羊羹を切らずに食べる男

 

工藤冬里

 
 

石のパンを
疑念を抱きながら剥かずに
養老のコースターの
レイヴンズクロフトの紋章
一二軍団を渓谷に呼ばない代わりに
杭から下りてこいと動画で叫ばせる
FBの動画はみな誰かにやらせる復讐譚だ
一二階から飛び降りてヒョウタンツギ
誰が助けるか見てみよう
日の丸パリサイチェーンが天カスのシーニュで自尊心を満たそうとする
財布すぐにゲットできる
企業が王にしようとして押し寄せ
矢張り何とかIKEAのソファーベッドにしようとか
都合の良い時神戸に行くと見抜いた
毎回名神を使った
忍者の草とは耐えることではなく各々の背高への反応の仕方を意味する
内臓は立っている
立ったまま眠ってなんかいない
顔だけが二次元である
キャンパス上の(突起の)陰影のみが立体である
(油絵は斜め横から照らしてナンボだ)
山止たつひこから四〇年コマのまわりに矢の時間が立っている
ジャンプを縦に貫くマンガの線
家を持たなくて良かった
猫は
口から肛門に流れる線が膨らんでいるだけだ
その基はうわついた魚の線
宇和島の聴覚イメージは常に逆さになった伊達の黒である
背高泡立草の列がもはやウェーブを送っている
優雅な悩みなどない
近藤等則のIMAは今できることを考え続けることによって得られた線の処世の術であり
今できないことを考え続けることを(マイルスのように) やめてしまっている
(からだめだ)
今敢えて絵を描くということの意味を問うてきてください
絵を描くことは問われるが映画を作ることは問われない
では絵で映画を描けばいい
ということなのではないか
ドエグ的情況とは
文谷はパースペクティブを アニメの線で覆い、ドイグは写真を映画で覆った
(ということか)

 

 

 

#poetry #rock musician

食っちゃおうか

 

辻 和人

 
 

2枚の柔らかな薄ピンクの皮膚
唇だ
そこに薄グレーの細長い奴
ぺろっと横たわる
夜中いびきかいたらお互いうるさいからね
それに喉乾燥して風邪ひきやすくなるからね
寝る時口にテープ貼ることにしない?
ミヤミヤが決めて、かずとんも実行した
呼吸苦しいかな
大丈夫
すーっ、鼻呼吸に移行
眠くなってきた

薄グレーの細長い奴
ぱっちり目覚める
2枚の薄ピンクの間で
伸び縮み伸び縮み
裏返りそうになって
キャッ、キャッ
いびき、食っちゃおうか
いびき、食っちゃおうよ
くっす、くっす
やがてやがて
とおーくでアラーム鳴る
ミヤミヤとかずとん
一緒に唇からテープ剥がし
よく眠れた?
眠れたよ
顔洗って
薄ピンク2枚ぱっちり活動始めると
屑籠の見えない底では
伸び縮み伸び縮み、はもうしないけど
キャッ、キャッ
くっす、くっす、くっす

 

 

 

He appeared in his shirt.
彼はシャツ一枚で現れた。 *

 

さとう三千魚

 
 

this morning
I ran to the estuary

go
Back

it was 4.6km

arrive at the estuary
walk to the beach

in the rain
I was looking at the sea

the west mountains were also hazy
you were standing there

you
take off your clothes

standing naked

you were gray this morning

you are
Or blue-green

sometimes
it ’s grayish blue
it may be ultramarine

be there

He appeared in his shirt *

 
 

今朝は
河口まで走った

行って
帰って

4.6km だった

河口に着いて
浜辺まで

歩き

雨の中で
海を見てた

西の山も霞んでいた
そこに佇っていた

きみは
服を脱ぎ捨てる

裸で佇つ

今朝きみは灰色だった

きみは
青緑色だったり

ときには
灰青色だったり
群青色だったり

する
そこにいる

彼はシャツ一枚で現れた *

 

 

* twitterの「楽しい例文」さんから引用させていただきました.

