薦田愛
つばら、ゆつ、ごっくん
ふふ
つばら、ゆつ、うっふん
こほ
つぷら、ゆら、とっぷん
うる
とぷり、とぷり
はる
つちのにほひ、な、いたす
まひるのの、ひの、さなか
はるの
ふふ
とぽり、つむり、るっふん
ぬぷ
こぽり、こぽり
はる
つばら、ゆつ、ごっくん
ふふ
つばら、ゆつ、うっふん
こほ
つぷら、ゆら、とっぷん
うる
とぷり、とぷり
はる
つちのにほひ、な、いたす
まひるのの、ひの、さなか
はるの
ふふ
とぽり、つむり、るっふん
ぬぷ
こぽり、こぽり
はる
このところ、毎晩上原へ行って、
御年85歳の志郎康さんのオムツを交換する。
まずベッド脇にあるポータブルトイレに座ってもらって、
デンタルリンス入りの水で、口をゆすいでもらい、
アローゼンという便通の薬を1g服用してもらう。
それが終わったら、熱めの蒸しタオルで、顔→背中→手の順に清拭する。
背中を拭くと、志郎康さんはいつも「ああ、気持ちがいい」と言う。
そして陰部と臀部に薬を塗り、
日中用のリハビリパンツではなく、
就寝用のテープ式オムツをあてて、ベッドに寝かせて、帰る。
昨日の夜は嵐だった。
嵐の日でも、もちろん上原へは行かなければならない。
びしょ濡れになりながら、急いで自転車を走らせていたら、
道のど真ん中にネズミの死骸があった。
突如目の前に現れた「死」に、私は戦慄した。
ネズミの頭は潰れていて、頭の周りに血がまあるく広がっていた。
雨に濡れたアスファルトに、
空虚な穴がぽっかり開いているみたいだった。
志郎康さんに、どうして長生きしたいのか、聞いてみたことがあった。
志郎康さんは、
「世界がどう変わっていくか、まだ見ていたいから。」
と、少しも迷わず真っ直ぐに答えた。
別の日の夕方、上原から、自転車で東北沢へ。
志郎康さんの薬を受け取りに、駅前の薬局へ行く。
再開発が進む、東北沢の駅前の変化には驚くばかりだった。
いつの間にか、ロータリーのようなものも出来上がっていた。
薬局で、薬が出来上がるのを待っていた私はふと、
東北沢の駅前のマンションに住んでいた、
富子さんのことを思い出した。
富子さんは、変わっていく東北沢の風景を最後まで見届けることなく、
2018年、94歳で亡くなってしまった。
志郎康さんの言うところの、
「世界が変わる」ってこう言うことなのかと、
何だか腑に落ちたような気がした。
そこにあったものが無くなること。
そこにいた人が、いなくなること。
そこに無かったものが、現れること。
そこにいなかった人が、生まれること。
そんな風に世界は呼吸して、日々生まれ変わっているんだなあ。
でも、
今日も夜9時に上原へ自転車を走らせる。
ネズミの死骸は跡形もなく無くなっていた。
誰かが拾ってゴミとして捨てたのか。
カラスか何かがくわえて持って行ってしまったのか。
まるで何事も無かったように
ネズミなんて元からいなかったかのように、
刻々と変化し続ける世界の残酷さを思うと
何だかとても気が滅入った。
それでも、
「若さゆえの希望」
それだけで、死は鳴りをひそめてしまう。
眠は、16歳の誕生日にひまわりの種をもらったので
早速大きな鉢に植えて、熱心に世話をし始めた。
「どうしてひまわりの種が欲しかったの?」
そう尋ねたら、眠は
「空に向かって真っ直ぐに伸びていくのを見たいから。」
と、少しも迷わず真っ直ぐに答えた。
85歳の志郎康さんと、16歳の眠。
決して希望を捨てず、
何事もまずは受け入れる
やわらかな思考の志郎康さん。
太陽の光を存分に浴びて、
変わりゆく世界を真っ直ぐに見つめる、
ひまわりと眠。
どうか私を置いていかないで、世界。
ふたりの「真っ直ぐ」を私にも下さい。
そして「死」を壊したその先にある
その先の先にある「世界」の変化を
私も生きている限り見届けていても、いいですか。
手のひらに刺繍しようと思って、
100円ショップで縫い針と赤い糸を買った。
手のひらの皮膚の、血が出ない痛みもない
ギリギリの深さまで針を刺して、すくいとる。
