ロッポンギにルナちゃんがやってきた

東京六本木の国立新美術館で「ルノワール展」をみて

 

佐々木 眞

 

印象派は大好きで、昔はなんでもかんでも見に行っていたのだが、だんだん飽きてしまひ、ゴッホ以外はもういいやと思っていた。ゴッホ、ゴッホ、ゴホゴホ。

ロッポンギにルナちゃんがやってきたとか、風の便りに聴いてはいたが、ルノワールといふ淑女番茶で傅く高値キッチャテンのやうな名前を耳にしただけで、あのぶたぶた女のふわふわモワレ像のあともすふぇーるが浮かんでは消え、消えては浮かんでしまふ。

「まず、よさう」と思っていたんだが、たまたま御成通の金券ショップで割引入場券を衝動買ひしてしまったので、けふ仕方なく初夏の昼下がりのロッポンギくんだりまでやってきたんだよ、オネイちゃん。

ところが結果的にはこれが良かったずら。行かなければ一生後悔したにちげえねえくらい良かったんである。あるん、あるん、コンコンチキのコンチクショウめ。

おらっちは遅まきながら、ぬあーんとルナちゃんの真価に目ざめてしまったんである。あるん、あるん、おらっち、コキ過ぎて。古稀過ぎて。

入り口にさりげなく置かれていた「猫と少年」にいきなり目がいった。と思いねえ。

猫をネコかわいがりしている少年は、まるで童貞少年プルーストのようで、映画「バーディ」の主人公と同じように、素っ裸で無防備なお尻を、おらっちの前におどおどと晒していた。

そのおどおどをば、ルネちゃんはあざやかにえぐっていた。
お、これがルナちゃんか、なかなかやるじゃんかと、おらっちは思った。

じゃんか、じゃんか、ルナちゃん、なかなかやるじゃんか。

お次は肖像画のコーナー。点描の大家シスレー選手や詩人テオドール・ド・バンヴィルの澄ましきった御影なんざどうでもよかったけど、「読書する少女」にはちょっと心が動いた。やっぱ描くなら少女なんだなと、心が揺らいだ。チラ、らちもなく。

次の次は風景画なんだけど、セーヌ川のなんてこともない風景がじわじわ胸に染みてきたではないか。

じゃんか、じゃんか、ルナちゃん、なかなかやるじゃんか。

「アルジャントゥイユのセーヌ川」の河原には、蒼穹の下で雲雀が日がないちんち歌っており、童貞プルースト少年が全裸で逍遥しているのを、心配そうに眺めている。

白いパラソルをさした彼の母親、それからモネの奥さんや娘たちが「草原の坂道」をゆるゆる下ってくるのが見える。

そしておらっちの心がいきなり鷲摑みされたのは、これまでよくみたこともなかった「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」だった。じゃった。
午後二時半の巴里モンマルトルの広場で、老若男女のシトワイヤンとシトワイエンヌが、ジンタの響きに合わせてワルツを踊っている。

ジン、ジン、ジンタン、ジンタタタッタアタアア*
ダンス、ダンス、ダンス
一寸の光影軽んずべからず
泣くも笑うもこのときぞ このときぞ*

燦々と輝く午後の日差しは、恋人と我を忘れて踊る若い女性の白いシフォンドレスの上にほのかな樹影を刻印している。樹影、じゅえい、Joue joue jouer

画面の中央では、箱入り娘が青年の、そして左隅では、ジルベルトがプルースト少年のダンスの申し込みを待っている。

ジン、ジン、ジンタン、ジンタタタッタアタアア
ダンス、ダンス、ダンス
一寸の光影軽んずべからず
泣くも笑うもこのときぞ このときぞ

あ、と思えば、つ、と過ぎ去ってゆく、我らが祝祭の日。
その一瞬の仕合わせを、ルナちゃんはキャンバスのうえに、かそけく、あわあわと描く。かそけく、かそけく、あわあわ、あわあわと

あたかも次の瞬間には、束の間の宴がうたかたのごとく儚く消え失せ、けたたましい軍靴にとって代わられる日が来ることを予期しているかのやうに。

ジン、ジン、ジンタン、ジンタタタッタアタアア
ダンス、ダンス、ダンス
一寸の光芒軽んずべからず
泣くも笑うもこのときぞ このときぞ

そして満を持して最後に姿を現すのは、草上にごろりと横たはる巨大な裸婦たち。そはかのギリシア神話のニンフか、はたまたアマゾネスか。

いな、否、Nein 、それは、かつての「麦わら帽子の少女」、「本を読む少女」。
ムーラン・ド・ラ・ギャレットでダンスに興じた少女は、やがて「ルノワール夫人」となり、「横たわる裸婦」となり、最晩年の傑作「浴女たち」となった。

燦然と光り輝く午後三時の太陽の下、もはや男どもが死に絶えたエデンの園で、
恐竜のようにあどけない原始女性たちが、地表のあらゆる因果律を無視して、未来永劫戯れている。

 

*「ジン、ジン、ジンタン、ジンタタタッタアタアア」は仁丹の広告に拠る。
*「泣くも笑うもこのときぞ。このときぞ」は、中原中也の「古代土器の印象」の「泣くも笑うも此の時ぞ」に拠る。
*括弧内の表記の多くは、今回の「ルノワール展」の掲出作品名である。

 

 

 

夢は第2の人生である 第38回

西暦2016年睦月蝶人酔生夢死幾百夜

 

佐々木 眞

 

 

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同期入社の伊藤君を久しぶりに訪ねたところ、私と入れちがいに工場から飛び出してきた男がいた。そいつを追いかけながら「ドロボー、ドロボー、機密書類のドロボーめえ」と怒鳴っている男をよく見ると、伊藤君だった。1/1

私は、次から次へといろんな薬を飲んだ。1/2

原稿の校正をしていると知らない間に年配の女性が目の前に立って私の方を見ている。何の用だろう、それにしてもどうして何も言わないんだろうと訝しく思っていると、日本広告の吉原さんが、「君、ササキさんに挨拶くらいしたらどうなんだ」と詰った。1/4

しかし彼女は相変わらず一語も発しないで、こちらをじっと窺っているばかりだ。すると吉原さんが、声をひそめて「実は彼女はもうだいぶ前に死んでいるんですが、時々こうやっていろんなところに現われ出るので、我われとしても困っているんですよ」と云ったので驚いた。1/4

久しぶりに詩を書いたのだが、途中で難航したので、どこかの誰かの詩を引用したら、これが渡りに船というやつで、次から次に自在な展開が可能になったので病みつきになり、いつもこの手法を活用していたら、いつしか自分の詩が書けなくなってしまった。1/5

展示会を開催するのをすっかり忘れていたので、焦り狂って四方をかけずり回っているうちに、尿意を催したのでトイレに飛び込んだら、そこはなんと巨大な美容院だったが、便器に似た丸いボールがいくつもぶら下っていたので、そこにオシッコをしようとしたら怒られたので、また外に飛び出した。1/6

善戦虚しく最後の決戦に敗れた我われは、村の外れにいある一軒の農家に入り、傷ついた身を労わりながら、最後の一献を汲みかわしていたが、誰も「腹を切ろう」と言いだそうとはしなかった。恐ろしかったのだ。まだ死にたくなかったのだ。1/7

運動と闘争に敗れ去ると、定番のザセツの季節がやってきて、我われは所属するグループ別に、さながら動物園の猿のように、お互いを労わりあい、舐めあっていたのだが、広瀬さんだけは、それらの属を超えて、慈愛に満ちた眼で我らを見つめていた。1/7

飛行機から降りて飛行場を出ようとしたら、大勢の人々が待ちかまえていたので、急遽裏口に回ったのだが。なぜだか吉村さんが後を追ってくるので、引き離そうとどんどん走っていたら、いつのまにか道がなくなって、広い河原に出てしまった。1/9

仕方なく、巨大な岩石がごろごろしている河原を歩き続けているのだが、行けども行けどもいっこうに町が見えてこない。そのうちに夜になってしまったので、持参していたテントを張って、その中で眠ってしまった。

ふと目覚めると、なにか異様な物音がする。ゴウゴウというそれは、たぶん水音だ。これはいかん、このままでは洪水に押し流されてしまう、と思いつつも、これはきっと夢なのだろう、きっとそうに違いないと思い、私はまた眠りこけてしまった。1/9

今夜もバスターミナルへ行くと、門と佐藤が来ていた。出発時間はまだだが、超満員の長距離バスなのでだんだん暑くなってくる。上着を脱いで水を飲んでいると、車内にたくさんの白い鳩が迷い込んできたが、屋根が開けないので、大混乱が始まった。1/10

バスから飛び降りて暫く歩いていると、伝兵衛の家に辿りついたので、私は手に持った火を藁葺きの家に投げ込むと、家は一気に燃え上がった。1/10

外国の服を買おうと、カタログをパラパラめくっていたら、甘い香りのする若くて綺麗な女の子が傍にいて、同じページを覗きこんだ。1/11

村の寄合が終ったので、公民館から帰ろうとしていたら、おばあさんを連れた女の子から「夜道は不案内なので、私たちと一緒に帰ってくれませんか」と頼まれたので、その顔を良く見ると、昼間の若くて綺麗な女の子だった。

二つ返事で引き受け、いろいろ際どい話もしながら家まで送り届けたのだが、おばあさんは御礼の一言も言わずに私を睨みつけるので、その顔を良く見ると、義母だった。1/11

障碍施設の子供たちが、先生に率いられて町の通りを散歩していた。その中に私の子供を見つけたので、最後列を一緒に歩いていたら、おまわりから「こらこら、なにをしとるんじゃ」と怒られてしまった。1/12

初めての大学での初めての授業なので、念のために2時間前から予習しながらスタンバッっていたのだが、もう準備万端整った、と思ったので、見知らぬ夜の街に出て、とあるカフェでノンアルコールビールを口にした途端、その場で気を失って倒れてしまった。実は普通のビールだったのだ。1/13

私はアルコール過敏症で、2002年の5月にも神戸で救急車で担ぎ込まれたことがあり、以来一切酒類は避けてきたのだが、またしても不覚をとってしまった。気がつけば吉田君が「大丈夫?」と心配そうに覗きこんだので、「うん、少し良くなった」と答えた。

私が「すぐに大学に戻らなくちゃ。いま何時?」と尋ねると、「7時10分だ」という返事。「しまった10分も遅れてしまった。30分までに戻らないと休講になっってしまう。ヤバイ。私がフラフラ立ちあがると、吉田君は「自転車が2台あるから大丈夫さ」と請け合った。

「僕が先導するから君は後からついて来たまえ」と云うので、言われるがままに暗い夜道を走っていると、昭和30年代の京都のような、賑やかだけれど寂しい駅前に着いた。ここはいったいどこなんだろう? 大学はどっちなんだろう? ときょろきょろあたりを見回したが、肝心の吉田君の姿はどこにも見当たらない。1/13

高くて大きな家からボヤが出た。家主がが寝巻のままで門の外に出て、心配そうな顔をしているので、私が「もう大丈夫。もうすぐ鎮火するでしょう」というと「そうかなあ。さっき消防を呼んだけど、まだ来ないんだよ村田君」という。「村田じゃないよ、佐々木だよ」といおうと思ったのだが、どうしてだか私は黙っていた。1/14

