あまりにあまりな春よ

 

ヒヨコブタ

 
 

桜が咲き誇る日を遠い目で眺めていたときはすぎ
沿道のツツジは満開に。
春から夏へと移りゆく時季を待ち望んでいたのは
少しでもよい兆しを待っていたからだろう。
かなしみに押しつぶされそうなニュースが続くのはなぜだろう。
あまりに、あまりに。

時間の経過とともに癒されるということをわたしじしん信じて生きてきた。
生きていられるうちには喜びが感じられることを信じ続けてきた。
少しの喜びでいいのだ。大きなものを望むとき、人は尊大になりすぎる。

歴史というのは何かと考える。
人のあり方について考える。
今なお戦禍にある人たちに尊大になってはならないと戒める。
それでもことばや気持ちにこころがずきずきする。

過去を知ることは未来に必ず繋がるのだろう。
その過去への認識を誤ってはならないと更に戒める。

知らないふりをして生きてはならない。
外国から見たこの国のありよう、犯した罪、
それらは事実として学び続けなければ
また一歩ずつ認識がずれていくのだろうと
それがかなしい。

受けとめ、思考すること。
いったん手放して現実のなかにいることを確認すること。
同時並行でできることは確実にあるのだと。

嘘を並べればそれらは必ず明らかになる。
ズルをすればじぶんまではだませない。
そんな生き方しかできないけれど
今日も少しの勇気を持って一歩踏み出す。
かなしみや怒りにとらわれすぎぬように。
他者やじぶんを責め過ぎぬように。

あまりに過酷だ。生きるというのはときに。
それでも喜ぶことが互いにあると信じれば
明日は必ずあるのだと今日も踏み出す。

 

 

 

日常のさざなみは強く

 

ヒヨコブタ

 
 

わたしの日常はざわめきつつも守られているのか
どうしてふつうを生きていられるのだろうか
なぜなにどうしてが重なって
ぷつんと糸が切れるような

このような世界を想像しなかったわたしは
平和にとぼけて生きていたのだろか
世界に目を向けていればその兆候に気がついたのだろうか
そしてできたことはあったのだろうか
また今できることは何なのだろうか

ベビーカーが広場に並ぶ
なくなった子供の数だという
避難して駆け込む先は地下
それすらも守られていないばしょ
大江戸線ほど深いという
まだまだ寒いだろう
そこで夜が明けるのを待つ日々のひとのこころをわたしは知らない
知った気になることはゆるさない

かつて子どもだったわたしは
先祖の墓参りすら許されぬことを悲しんだ
その国にもその人々にも先祖がいるだろうに

せめてもの墓参り
そこで暮らした日々に思いを馳せる日
それが政治により叶わぬ年があることに
ときに苛立った

不意をつかれたような戦争だ
脅威というのは別のところにあると思っていた

なんの理由があって祖国を暮らしを生活を奪う
根こそぎ破壊しそれでも足りずに命まで奪うのだ

わたしは考えることをときにやめる
その人たちが救われる道を考えることも
疲れて横たわる
体を横たえて思考をとめる

誰もが親族を亡くしたあの戦争は
ついこの前だと大人になってから思う
こどもの頃には大昔だと思っていた
田舎町には関係ないと思っていた

それがどうだろう
ただ語られないうちに時が進んだだけだったとは
もうこどもでいられないわたしは
知ることを選び
知ることを拒絶もする

ずるいと思う大人には
わたしはなりたくないのに

桜が咲き誇る
かなしい気持ちでみている
桜を穏やかに眺めていたい
ふたつの気持ちがどこにもいかない
それらを持って今日を明日を生きるのだと

 

 

 

2022年2月ウクライナに思う

 

ヒヨコブタ

 
 

あの緑色のような明るい光が飛び交うのを
ぼんやり眺めていたころ
わたしはまだこどもだった
戦争体験を聴くことも多かったころだ
それでもいったい世界で何が起こっているのか
わからずにいた
緑のような光のもとでどのくらいの人が傷つけられているのかすらわからずにいた

戦争というのはいったい
侵略というのはいったい
人からあらゆるものを奪うことはいったい

わたしには一生解せぬ考えや行為

誰一人として死んでほしくないせめて今日だけは
子どもの頃からの祈りを
いつもこころに秘めているというのに
それは打ち砕かれ、嘲笑うように破壊されていく

傲慢な考えだと友がわたしにいったのは
当たっているかもしれない
子どもじみて上から目線だと

総てが大人になった人間の合理性からは
かけはなれているのだから
言われても泣くことしかできない
それでも下を向いて踏ん張っているじぶんがいる

戦争はだめだ
と思うとき
あの無言の背中を思い出す
あの人はその体験をなにも語らなかった
子どもである人達もなにも知らない
ただ、壮絶な死と隣り合わせだったろう
他の人を振り落としてでも還ってきたのだろう
あの人がいた国が、今侵略と攻撃のただなかにいる
わたしに何ができるだろうか
おこがましくていい
そう嗤うなら嗤えばいい
わたしの大事なこころは
悲しみにいつも寄り添うだけのゆとりを持っていたいんだ