きれいな模様にしたいけど、
なかなか思い通りにいかない。
すごく惨めだけど、
きれいな赤だな、と思った。
手のひらを握って、私の「作品」を隠す。
みんな目に見える傷にしか気付かないんだね。
そういえば、縫い針って消毒したっけ。
ボディステッチって不潔かな。
だんだん赤い糸が引きつって、こんがらがって、
イライライライラする。
私の中のイライラとムズムズが
赤く盛り上がって白く膿む。
おでこ、鼻、あごの下。
頰にできたニキビは、
特に最悪で、
私を絶望させる。打ちのめす。
針の先っぽを、なかなか治らないニキビに刺したら、
白い膿がプツッと出た。
何度も何度も擦り切れるほど顔を洗っているのに
なかなかニキビが治らない。
これは私の数々の悪行に対しての、神様からの罰なのかな。
みんな私じゃなくて、私のニキビを見てるんだね。
醜いね。汚いね。
いちいち言われなくても、わかってる。
誰にも見られたくない。私を見ないで。
私が自分の醜さにどれだけ苦しんでいるか
お前らなんかにわかってたまるか、と心底思う。
能天気な笑顔の奴ら、みんな消えていなくなればいい。
中学の卒業アルバムなんて、とうの昔に捨ててしまった。
一人だけ背景の違う、歪に顔を歪めた顔写真なんて。
どこまで残酷なの。どこまで私を苦しめるの。
赤い糸が絡まる 絡まる ほどけない 助けて
糸をひく入れ歯。悪臭のする陰部。汗ばんだ手。
日常の些細な事柄が、
あまり気持ちの良くない思い出を引きずり出す。
私たちのせいで捕まった、哀れな男性のロッカーを開けたら、
裸のリカちゃん人形の写真がいっぱい出てきたんだって。
逃げられないように、
みんな両脚を切断されてたんだって。
思い出さないようにじゃなく、
思い出しても大丈夫になるために、
精神科に通う。薬を飲む。
先生、私に赤い薬をください。
両脚を失くした私は
汚い思い出から、なかなか逃げきれない。
数少ないきれいな思い出は、
誰にも知られないようにノートに書き留めて
枕の下に隠した。
誰にも知られたくない痛みは
カッターで太ももに赤く刻んで、
スカートの下に隠した。
夜、街を彷徨っていたら、
赤ん坊の叫び声みたいな
皮膚を切り裂くような音がキーンと聞こえて
夢を見た。
お風呂場で手首を切って
真っ赤な血がどんどん広がって
止まらなかった。
真っ赤な浴槽に浸かって、一人で泣いていた。
誰も私のことなんか気にかけない。
誰も助けに来てくれない。
そんな夢だった。
水洗トイレに座って、
赤い経血が一筋、滴り落ちるのを見た。
一本の赤い糸が便器の水たまりの中で
ゆっくりほどけて広がっていくみたいで
とてもきれいだった。
糸を縫い付けた手のひらが痙攣して、少し疼く。
明日になったら、針を刺したところから
少しずつ膿み始めるだろうな、と思う。
ひどく膿む前に
縫い付けた糸を抜いてしまう前に、
刺繍した手のひらを
本当は誰かに見て欲しかったな、
なんてね。
笑えないよ。
バカみたい。
最悪。最悪。最悪。
・「ああその可もなく不可もないメロディー」
というところと
言葉だけではなくもはや文字が分断されているところがうっせぇ
・「原子力時代における哲学 國分功一郎」
図書館車の今月のお勧めですよ
10年代の総括と言っても過言ではありません
・「Foggy Notion」
・マテ子の大サボテンの写真が摩天楼に見えた件
・「アヌンナキ」
アナンヌキ工務店
穴吹不動産
サヌキ
アナキン
アナ雪
アナーキーin the USA
みずほ銀行
・「宇多田」
宇多田はもうウタというよりエッセーみたいになってて写真もアーカイブしないと言ってる諦め切った終末感がやるせなくて良い。死海文書のゼカリヤの断片が発見されたニュースもエヴァのファンしか騒いでないのが可笑しい。
・「マクラウド」
マクラウドは家で王様やってたけどとうとう個人通貨を発行した
#金融リセット
・「ライブ」
4月3か4に柳井町でライブします。電気は使えないです。浮草を退いた武井君主催
