塔島ひろみ
黄色い帽子たちが迫ってくる
背の順にならんで石をけり 傘をふりまわし
ゴミを蹴散らし 捨て猫を踏み
竹をなぎたおし 看板をぶっとばし
おならをし
通り過ぎていった橋のたもとに
交通誘導員の死骸がある
大きな穴があいていた
私は うっすら見える山を見ていた
土手の向こうに
京成が走る
黄色い帽子たちは何しろこれから
戦争にいくのだ
零戦に乗るのだ
一番背が低い帽子の
背中だけ見え
それから吸い込まれるみたいに
見えなくなった
黄色い帽子たちが迫ってくる
背の順にならんで石をけり 傘をふりまわし
ゴミを蹴散らし 捨て猫を踏み
竹をなぎたおし 看板をぶっとばし
おならをし
通り過ぎていった橋のたもとに
交通誘導員の死骸がある
大きな穴があいていた
私は うっすら見える山を見ていた
土手の向こうに
京成が走る
黄色い帽子たちは何しろこれから
戦争にいくのだ
零戦に乗るのだ
一番背が低い帽子の
背中だけ見え
それから吸い込まれるみたいに
見えなくなった
今朝も
ゴンチチの
ラヂヲを聴いて
小川の傍を歩いてきた
小川には
白鷺がいて
川鵜もいる
雀も
磯ヒヨドリも
たまに翡翠もいる
春には
燕たちもやってくる
小川には
野花も
咲いている
ラヂヲからは
遠藤賢司の”カレーライス”の歌が聴こえてた
ばかだなばかだな *
だれかがおなかをきっちゃったって *
う〜ん とってもとってもいたいだろうにね *
一昨日の夕方には
HIBARI Booksの店の前の木立に
雀かな
たくさん
群れてた
たくさん
たくさん
群れて鳴いていた
たくさん群れて
たくさん鳴いて
いまを
いた
鳥がいた
生きていた
* 遠藤賢司「カレーライス」の歌から引用しました。
#poetry #no poetry,no life
わたしの足は
けっして洗わないでください
多くの足が
そう言い出してきかない
(うるさい地面の夜が来る)
がむしゃらに菜めしを
喰っているものに
そのかかとをあげてやりましたが
ある日
きみはわたしの足を
知らないと三度まで言うだろう
喰ったにわとりの足は静か
などと うつくしく
詩に書いてしまうだろう
その詩は
足に来た夜でも
だれの地面でもないというのに
昨日は
立石の
二人展の後に *
駅前のブンカ堂で飲んだ
それから
桑原正彦の墓所に向かった **
立石の
桑原の
墓石に水を掛けた
手を合わせていた
墓石の下の
小石を拾い
ポケットに入れて
最終の新幹線で帰ってきた
今朝
義母の仏壇の
大日の足元に石を置いた
そこには
一昨年
女と登った
不二の小石もふたつ置いてある
赤い石と
黒い石と
溶岩石を置いてある
去年の
出雲崎の良寛記念館の
裏庭の
拾った瓦の欠片も
置いてある
小石や瓦はそこにある
あることのほかにはない
記憶が
曖昧になって
いる
亡き者たちを抱いて
無き者になっている
* 二人展:つげ忠男 × 中里和人 二人展「東京原風景・サブが居た街」のこと
** 桑原正彦:画家 桑原正彦のこと
#poetry #no poetry,no life
家々の色はとりどりで
晴れ晴れとはしていないけれども
とりどりで
クラフトマッコリのブリューワリーもあり
中国名の寸劇が街を覆う
分裂症つまり統合失調症が全体性への無理矢理の回復であるとしたらそれは、 部分と部分を劇的に結びつけようとするという点で知恵と似ている。 資本主義が全体主義に吸い取られる際に使われる物語がおどろくほど無理矢理で劇的なのはそのためである。
角谷の箴言めいた口調
例えば道を歩きながら「すべてに逆説がある」
ゑでぃまあこんのハロー警報はニルヴァーナの後だったが、 角谷のハローシカはソ連邦崩壊前だった。《故に》角谷はソ連邦を崩壊させたのだ。
#poetry #rock musician
春、午前一時
ゴミ出しで
廊下に出ようとすると
電話をとった妻が
お母さん亡くなったって
そうか、と廊下に出る
途端
ものすごい号泣
息が詰まるほどだ
崩れ落ち
こんなに泣くのかよと思う自分
息苦しくて
起きる
夢だった
福岡の兄にライン
あゝそう
「こっちは大事ないたい
すっかり誰が誰ともわからなくなったが
口から食べられるごとなった
ケージは? とも言ったったい」
昨夏、危篤、救急車に同乗
覚悟した
春、驚くほどの回復
ゼリーを食べた!
