すっからかん

 

さとう三千魚

 
 

もう
おとといか

その先の

日か

ひとりの
男が

会いに来てくれた

宣言の

だったか

それで
港の脇で

クラフトビールを試して
それから

別の店で

ビールと
日本酒を飲んだのだったか

その男に
なにも

与えられなかった

かも
しれない

すっからかんであることしか
与えられなかった

だろう

すっからかんは
死の

傍らで
生きるということ

かな

どうぞ
傍らで

この平らの
でこぼこの

この
世を

生きてください

生きて
ください

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

「今=ここ」に生きる日本

 

工藤冬里

 
 

7月5日
¿Debe recurrirse a personas muertas en pro de personas vivas?

ここはいつかさんも知らないだろう

7月6日
En conformidad con los deseos de sus corazones,

私は非正規の図書館車ドライバーですが家内が夜勤のヘルパーを辞めるので合わせて100万あった年収が50万になります。年金はありません。食べられる雑草もあるそうなので別にいいですけど。 https://twitter.com/mainichijpnews/status/1412089738035535876?s=21

7月6日
https://hakone-shisseikaen.com/

安土さんから自家製の、作る時間帯によって分けられた太陽の塩というのと月の塩というのをもらったのですが、太陽のは荒く焼きものに合いそうで、月のはパウダーみたいにふわふわでなんとなく甘い。昼と夜でこんなに違うものかと驚愕。筵に海水を掛けて作るのだろうか。

7月7日
百合系の収納の隙間に翳すと読み取る「好きじゃないのに」
野営地の洗濯を待つ肌のバーコード
口を尖らせ品格を落とす家具の引き出し
煙るミルクの寿司皿の果て
やまゆりはランドリーを欲している
三角のジャムを湛えた喉
ユーフォーは芋
刃物を植える畠の端

long goodbye
https://twitter.com/i/status/1412411383178727440

Como una tempestad entrarás, tú y todas tus partidas y muchos pueblos contigo

高知で打った瞬間に死んだ人が出た。比率で死を測るなら車より安全ということになるが、その論法で自殺の比率を考えると、ワクチンよりも車よりも危険なのは人体そのものであるということになる。「人」を禁止する方向に意識は向かう。AIはそれを掬い上げ、形にする。

7月8日
株価の抗いようがなく流れて蝉アイス舐めつと立って戻らない 独り
昔は揺れるのはいつも他人と思っていた
今は震源地が自分の隙間だと気付いて揺れるひとりとなっている

地鳴り

蛙は鈍感だから終わりが来ても啼く
蚊も律儀だから兵器のようにエア習字する

地震随筆「快復」

恢という字がわたしは怖い
恢という字が怖いので恢という字が怖いということを都々逸にしてみた

冷たい灰を右手で掬う恢という字はなぜ怖い

恢という字がわたしは怖いのだ

この眠りはまずい,と寝ながら考えている
口を尖らかして
政治家のように

chushi – Made off
supernalsofttouch.blogspot.com/2021/01/chushi…

音楽家が音楽を避ける負の断崖にそれは成立する

豚の飛び込む断崖
素麺みたいな滝

リアルを玉音と取り違え
断崖を攀じ登ろうとする非音楽

そこから枝分かれしてゆくcartoon
の現在

地蔵や龍が出てきて終わり

わたしの体は罪の神殿〜とか言えなくなった
体はもう人工物なので自分のものではなくなっている
草や生き物にデザイナーの名前を入れておくべきだったね

ていうか
私は〜
とか言うのさえ
もう馬鹿らしくて
ドレイに一人称なんてないよ
彼、でいいよ
物なんだから

SSWは滅びる
飲み屋のように

インスタントラーメンのような雨
インスタントラーメンのような夢

ランタナ

Los razonamientos de los sabios son vanos

ヒメオウギ装飾的なシルエット

河童をかわたろと読ませて蕪村月

ミニトマト転がる上方にペダル

熱風に晒されて
紫がかった青味を帯びた懈さ
洞窟も
鍛冶屋も銭湯も
奴隷も鰻も
ヨセフ流の国有化も
ベトナム由来の物流の遮断も
私たちの夢は全て実現した

最近死んだ知人のことを思い出しながらだと運転もゆっくり

幸福は無くて延命の夜がある

7月9日
必ず間に合わない

ペンギンは子も始めから猫背

Un compañero verdadero ama en todo tiempo, y es un hermano nacido para cuando hay angustia

