ネコ

 

塔島ひろみ

 
 

ネコのあとをつけていくものはなかった
路地の一番奥の突き当たりの洗濯物がたくさん干してある白い家 その横に隠れ家みたいに張り付いて建つ薄茶色の小さな家にネコは住んでいた
隠れもせずに住んでいた
でも誰もネコの住みかを知らなかった
ネコはかわいくなかったから
誰もそのネコに興味がないから

ノラ猫連続不審死事件 というのが起きてから
この町の路上に猫はいない
ノラたちは一掃され イエ猫は外に出されなくなった
ネコは事件を生き延びた唯一のノラだ

かつてネコは毎日猫たちのたまり場に行き 
猫たちといっしょにゴロゴロしたり 丸まって昼寝したり
穴を掘ったり 虫を捕まえて食べたりした
猫たちはじゃれてかみつきあったり 追いかけ合ったり
言葉を交わしあったりした
その言葉は ネコの使わない言葉だった
ネコを追いかける猫はいなかった
ネコにじゃれてくる猫はいなかった
ネコはそれでもそのあったかい場所で日を過ごした
猫たちをかわいがる人間がいた
人間はいつもエサとともにあらわれた
猫たちは人間が来ると寄っていって 置かれた皿に喰らいついた
皿はネコにはずいぶん遠い位置にばかり置かれた
ネコがエサにありつけることはなかった
でもネコは家に帰ればエサがあったからそれでよかった
家にはネコの父がいた
父がエサを準備して ネコはそれを食べた
2匹は寄り添って寝た
静かに生きた

ある日一匹のノラ猫が急に死んだ
次の日別の一匹が死んだ また一匹と 次々に死んだ
腎臓の数値から毒物の摂取が疑われた
エサを与えた人間は驚いて泣いた
「誰がこんなひどいことを! こんなにかわいい猫たちなのに!」
事件はいまだ未解決だ

ネコは同じ場所に行った 誰もいない
草がいっぱい生えていて ちょっと湿って ときどきポカポカの日差しがやってきて 気持がよい風が吹くその場所に ネコは行った
ひとりでゴロゴロし ホカホカ日に当たり 
お腹がすくと家に帰った
ネコはかわいくないから 人間はもうそこに来なかった
ある日父猫が死んだ
ネコはお腹がすいたので 父猫を食べた
それからスズメをとって食べ 金魚をとって食べ
畑を荒らし
子どもが持っている団子や焼き鳥を掠め奪った
静かに生きた

ネコは年をとり 毛が長くなってきた
すぐ眠くなった
ときどき近くに建った4階建てマンションの屋上に上って 町を眺めた
自分が支配する町を眺めた
敵がひとりもいない町を眺めた

家に帰る途中人間とすれ違う
ネコはかわいくなく多少毛が長いだけで人の気を引く何も持っていなかった
だれもネコを見て足を留めなかった
ネコをなでてみようとしなかった
ネコの写真を撮らなかった
住みかを突き止めようとしなかった

もしかするとネコは 誰も知らないいろんなことを知っていた
草のことば
虫の秘密
人間の生態
事件の真相
土の歴史
猫の未来
蓄積され続ける膨大な記憶
押し殺し続けてきた強い感情
そのゆくえ

風が強い
路地の一番奥の突き当たりの白い家の3階の窓があいて
太い腕が次々に洗濯物を取り込んで行く
ハンガーとハンガーが当たる音がカチャカチャカチャカチャ
響いていた
ネコは
そのとなりの小さな薄茶色の家の暗い湿った とあるすき間で
誰にも知られないまま 静かに老いを迎えている
寝息も立てず 死んだように眠っている
まだ生きている

 
 

(6月某日、葛飾区鎌倉4丁目で)

 

 

 

オートバイ

 

塔島ひろみ

 
 

わたしの朝でない朝がきた
だからまた目を閉じる
わたしはオートバイではない

陽が照らすわたしをオートバイと人は呼ぶ
どしんとまたがってエンジンをかける
まっぴらなのに
走るなんてできない これっぽっちもしたくないのに
親でも恋人でもないヒトをのせてわたしの道でもない道を走る
だからそれは わたしではない
わたしはオートバイではない