建築学部の地下へどんどん降りていくと、ひどくぬかるんでいたので、磨きたての靴がずぶずぶ水たまりに沈んでいくのだが、そんなことは気にしないでさらに地下室の地下へと降りてゆくと、ヤクザのような若者が、紅いベベを着た少女をずぶずぶ犯していた。

その傍らには大勢の男女が、盛りのついた猿のように性交しているので、いたたまれなくなった私は、仕方なくもと来た階段を登って建築学部の外に出ると、商店やレストランが軒を並べている駅前広場に出た。1/14

我われは、野戦より籠城を選んだ。全員が城の中に入って、すべての戸や窓を閉ざすと、真っ暗になった。1/15

東京港区の愛宕山に行った。男坂天下の名馬「松風」に跨った私は、一気に男坂のてっぺんまで駆け上がると、お椀の頭をした詩句たちが「オイッチニ、オイッチニ、ソネットを作ろ、ソネットを作ろ」と掛け声をかけながら、一列横隊に急峻な階段を登ってくるのが見えた。1/18

そこで私は次から次へとうじゃうじゃ登ってくる詩句たちの間に、4列/4列/3列/3列の輪割れ目をガッツリ入れて、念願のソネットを作ることに成功したので、「エイエイオウ、エイエイオウ!」と勝ち閧を上げた。1/18

既に戦争が始まっていることを知っていた私は、できるだけ味方に近い敵の領地に向かって移動しながら、脱出の機会をうかがっていた。1/19

私はずっとNYのチェルシーホテルで暮らしていたが、そこへ友人のQが転がり込んできた。Qはそれまで何をしていたのか遂に語らなかったが、まるでずぶぬれの負け犬のような風体でベッドの上をごろごろしていた。1/20

ある日、私は町で乞食のような痩せこけた女と知り合ったが、どこへ行く宛てもないというので、チェルシーホテルの私の部屋に連れてきた。得体のしれない男女3人の共同生活が始まったというわけだ。

それから数日して私が外出から帰ってくると、ベッドの上でQと女がファックしていた。彼らは私が帰宅したと知りながら、猛烈なファックを止めようとはしなかったので、私はそのままチェルシーを出て、二度と戻らなかった。

それから、長い歳月が流れた。私は、その間にようやく乱れ切った自分と生活を立て直し、新しい仕事と人世を取り戻していたのだが、ある日突然思い立って、あのチェルシーホテルの懐かしい部屋を訪れたが、彼らの姿はなく、老いたカンボジア人が一人で住んでいた。1/20

「ヒエーー、助けてーー、わたしまだ死にたくない!」と大声で助けを求めて大暴れする大きな黄色い蝶のぶっとい胸を、左手の親指と人差し指で挟んで、うんとこさ力を入れながら圧し続けて、私はとうとう殺してしまった。1/21

L社の商品企画会議に出席を求められたので、遠路はるばる出かけると、室長が新製品の試作品を私に示して「これで行きたいのです」という。見ればそれは、何の変哲もない2枚のポリウレタンだった。1/22

「従来は白だったが、今度の新製品は、同じ素材を茶色に変える。要するに色変わりですな。大変結構」というと、同席していた20人ほどの連中が、一斉にぞろぞろ退席していく。残ったのは、私と室長だけだった。1/22

私は映画「新・気狂いピエロ」の演出を頼まれた。富める貴族と貧しい不可触選民が、2時間にわたって大殺戮を続ける日仏英米合作映画である。1/23

私の家の中では、夏だけでなく、冬になっても部屋の中を飛び回れるので、快適だった。パソコンの画面上の点点は、たちまち羽虫になって、部屋の中を私と一緒に飛びまわるのだった。1/24

夜中に駅に停車している電車に戻ってくると、ほとんどの連中がまだ起きていた。私は荷物を中央駅に預けたままだったので、明日列車が出発するまでに取ってきたいと思ったが、相談するべき駅員はどこにもいない代わりに、大勢のロシア人たちがラアラア騒いでいた。1/25

某国から、着のみ着のままのヴァイオリニストが亡命してきた。彼女はコンサートを開くときには、草の上に置かれた風呂敷包みの中から、とても小さなヴァイオリンを出してくるのだった。1/26

私は早撮りで有名なちゃらい監督だったので、撮影寸前や直後の妖艶な女優をいきなりその場に押し倒し、素早く事を済ませてから、何食わぬ顔をしてカチンコを叩いていた。1/29

蓮池君が、浅草の問屋で大量のおかきやせんべいを買い込んでいるので、「君はこれを餌にして魚釣りをするんだろう?」と尋ねたら、「とんでもない、これは自分で食べるんです」と答えた。1/30

私は打ち合わせに出ようとこの会場にやってきたが、どの部屋も大勢の人でいっぱいだ。その会合で私は、なんたらフェアについて説明するように頼まれているのだが、その内容については、なにも知らないことに気付いた。1/31

これはヤバイと思って、私の仕事を依頼した人物を探して会場の中を走り回っていると、突然知らない人物から携帯に電話が掛かって来て、「至急お目にかかりたい」という。「今取り込み中だから後にしてくれ」と言うのだが、しつこくせがむので、私はだんだん頭に来た。1/31

 

 

 

*「夢百夜」の過去の脱落分を補遺します。

夢は第2の人生である  第13回

西暦2014年睦月蝶人酔生夢死幾百夜

 
 

ヴェネチアのサンマルコ広場にマーラーの交響曲の楽譜が落ちていたので、リアカーに乗せて自分の家まで持ち帰った作曲家は、それっきり部屋から出てこようとはしなかった。1/31

サーカス団の6人の子供たちが、観客席で見物していた私に「早くここまで登っておいでよ」と誘うので、するするとマシラのように支柱を登りつめた私は、彼らに混じってマーラーの交響曲第6番にあわせて空中連続宙返りを敢行したのだった。1/31

やっと電車が来たので、みな一斉に乗り込もうとしていると、1人の若者が停まっている電車のレールの下の穴に潜り込んでしまったので、心配になった私は彼の後に続いた。1/30

スキー場にやってきたアルバイトの女子大生が、いきなりハモンドオルガンでバッハを弾いたので、同じ大学のアメラグの3名のクオーターバックの選手が、滑降中に激しく転倒した。1/29

「あとは僕に任せて下さい、色々打つ手はありますから」と言い置いて、敵に向かって駆けだした途端、上司の龍宝部長がいきなり私の背中にしがみついた。どうやら敵のリーが、部長になり済ましていたらしい。1/28

夢の中で夢記憶装置が2個置いてあるので、それをオンにしてみたら、私が実際に見た夢とだいたいは一致していたが、部分的には違っていたり、途中でちょん切れていたりするのだった。

超苦手な部下の逆パワハラに猛烈に悩まされていた私だったが、ようやく彼女が他の部署へ出て行ったので、ホッと一息ついて猛烈に仕事がしたくなった。

韓国のどこかで、日本あるいは日本以前の日本列島の影響を受けた文化遺産が発掘されたというので、私だけでなく、友人や専門家の人たちも驚いた。後進地帯から先進国への逆輸出もあるのだろうか。1/27

わが社でたった一人の鴨下カメラマンは、あれやこれやの撮影で引っ張りだこだったが、彼を担当する廣瀬マネージャーの手違いでダブルブッキングが発生したために、あちこちからクレームが殺到していた。1/26

見知らぬ人と名刺を交換したのだが、和服を着たその老人の名刺はお弁当箱くらいの大きさの透明な箱になっていて、その中には金魚が1尾泳いでいるのだった。1/25

いよいよ敵軍との大決戦が迫って来たとき、余が軍服を脱ぎ捨てて郷里の普段着に兵児帯を巻き付けて陣頭に立ったので、幕僚と兵たちは呆然自失の態だったが、これによって余は平常心を取り戻すことが出来たのだった。1/23

国家暗殺局に逮捕された我々3名の前に、3つのコップが出された。2つはただの水だが、1つだけトリカブトの毒が入っているという。「好きなのを選んで呑め」というので躊躇っていると、最初に呑んだ奴が口から泡を吹きながらのたうち回っている。1/22

「なにゆえに」ではじまる短歌を来る日も来る日もセッセと作り続けていたら、某出版社から電話がかかって来て、これが1万首になったら本にしてあげます。但し金200万円也と引き換えです、というので驚いて断った。1/21

リーマン時代の最後の日に、伊勢丹の営業部長のところへ挨拶に行ったら、鳥取特産の「20世紀」を御馳走してくれた。私はその水も滴る大きな梨を頬張りながら、もう2度とこんな美味しい梨を口にする機会はないだろう、と思っていた。1/20

サッカーの試合であらかじめ談合して、彼女がしかるべきときにゴールを決めるように打ち合わせしていたにもかかわらず、どういう風の吹きまわしか、私は自分の持ったボールを敵陣に蹴り込んでしまったのだった。1/19

ブラジルのオジサンが亡くなって突然私に証券の遺産が転がり込んで来たので、これで借金が払えると大喜びしていたら、新日本証券が証券を売り渡すまさにその日に、世界恐慌が起こってすべてがパアになってしまい、私は元のルンペン生活に戻ってしまった。1/18

裏山を登っていくと頂上でキース・ジャレットが富士山を眺めていた。キースは白人だと思っていたが、なぜか黒人の顔をしていた。2人並んで御来迎を待っていたがなかなか太陽は昇らなかった。1/17

久しぶりに新潮社の別館にエンジンの編集部を訪ねたら、6畳間くらいのスペースに8人が座ってぎゅうぎゅう詰めで仕事をしていた。壁には映画「プラトーン」のポスターが貼ってあるので、時が今ではないと知れた。編集長のスズキさんはと訊ねたら行方不明だという。1/17

ワーナーの試写室へ行くと、早川さんが出てきて、「さあこれからホットドッグの原田さんとターザンの澤田さんと一緒にご飯を食べに行きましょう」と誘われたので、トコトコついていくと美味しいチャンコ料理を御馳走になってしまった。1/17

白い貫頭衣の古代の娘たちが、奴隷たちを次々に殺戮してゆく。大沢氏が演出した3D映像は圧倒的な速度と美しさだった。しかもそれらを銀幕越しに炭素年代法で測定すると、それらすべてが紀元前1世紀の素材であることが明らかになった。1/16

森繁久弥と田中角栄が、「そのお、あたしゃあとうとうたたなくなってしまったよ。死んだ方がましだ」と泣いているので、「歳をとればみなそうなるんですよ。あの渡辺なんとかいう三流性小説の作家もインポテンツになったそうですよ」と励ましたが、泣きやまなかった。1/15

近所で起こった女子高校生殺人事件の犯人とおぼしきオートバイに乗った男の撮影に成功した私だったが、それを警察に届けたものかどうかと悩んでいるのだった。

私は一晩中夢を見ていたが、それはまったく同じ内容の夢だったので、すっかり退屈してしまってなにか別の夢をみたいと思い、できればそいつを短縮版に切り替えようと思うのだが、うまくいかないので疲れ果ててしまった。1/14

ハワイで敗戦を迎えた私は、田中さんに頼まれ、そんな技能も実績もないままに邦人たちのスタイリストを務めることになったが、彼らは私に向かって口々になにか仕事はないか、仕事を寄越せと喚くのだった。1/13

