手を洗う

 

須賀章雅

 
 

陽が沈み黄昏て
黄色く汚れた街に月が出る頃
男たちは手を洗う

むかし場末の名画座でみた映画で
男が手を洗っていた
敵との闘いから生還した警部補が
洗面台に向かって延々と手を洗い続ける
疲れと血を洗い流すようにいつ果てるともなく
それがラストシーンだった

若い志賀直哉も日に何度も手を洗った
さきほど洗ったばかりの手を
また執拗に洗わなければ気が済まなかった
その若い清潔な手にケガレがみえていたのだろう

あの映画をみた頃の
若いわたしも頻繁に手を洗っていた
潔癖でもないのに手を洗った
自分の手にケガレがみえていたのだろう
「神経たかり」とも云われていた
「ケッペキにいさん 手を洗う」
と吉田美奈子が歌うレコードが出た時
自分の生活が視られているようだった

女たちだって手を洗う
それは知っているつもりだよ
マクベス夫人も執拗に手を洗っていたもの
彼女にだけはみえる血糊を流そうとして

あの映画の俳優もすでに遠く死んでしまったが
あの映画の中で警部補はいまだに手を洗っている
呼び物だったカーチェイスの場面より
洗面台の鏡の前で手を洗う男を思い出す
疲れ果てた寂しい背中をみせて手を洗っていた男と
蛇口から流れ続ける水の音

黄色く汚れた街に月が出た
ところでわたしはまだ手を洗い続けている
あれからずっと
擦り切れて血の滲むまで
夢の中でも手を洗い続けている

 

 

 

*2020年1月10日作
これを書いた頃はその後、至る所でみんなが熱心に手を洗うようになろうとは思ってもみなかったのだったが……。

 

 

 

The road runs along the coast.
道路は海岸に沿って延びている。 *

 

さとう三千魚

 
 

the cold feels
tonight

the moon
is it there

I opened the window

seaside town
I have walked

Fukaura
Owase

I have walked

the moon would have been

even then
the moon

I can’t see it
in the sky

would have been

The road runs along the coast *

 
 

寒さが
沁みる

今夜

月が
そこに

いるかと

窓を
開けてみた

海辺の街を歩いたことがある

深浦とか
尾鷲とか

歩いたことが
ある

月はいたのだったろう

そのときも
月は

見えないが
空に

いたのだったろう

道路は海岸に沿って延びている *

 

 

* twitterの「楽しい例文」さんから引用させていただきました.

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

あの幻冬

 

小関千恵

 
 

10年前の今日は、雪が降っていた
10年経った今日は、風が吹いている

猫は10歳、歳を取ったはず
わたしも10歳、歳を取ったはず

コーヒーを淹れている
同じ電動ミルを使い続けている

眩しさは同じように、
陽は日に差している

ずっと、同じ部屋に住んでいた

何処かを見つめている、わたしがいた
何処かを見つめていた、わたしがいる

浮かんでゆくクラムボン
あれはなんだ 不思議だったから、ついていった

いつか、わたしを閉じ込めて、
何処かへと連れさった、あのクラムボン

今、この場所から、
そのクラムボンを、大空に見ている

何処かを見つめながら、居なくなるわたしを、
かぷかぷわらう、クラムボンの中に見る

(死んだ?)

何度旅から帰っただろう
陽が差す 冷たい空気を抜けたあと
変わりようの無かったものたちが
なんも変わらんかったよ、って
教えながら、ほんの少し揺れていた

わたしは、
この部屋で何度も眠った

 

 

 

 

 

great song after great song

 

工藤冬里

 
 

全てをカレーにして
ステップ・ファミリーも鍋に入れて
前にも見たヴィデオも溶けるまで煮て
エアコンは強に
数の子はもう潰して
シーツは部屋で干す
降る降る言って雪は降らない
風は強い
財布はポケットに
充電器で手の甲が熱い
ナミさんが横浜でライブ中にステージで死んだ
大きな鍋に
ヒット曲を次々と投げ入れて

 

 

 

#poetry #rock musician

つけ加えない

 

駿河昌樹

 
 

あゝ あれを忘れたな
と思う
あれもあれもあれも
忘れたな
と思う

でも
いいんだ

つけ加えようか

思う

20世紀末期に流行ったように
どうであれ
それで
いいんだ
という
風味

つけ加えようか

思う

思うだけで
つけ加えない


けれど

 

 

 

金切鋸

 

工藤冬里

 
 

バリアフリーの手摺のために
ステンのパイプを切る
(合金で鉄が切れるんだ)
モリブデンかタングステンか
(よくそんな鋸持ってたな)
銀が金に、銅が銀に代わるように
石も鉄に底上げされる
そんな時代が来ますか
僕は石で切れます
石で髪も切ります
午後にはリハビリの人が来ます

 

 

 

#poetry #rock musician

We are all in daily pursuit of happiness.
私達はみな日々幸福を求めている。 *

 

さとう三千魚

 
 

in the morning

the woman made Nanakusa-gayu
she went out

I made the dog Moko eat Nanakusa-gayu
I also ate

it seems that one bite will rejuvenate 10 years old and seven mouthfuls will rejuvenate 70 years old

this morning

moco and I
younger than 0 years old

the origin of Nanakusa-gayu
There was a story of filial piety in the Tang dynasty

there are many who wish for own happiness
there may be a few who wish for the happiness of others first

this morning
the wind was blowing strongly

there was light
we were in the light

We are all in daily pursuit of happiness *

 
 

朝に

七草がゆをつくって
女は

出かけた

犬の
モコに

七草がゆを食べさせ

わたしも
食べた

一口で10歳
七口で70歳若返るのだそうだ

今朝

モコも
わたしも

0歳より若くなった

七草がゆの由来には
唐代の功徳の物語があるのだという

わが身の幸を願う多くの者たちと
ひとの幸を先に願う僅かな者がいるのだろう

今朝

風が強く吹いていた

そこに
光があった

光のなかにいた

私達はみな日々幸福を求めている *

 

 

* twitterの「楽しい例文」さんから引用させていただきました.

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

最後の努力

 

工藤冬里

 
 

教えることはひとごとのように共に考えることに変わり
それでもそのひとごとを行為の契機にする動機付けを与えるための視覚効果が工夫されていった
走ることはたのしい
と言い聞かせるアスリートのように
一度は黒焦げになった頭蓋を焼杉板にして
塩害防止の黄土を目と耳に塗り
シナプスを組み替えていった
そんなふうにして
真珠採りの筏の家族は
最後の努力を
最後まで続けていった

 

 

 

#poetry #rock musician

I shall go irrespective of the weather.
私は天気がどうであれ、行くだろう。 *

 

さとう三千魚

 
 

these days

after the day
I am writing this

it’s morning today

the west mountain is under the gray sky

the sky is dark gray at the top and light gray at the bottom

the sky
it is doubled

the sky near the mountains
white

I shall go irrespective of the weather *

 
 

ここのところ

日を過ぎて
これを

書いている
今日は朝になった

西の山が灰色の空の下にいる

空は
上が暗い灰色で

下が薄い灰色になっている

空は
二重になって

いる

山際の空は
白い

私は天気がどうであれ、行くだろう *

 

 

* twitterの「楽しい例文」さんから引用させていただきました.

 

 

 

#poetry #no poetry,no life