チャイムが鳴った
わたしは草の布団に包まれ 目を閉じている
ピンポンピンポン鳴りつづける
わたしはオートバイじゃない
だから 学校になんか行かないよ
いくら呼んだって 起きないよ

土手に引きずっていかれ写真を撮られた
川が見えた 発泡トレイが浮いていた
それから蹴飛ばされ 転がり落ちて
発泡トレイが見えなくなった

黒い鉄の柵の内側に
こわれたオートバイたちがぞんざいに置かれ足から錆び 腐っていく
もうそれらは走れない 歩けもしない
だからもうオートバイとは呼ばれないで
ごみと呼ばれる
雨が続き雑草がぐんぐんのびピンク色の花が咲いた
子どもたちが列になって黄色い帽子をかぶって電車みたいにつながって
歩いていく 黄色い旗を持ったおじさんがその先で待っている
「おはよう」「おはよう」と声がする
あちこちから似たような黄色い集団が現われて
1か所に収れんされていく
わたしはオートバイじゃないから
そこには行かない

手はなかった
鼻は半分潰れ 下半身はメチャメチャだった
黄色い旗のおじさんは子どもたちを見送ると
その石の塊の前で手を合わせる
子どもたちが無事でありますように
正しく成長しますように
だけど
わたしは地蔵じゃないから
祈られたってどうすることもできないよ
地蔵と呼ばれる塊は ニヤリと笑ってウインクをした

ウインクを返す
夢がむくむくと広がっていた
心はいっぱいで はじけそうだ
雲がわきたち
わたしをオートバイに見せる太陽が隠れていく
わたしはオートバイじゃない
だから どこまでも自由だ

 
 

(奥戸6丁目、産業廃棄物置き場のそばで)

 

 

 

詩について 03

 

塔島ひろみ

 
 

詩の旅

 

離婚して、生まれ育った町に戻ってきた。
私はこの町が嫌いで、子ども時代、とにかくもう嫌でたまらず、早くここから出ていきたかった。
そこへ、不本意にも舞い戻って、もう9年目にもなるけれど、いまだ、かつての友だちの誰ひとりとも出会っていない。見かけもしない。
彼らはどこへ消えてしまったのか?
それとも老けこんで、会っても気づかないだけなのか?

「友だち」と言っても、私はこの嫌いな町の中学を卒業すると同時に誰とも親交がなくなったので、単に「学校が一緒だった知ってる人」という意味で、該当者は多い。少なくとも100人以上はいると思う。
その人たちが一掃され、私だけが今、この町にいる。
つまり人が入れ替わった、あのときと違う、町にいる。
そしたら今、私はこの町が好きだろうか?

中学の卒業アルバムの後ろについていた「生徒住所録」を見て、幾人かの「友だち」の住所を訪ねてみる。
するとそこには、もうまったく別の人が住んでいたり、空家になり、放置されていたりした。
なんとも言えない。
そこには、なんとも言えない、いろんなものがごちゃごちゃになって、漂っていた。
学校時代の彼らの、その行動の、表情の、感情の、背景とか。
その後の彼らの、私が知らない、今ここに住んでいる人も知らないだろう歴史とか。
私と友だちが何十年も昔に交わした会話とか。
木とか。雨とか。においとか。
町を流れる2本の川。
その川の影とか。

当時中学校は荒れていた。その中でも一番スケバンだった彼女の所番地に、先月行った。
その番地は、大きなマンションに吸収されてあとかたもなかった。
マンションのまわりには古い町工場が並び、ガチャガチャと機械の音が聞こえてき、作業服の人がマンホールに片手を肩まで突っ込んでいた。
すぐ先は川で、川沿いの敷地にNTTの鉄塔が立ち、その隣りの囲われたスペースに、タンクローリーや大きなトラックが次々入っていく。中には土砂の山がいくつもあり、大小のブロック塀が積まれ、ショベルカーが並んでいる。「○○建材」とあった。
その先の角地に、「水神社」があった。