学校の校舎のエレベーターの前に山口君がいた。久しぶりなのでいろいろ話をしようと近ずいたがなにも言わないので、よく見たら山口君そっくりの菊人形だった。1/12

りびえらさんは枚方の菊人形の会場に幽閉されてしまいました。りびえらさんに同情した女の子が面会にやってきましたが許してもらえないので、仕方なく門の外でりびえらさんのお母さんとたちつくしておりました。

「お母さん、りびえらさんはどうしてりびえらさんというの」
「リびえらさんはリビエラからお嫁にやって来たのよ」
「りびえらさんはなにか悪いことをしたの」
「いいえ、悪い大臣が勝手に牢屋に入れたのよ」

りびえらさんはリビエラ国のお姫様だったのですが、悪い大臣が黒い戦争を企んだ時にただ独り反対したために、ここに連れてこられたのです。

それから2人は可哀想なお姫様のために「冬のリビエラ」を歌い、1本の薔薇を置いて立ち去りますと、りびえら姫もこんな歌を歌いました。

ふるさとはきっと薔薇の花盛り でも枚方には菊のお花しかない
み園生の泉の底に沈んでいたまがたまの光の懐かしや

するとその歌を聞き付けた名犬ムクが、りびえら姫の絹のハンカチーフをくわえて走ってきましたので、りびえら姫が急いでそれを開いてみるといくつかの木の実が入っていたのでした。1/12

里に初雪が降った夜には、山に棲むキツネが下りてきて村の若者の寝床に忍びこむのだが、若く奇麗な女に変身したキツネは、朝まで男の体の上に乗り、けっして男の自由にさせないのだった。1/11

百貨店に勤める井出君が、売り場の主任にアフリカの土着アートを飾るように進言し、女子販売員も賛成しているのだが、主任はイメージが合わないなどと旧弊な言辞を弄して、あくまでそれを退けるのだった。1/11

まことに陰険な顔をした若者が我が家の長男をいじめている現場に出くわしたので、私はナイフを彼奴の首元につきつけ、「今度このような行為をしたら殺してやる」と激しく威嚇すると、私の決意が本物であると知った男はガタガタ震えてちびった。1/12

三菱鉛筆ユニの改造計画に従事する私は、「I+S+Y」のプロセスで失敗したので、Sを止めてみたら旨く行った。すると今度は悪評高いサントリーホールの音響改造を依頼されたので、音響板を全部撤去して丸裸にしたら妙な浮遊音が解消されて感謝された。1/10

ソープオペラを英国でスタジオ録音することになったのだが、練習練習で疲労困憊していた私たち歌手は、いつのまにかぐっすりと寝込んでしまった。妙な臭いがするので起き出した私がキッチンを見ると、ガスレンジの火がごうごうと燃え、煮物が噴きこぼれているのだった。1/9

女子校の寄宿舎に住みこんで番人をしている私の寝床には、毎晩のように女の子が忍び込んでくる。ある夜などいっぺんに3人も押しかけて来たので対応に苦慮したのだが、最近は毎晩1人ずつになった。きっとみんなで相談してローテーションを組んだのだろう。1/8

「滑川をゴムボートに乗って、海まで下りませんか」と町内会長が誘うので、由比ヶ浜まで下ったら、何百人もの市民が集まっていたので驚いた。もっと驚いたのは、会長が「今日の経費は、目隠しをした少女が触れた人に全額負担してもらいます」と宣言したことだ。1/8

目隠しをした仏蘭西人形のような少女がいきなり私の腕をつかんだので、私は頭にきて海岸を飛び出してどんどん走っていると、突然漱石の南画に出てくるような巨大な岩山に突き当たったので仕方なく登り続けると、ほぼ垂直の傾斜になってしまった。1/8

空中都市に住んでいた私たちは、猛烈な親の反対を押し切って結婚することに決めた。道の向こうに彼女の姿を認めた私が、エイとばかりに飛んだ途端、向こうから飛び込んで来た彼女と道の真ん中で衝突し、私たちは抱き合ったまま落下していった。1/7

知的障がいがある息子と香港のホテルの近くの駅前で待ち合わせをしたのだが、いつまで経ってもやってこない。顔面蒼白になった私は、その界隈を駆けずり回ってその行方を追ったが、駅員が息子はマフィアに誘拐されたと証言したので私は本部へ急行した。1/6

地震洪水津波警報令が施行された結果、コンサートや各種イベントなどは、高度86m以上の場所でないと開催できないことになったので、私たち音楽業界関係者はいつもライヴ開始前のひとときを特別指定会場付近のカフェで過ごすことが多くなった。1/5

ブログにアップする原稿をああでもないこうでもないと考えあぐねていると、だんだん胃の具合が悪くなってきたので、あわててトイレに駆けこんで吐こうとするのだが、ゲエゲエいうのみでいっこうに何も出てはこないのだった。1/4

景気がいっこうに良くならないので、倒産した会社の差し押さえをするGメンの私は、毎日忙しい思いをしていた。私の相棒はGメン仲間の紅一点の鈴木ナオミだったが、長い間コンビを組んでいるにもかかわらず私たちの関係はある一線をけっして越えようとはしなかった。1/3

実に久しぶりに映画の主演女優へのインタビューの仕事でパリに来ているのだが、なぜか街は60年代のようで、タチの映画に出てきた団体の観光客といたるところで鉢合わせする。そのうちに突然昔の恋人までが登場して、私の通訳をかってでてくれたのでとても嬉しかった。1/2

紅白の司会を失敗したタレントが所属する事務所がそのために仕事が激減したので、従業員を指名解雇しようとしたので、私は彼らを糾合して同盟罷業を行い、誰ひとり犠牲者を出すまいとした。14/1/1

 

 

 

夢は第2の人生である  第14回

西暦2014年如月蝶人酔生夢死幾百夜

 
 

はげ山の頂上に「トリスタントイゾルデ」の愛の死が鳴り響く。劇伴はカラヤン指揮のウイーンフィル。歌っているのは私の隣にすっくと佇立するジェシーノーマン。私はその巨大な体躯から流れ出る太い歌に震撼させられた。2/27

荒野の真ん中でさながらさすらいのガンマンのようにたたずんでいるのは、マガジンハウスの「ターザン」でレジェンドと称された辣腕ライターだったが、私がいくら覗き込んでも、テンガロンハットに隠されたその蒼ざめた相貌を伺い知ることはできなかった。2/27

中国を訪問していた私は、なぜか某国の第一将軍に擬せられ、両国の歓迎祝祭儀式の先頭に立って双方の国歌斉唱を聴かされる羽目になったのだった。2/26

新しいスタジオが完成したというのに、私たちはそこをライヴや録音に使うことも許されず、管理者は夜な夜な催すパーティだけに使用しているのだった。2/25

警官隊の突入を前にして、私は彼女と一緒に居るべきだと考えているのだが、もしも彼女がそう思っていないとすれば、それを強要すべきではないとも思い、さてどうしたものかと、心は千千に思い乱れるのだった。2/25

「今日は村上春樹さんにお引き合わせしますから楽しみにしていて下さいね」、という広報の前田さん他1名と一緒に真っ白に塗られたエレベーターに乗っていたのだが、なぜか私はだんだん呼吸困難に陥り、扉が開くや否やその場にしゃがみこんでしまった。2/24

最新型のウエラブル眼鏡型端末を装着しながら試験問題を解いていたら、その答えが全部目に映ってくるので、私は驚いて周囲を見回した。2/24

試験が終わってくつろいでいると、突然資生堂の販促会議の情景が映し出され、新製品の命名を議論していたので、私が何気なく「コンソート・オフ・ふぁっちょん」はどうよ、と呟くと、みながそれに同意したので驚いた。2/24

牧師の私が留守の間に、教会で殺人事件が起こったらしい。急報ですぐに引き返した私は、どうやって事態を収拾したらいいのか迷ったが、まずは会衆一同を落ち着かせなくてはその場に跪いて祈りをはじめた。2/23

私はどういうわけで浅田姉妹が抱き合ってシクシク泣いているのかてんで分からなかったが、どちらかといえば姉の方が美しいなあ、と思いながら見詰めていた。2/22

私が担当していたテレビドラマは、視聴率も取れずさんざんな出来で終わってしまったのだが、終了後のスタッフの絶望と不安に閉ざされた暗い日々を淡々と記録したドキュメンタリー番組が好評で、それが私の今後の唯一の希望なのだった。2/22

なぜか南アルプスの山々の地図に私の名前が記されていたときいたので、豪雪がうずたかく降り積もっているにもかかわらず、その原因をつきとめようと、私は単身現地へ向かった。2/21

わが愛する尼将軍は、今度の戦争の最前線で軍勢を指揮していたのだが、突然の病で忽然と世を去った。2/20

今井さんからの手紙の「君の短歌は扼然なり」と書いてあった。扼然などという日本語はないはずだが、造語にしてもいったいどういう意味だろう。なんだか不吉な文字だなあ、と考えているうちに朝になった。2/19

峠を下りたところで、尨毛の大きな野犬と友達になった。渠は容貌は怪異だが心根はおだやかなようで、街を追放された私の傷心を慰めるために、ときどきピアノでシューマンの小曲を弾いてくれるのだった。2/19

その男は、米国のさる国家的重大事件について偽証した謎の人物なのだが、そんな世間から降りかかる灰色の疑惑などものともせずに、じゃんじゃん仕事をこなしていた。2/18

カルチェラタンの大学でバリケードが張られていたのだが、中の教室で授業があるからどうしても入りたいとがんばる女子の後について荒涼たる空間をうろうろしていると、ロシアのCMが流れていた。2/17

私は前世ではナマケモノだったので、ずっと朝まで1匹のナマケモノとしてうろうろしていた。2/16

マイナーな芝居を見に行ったら、突然妙な顔をした男が、私に舞台に立ってくれというので断ったのだが、彼はこの芝居の演出家でトイレの中まで付いてきて執拗に出演して呉れと懇願するのだった。2/15

映画評論家でもないのに私の名前が新聞にでかでかと出ていた試写会に行くと、会場の後ろには巨人族の2人が立っていたので、私がそれを撮影すると、フィルムをスタッフに取り上げられたので、頭にきた私はその顛末を詩に書いた。2/14

いままで平和そのものだったこの町も、最近はとても物騒になったので、私は切り出しナイフを常に携行するようになった。2/14

当藩の内部抗争はますます激烈なものになり、女性剣士の永原玲子嬢は長刀で斬って斬って斬りまくったために、饅頭屋は饅頭でいっぱいになったのでした。2/12

集英社に行ったらいろいろな雑誌の編集者がどんどん出てきて、名刺も持っていない私に神保町商店街を活性化して焼肉ランチを売れるようにするプロジェクトなどに参加するように要請されたが、もはや商店街にも焼肉にも興味がないので早々に退出した。2/12

この大学では就活指導と婚活を案内を同じ部屋でやっているので、ときどき混乱が起こる。ついさっきも面接指導を受けていた2人を結び付けようとした指導員が、大反発を受けていた。2/11

わが国初の国産宇宙船に乗り込んでいた私たちは、いよいよ着陸という際のトラブル発生でパニクって、窓の外に急接近する海にいつ飛び込もうかとハラハラドキドキしているのだった。

包装紙を次々に破ってゆくおじさんを、僕たち子供は呆然と眺めていた。2/10

永代橋にあるそのショップはとても居心地がよく、私は仕事もさることながらほとんど遊びの感覚でそこでの生活を楽しみ、家に帰るのが惜しいと思えるほどだったので、店の一角で寝泊まりするようになると、奇麗な女の子が毎晩訪ねてくるのだった。2/10

