なかもりいっぺい君とななこさんの結婚を祝って
なにも
かも
もう忘れたけど
リンドウを
いくつか
つんで君に捧げる
ペンも
インクも
ないけど
なにも持たない者の心を
ここに持っている
なかもりいっぺい君とななこさんの結婚を祝って
なにも
かも
もう忘れたけど
リンドウを
いくつか
つんで君に捧げる
ペンも
インクも
ないけど
なにも持たない者の心を
ここに持っている
「なでしこジャパン」は、残念だった。
ウィンブルドンの錦織も、残念だった。
青木も、イチローも、松坂も、残念だった。
残念、残念、残念だった。
新幹線自殺は、残念だった。
岩手の中学生自殺は、残念だった。
「少年A」は残念だった。
残念、残念、残念だった。
新国立競技場は、残念だった。
安藤忠男は、残念だった。
石原慎太郎の時から、残念だった。
残念、残念、残念だった。
「マグリット展」は残念だった。
「田能村竹田展」は残念だった。
「ファミリーナ宮下」面談も、残念だった。
残念、残念、残念だった。
台湾栗鼠は、残念だった。
白鼻芯は、残念だった。
画眉鳥も、残念だった。
残念、残念、残念だった。
戦艦大和は、残念だった。
戦艦武蔵も、残念だった。
タイタニックも、残念だった。
残念、残念、残念だった。
浅沼稲次郎は、残念だった。
ジョン・F・ケネディは、残念だった。
マルチン・ルーサー・キングも、残念だった。
残念、残念、残念だった。
安保闘争は、残念だった。
早大学費学館闘争は、残念だった。
連合赤軍派リンチ事件は、残念だった。
残念、残念、残念だった。
民主党は、残念だった。
鳩山首相は、残念だった。
菅、野田、小沢も、残念だった。
残念、残念、残念だった。
自民大勝は、残念だった。
公明党も、残念だった。
維新も、橋下も、残念だった。
残念、残念、残念だった。
思えば岸信介が、残念だった。
佐藤栄作も、残念だった。
とりわけ安倍晋三は、残念だった。
残念、残念、残念だった。
特定秘密保護法は、残念だった。
集団自衛権閣議決定は、残念だった。
安保法案上程は、残念だった。
残念、残念、残念だった。
戦後日本は、残念だった。
平和憲法は、残念だった。
俺たち自身が、残念だった。
残念、残念、残念だった。
ギリシアも、EUも、残念だった。
米・中・韓・露も、残念だった。
世界中、なにもかにもが、残念だった。
残念、残念、残念だった。
なにかの果実が熟れていく。熟れていくとそれが腐っていく過程や枯れていく過程と同じになる。芽吹く、枝葉が伸びる、花が咲く。これも滅の道筋のひとつとなる。そんなことを思ってもしょうがない。
池の鯉に餌を与える。獣たちの侵入を防ぐために針金を池面に張り巡らす。ああこういうささいな仕事も、滅のための行いなのだと、バケツを持って細道を戻りながら、ぶつぶつと呟いて帰ってきた。
あっ、それは、モミの実ですよ。
―なんだかかわいいですね。鈴をいっぱいつけてるみたいで。
参道を行くお参りの客が、庭師の私に語りかけてくる。
あれは、どう考えても、かわいいなんてものじゃない。ぽとぽとと地上に見境なしに降るように落ちてくるのを、せっせと掃除をしてまわっているのは、わたしなのですから。
やっかいなんですよ。カラスがいたずらで落とすんです。
―遊びごころみたいなものですか。
よくわからないけど、カラスにとっては愉快なんでしょかねえ。
部屋に戻って、寝床に入っていると、この部屋中に充満している、果実酒や薬草酒の熟れた匂いに、寝床ごと浸される。この匂いには慣れているのに、なぜか寝入る直前の瞬間に、匂いの混濁が解けて、植物それぞれの発する固有のなにかが鮮明に見えてくる。
清い蒸留酒に溶かされた、生の、滅の澱み。
「そういう、直情の」と、
わけのわからない独り言をつぶやいて枕元の、モミの実をまさぐった。ぽろぽろと、鈴みたいな実が畳のあちこちに散らばっていく。
「なるほど、カラスの愉快は、こんな情景までも想像していたか」と思いながら、なぜだか心得た。
蒲団も、カラスの笑い声も、池の鯉も、それを狙う獣たちも、
寺域の草木も、それらがみな眠りながら、静かに静かに熟れていく。
果実酒は、あと数日で美味くなる。
