朝には
モコに
起こされて
階下におろして
庭で
おしっこさせた
モコは
しゃがんで
上目遣いに
わたしを見上げてた
モコ
モコ
リヒテルの
モーツァルト20番の第2楽章を繰り返し
聴いたね
景色だけが流れていた
息を吐き
息を吸った
朝には
モコに
起こされて
階下におろして
庭で
おしっこさせた
モコは
しゃがんで
上目遣いに
わたしを見上げてた
モコ
モコ
リヒテルの
モーツァルト20番の第2楽章を繰り返し
聴いたね
景色だけが流れていた
息を吐き
息を吸った
ある日、東映から健さんがやって来た。
なんちゃら組の親分役として、わが社の営業を手伝ってくれるというので、
感激した私は一本の包丁を買って来て、「♪包丁いっぽおん、さらしにまいてえ」とア・カペラで歌いながら、
東映映画で観たとおりに晒しに巻いて、背広の奥に忍ばせた。
その翌日、社員全員で地方へ出張に行ったら、健さんが誰かと喧嘩になったので、
すっ飛んで行って、そいつの猪八戒腹を正宗の包丁でブスリとやったら、
社長が「よくやった。これで邪魔者は消えたから、この地区の売り上げは倍増だあ」と大喜び。
その翌々日、私が奥菜恵似の女と仲良くしているの知った吉高由里子似の女が、「デートしよ」
と私を誘ったので動物園に行ったら、猿どもが白昼公然自瀆しまくっていたので
「こんなお下劣な所はやめて、もっと静かな場所へ行こう」と二人でラブホへ行った。
その日の夕方、外で涼んでいると、誰かが庭から勝手に家の中に入ってくるので、
「なんだ、なんだ、おめえは誰だ?」と誰何すると、
「僕ちゃんは、あなたと同姓同名なので、ここへやってきました」という。
そいつは、よれよれのまっ黒けの服を着た、全身濡れネズミ男だった。
濡れネズミ男こと佐々木眞は、平壌放送のような予告なしにいきなり歌い始めた。
「♪ア、ちょっと待ってね、ア、ちょっと待ってね、ソウリのノウリはまっ黒け」
すると、その後から大勢の子どもたちが、
「♪ア、ちょっと待ってね、ア、ちょっと待ってね、ソウリのゾウリはまっ黒け」
と楽しそうに歌いながら練り歩いていく。
「♪ア、ちょっと待ってね、ア、ちょっと待ってね、ソウリのノウリはまっ黒け」
「♪ア、ちょっと待ってね、ア、ちょっと待ってね、ソウリのゾウリはまっ黒け」
共に歌い踊りつつ、私は世界全体の底が抜けたようで、なにもかもが楽しくなってきた。
急に全身雲南桜草になった私は、春風に吹かれながら、全身ネズミ男たちのあとを追った。
目黒区上目黒にあるギャラリーを出て、夜の盛り場を彷徨っていると、
ベネチアのカーニヴァルで見た顔を白く塗った女たちが、長い列を作って私を待ち構えている。
その真ん中を通って、大名時計博物館の竹林に入ると真っ暗な部屋があった。
中では二人の若者が、「さあいよいよ戦争だ。これで思う存分南京で人殺しができるぞお!」
と期待に胸を膨らませながら、陛下恩賜の三八銃をピカピカに磨いていた。
三時になったので、いったい誰がお茶を入れるのだろうとハラハラしながら見守っていたら、
竹取の翁がかぐや姫に命じてしずしずと茶碗を運ばせたので,胸をなでおろした途端、
突然、地面が大きく揺れて亀裂が生じ、二人はそのまま地底深く呑みこまれてしまった。
「おおい、誰かいないか?」と尋ねたが、ついに返事はなかった。
白い紙
君なら何を
書くのかな。
何となく
空を見た
何となく
雨が降ってた
何となく
涙が出た
何となく
微笑みながら。
細く
白い
首が
綺麗だな
そう
思うことが
ある
あった
どうなんだろう
女のヒトの
細く
白い首をみて
うなじ
みて
綺麗だ
なんて
そんな通俗的なことを
思う
いま日本橋の公園で鳩たちに
囲まれてしまった
鳩たちよりも
鶴の首は細くて白い
姉と
母とが待つ
西馬音内に向かった
こまちで
向かった
吹雪いてた
昨日から降りはじめたのだと
義兄は
笑った
姉のむせぶ声を聞いて
飛び乗ったのだった
姉が微笑んだ
母は
人工呼吸器で胸を上下させていた
姉も母も
春を待つ心を持つ
最近過疎地域へ都会からの移住者が増えてきているそうだ。
わたしの故郷の町も例外ではない。
四方を山や田んぼにに囲まれ、空気は澄み、そこでとれるお米は本当においしい。
川に行けばきれいな水にしか生息しない生き物に出会えたし、夏には蛍がたくさん飛び交っている。
豊かな自然に恵まれたそんなところだからこそ都会の人の目には美しく映るのかもしれない。
ビルばかりの街並みで、時間に追われた生活から癒しを求めて。
先日久しぶりに故郷の友人に会いたくて実家に帰った。