小さな祠。その横に「水神社」とだけ書かれた石柱がある。
境内には、狛犬もなく、供え物もなく、さい銭箱もなく、神社の説明書きもなく、あまり関係なさそうな「○○橋之記」と、すぐそこにかかる橋の歴史が刻まれた碑があるきりだった。
「夫れ祖国再建の基は産業復興に在り産業の進展は交通機関の完備に俟つ」
歴代村長の執念が架橋とその戦後の再建を果たしたことが述べられていた。

『葛飾区神社調査報告』(東京都葛飾区教育委員会)には、この町の水神社についての記述がある。
祭神は水波能売神(みずはのめのかみ)。
1729年、幕府の勘定吟味役の井沢某が人柱伝説により河川開削のときに祀ったこと。
その後の大正期に、川の改修工事の際100メートル下流の現在地にうつったこと。
それはしかし、彼女んちのそばに私が見つけた水神社ではなく、上流にあるもう少し大きな、別の水神社についての記述なのだ。
「本区は水稲栽培が一般農民の基本になっていたので、稲作に不可欠の灌漑用水の守護神として水神を祭ることが多い。しかし現在は多く鎮守社の摂社になって・・・」。(『葛飾区神社調査報告』)
私が見た水神社は、この地区の鎮守社に吸収された、鎮守社の一部に過ぎないものだった。

鎮守社に行くと、「御祭神 日本武尊、相殿(熊野様)イザナギノミコト イザナミノミコト スサノオノミコト」と書かれていた。
水神についての記述はないが、年間行事のなかに「7月18日 水神祭」が入っていた。

調べると、水波能売神は、イザナミノミコトの尿から生まれた、女神だった。

病いの苦しみのなかで、イザナミのたぐり(54)から成り出た神の名は、カナヤマビコ、つぎにカナヤマビメ。つぎに、糞から成り出た神の名は、ハニヤスビコ、つぎにハニヤスビメ。つぎに、ゆまり(55)から成り出た神の名は、ミツハノメ。

 

           (54)たぐり 嘔吐した、その吐瀉物。
           (55)ゆまり オシッコのこと。

             (『口語訳 古事記(完全版)』三浦佑之、文藝春秋)

 

それで、水の女、という詩を書いた。

 
 

詩「水の女」
https://beachwind-lib.net/?p=33599

 

 

 

水の女

 

塔島ひろみ

 
 

イザナミのおしっこから生まれた女神のミツハは
グレて 眉をそり 髪を染め
大麻、覚せい剤、何でもやり
次から次へと男と寝た

水のむらは治水のため 川をつくることを思いついた
人柱に素行の悪いミツハを立てる
ガムをくちゃくちゃやりながら ミツハは笑いながら埋まっていき
水の女神として祀られた
水を治める神 舟や子を水から守る神
稲作の村の灌漑用水を守る神

時代はうつり 橋がかかった
土手の工事で邪魔になり 社は下流にどかされた
産業、産業と 村はいい始め
田んぼはつぶれ 町工場がつぎつぎに建っていった
そばの荒れ地に大きな建材屋ができたころ
ミツハは社を離れ 人界におりた

おしっこから生まれ
人柱になり
工事の邪魔だとどかされた
失うものはなにもなかった
いつもとびきりの笑顔だった
ガムをくちゃくちゃ噛んでいた
私たちと交わり 冗談言って笑い
男たちとも平気で交わり
だからパンツなんてはいてなかった
誰よりも幸せそうな顔をして いつでも誰にでも 優しかった
踏んじゃってごめんねー!って言いながら
髪留めを拾って 届けてくれた
素行が悪いから
何でもミツハのせいになった
笑っていた