静子さんがとうとう5時ごろに亡くなったのに、私は会議があるというのでそのまま死の床から立ち去ってしまい、夜になってから戻ってきたら彼女の頬は冷たくなっていた。2/9

ヨハネ受難曲に続いてマーラーの交響曲第9番を延々と演奏しているので、耳がタコかイカになり、「いい加減にやめなさい」といおうと思ったが、それほど酷い演奏ではないし、指揮者が女性なので、私はそのまま彼らがしたいようにさせてあげた。2/10

モンドリアンの絵画の中を漂流していた小さな♪の私は、吹いてきた風にあおられて、もんどりうって真っ逆さまに転落してしまった。2/8

高当丸に乗り組んだ私は、他の2隻を率いて戦争のまっただなかであるにもかかわらず、敵の機雷だらけの海を無事に本土まで輸送することに成功したのだった。2/7

コンサート会場で第2バイオリンが若い未熟な指揮者に反発してボコボコにしたという話を聞いた私は、演奏会の前半で帰宅しようとしていたのだが、思い直してまた自分の席に戻った。2/6

マガジンハウスの久米ちゃんから試写会の招きを受けた私は、久しぶりに東京に出かけたのだが、巨大な会場のあちこちにライオンが駆けずり回っては咆哮しているので、くわばらくわばら命あってのものだね、としっぽを巻いて退散した。2/6

健君と2人で長い時間をかけて歩きまわり、この島のもっとも美しい眺望ポイントを探し出すことができた。2/5

「いまから2時間以内にここから逃げ出せば自動殺戮装置は起動しないからすぐに出来るだけ遠くへ逃げなさい」と助言したにもかかわらず、そのジョルディーナという若い娘は逃げ出さずに、むざむざ死んでしまった。2/4

大勢の優婆塞たちが集まり、諸肌を脱いで人の上に人が登って、見る見るうちに巨大な人体ピラミッドが出来上がり、それが大空高く聳え立つのを私は呆然と眺めていた。2/3

毎朝英国のある町を発って仏国のある町まで通っている私は、自分がいったい何者であり、なぜそんなことをしているのか、またいったいそこでどういう仕事をしているのかも分からないまま、毎日そんな行き帰りを続けているのだった。2/1

 

 

 

祝祭の降臨~セルジュ・チェリビダッケの思い出

音楽の慰め 第3回

 

佐々木 眞

 
 

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私が生涯で最も感動したクラシックの演奏、それは1977年に初来日したセルジュ・チェリビダッケが、10月29日の東京文化会館で、当時我が国の三流オーケストラであった読売日本交響楽団を指揮したブラームスの交響曲第4番でした。

その夜、全曲を通じてもっとも印象的だったのは、異様なほどの緊張を強いる最弱音の多用で、とりわけ終楽章でフルートが息も絶え絶えに心臓破りの峠を上る個所では、聴衆も固唾を呑んで、この前代未聞の凄絶な演奏の行く末を見守ったのでした。

ステージの奥から、白銀色に鈍く光る小鳥が飛んできて、私の胸に次々に飛び込むようでした。それから私はこの異様なロマの魔法使いのお蔭で、哀れな一匹の小ネズミになって仄暗い穴倉まで導かれ、そこで突然抛り出されてしまった。

私は拍手をすることすら忘れて、「これがブラームスだったんだ。これがこのホ短調交響曲の真価なんだ」と思い知らされておりました。

ところが、その翌年の3月17日の横浜県民ホールにおけるチェリビダッケと読響は、もっともっと凄かったのです。

レスピーギの「ローマの松」の「アッピア街道の松」のクライマックスのところで、突然眼と頭の中が真っ赤に染まってしまったわたくし。

もうどうしようもなく興奮して、というよりも、県民ホールの舞台から2階席まで直射される凄まじい音楽の光と影の洪水、音楽の精髄そのものに直撃され、いたたまれず、止むに止まれず、ひとり座席からふらふらと立ち上がってしまったのでした。

すると、どうでしょう。それは私ひとりではなかったのです。まだ最後の音が鳴り終わらないうちに、私の周囲の興奮しきった大勢の聴衆が次々に立ち上がって、ムンクの絵の「叫び」に似た声なき歓声を、チェリビダッケと読響に向かって送り続けているのでした。

当時の私は、来る日も来る日も国内と外来のプロとアマのオケをさんざん聴きまくっていました。しかし年間300を超える生演奏を耳にしても、その大半が予定調和的な凡演で、この世ならぬ霊感が地上に舞い降りてくる奇跡的な演奏なんてひとつもありませんでした。

思えば、あれこそが、「音楽体験を超える、ほんとうの体験」だったのです。
魂の奥の奥までえぐる音楽の恐ろしさと美しさ、その戦慄のきわまりの果ての姿かたちを、一度ならず二度までも体感できた私は、ほんとうに幸せでした。

ありがとう、死んだチェリビダッケ! そしてもうあれ以来訳の分からんところへ行ってしまった読響!

 

*セルジュ・チェリビダッケ(1912年7月11日~1996年8月14日)は、ルーマニア生まれの指揮者。ベルリンフィル、南ドイツ放響、スウェーデン放響、ミュンヘン・フィルなど世界の有名オーケストラと共演し、たびたび来日した。彼の音楽は禅宗の影響を受けているようだ。

 

 

 

家族の肖像~「親子の対話」その6

 

佐々木 眞

 
 

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「お父さん、ハスは水の中でしょ?」
「そうだよ」

「お父さん、無理の英語は?」
「インポシブルかな」
「無理、無理、無理するなよ」

「お母さん、盲腸ってなに?」
「腸の仲間よ」
「盲腸、痛いといやですねえ」
「耕君、盲腸痛いの?」
「痛くないお」

「お父さん、直るって復旧のことでしょ?」
「そう、復旧は直るってことだよ」
「復旧、復旧」

武田鉄也が「学校へ帰ろう」っていったお。金八先生のドラマだお。
そうなんだ。

お母さん「なるほど」ってなに?
「そうかあ、分かった」ってことよ。
なるほど、なるほど。

「お父さん、正直の英語はなに?」
「オネストだよ」
「オネスト、オネスト、正直にいわないとだめだよね」
「そうだよ」
「正直、正直、正直」

「お母さん、メッセージてなに?」
「なにかを伝えることよ」
「伝える、伝える」

「お父さん、所により一時雨ってなに?」
「もしかしたら雨が降るってことだよ」
「お父さん、晴れたら青空でしょ?」
「そうですよ」

「お母さん、なんで仲良くするの?」
「喧嘩はいやだから、でしょ?」
「そうだよ」

「お母さん、ショボクレルってなに?」
「ガックリすること」
「ガックリ、ガックリ」

「お父さん、さきほどの英語は?」
「サムタイムアゴーかな」
「さきほど、さきほど」

「お母さん、さけぶってなに?」
「ヤッホオー!」
「そ、そうですよ。そうですよ」

「お父さん、なにしてる、の英語は?」
「ワットアーユードウイング、だよ」
「なにしてるう、なにしてるう、なにしてるう」

「お母さん、じょうと、ってなあに?」
「じょうと? 譲渡か。譲り渡すことよ」
「横浜線205系、インドネシアに譲渡しました」
「へー、そうなんだ」

「ダブルシャープは、シャープが2つだよ」
「えっ、そうなの?」
「2つ半音さげる」

お父さん、公衆電話の英語は?
「パブリックテレフォンだよ」
「公衆電話、公衆電話」

「お母さん、アドバイスってなに?」
「こうしたらいい、って教えてあげることよ」
「アドバイス、アドバイス、アドバイス」

「お母さん、おもてなしってなに?」
「人に親切にしてあげることよ」
「おもてなし、おもてなし」

「お父さん、さびしいの英語は?」
「ロンリーだよ」
「お父さん、淋しいは、さんずいに木が2つですよ」
「ああ、そうだね」
「淋しい、淋しい」

 

 

 

五月の歌

 

佐々木 眞

 
 

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美しい五月よ
三里塚には、もう革命児サパタも戦うパンチョ・ビラもいない。
廃墟と化した巨大な空港の高みに、ミラージュやコンコルドが舞っているばかり。

美しい五月よ
西新宿の大通りには、もう夜鷹もルンペン・プロレタリアートもいない。
四谷区民ホールのガードマンが、夜鍋しているだけだ。

美しい五月よ
新宿御苑の広大な敷地で、草上の昼食を楽しむ中産階級の市民は、もういない。
日がな一日画眉鳥が、「再見再見」と鳴いているばかり。

美しい五月よ
甍が無惨に崩れ落ちた熊本城には、もう誰もいない。
くまモンと鉄腕アトムと鉄人28号とドラえもんとのび太としずかちゃんと六つ子だけが、懸命に石垣を直そうとしている。

美しい五月よ
傲岸不遜な為政者たちは、もうこの国にはいない。
ビア樽ポルカのような奥さんと世界各地を訪れ、わが世の春を謳歌している。

美しい五月よ
十二所村の旧家の屋根の上では、もう親子の鯉幟は泳がない。
遠く旅立った一卵性双生児の息子が今どこにいるのか、誰も知らない。

美しい五月よ
時ならぬ横時雨に躑躅の花は忽ち散り失せ、もうアオバセセリはやって来ない。
はじめての恋は色褪せ、虚ろに開かれた四つの目を、夕闇がゆるやかに閉じる。

 

 

 

良い子は眠れない

 

佐々木 眞

 
 

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怪しい男が、可愛い女の子と一緒に教室に入ってきた。
鈍く光るナイフを突き付けられて蒼ざめているのは、
なんと私の昔の恋人ヨイコではないか。

私は、いきなりヨイコの腕を摑んで、教室の外へ飛び出した。
すると男も、あわてて私らの後を追ってくる。
私らは、キャンパスの坂道を転がるように駈け下りて全速力で走ったが、男に追い付かれそうになってしまった。

あわや、というその瞬間、ヨイコは、持っていたバッグの中からおそ松君を取り出し、その場に抛り投げると、男は夢中になっておそ松君を追いかけ、やっと追い付くと自分のバッグに収めた。

その隙に、私らは全速力で逃げ出したが、しばらくすると、またしてもその男に追い付かれそうになった。

あわや、というその瞬間、ヨイコは、持っていたバッグの中から一松君を取り出し、その場に抛り投げると、男は夢中になって一松君を追いかけ、やっと追い付くと自分のバッグに収めた。

その隙に、私らは全速力で逃げ出したが、しばらくすると、またしてもその男に追い付かれそうになった。

あわや、というその瞬間、ヨイコは、持っていたバッグの中からカラ松君を取り出し、その場に抛り投げると、男は夢中になってカラ松君を追いかけ、やっと追い付くと自分のバッグに収めた。

その隙に、私らは全速力で逃げ出したが、しばらくすると、またしてもその男に追い付かれそうになった。

あわや、というその瞬間、ヨイコは、持っていたバッグの中からチョロ松君を取り出し、その場に抛り投げると、男は夢中になってチョロ松君を追いかけ、やっと追い付くと自分のバッグに収めた。

その隙に、私らは全速力で逃げ出したが、しばらくすると、またしてもその男に追い付かれそうになった。

あわや、というその瞬間、ヨイコは、持っていたバッグの中からトド松君を取り出し、その場に抛り投げると、男は夢中になってトド松君を追いかけ、やっと追い付くと自分のバッグに収めた。