やるのは春の空家、下鴨yugueの唄、鎌倉、ピアニカとか居れば春のサーファー、、とか
詳細後日
3日7時ぽいです溺れるノ・アート旧浮雲
消毒液、マスク、アクリル板
チケット売り場の穴から手
ぁ ァぁ ァぁ ァぁ ァぁ
互いの脈拍を同期させる
互いの動機を動悸に変えて混ぜ合わせる
胸が苦しいのかいベイビーそれは恋さ。さあ踊ろう
〽︎お前と俺とは動悸のサクラ
歌うのはやめました。
消毒します
二人一組になって
衝立を介して向き合います
まず自分の右手親指で左手首の脈を測ります
同時に左手親指で相手の右手首の脈を測ります
互いの脈を口にしてループにしてもいいです
消毒します
以上です
・「Sibylle Baier」
音響エレクトロニカ後の、ジョセフィン・フォスターの登場に付随して浮上してきた系列
これでルーパーは廃れた
10年代のssw諸兄姉を準備したようで
途切れている
だって違うでしょうよ。
・遺作になりそうな「Le Sel des larmes」
いっぽんのガレルに若かず
・「メンタリティー」
タリティーメン
ソレータムメン
ヘラメン
ズノンノメン
ズオムメン
セキノモトメカタメン
ソーレオキナワメン
チカツメン
タンピンメン
バーゲンテイメン
カイシャゼツメン
タイコメン
・「命への礼儀 生田武志」
プルーストは長々とブルジョワ対貴族の思い出を書き綴った後、最後に、「小説を書ける」と書いて小説以前の何かを終わらせた。生田は野宿者襲撃論を動物論と共に部分解と捉える視点を持った時に「書ける」と決断してこの本を書いた。冒頭の「全共同体を見渡すこと」というカフカの引用が泣ける。
ディネシュ・J・ワディウェル「現代思想からの動物論―戦争・主権・生政治」人文書院 も併せ読むといいです。
・「蝶の道行」
「蝶」は地歌か端唄のSPからヒントを得た、ということになっていましたが、元は薗八節で、戦前に義太夫節に改曲された「蝶の道行」という曲だった、というのをやっと思い出しました。#goodman9枚組
・「N響 マルケヴィッチ」
83年マルケヴィッチ チャイコフスキーの悲愴 N響 てラジオで聴いたけどとんでもない名演 身体が追いつけない
・「蕎麦」
雨や
蕎麦蒔くつもりやったに
6時から始めて半分蒔きましたが疲れるといけないのでやめました
僕は意識高い系なので自然農法です
そんな僕を見つめている一羽の影があった
・「高菜」
悲報
高菜のスムージーはワサビとして使えます
・「表現の永続革命 河東碧梧桐」石川九揚
碧さんは高校の先輩なのでどうしてもお勧めします
・「ミャンマー」
カレンとかカティンとかシャンとかで考えるべきで国境の問題じゃないから
ミンシュシュギ対軍事政権とか言ってる限り理解できないですよ
蕎麦焼酎と山岳軍隊に中共が絡んでいる
・連載を終えて
今日で詩のサラリーマンは最後で4月から週一になります
この一年で聖書を都合よく使う論調が増えてきたように思います
さらに深く収めないと盗られてしまう
細胞にさえ上澄みがあり
土地は逃げていってしまう
へらへらしていてはいけない
空白「夢」
空白ハリウッドはもう映画を作れない
空白雨だった
空白僕は何か教えてくれそうな教授と外を見ていた
空白野良犬が泥水を浴びては僕の方を見ていた
空白泥水は井出に溢れ女が泳いでいるのが見えた
空白鮫も見えた
空白実況していた教授が心配して通報したら河口付近で保護されたようだった
空白旅館の人々は寝に入った
空白無口な女の子が雨に烟った天窓の犬と話していた
空白教授が暴れるので大木さんを紹介したいと思った
空白旅館の人が布団を敷くのを手伝った
空白僕はもう全てに興味はないんだと伝えて
空白覚醒した白の中に居た
きみたちは
人なつこい鷺のようだ
油っこい菓子のようだ
みんな台湾に飛んで行っては
帰ってくる
ぼくは延命の努力はしないで
介護だけはする
出て行った雄猫は春を見ず春を看る
畑を走り
山の白をたよりに
川で迂回する
