ママニが病気になってあたふたと振り回される

 

鈴木志郎康

 

 

ママニ
ママニは猫の名前、
わたしの家の飼い猫。

ママニの
右の頬が腫れてるよ、
と麻理が気がついて、
電話で呼ばれた息子の野々歩が
ママニを籠に入れて、
自転車で、
近所の猫のお医者さんに連れいったら、
歯茎が膿んでるって、
治療して帰って来たその翌朝、
ドバッと血を吐いた。

猫のお医者さんの紹介で、
野々歩がママニの籠を抱えて、
麻理と一緒に
タクシーに乗って、
ちょっと遠いが、
設備の整った
太子堂のアマノ動物病院に入院となった。
点滴と輸血でどうにか元気になって、
戻って来た、
その翌日、
野々歩が餌をやろうとしたら、
またまた
ドバッと血を吐いた。

そしてまた
アマノ動物病院に
再入院。
どこが悪いのか。
吐血で体力を無くした
十六歳の老齢のママニには、
麻酔をかけられないので、
内視鏡で胃の中を見ることができない。
うーむ、どうなっちゃうの。

それでも、
輸血と点滴で、
なんとか
持ち直して、
ワンワン、ウーウーと
周りがうるさい病室より
家の方が落ち着くだろうと、
退院した。
だが、
水の器の前では
考え込んでいて飲まない。
餌の器には見向きもしない。
飲まず食わずじゃ、
死んじゃうんじゃないか。

ママニ、
十六歳といえば、
人間の年齢との変換式
24+(猫の年齢-2)×4=人の年齢
によれば、
八十歳だ。
ママニは老齢だ。
老齢で、
血を吐いて
飲まず食わずじゃ
死んじゃうんじゃないか。

麻理が、
ママニが入った籠を抱えて、
通院する。
朝、麻理が連れて行って、
夕方、野々歩が連れて帰る。
昼間、家の中には、
ママニがいない。
そうすると、
寂しいんですね。
小ちゃな生き物だけど、
けっこう、大きい存在。
いやあ、死なれちゃ、
叶わない。

ママニは
もともと野良猫の子。
野良猫の母子の
母親似だったので
ママ似、
ママニと名付けてたのが
1999年の秋、
十六年前のことだった。
今では二人の娘の父親になってる息子の
野々歩がまだ大学一年生だった。
狭い庭に餌を求めてやってくる子連れの母猫、
その子猫たち、
餌をやって、
慣れて、
庭に置いた箱で寝るようになって、
もっと慣れて、
子猫たちは家の中に入ってくるようになった。
秋の、
長くなった陽が射す、
日当たりの良い柱の所の座布団の上で
昼寝する子猫たち。

実は、その前に、
その年の、
春の夜のこと、
この子猫たちの
姉妹の猫が、
生まれたばかりで、
野々歩の部屋の窓の下に落ちていて、
ミュウミュウ
と鳴いていた。
母猫が咥えて移動するときに落としたのだ。
野々歩が拾って、
母親の麻理が掌の上でスポイトを使って、
かわいい、かわいい、かわいいねえと、
牛乳を飲ませて育てた。
成長して、
ノンノと名付けて、
野々歩の高校の先生に引き取ってもらった。
ママニはその姉妹なのだ。
慣れて家の中まで入ってくる野良の
メス猫のママニを捕まえて、
その年の十二月に
避妊手術を受けさせて、
そのまま、
家で飼うことにしたのだった。
あれから、もう十六年が過ぎ去った。

魚を焼いていると、
嗅ぎつけて
素早く寄って来て、
ニャーニャー、
欲しいよおと訴える
ママニ。
帰宅してドアを開けると、
ドアの向こうに座って待っていた
ママニ。
一日一回は庭に出る戸口に来て、
外に出たがる
ママニ。

もともと野良だったからなあ、
と戸を開ければ、
さっと外に出る。
しばらくすると
戸口に戻ってくるが、
なかなか家に入らない
ママニ。
もともと野良だったからなあ、
家猫になって
十六年。
でも野良の記憶は消えないのか。

ママニも
わたしも
今年で、
八十歳だ。
同じく病気の身の上だけど、
病気のママニよりは
わたしの方がまだちょっと元気だ。

水の器の前に来て、
考え込んでいて飲まない。
餌の器には見向きもしない。
飲まず食わずじゃ、
死んでしまう。
病院で教えてもらった
強制給餌だ。
麻理がママニを太股の上に抱いて、
わたしが前足と後ろ足を両手で抑えて、
麻理が注射器で、
こじ開けた口の中に
ペースト状の餌を注入する
ママニは
暴れて、
口を
ガクガクさせて、
餌を飲み込む。
これを繰り返して
10ccを
食べさせるのがやっと。
やっと、やっと、やっと。
死なせたくないけど、
強制給餌は
辛い。