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

脳内アルヘンチーナ認知頌

 

工藤冬里

 
 

名前を覚えないことで距離を置いていた
青い床
光の縁取り
裁縫の仕方を男子が教えている
なかなか身体が折れ曲がらない
宝塚っぽい暗い虹色のセーターを着て
一瞬気を失っていた
アカシア材.comから
ずぶ濡れて猫
刺し通される筈の言葉がなぜ
スペインの黄色と青のプリンタリーに
数字を右手と額に、
行為と思考に刺青する
数字と数字の距離を空けただけで
野獣は離れていくか

朱鱗洞が死ぬ一空白空白空白空空白空白空白空空白空白空白空八年に空白空空白空白空〇歳のロルカは処女作「風景と印象」を出版するが黙殺される。スペイン風邪が明けた一空白空空白空空白空〇年二空白空白空白空二歳の時にアルヘンチーナを据えた「蝶の呪い」で処女公演を果たす。そ の空白空白空白空白空年 間 に 何 が あ っ た か。桜井大造はそこに満を辞したコロナ明けの演劇、という視点を持ち込むが、本当にそうなのか。

座席の距離を詰めても空けても忘れ去られるだけなのだから
シニフィアン連鎖の間隔を空けることでこちらから忘れてやる
名前を覚えられないのではない
覚えないことで距離を置いていたのだと気付いた
野獣アルヘンチーナは脳内を舞う
他の名前は
覚えない

 

 

 

#poetry #rock musician

フジオ(一九四九〜二〇一三)

 

工藤冬里

 
 

マイナーに酔っ払ったフジオが観に来て、僕に、ションベンみたいな演奏だな!と言うので、確かにノイズのオルガンはションベンに似ているかも、とは思ったが、うるせえウンコ野郎、と言い返せば良かったのだと今日思い付いて、ほら、ションベンにウンコと返せば気が利いてるじゃん、タイムマシンがあったら、一九七八のマイナーに戻って、言い返したいな、フジオは反浜岡原発の時非常に知的な喋り方が出来る人間だと知ったけど、それとこれとは別だからな、即興舐めんなウンコ野郎、いつか言ってやりたいな

 

 

 

#poetry #rock musician

Please come to see me every now and then.
どうかときどきは私に会いに来て下さい。 *

 

さとう三千魚

 
 

I had
a father

my father is a peasant

he was the youngest child of a peasant
he became a soldier

the war was over before he went to the war in the foreign land

he drank and got rough
he must have been rough

I didn’t even talk to my father

the father once cried

I’m ruined
when I go home

my father cried

other
I had a father

I just think of them as my father

I have a poet’s father

I have a printmaker’s father
I have a photographer’s father

My brother-in-law was also my father

I have a peasant’s father

Please come to see me every now and then *

 
 

わたしには
父がいた

父は
百姓で

自作農の末子だった
父は兵隊になった

外地の戦いに行く前に
戦争は終わったのだった

酒を飲んで荒れた
心が荒れていたのだろう

最後まで
父とはまともに話さなかった

その父が
泣いたことがあった

駄目になって
帰省したとき

父は
泣いた

他にも
わたしには

父がいた

わたしが勝手に思っている
だけだが

詩人の
父がいる

版画家の父がいる
写真家の父がいる

義理の兄もわたしの父だった

わたしには
百姓の父がいる

どうかときどきは私に会いに来て下さい *

 

 

* twitterの「楽しい例文」さんから引用させていただきました.

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

What is he like?
彼はどのような人ですか。 *

 

さとう三千魚

 
 

yesterday

that person
died

that person was a photographer

that person was a tuna sailor
that person was a truck driver

in the precincts of a temple in Asakusa
the person took a picture of a person

“A man who learned to sing tanka at Aomori Prison” and **
“Young man who walked from afar” **

I can’t forget those portraits

there
was there

wrap human life in light
that person made a person stand

at the bottom of the light
the river was flowing

that person took a picture of a nearby person
the people nearby were those who walked from afar

What is he like *

 
 

昨日

そのヒトは
逝った

そのヒトは写真家だった

マグロ船船員だった
トラックの運転手だった

浅草の寺の境内で
そのヒトは人の写真を撮った

“青森刑務所で短歌を詠むことを覚えた男”と **
“遠くから歩いて来たという青年”の **

写真が
忘れられない

そこに
いた

人の生を光に包んで
佇たせた

光の底に
川が流れていた

そのヒトは近くの人を撮った
近くの人は遠くから歩いてきた人たちだった

彼はどのような人ですか *

 

 

* twitterの「楽しい例文」さんから引用させていただきました.