人間は
神でもないのに川をつくり 橋をつくり
工場をつくり
神もつくり

そして今度は大きなマンションを建てるという
地上げ屋が来た
札束をピラピラさせて 水のまちにやってきた
小さな工場や、家、アパート、柳の木
次々つぶれて その地盤沈下の更地の下に
ミツハがまた 人柱に立ったのだ
ミツハの上に 8階建のマンションが建った

毎年7月の例祭には
境内で式典があり 屋台が出る
パン、パンと 手を叩き
社殿に向かって礼をする
さんざん利用して 今はもうこの町の敵でしかなくなった川の水
その水の神はもうそこに とっくのとうにいないのに
空っぽの社殿の前で
拝む 祈る
そして屋台でかき氷を食べる
ボタボタ 色のついた水を垂らす

水波能売神 ミツハ 水の女
人間の欲望

 
 

(4月某日、奥戸7丁目水神社付近で)

 

参考:
「かつしかの文化財」79号、葛飾区文化財保護推進委員・葛飾区郷土と天文の博物館
『葛飾区神社調査報告』、東京都葛飾区教育委員会
『奥戸に生れ育って』、清水その
『図説 日本の古典1 古事記』、集英社

 

 

 

れいきゅう車

 

塔島ひろみ

 
 

海へ向って颯爽と走る
スピードをあげたい が それはできない
静かに すべるように 厳かに走るのが私の 決まりだから
あっ桜だ ほらもう桜が咲いている
語りかけるが その長い、箱に入った物体にはもう
耳はあっても聴覚がない 口はあっても声はない
もう桜だってわからない だから燃やしてしまうんだ 
死体を畏れ、敬い みんな手を合せる 頭を下げる
それだけど 焼いてしまうんだ
900度の高熱で45分
こなごなの 灰にするんだ 人間は
だから私が運んでいるのは 人間の形をしたゴミなんだ

白い壁に沿って 桜が咲いている
壁には窓があって 花柄のカーテンが中途半端に閉まっている
ほんの1メートルぐらいの小さな桜は
ちょうどその窓の高さで花をつけている
窓からクマが覗いている
目があるが ボタンでできているから何も見えない
クマには なにも見えていない
だから
こうやって置いてきぼりになったのだ
もう誰も迎えにはこないのだ
そこは空家だ

空家のとなりは◯◯自動車の営業所で
屋上で男がタバコを吸っている
男はこれかられいきゅう車に乗って出発する
生きているけど 毎日れいきゅう車に乗っている
れいきゅう車を掃除し みがくのも男の仕事である
出るまえに 
屋上で一息ついて 空を見ていた
男の口から煙が空にのぼっていく
男は運転の前 いつも 
こうして 空と友だちになるのだ

月曜日のゴミ運搬車
子どもが叫びながら追っかけていく
捨てないで 捨てないで 捨てないで
捨てないで 捨てないで 捨てないでって 追っかけていく

車は夢の島を目指し
泣きながら走った

 
 

(3月某日、奥戸2丁目◯◯自動車前で)

 

 

 

歯車

 

塔島ひろみ

 
 

町はずれの川のほとりに障害者通所施設があり
喫茶店併設のしゃれたパン屋を運営し おいしいパンを焼いている
そこへつづく道は「ふれあい通り」として整備され
区の木や鳥を描いたオブジェが置かれている
バターの匂いが漂っている
そばの◯◯ギヤー製作所では歯車を作る
私はそこで生まれた歯車である
いっしょに生まれたぴったりかみ合う歯車と
近くの工場に納品された
来る日も来る日も
まわってまわって
かんでかんで
まわしてまわして
その回転の流れのずっと先で
なにかとても大切なものが たぶんできた
社会に役立つものが きっとできた
私は早くに死に
死んだまま彼女をまわしつづけた
生きていても死んでいても
歯車の仕事は同じだった
死んだまま彼女とかみあい
まわっていた
彼女は吐きそうな様子だった
彼女はもう私の目を見なかった
死んだ私に回されながら
となりの歯車を彼女は回し
ずっと先の方をじっと見ていた
静かに回りながら見つめていた
私たちが作りだしているものが
彼女には見えているのかもしれなかった
パン屋から漂う香りの先
その先を流れる大きな川 その川の流れのずっと先にできた何かを
私たちがつくった何かを
彼女は見ていた