その隙に、私らは全速力で逃げ出したが、しばらくすると、またしてもその男に追い付かれそうになった。

あわや、というその瞬間、ヨイコは、持っていたバッグの中から十四松君を取り出し、その場に抛り投げると、男は夢中になって十四松君を追いかけ、やっと追い付くと自分のバッグに収めた。

その隙に、私らは全速力で逃げ出したが、しばらくすると、またしてもその男に追い付かれそうになった。

あわや、というその瞬間、ヨイコは着ていたジャケットを脱ぎ捨て、その場に抛り投げると、男は夢中になってそれを拾い、自分の身につけた。

その隙に、私らは全速力で逃げ出したが、しばらくすると、またしてもその男に追い付かれそうになった。

あわや、というその瞬間、ヨイコ子は着ていたセーターを脱ぎ捨て、その場に抛り投げると、男は夢中になってそれを拾い、自分の身につけた。

その隙に、私らは全速力で逃げ出したが、しばらくすると、またしてもその男に追い付かれそうになった。

あわや、というその瞬間、ヨイコ子は着ていた天使のブラを脱ぎ捨て、その場に抛り投げると、男は夢中になってそれを拾い、自分の身につけた。

その隙に、私らは全速力で逃げ出したが、しばらくすると、またしてもその男に追い付かれそうになった。

あわや、というその瞬間、ヨイコ子は着ていたスカートを脱ぎ捨て、その場に抛り投げると、男は夢中になってそれを拾い、自分の身につけた。

その隙に私らは全速力で逃げ出したが、しばらくすると、またしてもその男に追い付かれそうになった。

あわや、というその瞬間、ヨイコ子は身につけていた黒いパンティーを脱ぎ捨て、その場に抛り投げると、男が夢中になってそれを拾おうとしたので、私は思わずヨイコの手をふり離し、それを拾って素早く自分の身につけたのだった。

 

 

 

Les Petits Riens ~三十六年もひと昔

蝶人五風十雨録第12回「四月三十日」の巻

 

佐々木 眞

 

 

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1981年4月30日 木曜
一難去ってまた一難。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の著作権問題起こる。夕方弁護士を訪ねる。

1982年4月30日 金曜
「若いネッコの会」盛況。深夜までUCLAについて語る。

1983年4月30日 土曜 曇
中島氏と東急、西武、丸井等々の売り場を回る。

1984年4月30日 月曜 晴
自宅に河野氏、渡辺夫妻、大友さんを招いて夕食会。自閉症の親はみな大変なり。

1985年4月30日 火曜 晴
PRⅩブランドCMのラッシュを見る。平凡なり。

1986年4月30日 水曜 はれ
霞が関ビルにて日本システム・マーケティング講習会。筑波大星野、法政大某助教授の話が面白かった。「Mrミスター」のライブ。新宿厚生年金会館で天皇在位60周年の式典。ソ連の原子炉爆発。2千人以上死亡。(追記、26日のチェルノブイリ原発事故である)。

1987年4月30日 木曜 はれ
スタジオにてトシオトミタ・メンズの記者会見用写真を撮影。流通大島氏、能率協会殿村氏にネクスト・アパレルの原稿300枚を渡す。

1988年4月30日 土曜 はれ あつし
朝9時より東西スタッフが集まってIN初の宣伝企画会議を行う。ショップは全国27店舗で15坪を確保。

1989年4月30日 日曜 はれ
学研「ル・クール」鴨沢氏より依頼のビデオ原稿を書くために「恋に落ちて」「恋のエチュード」「男と女」「哀愁」「慕情」「イージーライダー」「ペーパームーン」「パリテキサス」「ストレンジャー」「俺たちに明日はない」をみる。

1990年4月30日 月曜 はれ
休日出勤。会社は英国ブランド買収のために200億投じたという。吉越氏と昼食。某嬢と夕食。

1991年4月30日 火曜 快晴
オリバー・ストーンの「ドアーズ」を見て結構感動す。吉祥寺で盲導犬を連れた眉目秀麗なる青年とすれ違う。

1992年4月30日 木曜 雨
内心忸怩と雨が降る。物凄く寒い。かくも長きセクスの不在。新橋にて「ハワーズエンド」みる。2時間半は少しだれるが、まあ英国文学の香りを伝えてはいる。

1993年4月30日 金曜 くもりのちはれ
朝信濃川河畔より万代橋にのぼりて、日本海を望む。彼方に佐渡の島あるべし。やがて快晴となりてNext21ビルの展望台にのぼらんと、百千の新潟市民つめかけたり。ラフォレ店は超満員。帰京して東博にて大和の古仏、浮世絵展をみたり。

1994年4月30日 土曜 はれたり曇ったり
今日こそは、と思いてふとんを干せば忽ち曇り、取り込めば再び晴れるなり。さながら余の人世の如し。ムクを伴いて2度散歩。妻子と大船常楽寺に詣ず。北条泰時公の墓あり。イトーヨーカ堂にて5千円の椅子を需む。

1995年4月30日 日曜 くもり時々雨
栄子さん来たりて妻と辻家へ赴き、おとむらいへ行く。玄関に塩を撒く。ムクと太刀洗いへ散歩。悪食の台湾栗鼠は3、4年前から鎌倉に出現するようになれり。鈴木保奈美が詩を朗読するアイデア浮かぶ。夜、二代目鴈治郎の「曽根崎心中」の千回目公演をテレビでみる。

1996年4月30日 火曜 くもり
課長会にてクリエイティブが駄目だと文句をいわれる。蓮池君が給料が減ったとこぼす。クリュイタンスのベートーヴェン全集4千円也。

1997年4月30日 水曜 晴のち小雨
夕方次男が取手に帰ったので悲しくて仕方がない。我が家の希望の星なり。山岳部に入って山に登るというので驚く。

1998年4月30日 木曜 くもり
皇居前のパレスホテルのサンアドにて、雑誌広告の打ち合わせ。その後原宿に戻って、引越し準備をする。

1999年4月30日 金曜 晴
今朝秀麗なる紫色の富士山を見る。9時半になるのに佐藤以外誰も来ない。原宿へ行き豊田社長に手帖・カレンダーの製作を止める許可をもらう。次男、山荘へ行く。今宵満月なり。

2000年4月30日 日曜 晴れたり曇ったり
TALO都市企画に50万の見積りを出す。夏物を出し、クリーニングに出すもの以外は天日に干したり。茶色でピーチクピーチク鳴く尾長き鳥は何鳥ならん?(追記、中国より飛来して大繁殖中の画眉鳥なりき)。

2001年4月30日 月曜 雨
妻の助けでテープを起こしながら、竹田津氏の対談を原稿にする。雨が上がったのでムクと散歩。緑に横時雨。風邪完治せず薬を呑み続ける。

2002年4月30日 火曜 小雨
吉祥寺二葉専門学校にて講義。前半時代史、後半課題。タワーレコードでワーグナーの「指輪」13枚組4千円。東京駅で散髪。

2003年4月30日 水曜 小雨
二葉にて授業。出席4名のみ。概論と時代史。決算報告レポート。連歌18句まで到達。妹は長女の挙式で大童らし。

2004年4月30日 金曜 くもり
長男風邪で発熱。病院で診察してもらったが、一昨日の薄着が敗因なり。住宅関連の取材で連休中に神戸に出張することになる。(追記、取材前夜急性アルコール症にて突如意識不明となり、救急車で集中治療室に担ぎ込まれたり)。

2005年4月30日 土曜 はれ
青池夫妻来たりて長男にカラオケをさせてくれる。長男、喜ぶ。余、急に左の背中が痛くなり、呼吸困難に陥ったので妻に治してもらう。名刺を自分で印刷したが10枚中2枚白紙なりき。

2006年4月30日 日曜 晴 好日
数日前と同様クロアゲハ飛来す。長男と共に熊野神社へ。文芸社やり、文化講義の準備する。妻は繁れる草を取る。

2007年4月30日 月曜 快晴 暖
青池家納骨式。卓。亮夫妻来たりて皆で楽しく過ごす。長男と熊野神社へいく。

2008年4月30日 水曜 はれ
工芸大いそがし。夏の如き気候なり。妻の胸腺まずまず異常なしと診断さる。

2009年4月30日 木曜 晴
工芸大ほとんど学生来ず。ロスから帰国の女性、ウイルスに感染。いよいよパンデミックか。

2010年4月30日 金曜 晴
太刀洗でシジミチョウ見る。家の垣根に大きなガもいた。妻の腰痛ますます酷くなる。自動車の運転のせいである。

2011年4月30日 土曜 晴
長男と散髪に行く。今日で4月は終り。結構残酷な月なりき。妻、虫に刺されて顔腫れる。

2012年4月30日 月曜 小雨のち曇
文化学園大講義。出席35名。理論編の第3回なり。夕方次男が帰宅す。元気そうなり。

2013年4月30日 火曜 小雨 ○
妻、横浜市大病院にて胸腺の診察。阿呆莫迦猪瀬知事がイスラム国を莫迦にする発言を行う。

2014年4月30日 水曜 くもり
妻と太刀洗。長男大荒れに荒れる。

2015年4月30日 木曜 くもり
次男、妻と葉山の美術館にて「日韓近代美術家のまなざし展」を見る。十二所の玄関の階段を修理する。

2016年4月30日 土曜 快晴
連休はじまり、親戚一家来訪。ともに太刀洗を散歩す。オナガアゲハ、モンキアゲハ、クロアゲハ、ナミアゲハ、アオスジアゲハ、ナガサキアゲハ、ジャコウアゲハ、モンシロチョウ、コミスジチョウ、ベニシジミ、ヤマトシジミ、ヒメウラナミジャノメ楽しげに飛ぶ。好日なれど風強し。
熊本と大分で地震の余波が続く。自宅や家族を失った被災者たちの心身の打撃は測り知れず、政府の復興対策は遅々として進まない。結局国は口だけで何もしないのだ。福島と同様の生き地獄なり。

 

 

身自らやられない限りは所詮他人事 蝶人

 

 

 

ぐあんばれ、くまモン

 

佐々木 眞

 

 

連日連夜の大震災でショックを受けたくまモンが、エコノミークラス症候群になってクマっているというので、仲良しの鉄腕アトムが駆けつけました。

「くまモン、そがん青か顔してどがんかしたと?」*1

くまモンは、鉄腕アトムが慣れない熊本弁を使ってくれたことに感激しながら
「どがんもこがんも、朝から晩まで余震が続いて眠れんけん、どがんしようもなかと」

と、よわよわしい声で答えました。*2

「くまモン、いま困っていることはなに? なにか欲しいものある?」
「ぼくのエコノミークラス症候群は、だいぶ良うなった。ばってん、ともかく余震が怖か。

一日も早よおさまってほしか」*3

「わかった。帰ったらお茶の水博士と相談してみるよ。でもあんまり期待しないでね」

「そらよかばい。よろしく頼んだもん」*4
「で、いますぐ欲しいものはなに?」
「えーと、えーと、水、下着、紙おむつ、それと生理用品があったらうれしかね」
「わかった。大至急持ってくる」

くまモンとかたく指切りゲンマンした鉄腕アトムは、たちまち大空高く飛び去りました。
「気をつけていってはいよ!」*5

その翌日、くまモンが市の避難センターでラジオ体操をしていると、バリバリバリと物凄い音がして、運動場に巨大な人型ロボットが舞い降りてきました。
見れば、鉄人28号ではありませんか!