夜中、
トイレに行く時、
ママニはどうしているかと
覗くと、
水の入った器を抱えて
ぐったりとしている。
死んじゃうんじゃないか。
お別れが近いのか。
まだまだ生きていてくれ。
翌朝、
麻理がタクシーで病院に
連れて行って
点滴だ。
そして先生の手慣れた強制給餌。
夕方戻って来ると、
いくらか元気になってる。
よかったなあ、
ママニ、
足を舐めて、
顔を拭って
グルーミングしてる
ママニ。
まだまだ、
大丈夫だ。

それから
点滴と強制給餌のために、
予約したタクシーで、
連日、
アマノ動物病院に
通院する。
すい炎ではないか、
とお医者さん。
消化液が分泌されないから、
食欲が起きない。
なるべく、
好きなものなら何でも
食べさせてください。
と言われて、
麻理は、
ママニが病気になる前から、
ミャオミャオ
と喜んで食べた、
おかか、
そのおかか入りのペースト状の餌を、
手のひらにのせて、
口元に近づけたら、
食べたんですよ。
そう、食べた。
カニカマボコも、
麻理が噛んで、
手のひらにのせると
どんどん食べる。
子持ちししゃも、
少し食べた。
水も
麻理の手のひらからなら
ちょっと舐める。
牛乳も
手のひらから
30ccも
飲んだ。
おしっこもした。
そして、遂に、
十五日振り、
いや、十六日振りで、
ウンコをしたんだ。
これでなんとか、
ママニは
元気になれるか。

猫のお医者さんに通って、
五日目から、
急に良くなって、
よく食べて、
ようやく、元気になってきた。
麻理の記録によれば、
家で、
一日に、
おかか5g
しらす10g
カニかまぼこ32g
子持ちししゃも1匹
ビーフペースト20gを
食べて、
そして
71ccのミルクを
飲んだ。
食べた後、
飲んだ後、
首をしっかりと立てて、
グルーミングしてる。

ママニは
わたしたちの家の飼い猫。
十六歳の老齢。
元気になってきた。
麻理は六十五歳で難病患者だが、
元気。
わたしも八十歳で前立腺癌の患者だが、
まあまあ、元気。
互いに、
まだまだ、まだまだ。

 

 

 

彼方

 

爽生ハム

 

 

呼応する緑のススに
手のひらが触れる
手の熱が吸いこむ
音読を
ひとつひとつ
球体として丸めこんでいく

声をかけられ
ひとつひとつ
彼はトゲトゲしい
彼女は冷んやりする
この人は八百屋かな
あの人は未亡人なのか

などと
時を忘れ
不在な噛み心地は生まれる
反応が順応に見えるくらい
今この形の緑のススを
受け容れる

球体の容器が
わたしの内で鳴りはじめ
隠し事みたいな養分をつめていく
そのさま
実に愛おしく
その愛おしさを
緑のススに返そうとする

それは
球体の一室となり
わたしの頭上まで浮きあがり
その場で吹いた
風に乗り
自由に失意に暮れはじめる

返そうとするトゲトゲしさを
彼女は冷んやりと弾く
ああ
あなたが未亡人でしたか
しかもあなたはもう向こう岸

じゃあやっぱりわたしが
八百屋でしたか
どうりで顔が泥だらけだ

泥だらけを
水が流したから
わたしは綺麗

わたしは汚れていた
それだけしかわからない
彼方はどうですか?

 

 

 

today 今日

 

清澄白河で
きのう

サエグサくんに
会った

やせてたな

眼が
ひかっていた

それで
笑っていた

サエグサくんのギターはキィーンと鳴った

引き裂いてくれ
此の世を引き裂いてくれ

帰りは
門前仲町で

荒井くんと飲んだ

夜中に
ラ・モンテ・ヤングを聴いた

 

 

 

guest 客

 

きのう
やわらかい場所という

詩を
読んだ

ひゅーん、と
飛んで行きたい

そう
書かれていた

今朝
電車で多摩川を渡るとき

モーツァルトのピアノソナタを聴いた

川は流れていた

よきものたちよ
よきものたちよ

流れよ

やわらかいものを抱いていた

 

 

 

やわらかい場所

 

長田典子

 

 

川沿いのフェンスにもたれて
幸せだった
汽水域を越えて
水鳥のように
飛び立って行けるのではないか
まだ見たことのないどこかへ
そう思えた

夏の終わりの日曜日
自由の女神を見にフェリーに乗ったのだった
リバティ島に向かって
フェリーの屋上は
人であふれていて笑顔だった
見たことのない何かを所有する欲望に
目を輝かせていた