青銅色の風鈴がベランダの物干しざおに吊らされていい音色を届けてくれる。
少し重い響きがいい。
ゆらゆらとゆれるかんじがいい。
風がない中じっと暑さに耐えるかのような姿もまたいい。
からんころん、からんころん、からんころ~ん。
いくつもの下駄が楽しそうにアスファルトの道を行き交う。
浴衣姿の女性はやはり美しい。
まっすぐな道に隙間がないくらいにたたずむ屋台。
中身よりも包んでいる袋のキャラクターにつられて買ってしまう綿あめ、食卓によくあるのにチョコレートでコーティングしただけで魅力を感じてしまうチョコバナナ、金魚 すくい、水風船、その日の夜だけ光るアクセサリー・・・・・・・。
フィナーレの打ち上げ花火。
水面に映る反射した花火はよりいい。
見ているだけでもうきうきするそんな夏祭り。
すっと伸びた茎のてっぺんに大きな花弁を何枚もつけて元気よく咲くひまわり。
太陽の光を存分に浴びてのびのびと育った最終産物。
本当に濃い黄色はこのことなんだろうなと思う。
みつばちがとまる。
みつばちが立ち去る。
また他のみつばちが遊びに来る。
みんなから愛されるそんな花。
これでもかというくらいの金切り声で鳴き続ける。
その命は1週間しかないという。
土の中には何年もいるという のに。
なんだか切ない。
生きるということを身をもって教えてくれているような気がする。
蝉。
じりじりと照りつける太陽。
それを遮る麦わら帽子。
ぽたぽたと落ちる汗。
それをふきとる手。
薄着になる季節。
小麦色の肌。
そんな夏はもう目の前だ。
神田で
刺身の
盛り合わせを
頼んだのだったか
それから
ホッケの塩焼きを頼んだのだったか
しょっぱかった
ホッケは
しょっぱかったな
それで曽根さんとのんだ
朝までのんだ
帰りは
銀座線で帰ったのだった
明治神宮前を通ったが
銀座線にはない
今朝も
広瀬 勉さんの
ブロック塀の写真を見た
ブロックは
守るために積まれたろう
ブロック塀をヒトは
積んだろう
ことばも
積まれることがある
守るために
佇むヒトは
ことばを積まないだろう
佇むヒトは持たないだろう
無いことばを積む
ごめんねぇ本当は五島列島に行きたいのに
島といっても港からフェリーで二十分そこそこ
伊王島の高台から海に向かう馬込教会は
六月の日差しに眩しい白
久しぶりに
苦手な飛行機に乗る決心をしたのだもの
早起きして高速船で一時間半
渡ってみてもよかったよね
福江島の堂崎教会堂だとか
言葉にすれば決まって
母は打ち消す
そんなことないよ、初めて来たんだもの
そんなに遠くまで行かなくたって
見たいところ、見るところはたくさん
昨日は傘を広げたり畳んだり
初めての長崎
電気軌道を降り坂がちの町へ
まずどこへ? と問えばためらいもなく
大浦天主堂と母
だから だから
いっきに階段を駆けのぼりたいのに
つめかけた人の分厚い列
国宝なんだね
くぐもる声
いつか誰かの灰まじりの涙に濡れたまま
乾きききらない外壁の翳り
新調したゴアテックスの短靴で踏むことを強いられる
信仰はもたないけれど
高みから滴る彩りのちからに抗えない
平たく言えば
ステンドグラスに惹かれ
いのりと呼ぶには足りない思いをかかえて
えいっと踏み出し飛行機に乗り込んだ
母は
すっとデジカメをおろす
堂内へ
梅雨空の光染め分ける
とどかない窓へ
やっと
木の床から屋根裏へ
目を走らせるより早く
立つ身体を濡らす濁りのない色いろ
青赤そして緑と黄いろ
許し慰めすべてを受け容れる場所
いえ
そんなしつらえも持たず
禁じられた二百五十年をくぐりぬけた信者
明治初め
打ち明けられた側はそれを「発見」と呼び
信者がいることを「奇跡」と言ったのね
「発見」なんて受け身ではなくて
みずから「ここにいます」と
囁きとはいえ
声を挙げたというのに
そう
声が
母をここに連れてきた
カウンターテナー上杉清仁さん
その人となりと艶やかな声を知って
教会でうたわれる旧い歌の
豊かな声のちからにふれて
ふるえる母の心を染めた
ステンドグラス
木造のこんな天主堂で
歌が聴けたらね
上杉さんの
どんなふうにゆきわたるのだろう
ドイツやスイスや
