佐々木 眞
不二
毎朝毎朝起きたくないの
ねむくてねむくて仕方がない
外では雨の降ってる音がする
午後からは雪になると天気予報
カーテンはあけないで
もう一度眠らせて
毎朝毎朝起きたくないの
ねむくてねむくて仕方がない
起きたって今日もすることなんにもない
やらなきゃいけないことばかり
やりたいことはなんだっけ
もう思い出せないの
毎朝毎朝起きたくないの
ねむくてねむくて仕方がない
がらんどうの部屋
ひとりねむるベッドは広すぎて
真っ白い雪の一面につもる
足あとのない平原みたい
毎朝毎朝起きたくないの
ねむくてねむくて仕方がない
せっかくあたたまった毛布から出るのが嫌
はだしで踏む冷たい床が怖いの
嗚呼だれか私に
林檎を食べさせてくれたなら
毎朝毎朝起きたくないの
ねむくてねむくて仕方がない
外ではまだ雨の降ってる音がする
夜からは雪になると天気予報
カーテンはあけないで
もう一度眠らせて
ベッドに入って
ずっとケータイを見てる
もう見尽くしたタイムライン
さて次はどこへ
みんな眠ってしまった
電車の音も聞こえない
更新されることのない夜は真っ暗
頭の中でキーンと響く沈黙の爆音に
聞き耳を立てている
分厚い布団の寒い夜
より一層の星のかがやきが
鋭く切りつける光年の疑問に
一方四角い光は秒速で
何も解決しないかのよう
慣性にとらわれっぱなしの私の寝床
さて次はどこへ
眠りたくない
どこへ飛んでいくのか
目を閉じてしまえばまるで魔法のよう
何もかも終わるのに
雨は
あがった
高地では
雪なのだという
ここは
高地ではない
海辺の街
みかんとお茶がとれる
白子もいる
ヒトは
曖昧だね
笑っている
三保の
海は
急深かになっていて
離岸堤の近くに鯛もいる
このところ舟を浮かべていない
なにも
海に
浮かべるものがない
雨は
あがった
せめて真っ新のゴミ袋くらいにはなりたかった *
せめて真っ新のゴミ袋くらいには *
朝
壇蜜の日記が届いた
* 工藤冬里の詩「焼肉屋」からの引用
異言語が鏡に映って一対の羽根になり
滅ぼすことにした、と読み取れたが
窓の位置が箱舟だったのか
同じ耳をした一対が入っていった
眼鏡を外すと
ルクレツィア・ボルジアだった
すべての顔は大雨に打たれる動物のようだったので
地下の湖に滑り込ませた
顎髭の似合う顔を探し当てたが
それは困っている人の顔だった
人に恋するのか動物に恋するのか
どちらかにしてくれと言われ続けたが
かえって詩をビニール袋に包んで隠しておいた
切られた空が明るくなりはじめ
持っていない資産まで取り上げられた
僕は自分がひとつの頭陀袋になったような気がした
仕合わせそうな客たちの中で僕は誰よりも食べるのが速かった
それは食事ではなくなにか別のものだった
動物を焼く前に
千円札をぽろぽろ使って
シャワーだけは仕切り直せる個室だったのに
いくら浴びてもストラングラーズのドラムのおじさんみたいな襤褸切れだった
僕は全ての服を裏返しに着た
せめて真っ新のゴミ袋くらいにはなりたかった
強い風が吹いて洪水後の地面は乾いていった
羽根が生えてしまうので紙を裏返しにすると
紙が盛り上がってきた
虫でさえ翅がありそれらは手ではない
やり方を間違うと死ぬことになる
両手一杯分の粉末をもって入っていった
さびしいから人を呼んで腎臓を一緒に食べたい
羽根の先と先の間の空間に煙は立ち込めるか
フューズ管を覗くように異言語が語る
あなたはどうしたいと思いますか
ホルモンはなかなか焦げないです
命は決して終わらない
家族写真を燃やしてしまった。
まだ若い父と母と、幼かった姉と私と弟が笑っている。
真ん中に座る幼い私の顔に十字の切れ目を入れて火を付けたら、
一瞬十字架の様な閃光がピカっと光って
瞬く間に私の顔は溶けて無くなり、
火が燃え広がって、消えてしまった。
私たちは、消えてしまった。
私たちは、壊れてしまった。
家族写真を燃やしたことで、
母を悲しませてしまった。
今はもう会えない姉も、きっと悲しむだろう。
弟はどうだろうか。
精神を病み、大量服薬を繰り返した私を、軽蔑していた父。
私の母ではない女性たちとの生活に安らぎを見出した父。
腹違いの弟たち妹たちの方が優秀だ、と言って自慢する父。
父も悲しむだろうか。いや、悲しまないか。いや、悲しむか。
この詩を読んで、母はまた悲しむだろう。
言葉は時に残酷で、人を深く傷つける。人の人生を狂わせる。
人はなぜ、生きようとする時、
自分以外の他の誰かを傷つけずにはいられないのだろう。
父も母も姉も私も弟も
ただ生きていただけなのに。
ただ生きているだけなのに。
私は生まれた時から親不孝者で、
親からたくさんのものを与えられてきたけれど、
自分が親に何か与えたかといえば、何もない。
何もないのが、情けない。
この先、私の娘たちが「親」の私を憎むことがあるかもしれない。
往々にして子どもから憎まれる「親」という分際に
自分が成り下がってしまったのが、情けない。
ああ
また母を悲しませる言葉を書いてしまった。
父や母や姉や弟といた世界はファンタジーだったんだろうか。
私は今、二人の娘という
血があり、骨があり、肉がある
究極的に現実的な存在を得て、
夢から醒めつつあるのかもしれない。
曖昧だった喜びや悲しみや怒りが、真実のものとなって
人生における大きな「気づき」のようなものを手に入れたのかもしれない。
それは多分、幸せなこと。
なのに、なぜこんなに胸が苦しいんだろう。
写真に火を付けた時、
これで何かを乗り越えられるんじゃないかと
何の根拠もなく考えていたけれど、
残ったのは焦げくさくて黒い燃えかすだけ。
本当は苦しくて悲しくて仕方がなかった。
結局、誰も幸せにすることが出来なかったから。
誰かを幸せにするだなんて、自惚れもいいところ。
でも、本当は消してしまいたくなかった。
壊してしまいたくなかった。
かけがえのない「家族」だった頃の、私たちの記憶。
私は大切なものを、燃やしてしまった。
二度失ってしまった。
私たちはあの時笑っていたのに。
本当にごめんなさい。
今朝も
仏壇に
水とお茶とご飯を供えた
花の水をかえた
味噌汁を作った
サラダを
女に持たせた
モコは
女から薄いハムを貰ってた
キャベツの千切りと人参と犬飯を食べた
羽毛ふとんのなかに埋まってモコはねむった
洗濯物を干し
ゴミを出しにいった
さざんかが紅く咲いてた
西の山の上には
雲が
いない
この窓からヒトの姿がみえない
どんな希望があるか *
どんな希望があるか *
地上にはいま77億人のヒトがいるのだという **
2050年には100億人に達するのだともいう **
地上にいて
西の山を見ている
雲が
いない
山の向こうに
いないヒトがいる
* 工藤冬里の詩「自販機」からの引用
** 国際連合広報センター「世界人口推計2019年版:要旨 10の主要な調査結果(日本語訳)」を参照
https://www.unic.or.jp/news_press/features_backgrounders/33798/