起きたらこの不条理、というのが吾妻ひでおの出だしにあったが起きたらこのテンペスト
https://youtu.be/UiSjNOnJF6w

見上げる二兆個の銀河の
一つとして欠ける名はない
星が燃え尽きてもヒトのような復活はない
私は燃え尽きる星燃え尽きた星
寄せては返す飽きないきれいな深層海洋大循環の千年
2トンの岩が6メートル飛び上がる
砂でコントロールする荒波
森はシロアリがいるから大丈夫
温厚で正しい人はシロアリの地上で永遠に暮らす
ゴグは連合体 雹は暑さのなかに出来る兵器である
鯨はオキアミだけを待ちマグロを待たない
それらは皆、あなたが与える季節ごとの食物を待つ。
あなたが与えると,それを食べる。
あなたが手を開くと,良いもので満足する。

自己修復する骨の先端として爪

TM(transcranial magnetic stimulation/経頭蓋磁気刺激法)と5Gを組み合わせて地獄の針山がツボ刺激になりましたみたいな

https://youtu.be/F6J0g4cBBtQ

中国
格言だけの国
日本
印象を述べる所感の国

7月10日
血がザラザラ

El temblar ante los hombres es lo que tiende un lazo
人​ヘノ​恐レハ罠​トナル

園芸植物や家畜のように設計図が改変された人体は人工物として特許の対象となります。(特許を主張できないのは自然物に対してだけです)。特許を取るのではなくヒトが特許になるということです。特許は金銭でファラオ等に委譲することが出来ます。でも最大の恐怖は自然物への特許が主張される今です。

レファレンス事例あり蔵書に無いので調べたら短編集の表題群であった。化物蠟燭という本であった。木内昇はのぼり、と読み女性なのであった。蠟という字が書けなくて、指で押し広げて拡大し予約カードに記入した。ところが、である。果たしてそれは棚にあったのだ。借り手は去っていて後の祭りだった。
借り手を帰してしまった化物蠟燭を手に取れば装丁滝平二郎とあり、そういや以前八郎を借りた人だったなと合点がいった。最初は隣の小平次という噺で、老婆の彼女をかれ、と読ませているところに目が行った。

7月11日
建物の横にシロアリのための丸太を転がしておけばそこで生態系が回るので家には来なくなるのではないか

意外なことに多くの人は相手にしてくれなかった
言葉に疑いを抱かない人は幸せ
調べるべきなのは家系の詳細
身元調査されるのは背乗りとメシア
5Gが見えると言い張る信仰

TVドラマの人情物の筋書きのようにパターン化されて短歌、
眼荒れる俳句、
それに対して、伝統を避ける異物として見せてもいい詩は矢張り重要な役割を持たされている

学校や病院を建てたり慈善事業を行ったりはしない

説明できない強力な行い

前は海
て歌があった

南の女王は復活してきた人を断罪する

ヴェイユには知らない理由があって集められている

いつも金属を確かめて
言葉を浮かせようとしている

チェックリスト
どんな答えが出るとしても認める必要がある

エンジンは二気筒の専心
何をではなく何故行うかしか関心を持っていない
知っていることを表すこと
畏れのブレーキ

正されちゃってください

7月12日
¿Puede el hombre terrestre hacerse dioses cuando ellos no son dioses?
90過ぎたお婆さんが寄贈したいと持って来る本がなかなか渋い

¿Puede el hombre terrestre hacerse dioses cuando ellos no son dioses?

 

 

 

#poetry #rock musician

我的光線,我的島嶼難以辯駁。

 

Sanmu CHEN / 陳式森

 
 

島嶼無可辯駁
曆史沉降,
施行的惡意
搏打著雨夜高昂的頭顱!
腐敗的水勾勒出牆上
斑爛的許諾。
緊抓住花園 !求救的手
抓住鐵馬,筆直地
穿過六月,下沉。
七月行雷沉穩…….七月
難以篡改的鼓聲
卡在風中 !

我的光線,我的島嶼難以辯駁。

 
 

・翻訳はこちらで
https://www.deepl.com/translator

 

 

 

もうすぐ誕生日がやってくる

 

今井義行

 
 

7月の半ばになると 誕生日が おとずれて わたしは 58歳に なる

「お誕生日おめでとう」とか「どうもありがとう」なんて やり取りをするのが 
苦手なので 生年月日は 非公開にしてある

還暦までに もう1回くらい 恋愛を してみたい なんて おもっても いる

病気に なって 会社を 解雇されて

わたしは 詩人に なりたかったので

ハローワークには 行かず 何回か アルバイトをした

(── それが どうした?)
(── それが どうした?)