あちこちの教会でも歌ってきたひとだもの
「ここにいます」
囁く信者に
驚いた司祭の住まいや羅典神学校が
緑にふちどられ傍らにある
天主堂のうちがわは胸におさめるしかないけれど
開け放された窓の外にも
ステンドグラスの色はこぼれているから
にじむ雨のあと鎧戸の窓の開け放されたありさまを写す
堂をこぼれる冷気と色とりどりが写る
坂から坂へ
グラバー園の紫陽花は雨気を含んでいたけれど
邸宅をめぐるうち
港を見おろす庭はすっかり乾いていて
喉が渇いた
お腹もすいたよと
昼どきを逃してお茶とカステラ
眼鏡橋も出島も気になるけれど
洋館好きの母と私としては
写していい窓も階段も
通りすぎるのが惜しくて
部屋から部屋へ幾度も
行きつ戻りつ
爆心地も平和公園にも行かなかった
代わりに伊王島
軍艦島の手前なんだね
ここも一時は炭鉱だったんだ
信者「発見」の明治ではなく
昭和初めに建てられたという馬込教会は
バス停の真上
上ってものぼってもまた階段で
母の足もとが気になる
大丈夫? ときいて
大丈夫ではなくても上ってしまう
母だから
きかない
少し離れて上る
陰のない海べりの高台すっくと白く
日曜のまひる
礼拝のあとだろうか
歌も祈りの声もない
ただ窓から
青や黄いろの光が降って
ふりかえってまた
デジカメを向け携帯を向ける
階段まで白い
汗をぬぐう
納屋だろうか
通りかかったその時
神父さん、と
神父さん
信者のひとのとりわけ多いという島で
教会の下の道
しんぷさん
女のひとの声に
応える気配
なんねとでもいうような
畑へゆくところでもあるような
日に焼けたひとの姿
波は目の下に寄せ
バスの時間はまだ先
潮のにおいまで照らすような
まぶしい
ああ
私たちはここまで光を観にきたのだ
ふざけたしりあいの子孫が
たわいない言われよう
子や孫じゃだめみたい
形の崩れたグミみたい
ハズレのない豊かさの
はしくれで
はかない教育からにげて
命じる壊乱
そして
埠頭を墨でなぞる
いわくつきの絵のとおり
鮫に喰われ
発光もなく
はじめたのは子作り
当分めかしこむこともない
二年後には
ふざけた子孫はいないだろうと
楽しみに蓋をする
痺れるふかいかんが
潮のようだから
蓋がすべって手が泣ける
埠頭の先が固まる
起伏に子孫がひっかかる
輪郭に住まう
そこは安堵のおまけのような峠
潮くさい髪と胴体に
紙エプロンをまく
潮と墨が
六本木っぽく光る
胴体が整形されて
稀に紙エプロンに肉汁がとぶ
この染みが人に見つかると
たわいない言われよう
信じるものを見つけろとの命令
信じるものは特に必要ない
それくらい豊かだよと
はねかえす
青銅色の風鈴がベランダの物干しざおに吊らされていい音色を届けてくれる。
少し重い響きがいい。
ゆらゆらとゆれるかんじがいい。
風がない中じっと暑さに耐えるかのような姿もまたいい。
からんころん、からんころん、からんころ~ん。
いくつもの下駄が楽しそうにアスファルトの道を行き交う。
浴衣姿の女性はやはり美しい。
まっすぐな道に隙間がないくらいにたたずむ屋台。
中身よりも包んでいる袋のキャラクターにつられて買ってしまう綿あめ、食卓によくあるのにチョコレートでコーティングしただけで魅力を感じてしまうチョコバナナ、金魚すくい、水風船、その日の夜だけ光るアクセサリー・・・・・・・。
フィナーレの打ち上げ花火。
水面に映る反射した花火はよりいい。
見ているだけでもうきうきするそんな夏祭り。
すっと伸びた茎のてっぺんに大きな花弁を何枚もつけて元気よく咲くひまわり。
太陽の光を存分に浴びてのびのびと育った最終産物。
本当に濃い黄色はこのことなんだろうなと思う。
みつばちがとまる。
みつばちが立ち去る。
また他のみつばちが遊びに来る。
みんなから愛されるそんな花。
これでもかというくらいの金切り声で鳴き続ける。
その命は1週間しかないという。
土の中には何年もいるというのに。
なんだか切ない。
生きるということを身をもって教えてくれているような気がする。
蝉。
じりじりと照りつける太陽。
それを遮る麦わら帽子。
ぽたぽたと落ちる汗。
それをふきとる手。
薄着になる季節。
小麦色の肌。
そんな夏はもう目の前だ