 

 

 

不穏さのなかに生きるということは

 

ヒヨコブタ

 
 

この感染症との闘いが
いつまで続くのかわからぬままに
ヒト同士が傷つけ合うのを嘲笑うような
そんな世界が
つらい
少しの平穏はいつも願うのに
互いの心や行動をどこかで疑い合うのは
嫌だと

私たちの表面的な武器は
紙切れのようなマスク
少しの消毒液
これでよく堪えてきたものだと
じぶんたちを奮い起たせたいといつも思う

どこかに楽園があるとするならば
いつもそれはこころの奥に眠っている
それなのに忘れてしまう、つい現実の厳しさに
そのことがとても悲しい

いつでも楽園は手を広げ待っているだろう
楽しさは悲しみに必ず勝つのだと信じている
愉快なことが苦しみに負けるはずもない
豊かさとはそこに必ずあるだろう

いつまでも続かない悲しみも苦しみも

たとえ紙切れと消毒液で闘わなくてはならぬとしても
楽園は待っているだろう

存在は忘れてはならないだろう
負の気持ちに支配を許さなければ
必ずや笑顔が勝つと今日も信じている

ピアノを奏でながら、少しずつこころを取り戻すようにわたしは生きている

 

 

 

苦しい日々に、思いだしながら年末

 

ヒヨコブタ

 
 

この世が終わると信じていた時がある。
世紀末が叫ばれ声高なそれらが不安定なじぶんと
何も自信を持てなかった時期に重なっていた。
叱られることになれていた。
なれすぎてわたしはわたしを信じていなかった。
未来というものがよくなる、よくするという気持ちが消え失せていたのだ。
相反するように微かな自信を指先に灯して。

その年何も起こらずに正月はやってきたし、コンピューターの異変も起こらなかった。
普段通りに皆生きていたのだ。
ノストラダムスを恨むような、安堵するような複雑なこころもちでいた。

魔が差すということがある。
何度もそちらを選ぼうとしたことがある。
けれども悔しかった。なぜそんなことに振り回されるのだと微かな生きていたい気持ちが勝っていた。

それらはまったく紙一重だ。
巣くった悪魔のような毒はわたしを脅かしていたのに
この先の人生をすべて諦めることを馬鹿馬鹿しいと思いながら、生きていた。

今ならそれがよくわかる。
別れ道にいたのだと。
何かとても大きな幸福でなくていい。
今日を生きていられる僅かな、何かを皆が持っていられれば
明日になる。明日が迎えられる。
また何かが食べたい、またあの人に会いたい。
これを遺して逝ってはいけない。
宝物はじぶんのなかにいつも僅かに持っていられさえすれば、明日は闇ではないと。

ことばのちからだけは幼いときから信じてきた。
まだ読みたい。できれば書きたい。読んでもらえるかもしれない。突き動かされてきた。

すべてに絶望しても、ことばがありそこに明日を見ていたい。
別れ行くひとに絶望し続けないこと。
いつか逝く道を今勝手に決めてしまわないこと。
憑き物はかならずおちる。
傍にいるひとや物を信じること。
それは信仰のようなものでなくていい。
じぶんのなかに核があること。
揺れ動くじぶんの強さを信じること。
諦めたくないと泣きながら思うこと。

無力かもしれなくても明日がうつくしければみてみたい。
無限ではない明日に悲しみがあったとしても
わたしは生きて生きて明日を見る。
諦めが悪く、意地っ張りでよかったのだ。
欠点は、いつも裏返しだったのだ。

大事なひとの明日とじぶんの明日を重ねれば
きっと大丈夫が続いていく。
だから少しの勇気でわたしはあるいていく。
ことばのポケットに手を突っ込んで。
ぐいぐい風をきっていく。
決めたのだ。
着地点は必ずあると。
悲しみと苦しみを見続けないこと。
そう決めてこの冬もわたしは確かに、いる。

 

 

 

毎年覚書のようなそれほど軽くもないような
ふわふわとただようように思う日は

 

ヒヨコブタ

 
 