近くで見ると思った以上に巨大で
横幅があって
強そうだった
マッチョな体躯に圧倒された
女神なのに

ニホンでは
長い間
悪夢に悩まされていた
茶色く淀んだ川の水面から
頭だけ出してもがいている夢を繰り返し見ていたころ
水の中で手や足は完全に萎えて感覚さえなかった
また別の夢では
なにをやっても酷いことが起き
叫び声を上げてもなお
悪い運命に翻弄されるばかりなのだった

ここに来てからは
悪夢を見ることはなくなった
わたしは
満員のフェリーに乗る観光客のひとりとなり
汽水域をなぞって
ゆるゆると
自由の女神を見るために
リバティ島へ
そして
かつて移民局のあった
エリス島へと
移動した
とても平凡で穏やかな行為として

胸元に毎日
花びらのタトゥーを刻み込み
数を増やし続けながら
こうあるべき自分
という想念にとり憑かれていた
耐えていた
痛くても
こうやって
生きていかねばならないのだから
と……

移民博物館では
ヨーロッパから
飢饉や貧困を逃れて
長い船旅の果てに
たどり着いた人々の写真
山のように積まれたボストンバッグや荷車
健康診断に使われた医療器具
などを見て回った
人々は長い列を作って並び
いくつもの部屋を通過し
たくさんの尋問にパスせねばならなかったが
傷みを
汽水域を
越えて
大陸では
失敗しても失敗しても貪欲に新天地を求めて
移動していった人たちがいた
マッチョだ
マッチョな人生だ

帰り道
地下鉄の車内はがらんとしていて
わたしはぼんやりと
あの人の
やわらかいペニスを思い出していた
慈しむべき身体の一部として
口に含んだときのことを
差し出された手の甲に
口づけをしたときのことを
指のいっぽんいっぽんを
順番に舐めて
そっと噛んだりしたときのことを

出国したのは
受け身ではなく
慈しもうと思ったから
能動的に
この場所にいる
わたしを
愛したい
もう何も心配しなくてもいいと
思いたかった
何も
考えずに
ひゅーん、と
飛んで行けたら

そうだ
自由の女神のマッチョな体躯だ

タイムズスクエアや5番街には
全身を緑灰色にペインティングした
肥満体の自由の女神が出没している
観光客と一緒に記念写真を撮らせるたびに
チップを巻き上げていた
ニホンの
パチンコ屋や量販店にも
似たような像が置いてあったっけ
マッチョな人生なんて
どこにでもあるのかもしれないな

仮装という存在
仮想という想念
から
解放されよう

マッチョに
飛び立つのだ
マッチョに
って、
単純すぎるよね

川沿いの
フェンスの向こう側には
生まれたての
赤ん坊のような
慈しむべき
やわらかい場所があるようで
差し出された手の甲に
くちづけをし
指のいっぽんいっぽんを
順番に舐めていくような
れんあいかんけい
のような
時間があるようで

ひゅーん、と
飛んで行きたい
汽水域を
超えて

 

 

 

カバライキンの歌

 

佐々木 眞

 

 

カバライキン カバライキン
カバライキンが、暴れてる。
カバライキン カバライキン
テレビや、ラジオで、騒いでる。

カバライキン カバライキン
朝から晩まで、うるさいぞ。
カバライキン カバライキン
カバライキンとは、そも何者?

カバライキン カバライキン
カバライキンは、私です。
1 10 100 1000 10000
いますぐお電話、くださいな。

カバライキン カバライキン
カバライキンは、約束します。
1 10 100 1000 10000
カバライキンは、儲かりまっせ。

カバライキン カバライキン
カが、バラバラと飛んできて
真っ赤なバラに、バラしたそうな。
カバライキンは、世にも恐ろしいバイキンでっせ。

カバライキン カバライキン
カバライキンは、悪い菌。
おまえの手口は、分かってる。
カバライキンに、油断をするな。

カバライキン カバライキン
カバライキンは、夢の金。
1 10 100 1000 10000
お金がないのに、ある気にさせる。

 

 

 

あと1キロ

 

爽生ハム

 

鞄に感動することを感じ
おおいに鞄は ずたぼろに
鞄のことは
純粋な思い込みで忘れる
連結した視線が
フックにひっかかる
憶えのない 環境だった
歯ぎしり用の紐で
飾り花が固定された側道は簡素
はぐれたあばずれをめざして
帰宅するたび
逆光があっけらかん
気が紛れるから記憶するんです
でも感動することにおされて
坂を真っ逆さま
しがみつく指の間隔から
飾り花が真実味をおびる