わたしは 真面目に やっている つもりだったけれど

「わざと おそくやって お金を 稼ごうと して いるんだろう」と 何度も 
言われた

(── それが どうした?)  
(── それが どうした?) 

わたしは アルコールデイケアに 通っていて

まあ いろいろと あって 3か月 デイケアに 行けなかった

デイケアは 3か月 通所が 途絶えると
退所する ルールに なっている

メンバーは 看護師に 「あの人は 急に 来なくなったけど どうしたのですか?」と 尋ねたそうだけど 守秘義務が あるので 「そういう 質問には 答えられません」と 言われて わたしは 死んだことに なっている

(── それが どうした?)
(── それが どうした?)

まあ いろいろと あって

ようやく わたしが たどりついたのが 「作業所」 そこには わたしが 「仕事が遅い」と 皮肉を言う人は いなかった わずかだけれど 工賃も もらえた

(おおっ たどりついちゃったよ!)

「3,215」円などの 金額が とても 大きなものに おもえてしまうのが 不思議だった

(おおっ たどりついちゃったよ!)

作業所には いろいろな メンバーが いて 月曜日には グループホームから 
きている 女の娘が いる わがままで 朝から わあわあ 騒いで 手が 
つけられないのだけれど お昼ごはんのメニューを 決めるとき メンバーが 
食べたいものを 言い合い 多数決で 決めることに なっている 

その娘は 毎回 キーマカレーが
食べたいのだけれど わたしが 知る限り キーマカレーに 決まったことは なく 
その娘は 黙って 結果を 聞いている

彼女は そこで 民主主義を 学んでいるようだ

友人は 1人で 良い

友人は 「社会は 会社より 広い」と わたしに 言った

いま 疫病が 蔓延していて 解雇される人や 閉店せざる得えない商店や 家賃を
払えなくて 行き場を 失っている人たちが 多いと 聞いている

作業所のメンバーは わたしのように 精神障害者年金や 生活保護で 生活している人が ほとんどだけれど 毎月 支給が途絶えることは なく 赤字さえ出さなければ 生活していくことに 支障はない

旅行などには 行けないけれども・・・

わたしは 大病をしても 延命治療なんて ごめんだ な

日本は 何かと 非難の対象に なっているけれども そして その気もちも わかるのだけれども・・・ まだまだ そんなに 見捨てたものでは ないんじゃ ないか?

還暦までに もう1回くらい 恋愛を してみたい なんて おもって いるなんて 
書いたけれど 1生 恋愛なんて できない人も いるのかも しれないな・・・

(恋愛できないとして それが どうした?)

性器は 持っているけれども その人の それは もしかしたら 排泄器官でしかない みたいなのだ

けれど 排泄器官は 性器より 広い!

還暦までには やっぱり 恋愛してみたいな! 

最近 いい人 見つけちゃったんだけれど
35歳差じゃ 眼中に 無いだろう ね!

(── それが どうした?)
(── それが どうした?)

アルバイトなんてのも  やって みたいものだ!

 

 

 

リュビモフのフォルテピアノの

 

さとう三千魚

 
 

昨日

出掛けなかった


女が出掛けるのを

モコと見送った
道路に落ちた

ノウゼンカズラの花を
拾って

捨てた

夕方
モコと

近所を歩いた

深夜に
荒井くんから

電話を貰ったのを
憶えている

眠ったまま電話に出たのか

今朝は
机の上を片付けた

机の隅には
スヌーピーや

オットセイや
クジラや馬のツラや

テラコッタの天使が

いた

机を片付けて
窓から

西の山を見ていた

リュビモフの
フォルテピアノの

“k280 adagio” を

繰り返し
聴いていた

 

 

 

#poetry #no poetry,no life

もうお前からはだれも二度と実を食べないように

 

工藤冬里

 
 

6.27-7.5

6月27日
子孫はアダムの罪に何の責任もないので勝手に許してもらったと
贖いの知識が力を持つ条件は感謝です
必要だと思って貰ったものではない場合

6月28日
ロンドンで、車を盗られる夢
喉が乾いて目が覚めるので古井由吉みたいに水を飲む
ゲインズボロー・ロードの家の裏にはプラムが植わっていて、ジャムを作った
近所に、黒いチューリップだけ咲く家があった
いくつかスタンダードの古層
明治以降の日本のように