夏、また会う直前
本当に亡くなってしまった
棺におさまる母
こんなんなっちゃって
父への母の言葉
嗚咽
まぁ号泣はしない
ホッペを触る
冷たい
いまさら孝行息子でもあるまい。よせやい。泣いたらウソだ。涙はウソだ…
いまにも、嗚咽が出そうになるのだ。
私は実に閉口した。(太宰治「故郷」改)
嘘だ嘘だ
泣くのはよしにして
飲みに行く
ついでに吉野ヶ里
カメに入った大王は
丸まって笑みをもらす
刀剣は出ない
印章は出ない
ここに卑弥呼はいないよ
汗だくの元自衛官のガイドが笑う
蚊をつぶす
2024年8月
お父さん、台風の英語は?
タイフーンだよ。
お父さん、台風の英語は?
だから、タイフーンだよ。
お父さん、台風の英語は?
だからあ、タイフーンだよ。
お父さん、洗濯物かわいた?
かわいたよ。
お父さん、ボク田中みな実と暮らしていますお。
え、ほんと?石原さとみと暮らしているんじゃなかったの?
田中みな実です。
そうなんだあ。
お父さん、ボク、タナカミマミとおウエハラミツキが好きですお。
そうなんだ。
お母さん、田中みな実、お茶のんでになって。
コウさん、一緒にお茶飲みましょう。
お母さん、キモダメシてなに?
コウ君、小さい時にキモダメシしなかった?
分かりませんお。
真っ暗な小学校へ行かなかった?
行きましたお。
それがキモダメシよ。
キモダメシ、キモダメシ、キモダメシ。
お母さん、機会があったら、って、なに?
よい時が来たら、よ。
お勘定って、なに?
お金を払うことよ。
お母さん、Uターンって、なに?
Uターンすることよ。
お父さん、背中って、英語でどういうの?
バックだよ。
バック、バック。
2024年9月
待っとれよ、ってなに?
待っててね、のことよ。
タナカミナミ、アメリカで生まれたでしょう?
え、そうなの?
そうですお。
お父さん、「小児療育」の英語は?
さあねえ、チャイルド・ナーシングかな。
お父さん、神様の英語は?
ゴッドだよ。
ゴッド、ゴッド、ゴッド。
2024年10月
お母さん、迷惑ってなに?
こんなことしちゃ困ります、よ。
2024年11月
ぼくウエハラミツキとタナカミナミ好きですお。
お父さんはウエハラミツキとタナカミナミよりコウ君が好きですよ。
2024年12月
スピード違反て、なに?
40キロと決まっているところで、それ以上で走ることよ。
平成の後は令和だよね?
そうだね。
ナカムラさん、注意されたんですお。
アカムラさん、嫌いなの?
じゃあないですお。
えーとねえ、お母さん、ぼく授産所好きだったの。
授産所? そうなんだ。
お父さん、蓮佛さんのドラマ、全部録画してくださいね。
分かりましたあ。全部録画するよ!
夜に
なった
静岡駅北口の
地下広場の
天窓の
夜の
藍色の
空の
すべてのひとが
目の前を
過ぎていった
ヤブタビラコの
花の
黄色の
揺れてた
風に
揺れていた
***memo.
2025年9月7日(日)、
静岡駅北口広場実施した、
“無一物野郎の詩、乃至 無詩!” 第41回、第2期 11個めの即詩です。
タイトル ” 通過する ”
好きな花 ” ヤブタビラコ ”
#poetry #no poetry,no life;
過去は存在していなかった
未来が過去を決めていくのだった
2012年のヒッグス粒子発見の未来の前、ファシズムの台頭する1930年代にエリオットは「荒地」でこう書いた
what might have been and what has been
point to one end, which is always present
詩は、いいところまでいっていたのだ
現在過去未来は同時に生起する泡として観察される
全てを知っているわけではないがそのステージに参入しているというのが実相だ
正確であろうとすればするほど狂うので観察者としては断念しなければならない
重力というより欠落
つまり貧乏を鍵とし餓死した大過去を黒穴として眺めるのだ
#poetry #rock musician