白と紫のドレスが揺れて
春は先に落ちる
午前7:19
軍備ということが信じられないほど遠かった
緊張も必要と言われて闘争を受け入れるようにしていたが
正論を吐く人の結論が軍備だと正論でないことが分かるので
軍備が遠かった頃の衰弱した感性が懐かしく思えた
疲れ切って、人がなんで闘ったりするのか分からない
疲れて終わる
屠殺されて終わる
やさしさとやましさは親戚だ
夫婦別姓と民主化運動はたたかいだから遠い
軍政は生権力だから近い
モグラは空にも空洞を作るか
午前7:34
・「アケビ」
今年の春のデザイン賞は木通(アケビ)の雌花で、萼のような、花とは言えない大きさのtransparentな三つ組の椀型が雄花を受け止めます。いや、受け止めるというのは正しくない。背を向けているというのが言い過ぎなら双方下を向いている。
#poetry #rock musician
this morning
I didn’t walk
always
4 o’clock in the morning
I wake up
vaguely
breathe
book
read
then
along the river
I was walking to the estuary
this morning
I open the window
I’m waiting for a little bird to come to the window
once
from Mr. Shirouyasu
I got a “walking newspaper” **
“tobotobo walking is completely different. that’s it. it’s walking that has only free time.” ***
so
was written
・
He likes taking a walk by himself *
今朝
歩かなかった
いつもは
4時に
目覚めて
ぼんやりと
呼吸して
本を
読んで
それから
川沿いを
河口まで歩いていた
今朝は
窓を開けて
窓辺に小鳥がくるのを待っている
かつて
志郎康さんから
“徒歩新聞” ** を貰ってた
“トボトボ歩きは全く違います。それしかない。暇だけしかないところの歩行です。” ***
そう
書かれていた
・
彼は一人で散歩するのが好きだ *
* twitterの「楽しい例文」さんから引用しました.
** 「徒歩新聞」は鈴木志郎康が発行していた冊子のこと.
***「徒歩新聞」創刊号(1973年1月1日発行)の創刊の辞から引用しました.
「徒歩新聞」創刊号 創刊の辞
トボトボ歩いている。これは非常にいゝことです。散歩ではありません。散歩は気分を変えるとか、健康のためとかいろいろ利益を目録んでのことですが、トボトボ歩きは全く違います。それしかない。暇だけしかないところの歩行です。本当は凝っと坐っていればいゝのだし、それに越したことはないのですが、残念ながら、そうしているとすぐに飽きてしまうので、歩き出すという奴です。トボトボ歩いていると、人間は自然とものを見て、もの思いに入ります。この二つのことが紙の上に移されたのが、この徒歩新聞です。
#poetry #no poetry,no life
植生は変わってしまっていた
空は真っ白だった
風景は変わらないように見えた
#poetry #rock musician
I want to meet a little bird
so
I want
in the morning
when I wake up
I open the window
the tangerines at the tip of the driftwood branches on the windowsill have dried up.
the west mountains stand in ultramarine under the light blue sky.