鉄人28号の胸の扉がゆっくり開くと、その中から両手にいっぱいのお土産を持った鉄腕アトムと、ドラえもんと、のび太と、しずかちゃんと、なんとなんと六つ子が現われました。

くまモンは「びっくりモン」とうなったきり、目を白黒させています。

鉄腕アトムは、
「遅くなったね、くまモン。ぼくのお友達のみんなも連れて来たよ。ぼくと金田正太郎君と鉄人28号は、壊れたおうちやお城を直して、怪我したひとたちをどんどん助けるぞ!」
と叫ぶやいなや、アッというまに鉄人28号と熊本城めがけて飛んで行きました。

「はじめまして、くまモン。ぼく、ドラえもん。こちらはのび太君としずかちゃん。毎日テレビを見ていて大変なことになっったなあ。どうしよう。なにかできることがないかなあ、と思っていたんだけど、アトム君が一緒に熊本行こう!というもんだから、やってきたモン」

くまモンは、ドラえもんとがっつり握手をしながら、
「はじめましてだモーン。うれしか、うれしか!」
と喜びの声をあげました。

すると、そんな2人を六つ子がワワッと取り囲んだので、あたりは急に騒がしくなりました。

おそ松「はい、くまモン。これが天然水の入ったボトルだよ。いっぱいあるよ」
くまモン「ありがトマトー!」
一松「エコノミークラス症候群には、やぱり水がいいってさ」
十四松「それと、せっせと足を動かさなきゃだめだって」
トド松「はい、これが下着だよ。GUなんだけど、いいよね」
カラ松「ついでに、ぼくの大好きなお肉も持って来たよ」
チョロ松「こっちは、ハーバード大学特製の紙おむつだよ」
しずか「ほら、お待ちかねのナプキン類よ」
のび太「さあ、これからぼくたちは、熊本復興のボランティアとしてがんがん働くぞ!」

すると、くまモンは、
「シャキーン! ワオー、くまモン、サプライズ! うれしか、うれしか! みんな、ありがとう。ぼくも今日から百万馬力でぐあんばるぞお!」
と叫びながら元気よく飛びあがり、みんなと一緒に「くまモンもん」の歌を高らかにうたったのでした。

 

 


*1「くまモン、朝っぱらから顔色が悪いぞ。どうしたんだい」
*2「どうもこうも、朝から晩まで余震が続いて眠れないからどうしようもないんだよ」
*3「ぼくのエコノミークラス症候群はだいぶ良くなったけれど、ともかく余震が怖い。一日も早くおさまってほしいんだ」
*4「それはいいね。よろしくお願いします」
*5「気をつけて行ってきてね!」

お断り この詩の熊本弁は、熊本出身の友人、田中聖一さんの協力と助言のもとに佐々木が作成いたしました。田中さんのご協力に厚くお礼申しあげます。

 

 

 

夢は第2の人生である 第37回

西暦2015年師走蝶人酔生夢死幾百夜

 

佐々木 眞

 

 

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ふと見ると目の前の白い花にウスバキチョウが止まって一心不乱に蜜を吸うておる。北海道のそれも大雪山系・十勝岳連峰の高山地帯にしか棲息しないはずの天然記念物がどうしてこんな里山にいるのかと私は訝しく思った。12/1

じつは訝しく思うが早いか、それとも遅いか分からないうちに、私は夢中で、透明な翅を持つその高貴な蝶の黒い胴体を、むんずと捕まえ、右手の人差指と中指で両の羽を抑えながら、左手の親指と人差し指で、むぎゅうと胸を押すと、暫く指を押し返していた彼女は、ぐったりとなった。12/1

ここ数年の間に、東京では日本人が激減し、海を渡って、赤白黄色黒色の異民族の人々が押し寄せてきたので、犯罪が激増し、私たち捜査1課の刑事たちは、容疑者の捜査や取り調べに必要な英語、スペイン語、中国語、韓国語、アラビア語の習得に追われていた。12/2

今日は公衆衛生の日なので、われわれは公園のトイレを掃除し、トイレットペーパーをとりつけた。しかし私は便器に降りかかった巨大なウンチに手を触れることだけは、どうしても出来なかった。12/3

久しぶりに、ファッションショーを見た。聞けば私の妹が、その新ブランドの店長を務めるというのだが、大丈夫だろうか? 彼女は嬉しさゆえに、まるで蝶のようにフワフワと舞いあがっている。12/3

クーデターにかかわった劇団の幹部たちは、東京から安曇野まで逃れてきたのだが、北アルプスの山麓で、いよいよ最後の時を迎えようとしていた。12/4

私は、シロナガスクジラだ。久しぶりに湾内に入って遊弋していると、管理人が飛んできて、「きみきみ、ここはドックなんだから、勝手に泳ぎ回っては困る。君の番号は110番なんだから、その番号の場所に停泊しなさい」と怒った。12/6

小学館から頼まれて、ビルの小集会ホールで環境問題について講演しようと「夕張炭鉱では」と声を張り上げたら、右傾化する会社に対する抗議集会も同じ会場で開催されていて、拡声器が「打倒相賀!」とシュプレヒコールを絶叫するので、夕張炭鉱どころではなくなり、ほうほうのていで引き揚げた。12/6

念願のミステリートレインが、いよいよ発車するようだ。どこか私の見知らぬ素晴らしい土地へ連れて行ってくれるとうれしいな。12/7

耕君が一人で特急に乗って、田舎の親戚まで旅立つことになったので、駅に停車している電車の中まで見送りに行ったら、先頭の1号車の1番の席に、巨大なライオンが寝そべっている。困った困った。12/9

新人も超ベテランも、同じひとつのスポーツを楽しむことができるので、その奇跡のような平等性を、私は掌中の珠のように慈しんでいた。12/10

実際茂原印刷のスポーツ選手は、超カッコ良かった。秋冬には、真っ赤なスウエーデン刺繍のセーターを着て、運動場で日向ぼっこをしていると、大勢の女子が「サインしてえ!」と近寄って来るのだった。12/11

国賊といわれて村八分になり、夜逃げする途中で、高校生のA子に出会ったら、「どこにでもいくから連れて行って欲しいの」といわれて、B市の安ホテルに泊ったら、私のすがれた胸にしがみついてきた。12/11

痛い痛い、猛烈に歯が痛い。しかし朝起きたら、痛みが消えてしまっているかも知れない。するとこの痛みはなんなのだ。嘘か眞か、予兆か警告か、心臓からの便りか。12/12

案ずることはない、「南無阿弥陀仏」と唱えておれば、それでいいのじゃ、と誰かの声がした。12/13

南の島のヤシの樹の下で、まず私がジャンプして、右手で2枚の布を放り投げると、それが落ちてくるところを捕まえた息子が、今度は左手で放り投げる。私たちはそんな動作をいつまでも繰り返していた。12/14

疲労困憊した私が、テントに潜り込んで寝ていると、いつの間にか見知らぬ女が私の傍に横たわっているので、「どうした?」と云うてやると、いきなり抱きついてきたので、どうしようもなく2人は獣になってしまった。12/16

我われは苛烈な戦闘の後でとうとうギシック号を占拠して、無期限ストライキに突入した。その翌日はガ島に上陸して大学の寄宿舎を封鎖し、しばらくはそこで待機することにした。12/17

敵が来襲してきたので、私はいつものように家ごと飛びあがって応戦しようとしたが、なぜか重くて駄目だったので、仕方なく私だけで空に舞い上がったが、時すでに遅く、万里の長城のような巨大なものが、空を覆い尽くして迫ってきた。12/19

突如白刃をきらめかせている3人の侍に取り囲まれた私は、おもむろに抜刀しながら、こやつらも侍のはしくれ、いっときに3人が押し寄せることはないだろう。しからば1人ずつ退治するまでのことじゃ、と青眼に構えた。12/20

仕事がなくて喰うに困っていた私に、同文社の前田さんからメールがあって、これから始まる「失われた寺社仏閣全集」の取材とライターをやってほしいという。「これは面白そうだ、まずは鎌倉の大慈寺から行きましょう」と提案したら、そういうのもあなたの好きにやってもらいたいといわれた。2/21

「ただしこのシリーズは毎月1冊のペースで刊行し、全100巻にまとめたいので、原稿締め切りは毎月末にしてもらいたい」というので、「ちょっと待ってください、せめて1ヶ月半にしてください」と頼んだら、「まあいいでしょう」という返事だったが、いつまで経っても肝心のギャラの話がない。12/21

税金取りが差し押さえにやってきた。私の虎の子の現金は、庭の草上の食卓の上に全額置かれていたのだが、彼らはまさかそんなことがあろうとは夢にも思わず、部屋の中をあらさがししてから引き揚げたので、私は九死に一生を得たのだった。12/22

猛烈なブリザードが吹き付ける冬のアイガー北壁の一角にあって、1ミリも身動きできず、私は何昼夜にもわたって一匹のヤモリのようにへばりついていた。12/23

王の一族は、先祖代々近親結婚が続いて蒲柳の質が相続され、、長男も次男も子宝に恵まれなかったので、仕方なくそれぞれに養子を取ったのだが、その養子の動物的活力が新たな騒動と禍の元になって一族の混乱は末永く続き、やがて滅びた。12/24

忘年会へ行こうと部下のTと新宿を歩いていたら、交差点に懐かしの女が青ざめた顔で立っていたので、Tに先に行ってくれと頼んで女の手をそっと握ると、氷のように冷たい。
とりあえず伊勢丹の前のきっちゃてんに入ったが、客はいないし、誰も注文を取りに来ない。

仕方なく2階に上がって、自分でコーヒーとアイスクリームを作り、急な階段をそろそろ降りて1階の席まで戻ると、女はいない。代わりに取引先のS社の大勢の連中が、すべての席をうずめつくして大騒ぎしている。12/25

我われは次第にその村人たちと仲良くなり、時々彼らの家で御馳走になったり、彼らと連れだって町へ買い物に行くようになった。12/26

その大きなヘリが墜落したために、2匹の羊が潰されて死んでしまった。ついでに残るⅠ匹も殺してやろう、とヘリから出てきた乗組員が羊に襲いかかると、その羊はメエエ、メエエと鳴きながら必死に抵抗したので、町の人々は拍手喝采した。12/27

愛犬ムクと愛猫ノラを谷間で遊ばせ、私だけ一気に山頂に駆けあがって一息入れていると、下の方からなにやら悲鳴のようなものが聞こえてきた。山頂から覗き穴で眺めてみると、谷間を巨大な獣がうろつきまわっている。12/27

熊だ!ヒグマだ! ムクとノラが危ない! どうしよう。しかしこんなに離れていてはどうしようもない。ひたすら無事を祈りながら、なおも覗き穴に目を凝らしていると、白い小さな動物がこちらに登ってきた。

あれはノラだ。愛猫の後には槿毛色の愛犬ムクが、その後ろからはウサギやイノシシ、さらにその後ろからは、なんと獰猛なヒグマが山頂めがけてしずしずと登ってくるではないか!12/27

おや健君じゃないか。なに、お父さんの夢を全部録画してあげるって? そりゃあいいねえ。いまは毎晩夢を見たと思ったらすぐに起き出して、電気をつけて枕元の手帖に殴り書きしているから、オチオチ寝られやしない。どうか全部録画しておくれ、と私は息子に頼んだ。12/29

