だけで狙ってみた。
金曜日に竿を出すというのは、
人がいない時に狙った方が撒餌もなく魚も空腹になっていて釣れると思えるからだ。
金曜日の午前に釣りをしている者はほとんどいない。

しかし、海は荒れている。
波は荒く、浮子が上下して、釣りにならない。
ほんとは海中で餌を安定させなきゃいけない。
餌が波の上下で不自然に動いたら魚だって食ってくれないだろう。

荒れた海を見ながら何度か竿を出してみる。
浮子がどんどん波に流されてしまう。
浮子が波間に揺れるのを楽しみながら目で追うのは味わいがある。
波は一つとして同じではなくその波の中を浮子が流されていくのを見るのは楽しい。
やはり今日は釣れないと思う。
それでも竿を出すのは楽しい。
そこに海があり、波があり、テトラポットがあり、その中に、風に晒されて名前のない釣り人がいる。

今朝の新聞で、大阪豊中市のアパートで、孤独死した独居老人の記事を読んだ。
その老人は奄美群島の加計呂麻島の出身で、金の卵として集団就職で関西にやってきたのだという。
はじめに船会社で船員になり、それから阪急梅田駅近くのパチンコ店で住み込みで働き、店が潰れたあと、土木仕事で転々としたそうだ。
60年代後半は大阪万博に向けた工事の仕事があったのだったろう。
万博が終わった後には、釜ヶ崎などには吹き溜まりのように労働者たちが流れ着いたのだろう。

このように孤独死して死後2日以上経過して発見された独居老人は2011年には2万7千人いたのだと民間調査機関の数値を新聞記事は示していた。

戦後、石炭から石油へのエネルギー転換があり、大阪万博があり、急速な工業化があり、原発推進もあった。
国策だった。
官僚がこしらえた政策だった。
その国策の流れの中に日本があった。
日本の都市も、農村も、漁村もあった。
その国策の中に、金の卵たちや出稼ぎ労働者たち、炭鉱労働者たち、満州引揚者たち、在日の人たちもいて、農村の崩壊と離農があり、水俣があり、原発推進も、安保闘争も、三里塚闘争も、あったのだろう。

いま、日本の明治以降を振り返る時に、はっきりと見えることがある。
大きな国策という流れの中で最底辺の者たちが最後の最後まで利用されて使い捨てられているということだ。
いまや外国人労働者たちもその最底辺に組み込まれようとしているわけだろう。
国策という流れはいまも変わっていないと思える。
アベノミクスという強者たちに都合の良い政策が国策として進められているように思える。

もう一度、海を見ていた。
荒れた海の波間に浮子は激しく上下して漂っていた。

あきれて物も言えません。
あきれて物も言えません。

 

作画解説 さとう三千魚