友人とはあるピザ屋さんで待ち合わせをしていた。
場所を確認するとわたしははて?と思った。
こんなところにそんな洒落たお店があったとは記憶していなかったからだ。
待ち合わせ場所に着くと、確かにそこはピザ屋さんだった。
なんとそのお店の隣には山羊を数匹飼っていた。
友人の話によると古民家を改装して、東京から移住してきた人が経営しているのだそうだ。
中も落ち着いたお洒落なかんじに仕上がっていてお客さんで賑わっていた。
メニューも豊富で、メジャーな種類のものからこの町で採れる野菜をふんだんに使ったものまで幅広かった。
味も申し分なく、価格も適正だった。
しっかり食後の紅茶までいただいた。
なんだかとても幸せな気分になった。
外に出ると、小さなお土産屋さん売り場が併設されて いた。
これもこのピザ屋を経営している人が切り盛りしているらしく、温かい雰囲気のお店だった。
決して大きくはないけれどこの町の特産物や、手作りのアクセサリーなど、ここの風土に合ったものがたくさん売られていた。
この町で生まれ育ったわけではないのにも関わらず、こうしてこの町のアピールをこんなにもしてくれていると思うとほっこりとした気分になった。
それと同時になんだか自分が恥ずかしいような気分にもなった。
ここ数年、この町では使われていない空き家を求めて都会からの移住者が増えている。
そこを改装し、そこに住んでいるのだ。
お店をやったり、畑や田んぼなどの農業に従事したり、いい土が採れるのでそれを使って陶芸をしたりと生き方は様々あるようだ。
この町を出ていったわたしが言うのも説得力がないかもしれないけれど、願わくばこのままこういう人たちが増えていってほしいと思うし、10年20年先までずっと居続けてほしい。
故郷が衰退していくのはやっぱり見たくない。
自分が通った学校はそのままで在り続けてほしい。
運動場からは子供たちの声が聞こえ続けてほしい。
道沿いに植えられた桜が満開になるころに開催される歩け歩け大会、多くの人からの善意で集められた鯉のぼりを一番大きな公園に泳がせてその下でお弁当を多くの人が食べる光景、町の有志で結成された太鼓チームの演奏や多くの屋台・みんなの楽しそうな笑い声・大輪の花火で締めくくられる お盆のお祭り、木造でできたドームの中で行われる綱引き大会、たくさんの雪が降った日には小さな子供たちが集まってかまくらをつくる。
四季折々のこんな光景も昔は当然やってくるものだと信じて疑わなかったけれど、大人になった今はそうではないことがよくわかる。
どれもこれも人の力が必要で、人が動くことで出来上がっている。
これからは、内の人の力だけでなく外の人の力も借りてこの町の活性化が進んでいくことを望んでいる。
わたしも今まで以上にこの町に足を運ぼうと強く思った。
原美術館って今、なにやってる。
融通きいて待ってる、怖くなって逃げた。矛先はダブってる、これみよがしに茶を欲しがった、北品川の食堂で熱い昆布茶を飲んだ、今日があがる、その頃には結婚は済んでいて、夜は三時間ほど眠るのでじゅうぶんでした、旦那の可愛い寝顔が寝かせてくれませんでした、タクシーの白いレースが着物の女に見えて、姑の香水が鼻を殴った、途中で下車した街は小麦粉の国でして、そうとう嫌いな人を負かす事に成功した夜だから、行けた国でしょう、アドレナリンが溢れて喉がからっからっだったので、風邪をひいて帰ってくる羽目に、お気に入りのピーチネクター冷蔵庫に残ってた、ホッと安心、安心したら逆回りの人生が、結婚前に折り鶴を逃がしてきた事を思いだし、ピーチネクターから桃源郷を譲り受けた気分に、タクシーの中にいた時間は夜でしたか、タクシードライバーに聞いた、あれうちの旦那、旦那の親の持ち家に帰ればストーブの前でスリッパが燃えていた。魚のようにへばりつくスリッパのゴム、帰りが遅れてたらカーペットも燃えたかも、ちょっと後悔した。よりリアルな間がとれるようになった今日この頃。あっぱれ
先輩はやく迎えにきて
北品川の食堂で昆布茶飲んで
待ってる。反ってる。祝ってる。
夜は三時間ほど眠るのでじゅうぶんでした。旦那よりも可愛い寝顔はわたしでした
柔術の先生に海苔を巻いてみて、
海苔の人文字がパリッとあがって美味しそう。
闘わない方が師範だよ、殺しにいく方が旦那だよ、先生、私、もう結婚は済んでいて
時間に融通がきく自称遊び人なのよ。先輩の落とした夜は四時間ほど、後輩に授けた夜で遊んだ人、
だいたい背中の汚ない旦那にあげる。あー、胸くそ悪い、こやつとまたセックスかい
だいたいこんな性行為で産まれてくる。海苔がパリッとあがって美味しそう。