 
 

(2月某日 南汐ふれあい通りにて)

 

 

 

電気

 

塔島ひろみ

 
 

高い塀の上に 有刺鉄線がめぐっている
一帯はどんよりと暗くまるで小さな森のようだが
塀の中から伸びるのは木ではなく
どこまでも高い鉄塔だ
両腕を水平に伸ばして掌を上に向け 
巨大な 孤独な 体操選手のようにまっすぐに
黒い 冷たい空気の中に そびえている

「◯◯変電所」というプレートが貼られた街道沿いの入り口とは逆側に
この塀の中に入る別の小さな口があり
従業員の自転車が1台だけとまる
その口から 午後4時を過ぎたころ
小学生の女の子がひとり、またひとりと、塀の中へすべりこみ
鉄塔脇にある粗末な小屋の中に集まった
小屋は電気がなく薄暗い
「じゃあ、やろっか」
年長らしい子がひそひそ声で言うと
少女たちはスカートをはいたままパンツを脱ぎ
両膝を立ててしゃがんで 股を広げた
暗がりの中で 少女たちは自分の股をのぞきこみ
それから見せ合いっこをする
年長の子が床に顔をすりつけ 一人一人の股をいじくりながら評価する
少女たちはくすくす笑いながらそれを聞いた
「皺だらけのおばあさん」「納豆のにおい」「おトイレの紙が残ってくっついてる!」
酷評を受けるたび 少女たちは大笑い 股たちも一緒に笑って揺れ 尿がこぼれた

この単純な 遊びともいえない遊びを
少女たちはくりかえし くりかえすために何度もその小屋に集まった
学年も クラスも違い 名前も知らない 友だちですらない4人だった

厳重に目隠しされた塀の中で 変電所は24時間コソコソと働き
地域の家に 会社に 公共施設に そこで暮らす人間たちに 「でんき」という魔法をかけるのだった
その魔法からするりと抜け出し
少女たちはその 同じ秘密の塀の内側の暗がりで
灯りの下では見えないものを見て
それからゆっくりパンツをはいた

別れる時振り返り、どこまでも高い鉄塔を見上げ
「これ、寒そうだよね」
そんなことを言って思わず
足を広げ手を水平にのばして掌を上に まっすぐ冷たい黒い空気に立つ
股とパンツの間に入りこんだ冷気が 少しずつあたたまっていくのを感じる

それから それぞれの魔法の家に帰っていく

 
 

(1月某日、奥戸3丁目変電所裏で)

 

 

 

 

塔島ひろみ

 
 

転校生は六部(行者)で 森市といった
私の隣りの席になった
教科書とかがそろうまで 私が見せてあげる 
当番のこととか 図書室のこととか 教えてあげる
森市は太っていて 動作がにぶくて 頭もにぶくて おとなしかった
いろいろ教えても ちょっと笑ったみたいなあいまいな顔で ぐりぐりした大きな目で私を見るばかりで
たぶんなにもわかってなかった
いつも同じ服を着ていた
その服は 冬でも夏でも
おばあさんが着るような毛糸の長いベストと
おばさんがはくようなすそ広がりの黒っぽいズボン 
臭かった
お風呂に入っていないのだ
着替えもしないのだ
臭くて 本当は近くに寄りたくなかった 話したくなかった
「くっせえ」「うんこ」「でぶ」とののしられた 尻を蹴られた
そうやっていじめられる森市の顔を 私は見ないようにした
授業でさされると私が小声で答えを教えた
森市はそのとおり復唱した
私は森市に教えるばかりで
森市のことをなにも聞かなかった
家族のこと どこから来たのか どうしてここに越してきたのか テレビは見るのか 生理はあるのか
なにも聞かなかったので なにも知らない
給食室の工事が始まり
各自お弁当を持参することになった
森市の弁当は変わっていて
あるときは食パン1斤を袋ごと
あるときはポリ袋いっぱいのサクランボ
全部残さず食べていた
何も持ってこない日もよくあった
図工の時間
隣りの席の子の顔をお互い描きあう
という課題が出た
私は森市を 森市が私の顔を描く
よく見ると森市はまつ毛が長く 
肌はどぶのように黒ずんでいたがなめらかだった
鉛筆も筆もほとんど使えない森市は 私を全然描けず 手こずっていた
困って 上目遣いに私を見つめる森市を 私はそれ以上見ていることができなかった
私は見ないで森市を描いた
森市から漂うクサい臭いをかぎながら 画用紙に絵の具をどんどん塗りたてた
図工の先生が足をとめた