成功した怒りの表現が成功したアート(に過ぎない)というようなことをアドルノか誰かが言っていたような気がして検索してみたが分からなかった

ソロモンを値踏みしようとやってきたシバの女王は彼の家の給仕​人​たち​や​献酌​人​たち​の​ユニフォームのデザインの格好良さに息を呑んだものだが、東京はどうか。コロナ柄の絞り染めの方がまだ良かった。

https://www.youtube.com/user/atetetordu

6月29日
看取り図

twenty-twenty

確信
携帯の見えない電波
終身刑bandanaも
グアンタナモも巻いて
Détruire, dit-elle
畑を迫害と共に得て
PCの電源を抜くことも出来る
焦茶色の犬の気持ちと筋肉
タイシルクの赤青
さまざま​な​体制​が​​言葉​に​よっ​て​形作ら​れ、見える​もの​が​見え​ない​もの​から​存在​する​よう​に​なっ​た​こと​を​悟り
誕生の瞬間から明らか
設計図がないことを信じろと言われても
ドキュメント化された映像や記憶を

6月30日
https://youtu.be/vLiNlOa3FiM

7月1日
言葉は〇〇してて草
大草原

の小さな家

ウェンブリーでピンクフロイドなら
向ヶ丘遊園で何

明るい雲
明るすぎる雲
結末を初めから
体の中にある罪の律法
どんな文化の下でも

肩の上にスイカ
マンゴジェリー
直方体を海に沈める

7月2日
日本語はもうすぐなくなるのでなんか文学的なことを書いても無駄だと思う
言葉とは何か、とかを理解しようとする時しょうがなく使う程度

同じ駅が出てきて立川方面行きが全く来ない

https://twitter.com/_YukioHakagawa/status/1410752750875332611?s=20
Gb  Db↓ G Ab C  Eb↓ Gb Ab Bb↓

7月3日
最終連で鳥が
「夢と現実!」と叫ぶ大鴉ぽい詩が思い出せない

昨日はウェンブリー・スタジアムのピンクフロイドということを考えていたらアルパートンというずっと思い出せなかったインド人街の名前が浮かんだ

ウェンブリーの市役所の食堂のスコーンと紅茶は不味かった

calligraphy 五所純子 2011.3.19

Delta Rhythm Boys – Dry Bones
https://youtu.be/mVoPG9HtYF8

7月4日
反共ベースの”真実”が反日にマージして似非保守の共産化という印象批判を生むので”愛国者”が反日化するがそれを利用した発電はできない。それに対し反日ベースの”希望”が”真実”にマージして自国の共産化批判を生むので”反日”が愛国化するがそれを利用した治療は望めない。可能なのは自民を共産に、共産を自民に名称変更して左右の定義を一段押し上げることである。そうすれば言葉は一瞬vividになることだろう。しかしそれも永くは続かない。分断とは反日の統一、見えない一致とは見える愛国からの逃走だからだ。先の先のさらにその先のお花畠を共有することでしかエネルギーは流れない。

メガソーラーは地面に置かず必ず倉庫にして屋根に設置すれば痛い感じが抜けるし人や動物さんたちが雨やどりしたり遊んだりできるよと思います

お前からはもう

 

 

 

#poetry #rock musician

散歩道

 

みわ はるか

 
 

世間一般ではもう目一杯咲いているところがあるというのに、うちの近所ではまだ咲く気配がない。
そう、6月といえばのあの代表的な花。
小さな花弁がたくさん集まって、水滴なんかが滴り落ちての、あの紫陽花である。
葉も爽やかな緑色で美しい。
ふだんはギョッと思うようなカタツムリなんかがついていても愛でてしまう。
公園の端っこ、畑のそば、歩道のわき、校庭の奥の方・・・・・。
ふとした所に意外とどしっと存在している。
個人的には淡い水色がかわいらしくて好き。

最近、時間があればスタスタと歩いている。
冬は寒いのが大嫌いなので引きこもりがちになってしまう分、この時期はできるだけ外に出る。
古くから建っている家々。
ペンキがだんだん剥げてきてはいるけれど、柱はしっかりして頼もしい。
今でもあるんだなぁと驚いたのは、瓶の牛乳を入れるためのケースが玄関先に置いてあったこと。
昔、わたしの家でも毎晩運んでもらっていた。
台所があるであろうと思われる場所のすりガラスの窓。
そこには洗剤、花瓶、おたまやフライパン返し等が吊り下げられている。
夏だからだろう、窓を開け網戸から涼しい風を取り込んでいる食卓。
LEDとは違う少し黄色がかった明かりの下、箸が器や皿に触れる音が聞こえる。
テレビの野球中継に交じって、ときたま食卓を囲む人たちの笑い声が漏れ出ている。
時には怒声や大泣きしている子供の声も。
その生活音はとても心地よかった。
やっぱり家族は同じ場所にいるのがいいなぁと思う。
何か見つけたとき、今日あった面白かったこと、どんより納得できなかったこと。
聞いてほしい、解決策はなくともただ隣で聞いてほしい。
なんともない少し退屈だなと思う日常こそが最も尊い。