なに、そのヘッドギアのようなものは? そうかこれを被って寝ると、コードがそっちに伝わって全部記録してくれるのか。なんともまあ便利な機械が出来たもんだねえ。御蔭で今晩からぐっすり安眠できそうだ。健君ありがとう。12/29

町田家の人たちと一緒に歩いていると、どこかからボールが飛んできた。町田まち子が「おじさん、こんなところを散歩してると殺されちゃうよ」と悲鳴をあげたので、周囲を見渡すとそこは国立競技場の中だった。12/30

えいやっ!と捕まえると、ガイガーカウンターだった。

山中の山中家を訪ねたら、ゲンスブールとバーキンの「Je t’aim Moi Non Plus」がガンガンかかっていて、「いまショーで浮かれていた“はくいスケ”を順番に犯しているとこだから、明後日また来てくんろ」という返事だったので、そのまま引き返した。12/30

私はイイネを押し続けたが、その間に国籍不明の敵から爆撃を受けた私たちの船は、あっという間に撃沈され、昏い海の底へと沈んでいった。12/30

百万弁の関西日仏会館辺から、ボロ自転車に乗って東大路を南下していると、急にお腹が減ってきたので、どこか饂飩屋でもないかと探していたが、坊主がお稚児さんをお姫様抱っこしている姿を一瞥して、急に食欲が失せてしまい、気がつけば京都タワーの下にいた。12/31

地元のヤクザに招待され、年忘れパーティでやけ食いしていたら、突如前歯が歯ぐきもろともテーブルに飛び出したので、組員も驚いてのけぞっている。組長が呼んでくれた救急車に乗せられた私がよく調べてみると、それは身に覚えのない誰かの入れ歯だった。12/31

 

 

 

 

*「夢百夜」の過去の脱落分を補遺します。

夢は第2の人生である  第11回

西暦2013年霜月蝶人酔生夢死幾百夜

 
 

久しぶりに音響の不気味なサントリーホールへ行ったら、背中どころかケツ丸出しの超妖艶女流ピアニスト、カティア・ブニアティシヴィリ嬢が髪振り乱して演奏していたので、超興奮した私が舞台に上がってバックからクイクイ犯したのに、平然とリストを弾いているのだった。11/30

みなし子ハッチになってしまった私の遺産を狙って、親戚の者たちがいろんな悪さや嫌がらせをしていたが、私はじっと我慢を続け、いずれは彼らを見返してやろうと虎視眈々とその機会を窺っていた。11/28

お尋ねものとして放火、窃盗、恐喝、婦女暴行などをやりたい放題の乱行を繰り広げていた私。とうとう十手のお縄を頂戴して市中引き回しの上磔となったが、なんの後悔もなかった。11/28

私を「どうしようもないデクノボウで世界一卑怯な奴!」と罵ったその最高権力者めがけて突進した私は、その憎らしい顔を靴で踏みにじり、足蹴にして川に突き落とすと、まわりの連中は、あっけに取られてお互いに顔を見合わせるのだった。11/27

ダイナア妃ともども我々は山中で孤軍奮闘したのだが、多勢に無勢武器弾薬も尽きたので、次第に前線から後退を余儀なくされていたが、そのときどこからともなく飛来した敵弾が、しんがりの中尉の頭を貫通したので、彼の頭は柘榴のように弾けた。11/26

いろんなメディアで短歌や俳句を募集しているというので、どんどんネットで応募していたが、自宅の電話番号を間違えたまま投稿してしまったことに気が付いた。自分としてはかなり自信作だっただけに、悔しいというか、耄碌したというか、眠っていながら目の前が暗くなる想いだった。11/25

マムシは危険だし好きではないが、こいつに出会うと捕まえて、すぐに叩き殺すか、体調が良く元気な時は、彼奴の頭を口の中で噛み切ることにしている私だった。11/24

海に向かって開かれた細長い洞窟が、私の住居だった。「ここは狭いから、余計なものは全部捨てるんだ」と隊長がいうとおりにしていたのだが、次々に宅急便がいろんな物を送り届けたので、すぐに手狭になってしまった。11/23

私たちはその海岸で多くの魚を捕まえたが、隣の北朝鮮の倉庫には魚どころかなにも置いてなかったので、彼らを魚料理の宴に招いたのだが、誰もやってこなかった。11/22

戦争の捕獲品をラクダに乗せて帰国した私たちだったが、その配分を巡って仲間がいちゃもんをつけてきたので、私は頭にきて「それなら全部お前たちにくれてやる」と怒鳴って席をたった。11/20

展示会が終わったら好きなCDを貰っていいといわれた」とイケダノブオがいうので、私は「誰から?」とにらみをきかせ、それらのCDを全部ゼンタロウに渡して「お前が入用な奴を抜いて残りを俺に返せ」と冷たく言い放った。13/11/19

出版社の入社式の夜に出来て仕舞った知花クラクラ嬢は美術雑誌課に、私は文藝誌課に配属された。広大な編集部の真ん中にビオトープの池があり、昼休みに私が茶色い亀を放り込むと、大口を開けた鰐が、たちまちそいつをかっ喰らったので、クラクラ嬢は失神してしまった。11/18

地方から出てきたばかりの私が、どの列車に乗ればいいのか東京駅で迷っていると、いかにも洗練された親切な青年が、「これに乗って、ここで降りなさい。僕も一緒に途中まで行きますから」と言ってくれたが、発車しても姿が見えないと思いきや、ホームの先端で飛び乗って来た。11/17

その若い男の本当の職業は、実は投資家で、「2千万の原資でたちまち2億2千万円を手にしたことがあります。もしあなたがお金に困っていたら、私がなんとかしてあげますからそう言ってください」と朗らかに語るのであった。

「どんな難しい命題でも即座に読み解いてみせましょう」と自信満々で請け合うので、私が気になっていた禅の公案の意味を問うと、その男は私からかなり離れた場所にどかりと腰をおろし、無言のまま部厚い唇をゆっくりと動かすのだった。11/17

信じなければならないのに、どうしても信じきれない仲間に対する乾坤一擲の犠牲的精神を発揮して、私は腹腹爆弾のスイッチをその仲間に託し、権力の中枢部へと単身突入していった。13/11/16

突然変異が起こったのか、従来の日本人が備えていた構成要素以外の遺伝子を持つ子供たちがどんどん生まれるようになってしまったので、全国民がパニック状態に陥った。11/15

街の外れの公園で野球が始まった。バッターの私が強い打球を放つと1塁手のノノヘイが球を後逸したので、私は溝蓋のベースを蹴って全速力で2塁に向かったが、いくら走ってもベースがないし2塁手もいない。仕方なく後戻りしたらノノヘイにタッチされて、アウトになってしまった。11/14

みたこともない美しく巨大な蝶が止まっていた。鮮やかな紅色の羽根を静かに動かしている彼女の胸を、右手の親指と人差し指でそっと挟んで、三角形の硫酸紙に収めようとしていると、翼の中からやはりみたこともない美しい中小2匹の蝶が飛びだした。11/14

東京駅の近くで、またしても私は迷子になってしまった。行けども行けども横須賀線のホームに辿り付けず、おまけに私は自転車に乗ったままなのである。ようやくたどり着いた改札口の若い女性の前で法外な運賃を要求された私は、ブチ切れた。11/13

私たち南軍と東軍は激戦を繰り広げていたが、武器ではなく野球の試合で決着をつけようということになり、両軍18名の選手が白熱のシーソーゲームを展開したが、9回裏の最後の攻撃で私の一打が劇的な本塁打となり、ついに結着がついたのだった。11/12

こうして私たちが東軍を従えていた間に、強大な北軍は西軍を屈服させ、一路南下していたが、単身丸腰で敵地に乗りいれた私の「無益な戦いはやめよう」という提言が受け入れられ、しばしの平和が訪れたのだった。11/12

授業をしようといったん教室に入った私が、忘れ物をしたので引き返して戻ってくると、そこは文化祭の準備をする学生たちで超満員だった。机の上に立ったカトリーヌ・スパーク似の長身の学生から「センセ、ちょっとこのスカートの長さを見て下さい」と頼まれたので、私は赤面した。11/11

なんのこれしきの軍勢、あっという間にねじ伏せてやる、といきまいて敵陣に襲いかかった我が軍であったが、圧倒的な数を頼みにしゃにむに攻めに攻めても強固な砦を落とせず、どんどん死傷者が増えていくのだった。11/11

私は甘い顔をしたドライバー、通称「甘顔ドライバー」なのだが、レースの途中でいつもガードレールに突っ込むので、協会ではわざわざ私のために「甘顔ドライバー・スイート・スポット」という特別コーナーを作ってくれた。11/9

若い女性ばかり100人くらいが住んでいる女語ケ島にでは、毎月リーダーが替わってうまく運営されていた。138/11/8

私は何週間もかけて、南北ベトナムやアフリカの僻地を行き来している。はじめそれは仕事だったはずだが、いまではそれは自分の趣味というか、それなしではおのれを制御できない生き方の基軸規範のようなものになってしまい、いったいいつになったら故郷に帰れるのか見当もつかない。13/11/7

懐かしい故郷を離れ、遊撃隊の隊長として戦場に出てから永い歳月が経ったが、久しぶりに国境の南のわが牧場に戻ると、真っ先に私を見つけた愛犬ポスが、猛烈な勢いで私の胸に飛び付いたので、私はその場でひっくりかえってしまった。11/6

急に戦争になってしまったので、交通網も大混乱している。ようやく新横浜までやって来たのだが、ホームに止まったまま新幹線は、定時になってもさっぱり動かない。もてる限りの疎開用の荷物を車内に担ぎこんだ乗客たちは、疲れ切った表情でねむりこけていた。13/11/5

1台の砲車と1個小隊を率いた私は、敵軍が占拠する皇居目指して突撃を敢行したが成功せず、敵の砲撃で壊滅的打撃を蒙りながらもなおも旺盛な闘志を燃やしていた。13/10/5

高台にある住宅街の広場の一角に住民たちが購読しているいろんな新聞が並んでいて、住民たちはそれらを手に取りながら、ゆっくり読んだり、感想を述べ合ったりしながら、日曜の朝のひとときを楽しんでいました。13/11/3

私と近所のおばさんたちが立っている道路の目の前でタクシーが停まり、お向かいの寺尾さんの奥さんが降りるときに、座席に落ちていた千円札を「忘れ物ですよ」といって運転手に渡したので、それを見ていたおばさん連中は、「偉いわねえ」と感嘆していたが、私ならそうはしないなと思った。13/11/3

大阪での打ち合わせの帰り、電車の中でまたしても例の女が「あたしもうすぐロスに行くから、あんたにあげてもいいよ」と囁くのだが、私はその手は桑名の焼き蛤と思いつつ、急速に暮れなずむ十三の夕景を眺めていた。13/11/2

草原に火を放たれたために、黒い煙と紅蓮の炎が私に向かって押し寄せた。もうどこにも逃げ場はない。完全に退路を断たれた私は、いよいよその時が来たと覚悟を固めた。13/11/1

同盟国アメリカの戦闘機のパイロットとの共同作戦が続いていた。私は射撃手に実弾の代わりにプラスティックの弾を渡したのだが、彼はそれに気付かないで撃ちまくっていた。13/10/31

 

 

 

夢は第2の人生である  第12回

西暦2013年師走蝶人酔生夢死幾百夜

 