「すごい絵だなあこれは」

画用紙の中の人物は ギロリとした目で先生を見る
絵にはなんだか凄まじいものがあった
森市にはまるで似ていなかった
森市はもっとおだやかでやさしくておとなしい少女だ
なのにこんな恐ろしい絵に描いてしまった
絵は
まず校内展覧会で人目を引き
区展や都展にも出品され 賞をもらった
題名は「友だち」
もはや誰もそれが森市とは思わなかった
描いた私ばかりがちやほやされた

そのあとしばらくして森市は入定(生きながら墓穴に入り即身仏となって命を絶つ意)した
倒産した近所のアルミ工場の一室に入り 鍵をかけ
シャワーを浴びる水音が三日三晩つづいたという
音がやみ ドアを壊して消防団が踏み入ると
部屋には誰もいなかった
おびただしいアルミくずが 甘い とろけるようなにおいを放っていた

  村人は森市の死を哀れみ お地蔵さまを祀り供養しました。
  現在のお地蔵さまはお堂内に祀られている聖徳太子像の背面に安置されています。

蛇行しながら流れる中川に西、南、東の三方から挟まれるその場所は
以後 圦(いり)の川岸と呼ばれている

 
 

(奥戸2「圦の川岸」にて)

「入定塚」説明板(森市福地蔵尊/弘法大師奉賛会)を参照、一部引用

 

 

 

詩について 02

 

塔島ひろみ

 
 

すきまについて

 

高い吊り橋を渡るとき、板と板の間のすきまからずっと下の峡谷の底が見える。
すごく恐い。
開けたところから下を見るより、ずっと恐い。
ホームに電車がやってきて停まる。ホームと電車の間のすきまは真黒だ。
さっきまで陽に照らされていた線路が、急に恐ろしい深淵に変わってしまう。
その恐ろしい深淵に、私が追っかけた害虫が逃げ込んだ。
細すぎて懐中電灯の明かりも届かない、洗面台と床の間の真っ黒い空間は、這う虫の命を守るシェルターで、
道端の、ゴミだらけのほんのわずかなコンクリートのすきまからは、ここからもそこからも雑草が芽吹き、根をはり、花を咲かす。
時に生物を奈落の底へ落とし込むすきまは、命の魔法の泉でもある。
それより大きく、強いものが入りこめない、弱者の世界。
弱者に挽回のチャンスを与える、逆転の装置。

地元の京成立石駅周辺は、曲がりくねった細い路地が入り組んで、すきまだらけで、そのすきまには赤い顔の大人たちがひしめいて立ったまま酒を飲む。またあるすきまではまだ開いていないスナックの前で、猫好きのおばあさんが猫に餌をあげている。通りを歩いていると、どこかのすきまから、カラオケの音痴な歌声が聞こえてくる。
そのすきまには、彼らより大きく、強いものは入れない。
そのすきまの深淵が恐ろしくて、恐くて入れない人もいる。
すきまは、その形、サイズ、深さによって、一人一人に違う意味をもって存在する。
肉屋と、つぶれた花屋の間にすきまがある。細くて、黒くて、その先に何があるのかは見えない。
何が始まっているのか、何が企まれているのか、私には見えない。