** 鬼海弘雄「世間のひと」(筑摩書房)より写真のキャプションを引用しました.

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

西東京

 

工藤冬里

 
 

雨の新青梅
赤の信号の目
街道kd東京tk
薙ぎ倒される二三区の子音たちが
公園で阿弥陀に組み立てられている
上り下りする者たちの
ここは約束の地ではない という声が
イヤホンしてない方の耳にドップラーで混ざるが
脇目も振らず走り抜ける
青梅と新青梅はどちらが荒んでいるか競い合いながら交差して入れ替わるが
死んだ西東京のために
雨の日に自転車で飛ばすのは新青梅でなければならなくなった

 

赤い公園 西東京
https://www.uta-net.com/song/204846/

 

 

#poetry #rock musician

吼えろライオン

 

佐々木 眞

 
 

横須賀は大滝町のキシモト歯科へ行ったら、エレベーターや階段で上昇することを拒否して、ひたすら下降するのが趣味だという、ヨシモトなんとかいう老人が、おらっちの隣で治療を受けながら、
「歯垢が試行だ!」
とかなんとか、訳の分からないことを言いながら、おらっちを挑発してくるのよ。

ほんでもって頭に来たおらっちが、

「あんたはんは、チェコの国民的英雄でもある詩人、パブロ・ネルーダみたく、直喩より隠喩を使いこなせる詩人の方が高級だ、と主張しとるようやね。
しゃあけんど「雨が降る」を「空が泣く」、「ライオン」の代わりに「百獣の王」、タンポポを「ライオンの歯=dent de lion」と言い換えて、鼻高々になるのが、ほんまもんの詩人なんかいな?」

と啖呵を切ると、この時点からヨシモト翁に転向したヨシモト老人は、不機嫌そうな顔で私を睨みつけて、
「それはわしの『詩学叙説』の誤読じゃ。
若造め、お前はマチュウ書を読んだことはないのか、マチュウ書を。
その13章35節には、詩篇78章2節から引用されたイエスの言葉が、次のように記されているのじゃ」と、苦虫を吐きだすようにのたもうた。

『私は口を開いてたとえを語り、
 天地創造の時から隠されていたことを告げよう。』

すると、いつの間にか傍で我々の話を聞いていたムラカミなんとかいう男が、口を出した。

「いまあなたが心の中で言った、苦虫を吐きだすように、というのは直喩ですね。
僕は直喩が大好きなので、小説の中でよく使います。使えば使うほど直喩は喜んでくれる」

「愚か者め、それは直喩法じゃなくて擬人法じゃ」

「なるほど、あなたこそは詩人の鏡、じゃなくて幻像、いやさ原像でしたからね。でも僕だって、もちろん隠喩も使いますよ。ちょっと聞いてくださいな。

『スワローズの中堅手
 ジョン・スコットのお尻は
 すべての基準を超えて美しい。
 とてつもなく足が長く、お尻はまるで
 宙に浮かんでいるように見える。
 心躍る大胆な隠喩みたいに。』(村上春樹『一人称単数』「ヤクルトスワローズ詩集」より)

「愚か者め、それは隠喩という言葉を用いた直喩じゃないか!」

頑固な老人は、まるで赤色巨星と化した最晩年の太陽のように激しく燃え盛っているので、思案に暮れたおらっちは、彼を日本橋三越のライオン像の前に連れていった、と思いねえ。

するとコロナ、コロナで退屈し切っていた2匹のライオンは、
かの偉大なるMGM映画のはじまりのように、

「Ga―Ohoo,!Ga―Ohoo!Ga―Ohoo!」
「Ga―Ohoo,!Ga―Ohoo!Ga―Ohoo!」
「Ga―Ohoo,!Ga―Ohoo!Ga―Ohoo!」

と、喉も潰れよとばかり都合3回ステレオで吠えてみせたので、さすがのヨシモト翁も、
「やっぱ隠喩より直喩、直喩より、命の叫びだあな」と、なにやら切実な悟りを開いたようだった。

そこでおらっちは、マチュウ書ならぬヨハネ伝の冒頭の聖句を引喩して、長かった一日に終わりを告げると、老人は、
「こりゃまた失礼しましたああ」
と、植木等の真似をしながら、ようやっと大川方面に退散したのでした。

『初めに言があった。
 言は神と共にあった。
 言は神であった。
 万物は言によって成った。
 言の内に成ったものは、命であった。
 この命は人の光であった。
 光は闇の中で輝いている。
 闇は光に勝たなかった。』(聖書協会共同訳聖書「ヨハネによる福音書」より)