 

久しぶりに大学を受験した。5科目のうちひとつでも成績が良かったら合格できると勝手に思い込んで、ろくに問題が解けなかった数学や生物の答案はださなかったら、落第してしまった。失敗、失敗。耄碌、耄碌。12/31

長らくこの駅で改札係を務めてきたのだが、いよいよ定年間際となり、行きかう学生たちと顔を合わせるのもこれが最後かと思うと、胸にこみ上げるものがあるが、いちばん気になるのはいつも駅の片隅で薔薇を持ったまま誰かをずっと待ち続けている深窓の美女ふうの謎の女だった。12/30

寅さんが生き帰って生き返って「男がつらいよ」の新作が完成したというので、中野君の招きで浅草松竹に出かけたが、両隣のコンパニオンが体を触るのと、周囲の男たちが煙草をもうもう吹かすので、私は飛び出して半島の先端に座って海を眺めていたが、コンパニオンは追いかけてきてなおも触りまくるのだった。12/29

大災害に遭った私たちは、懸命に逃れて安全な建物の中に逃げ込んだのだが、階段の途中で後ろを振り返ると、背の高い息子の顔が見えたのでやっと安心できた。12/29

前回の人寄せ興行にオランダのチューリップフェアを打ち出したところ、思いがけず集客があったらしく、社長はいきなり新参者の私を指名して「次はなにをやってくれるんだい?」と訊ねるので、ちょうどその時たまたまトドプレスの小黒氏を懐かしく思い出していた私が「トド」と答えると、社長は「海獣ショーだね」と泣いて喜んだ。12/27

大学の建築科で渡辺ゼミに所属する私は、生真面目な学生でありながら、国家特殊秘密探索に従事するテロリストでもあり、毎日のようにシリア人やイスラエル人を暗殺しているので、いっこうに気が抜けないのだった。12/26

居間でミサ曲を聴いていたら、地震でもないのに突然家ががたがたと揺れ動き、半分くらい傾いたところで、ようやく踏みとどまった。これはいったいどうしたことだ。おおこわ。12/25

「一輪の彼岸花が咲いている 世界一弱い国でいいじゃないか」という自作の短歌をプリンしたTシャツを着た私が、名古屋城を見物していると、歌人の岡井隆氏が「お、なかなかイイね」といわれたので「これは日経歌壇で先生に選んだ頂いた歌ですよ」と説明すると「そうじゃったかね。忘れとったよ」と仰った。12/24

第九条をプリントしたTシャツを着て、「日本国憲法」を再出版された元小学館編集者の島本脩二さんと二人で新宿御苑に花見に行くと、天皇陛下によく似た人が「おや、これはなかなかいいですね」といわれたので差し上げると、安倍首相に似た男も「私にもぜひ」というので本と一緒にプレゼントしてやった。12/24

部落への道を急いでいる私の前に姿を現したのは、何枚もの畳や様々な家具でしたが、道の真ん中に転がっているそれらを乗り越えながら、私がなおも前進しようとしていると、無惨に壊れた大きな家と壁が立ちふさがり、それ以上の侵入を拒んでいるのでした。12/23

日本と戦争状態に入っている外国にたまたま滞在していた私は、「断固戦争反対」を唱えて街頭をうろついていると、たちまち巡査に誰何され、ただちに気違い病院に連れ込まれたのだった。

絶海の孤島にたつ高層建築のガラス張りの部屋に住んでいた私は、若月嬢に誘われてビルを降り、船に乗って本土に住む彼女の家を訪ねたのだが、いつまで経っても彼女は私を解放してはくれなかった。12/22

私は、店長以下全員がホモのNYのイタリアン・レストランで、パスタを食べようとしたのだが、彼らは「美味しいパスタの作り方を教えてあげるわ」といって私をぐるりと取り囲んで、いっかなパスタを食べさせてはくれなかった。12/21

しかなく別のレストランに入って念願のパスタを食べようとしていると、今度はホモではないヘテロとおぼしき店長が、「たったいまテロリストから、この店に爆弾を仕掛けたという電話があったので、すぐに外へ出て下さい」と叫んだので、仕方なくそのまま逃げ出した。12/21

私たちは広い野原のあちこちにテントを張って、モンゴル人のような生活を楽しんでいた。青空の下で朝から晩までいろんな人のテントを訪ねて、屈託のないおしゃべりをしたり、御馳走になったりお茶を飲んだりしたが、それは慶長の秀吉の醍醐の花見に少し似ていたかもしれない。12/20

かなり有名な画家であり、翻訳家でもある中年の女性の下請けの仕事を、私は長い間担当していた。彼女は名前のみで、実際の仕事はぜんぶ私に丸投げされていたのであるが、私は絵や語学の素人なので、いつも苦労に苦労を重ねてその仕事をやってきたが、彼女は絵筆も辞書さえ持っていなかった。12/19

かつて愛した少女と別れた私が、泉岳寺の近くで地下鉄の駅を探していると、道端の植物になんと南国特産の巨大なコノハチョウが止まっているのをみつけたので、息を凝らして近づいて右手の親指と人差し指でつかまえ、ギュウと胸を圧迫すると、蝶はその鋭い歯で私の指をチクリと刺した。こいつもしかして吸血コウモリではないだろうか?12/17

誰もがあまり雑誌を買わなくなってきたので、突然わが社のかつての有名雑誌「えりぬき」の休刊が決まった。私は「えりぬき」の若くてきれいな女性編集長のところへ行って慰めようとしたのだが、彼女は泣き崩れて誰の言葉も耳に入らないようだった。12/18

南洋のその島の三箇所は非常に危険だから「絶対に近づかないように」と領事らに警告されていたにもかかわらず、私は丸腰でそこを訪ねて、島民たちとなごやかに交歓していた。12/17

「ブランドイメージを守るためには、あなたと広告部と外部のデザイナーのロゴタイプをいつも同じパターンで使うように徹底しなければなりません」と私が述べると、その世界的に高名なデザイナーは、苦虫をかみつぶしたような顔をした。12/16

北島君のカメラがいいなあ、欲しいなあと思って1万円札を差し出して「これを譲ってくれないか」といいながらよく見たら、デジカメではなくアナログの古くてボロボロの機種だったので、出したお金をひっこめました。12/15

隣の家からどんどん人が出てくるのだが、みんな手に手に「ゆすらうめ」がいっぱいなった枝を持ちながら、うれしそうな顔をしている。うっすらとピンクに色づいたその実をみているうちに、私も欲しくなって隣家に入っていった。12/15

気がつくと私はどんどん流され、黒潮の思いがけない速い流れに乗って列島を南下しつつあった。遥かかなたには富士山の白く小さな峰が望まれた。12/14

格調高い英国製スーツに身を包んだ永田氏は、私の質問に対して、「スーツの下にポロシャツを着てもいいんじゃないの」と微笑みながら答えた。12/14

眠っている私の口の中に女の舌が入り込んで来た。驚いていてそっと目をあけてみると、それは蛇の赤い裂けた舌だったので、私はそいつの首を噛み切ってしまった。12/13

電通映画社の松尾さんが「僕はね、あなたが仰ったとおり、いやそれ以上の映像をUCLAで撮影してきましたよ」というと、傍らにいて電通の古川氏が「ではこれで自宅までどうぞ。書き方はおわかりですね」といいながらタクシー券を呉れた。

田舎の駅で降りた若者たちは、電車から自転車を下ろしてサイクリングに出かけた。しばらく彼らの後を追ったが、どんどん距離が離れて行く。私にはランニングシューズが必要だと気付いたので、近くの商店街の靴屋に入ってあれこれ試している間に、時はどんどん過ぎていった。12/11

昔の知り合いのOという女性が個展を開くというので、私は知らずに百万円超の資金を援助していたらしい。それと知った妻が驚き怪しみ怒ったのは当然のことだったが、もっとショックだったのは私の方で、私はその事実をつい今しがた知らされたのだった。12/10

熱砂に埋もれた精霊教会に、突如手に手に機関銃を握り締めたアルカイダの兵士たちが乱入し、西欧からの3名の観光客を銃殺したので、私はあわてず騒がず死体を祭壇まで運び上げて神に祈りを捧げているうちに、テロリストたちは教会から立ち去った。12/9

今日の授業は駅前の別館です、と突然事務室より通告されたので、私がその教室を探し当てて入ると、15名くらいの見知らぬ学生がどんちゃん騒ぎをしていたので「うるせえ!」と一喝して、授業を始めようとしたが出席簿がない。いつもなら助手が取ってくれるのだが誰もいない。12/8

仕方なく授業を始めたが、誰も聞いていないようなので、私は自分の声に耳を傾けながらどんどん没入していった。しかしその教室には時計が無く、私も時計を持っていない。夢中になって喋り続けていると、突然学生たちが一斉に退席していった。いつのまにか時間が来たらしい。12/8

寄宿舎のコインランドリーで洗濯をする時はいちおう受付に申し込むのだが、ほとんどいないし、いても出てくるのが遅い。それで勝手に洗濯していたら、突然回転が止まってしまった。隣の学生にどうしたらいいか訊ねたら、そのうちに動きますよといって漫画を読んでいる。12/8

NY暮らしもそろそろ終わりだというのに、自堕落な私は遊び回ってばかりいて、卒業制作に全然手がつかず、迷宮のような寄宿舎の中を朝から晩まで徘徊していた。12/6

原宿の木下歯科で櫻映社の石田さんに会ったら、彼の右脚が木になっていた。軍国主義のアホ莫迦右翼内閣が中国と戦端を開いたために、千駄ヶ谷小学校も、竹下通りも表参道も青山学院もミサイル攻撃で消滅していた。12/7

その事業部で新ブランドを立ち上げることになり、2人のデザイナーが新しい店舗デザインを競うことになった。しかし私が支援してやることになったデザイナーは、実力も自信もなく、ただただ世界中をかけずり回ってはひいでたアイデアを盗もうと腐心しているのだった。12/4

砂漠の真ん中に生えているクヌギの樹の緑の葉っぱに、なんとコムラサキが止まっていた。私は息を凝らして近より、見事に捕まえた。親指と人差し指ではさんで蝶の胸をぐぐっと押さえると、彼女は死にもの狂いに抵抗したので、私はうろたえ、それ以上力を加えることが出来ない。12/6

小久保という男に貴重なビデオ・コレクションを確保するように命じておいたのだが、ハイハイと返事ばかりはよくて、実際はなにもしないずぼらで抜けめのないこの男は、案の定致命的な過ちを犯していたのだった。12/6

この事業部組織には、私を含めて2名のマネージャーしかいないのだが、面白そうな仕事はほとんどもう一人の男に集中しているので、頭に来た私は、勝手に彼の仕事をどんどんやってしまったところ、それにようやく気付いた男が、案の定血相を変えて怒鳴りこんで来た。12/3

メンズブランドのデザイナーのみどりさんは、黒を基調にした素敵なメンズウエアをデザインするのだが、必ずユニセックス&ウイメンズ用の服も作ってしまうので、経営者の私は非常に困惑している。12/2

地中海に面した港町南仏セットの海岸通りで、私は万事休していた。グラン・ササキと呼ばれた大親分は殺されたし、中親分は官憲に逮捕された。本来ならばプチ・ササキである私がそのあとめを継がねばらぬが、その大義名分が見つからないまま、私は白いポンティアックを激走させた。12/1