I want to meet a little bird
I want to meet a little bird
someday
I want to meet
so
I want
・
What do you want with me *
小鳥に
あいたい
そう
思うのです
朝
目覚めると
窓を開けて
窓辺の流木の枝の先の
蜜柑の
干からびて
西の山が
薄い青空の下に群青色に佇っています
小鳥にあいたい
小鳥にあいたい
いつか
あいたい
そう
思うのです
・
私に何の用事ですか *
* twitterの「楽しい例文」さんから引用しました.
#poetry #no poetry,no life
yesterday
from evening
it was raining
it became a storm at midnight
the rain was banging on the ground
this morning
sunny
on the windowsill
I put the tangerines of the little birds
I listened to Thom Yorke’s song
repetition
listened
singing “we were standing on the edge” **
singing “we were standing on the edge” **
this morning
on the windowsill
little birds do not come
・
I put aside the book I was reading *
昨日は
夕方から
雨が降ってた
深夜には嵐となった
雨が
地面を強く叩きつけていた
今朝は
晴れて
窓辺に
小鳥たちの蜜柑を置いた
トム・ヨークの歌を聴いた
繰り返し
聴いた
“we were standing on the edge” ** と歌っている
“we were standing on the edge” ** と歌っている
今朝
窓辺に
小鳥はこない
・
私は読んでいた本をわきに置いた *
* twitterの「楽しい例文」さんから引用しました.
** RADIOHEADの曲「LUCKY」から引用しました.
#poetry #no poetry,no life
入る形が入らない形として浮遊する時
底冷えのする竹林の膝下に蹲っている
鉄板に香水
熱と湿気
細長い直方体の
退場と同時に終わる
アライグマの顔の白黒の割合のように
スヱズ
#poetry #rock musician
濃い紅色の花が咲く頃はとても嬉しいのに
薄く色づいた花が咲き始める頃
わたしは落ち着かなくなっている
毎年のことだ
と言い聞かせようとして
さて
毎年がここ数年は少しずつ異なっていることを思い知らされて
また落ち着かない心持ちになる
家の窓口になるというのは
不幸があってもお祝いがあってもさしてかわらないのだが
不幸が続くと
花をみる心も揺らぎ始める
墓参りを済ませ
すこし清々しく感じても長続きせず
年老いて気弱になり始めることばを吐く人たちに
ゆらゆら揺らされていることにも気がつく
平気な顔をしてそれらを片付けては
ため息のような空気がこころにたまっている
変化していくのはなにも子どもの頃だけではなかったのだ
大人になり年々季節が変わるのに追いつけなくなっているじぶんがいる
わたしの年齢にかつて暮らした親を重ねてみても
なんだか心許ないのは
そのひとたちに心底安心を得て過ごしてきていないからではないかと
責任転嫁してみる
いや揺れ動くじぶんを
操ったり宥めたりすることが
まだまだ不得手なのだと
思い知らされる気がする
春を待ちわびていたのは
何かが変わるからだった
いまはそうではないのかもしれない
日々新聞をひらくとそこには猫が乗り
撫でろと鳴く
一枚捲るのに宥め撫でながら
すこしの安寧がそこにあることを思う
猫は撫でて欲しいのか
はたまたそうではないのか
わからないまま撫で、ブラシをかける
気が変わりすとん、とジャンプをして
また寝入る猫に
羨ましいようなほっとするような不思議さ
春は嫌いだといえばいいのか
いや春は好きだ
いまのじぶんの心持ちが好きではないのだと
離れたじぶんがじぶんをみている