とにかく卵黄、わたしも大好きいっつも卵黄、液体垂らしてあぶれる器に乗っかる月夜が順番にくる
待ってたの先輩、わかってたの
飽きた。行為の連続
考える暇もなく動く、わたし尖ってる。名前ばっかで眠そう、わたし眠そうわたし眠そう、落ちてる落ちてる行為の連続。
まぁ、他人の事も言えないんですけどね。右翼の少年に暗殺されてた、あの頃、卵黄を飲んで過ごしていた。右翼の包丁を研いでた、政治家はどこへ。あん、政治家なんてどうでもいい、わたしは先輩を取り返したいの。
融通のきく旦那の前の包丁、
料理はもうしなくていいのよ、包丁であける未来は特に何もない。
怖くなって逃げた。
怖くなって逃げた。
面白くなって、捕まった時間の事を想像できたら実行して、でもその前に好きな人に好きって言うのよ、はちきれんばかりの人文字でわたしを解放。広く狭い路地を走っていても、わたしの汁や内蔵が飛び散るから、ここは天国みたい。おっとここは北品川だ、実に本質だと思う北品川だ、原美術館の方じゃなくて、商店街の方の所だった。
昆布茶を飲みきるまでに考えれる事はいくらでもあるから、自由に飲み干せよ、本当にそのあと死んでもいいんだから、昆布茶くらいはせめて、残してもいいのだ。
最近過疎地域へ都会からの移住者が増えてきているそうだ。
わたしの故郷の町も例外ではない。
四方を山や田んぼにに囲まれ、空気は澄み、そこでとれるお米は本当においしい。
川に行けばきれいな水にしか生息しない生き物に出会えたし、夏には蛍がたくさん飛び交っている。
豊かな自然に恵まれたそんなところだからこそ都会の人の目には美しく映るのかもしれない。
ビルばかりの街並みで、時間に追われた生活から癒しを求めて。
先日久しぶりに故郷の友人に会いたくて実家に帰った。
友人とはあるピザ屋さんで待ち合わせをしていた。
場所を確認するとわたしははて?と思った。
こんなところにそんな洒落たお店があったとは記憶していなかったからだ。
待ち合わせ場所に着くと、確かにそこはピザ屋さんだった。
なんとそのお店の隣には山羊を数匹飼っていた。
友人の話によると古民家を改装して、東京から移住してきた人が経営しているのだそうだ。
中も落ち着いたお洒落なかんじに仕上がっていてお客さんで賑わっていた。
メニューも豊富で、メジャーな種類のものからこの町で採れる野菜をふんだんに使ったものまで幅広かった。
味も申し分なく、価格も適正だった。
しっかり食後の紅茶までいただいた。
なんだかとても幸せな気分になった。
外に出ると、小さなお土産屋さん売り場が併設されていた。
これもこのピザ屋を経営している人が切り盛りしているらしく、温かい雰囲気のお店だった。
決して大きくはないけれどこの町の特産物や、手作りのアクセサリーなど、ここの風土に合ったものがたくさん売られていた。
この町で生まれ育ったわけではないのにも関わらず、こうしてこの町のアピールをこんなにもしてくれていると思うとほっこりとした気分になった。
それと同時になんだか自分が恥ずかしいような気分にもなった。
ここ数年、この町では使われていない空き家を求めて都会からの移住者が増えている。
そこを改装し、そこに住んでいるのだ。
お店をやったり、畑や田んぼなどの農業に従事したり、いい土が採れるのでそれを使って陶芸をしたりと生き方は様々あるようだ。
この町を出ていったわたしが言うのも説得力がないかもしれないけれど、願わくばこのままこういう人たちが増えていってほしいと思うし、10年20年先までずっと居続けてほしい。
故郷が衰退していくのはやっぱり見たくない。
自分が通った学校はそのままで在り続けてほしい。
運動場からは子供たちの声が聞こえ続けてほしい。
道沿いに植えられた桜が満開になるころに開催される歩け歩け大会、多くの人からの善意で集められた鯉のぼりを一番大きな公園に泳がせてその下でお弁当を多くの人が食べる光景、町の有志で結成された太鼓チームの演奏や多くの屋台・みんなの楽しそうな笑い声・大輪の花火で締めくくられるお盆のお祭り、木造でできたドームの中で行われる綱引き大会、たくさんの雪が降った日には小さな子供たちが集まってかまくらをつくる。
四季折々のこんな光景も昔は当然やってくるものだと信じて疑わなかったけれど、大人になった今はそうではないことがよくわかる。
どれもこれも人の力が必要で、人が動くことで出来上がっている。
これからは、内の人の力だけでなく外の人の力も借りてこの町の活性化が進んでいくことを望んでいる。
わたしも今まで以上にこの町に足を運ぼうと強く思った。