とある中学校の側を横切る。
そこには新築の家々がたくさん並んでいる。
近くにはスーパー、幼稚園、郵便局、銀行・・・・・。
ファミリー層が住むには好立地な場所だ。
お洒落な外観に、素敵な花々が彩る庭。
玄関先には小さな靴が干してあったり、まだ補助輪がついた自転車がお行儀よく置かれている。
カーテンの替わりにブラインドを使用している窓もあった。
1つ1つの窓もわりと大きく感じる。
窓わきに置かれたディズニーシリーズであろうぬいぐるみがこちらをじっと見ている気がしてそっと目線をずらした。
モダンな家々に少し圧倒され恐縮してしまった。

駅の近くにはアパートやマンションが多い。
古いものだと「~ハイツ」や「~荘」のようなアパート。
歩くと結構音が響きそうな階段を上がると同じ扉がズラッと並んでいる。
おそらく単身用の住まいだ。
趣があってまるで小説の世界に入ったかのような世界観。
ぎぃ~と開く扉の音もまたいい。
なぜかある扉の前にはとれたばかりの玉ねぎがこれでもかというくらい積まれていた。
セキュリティがしっかりしているマンションも最近はとても多い。
エントランスで鍵なのか指紋なのかわたしには到底想像できないが、本人確認を求められるようだ。
それを見事に突破するとエレベーターで自分の部屋がある場所までたどり着ける。
きちんと清掃されているんだろうなと思われる外観はただただきれいだった。
洗濯物をベランダに干している所もほとんどなさそうだ。
気温の高い日中さえ窓を閉め切っているようでレースのカーテンだけが外からは見えた。
隣に住んでいる人が誰かも分からず、住人だけがどんどん循環して入れ替わっていくのだろう。
それはとっても楽で快適だけれども、ほんの少し寂しい気持ちになった。

そんなこんなでわたしは時間があれば歩いている。
ただただ歩いているのだけど、毎日たくさんの発見があってとても刺激的だ。
橋の上からじっと川の流れを見て、その流れに逆らうように動いている魚を探したりする。
季節によって異なる花を注意深く観察したりする。
畑で栽培されている野菜を見て旬なものは何かをチェックする。
稲が植えられたばかりの田んぼにゆるりと泳ぐオタマジャクシを「わっ」と叫んで驚かしたりする。
太く大きな松の木を首が痛くなるまで見上げ続けたりする。

わたしの散歩はしばらく続く予定だ。
冬が来る前までの限定的なワクワクする冒険を。

 

 

 

スイカわり

 

塔島ひろみ

 
 

青いTシャツの背にはくっきり リュックの形に日焼跡が残っている
太陽を背負って歩いてきたのだ

だから太陽の熱さは知っているが
太陽の重さを知っているが
彼は
太陽を見たことがない

前を向いたままするするとリュックをおろし、そこに置いた

汗ばんだ肩を、二度三度上下させたあと、振り向きもせず帰っていった

黒いサングラスをかけていた

黄昏の放課後
授業を終えて生徒たちが校門を出る
ランドセルカバーの色に塗られた寄宿舎への誘導ブロックが
警官のように彼らを待ち構えているのだが

今日は誰もその手に乗らない

それは太陽が教えてくれた

リュックサックの中に石のように閉じ込められた太陽が教えてくれた

太陽はずるずると引きずられた
日が暮れる
彼らは太陽を連れ、
点字ブロックなどまるで無視して、
道すらも無視して、
野猿のように自由自在に、
歩いて歩いて、
そしてどうやら目的の場所に着いた
(方向感覚を失い 私はここがどこなのか見当もつかない)
(街灯もないのだ)

パーン!
気持ちよい音
しぶきのようなものが飛んでくる
もう一度、 パーン!
するどい破片が頬に当る

太陽は砕かれ まったくの闇が訪れた

くすくすと かわいらしい笑い声がそこかしこから聞こえてくる
いくら目をこらしても
この闇では彼らの姿はおろか 頬に当った破片の輪郭すら見ることができないけれど

涼しげな一陣の風が
私のよく知る甘い香りを運んできた

そして
太陽を食べた少年たちのからだが
闇の中でキラキラ光を放つのを私は見たのだ

(火薬のにおい・・・)

 
 

( 6月某日、都立盲学校そばで )