重なり合う葉と葉のすきま、げんこつを握った時の指と指の間にできるすきま、
この世には、同一のものなど何一つなく、全てがいびつだ。
図面上ではフラットでも、モノとモノがくっつけば、すきまができる。
図面とモノの間にもすきまができる。
いびつな地球を、数字と定規で表そうとするときにも、すきまができる。
そしてある思いを、ある感覚を、言葉という記号で語ろうとするときにも、すきまができる。
あなたの言葉と、私の言葉の間のすきま。
体と言葉、こころと言葉の間のすきま。
そのすきまが「詩」。なのではないか。
そんな気がする。

だから詩は、弱く、小さいもののためにある。
弱く、小さいものを、闇に沈めたり、温かく包みこんだりする。

立石駅周辺、4.4ヘクタールもの一帯は更地になり、4棟の超高層ビルが建つらしい。
「土地の合理的かつ健全な高度利用と都市機能の更新を図り、魅力ある駅前環境を形成するため」と、北口地区の計画書にある。
いくつものすきまが消滅し、虫も、ノラ猫も、酔っ払いもいなくなった4.4ヘクタールに建つ超高層ビルに住む人の孤独を考える。心のすきまを考える。
「合理的な」窓、「健全な」キッチン、機能的な居住空間と、そこに住む、いびつな生きものである「人」たちとの間にできるすきま。35階建ての壁に生じるぞっとするような暗い亀裂。そのすきまに、
まだ誰も見たことのない雑草が生えるだろうか。
誰も見たことのない虫が眠るだろうか。
誰も読んだことのない詩が生まれ
頑丈にロックされた防音窓のすきまから
まだ誰も歌ったことのない歌が、聞こえるだろうか。
そのとき区長は、「しくじった」と、自分の禿げた頭を叩くだろうか。

 

 

 

堀切橋下

 

塔島ひろみ

 
 

黒い卵から双子が生まれた
黒い兄と黒い弟
黒い肌と黒い髪
黒い唇 黒い瞳
真っ黒で 目鼻があるかもわからない二人はいつも一緒だった
同じ背丈で同じ声で同じ服装
どっちがどっちかは誰にもわからず
どっちがどっちかわかられないままよく怒られ よくいじめられた
二人とも勉強ができなかったし 黒かったからだ
走るのが遅かったし 話しかけられるとマゴマゴした
同じようにどんくさく 実際ちょっと変なニオイがする黒い双子
けとばしても唾をかけても黒いので表情がわからない
血が出ても黒いので傷の深さがわからない
傷の在り処もわからない
二人でいた 寄り添っていた
ように見えた
タバコを吸っていた
黒い固まりが二つ 肩を並べて黒い煙を吐き出していた
橋の下 黒い川がゆっくりと流れていた
金管楽器の音がどこかから聞こえた
黒い双子はこの河原で 何本も何本もタバコを吸った

そしてある日双子の兄は弟を
この黒い川の中へ突き落とした
泳げない弟は 水の中でバシャバシャし
流され、沈み、そしてぷくぷくとあぶくが出て
浮き上がってきたときは死んでいた
兄はそれを全部見ていた でも見分けはつかないから
兄でなく弟の方だったかもしれない
死んだ方も生きてる方も
黒いので表情はわからない
それを包み込んで流れる川の表情も 
水が黒いのでわからなかった
空は晴れて 大きな鳥のような雲が浮かんでいた
向こう岸には高い塔やビルがあった
背後の高速は渋滞し
トラックが数珠なりに連なっていた
水は静かに流れ 黒い少年を運んで行った
水と同じ色の少年のりんかくはすでにない
海まで10キロ 兄は川に向かって佇み タバコをふかす
黒いので表情はわからない
どこを見ているかもわからない
足元にコケみたいな細かい雑草がはえ
ところどころで小さい黄色い花が開いていた
金管楽器の音が聞こえてきた
本当は全然 違う顔だったのかもしれない
違う心だったのかもしれない
いつも寄り添っていた 一緒だった
金管楽器の音が聞こえていた
今も寄り添っているのかもしれない

 
 

(11月某日、堀切橋下で)