21で旅立ったその人は
あまりに優しく聡明だった
じぶんが他の人と異なることに悩み
家族の中の立場や周囲に愛されることを
過度なほどに望んでいた

私は知っていた
それらが総て叶うことはないことも
じゅうぶんに魅力的なものをその人が持っていることも

会えば文学について議論し
私の話に注意深く耳を傾けた
他者への理解も深く
ただあまりに優しかった

旅立ってしまうことに薄々気がついた頃
その人の目の焦点が、どこか遠くにあることにも気がついていた
私はそれが怖くて
伝えられることをあらゆることばで伝え続けた

同志だ、君は
そう彼がポツリと呟いた

同志ということばに
私は舞い上がり、一生の友だと信じた

秋の日曇り空だった
ふだんなら時間通りに、いやそれ以上前に現れる彼が来ないことに周囲がざわめいた

夜になって悲しい報せが届いた

受け止めきれず、わたしはふわふわと歩き回った。
喪服も持っていなかった足でそれらを揃える時すらうわの空だった

仲間だという人たちと共有出来ない気持ちは
どこまでもいつまでも昇華することもなく
長い長い時間が過ぎた

彼はどこへ行ったのだろう
不在は存在を色濃くする
秋が薄ら寒く感じるようになった

最後の晩に彼が父親にぶつけた真の気持ちは

私が覚えている

秋は寒く、彼のいない秋は寒すぎる

何年という時間も悲しみを癒せないとしたならそれは少し嘘だとも思う。
彼の不在は私に現実を認識させ、怒りと悲しみが天秤のように振れ続けた日々の積み重ねだ。

彼がいない世界には彼の不在という
認識による存在の時間が確かにあるのだ。
いつか彼に再会するときに話したいことは
山となってちり積もった。
愉快なことが増えていくようにじぶんを
奮い立たせて今日を明日を私は生きていく
それがどれだけ悲しくとも、どれだけ淋しくとも
生きている私の責任がある。

そうすることで、雪の日のような温もりを
私は感じられる気がするのだ。
感じることによって生きていけると信じているのだ。
まだまだ、と思い寒風に向かう。

 

 

 

断捨離の中の思い出と向き合って

 

ヒヨコブタ

 
 

みながすなる断捨離といふものをわたしもしてみむとてするなり

探しているぬいぐるみがきっかけで
いろいろなものをお譲り頂いているうちに
もくもくと片付けを始めた
こういうときは勢いが肝心

私の少しのスペースを占拠しているものをあらためると
箱のなかに箱があり、さらに箱がある
鞄のなかに鞄があり、さらに布の袋やポーチが発掘される
これは面白いといいつつ、少しばかりあきれる
どこへ行ったかと探していた木箱が見つかるとこころのなかでガッツポーズをする始末だ

思い出だけを着た服は
もう何年も袖も通していない
誰にも着てもらえないものと思い出にはさようなら、ありがとうと言葉を掛ける

ひとつ物を買ったらふたつは棄てなさいと
あまりに厳しく言われた昔
潔癖なほど私のまわりは整っていた
病的な子どもだった
もし母がこのじょうたいを見たなら
怒り狂うのではないか
容易に想像できて、少し笑ってしまうのだ

わたしのもの集めは昔からだ
よく石ころに愛着をもち撫でてポケットに入れては帰る
地面に字が書けそうなものを探す同級生には
変人に見えたろう
まだそれがなんの石ころなのか習う前に
墓石の欠片をキラキラとながめたり
ひとさまの庭の石を持ち帰ったのを父にとがめられ
それが高価な石でわざわざ敷き詰めてあったことを教わったときには驚いた
こんなに素敵な石がたくさんあるというのに
大人はお金を出して買うのかと
子どもには不思議でしかたなかったが
こっそり返しにいった
その家のひとは笑って、ひとつくらいいいのだと言ったが
頑なに返すと粘った
さようなら、キラキラの白い石
じぶんの家の玄関までの飛び石のあたりの石も買ったものだと父は言ったが
もっときれいな石にしたらいいのにと
言いかけてのみこんだ

箱の中のまたその中の箱にメモを見つける
鞄のなかのそのまた鞄のなかに少し先のじぶんへの手紙がある
苦しいじだいのじぶんからのメッセージだと思い出して
別の箱にまとめる
まだ開くには早すぎる手紙だと

大切な思い出だけは棄てぬようにと
とある人に忠告されながら
大切とじゅうぶんな思い出を分けていく

ありがとう、さようならを分けていく

 

 

 

障子の張り替えが連れてきた闇と温もり

 

ヒヨコブタ

 
 

強くなりたいと
思うときがある
こころの芯のぶぶんで

猫が破り散らした障子をはりかえていたら
母にされた嫌なことが次々と思い出されてしまった
なにくそとのりを剥がすのだが
一度よみがえった悲しさが
蓋を開けたのか次々と

のりをごりごりむしりとる
なにくそと黙々作業をする

母にはその記憶はないらしい
腹が立ってくる
なにくそとその度に手を動かす

わたしを産んだそのときに
彼女にはつらいことがあったらしい
だからってとごりごりむしりとる
剥がした障子紙を破る

夕暮れも同じときがある
とても美しいその時刻
外に出されて不安だったこと
なぜ怒りをかったのかわからず
さみしさと不安との戦いだったこと

見かねた近所のおばあちゃんに
部屋に招かれるとき
あとでさらに怒られることに怯えながら
緑茶をゆっくり飲んだ
静かにそのひとの暮らしを覗く

そのおばあちゃんが好きだったチョコレートを
時々もとめる
一口ずつ頬張る彼女は
もうこの世にはいないのだけれど

たまにしか帰ってこないその人の息子家族を母は
親不孝だといった
冷たいと
けれどもそのひとたちは
とても優しいひとたちだった
静かでガミガミなにかをいうような人でもなく

個人タクシーの車をみがくおじいちゃんは
もっと穏やかで
ずっと傍で眺めているとニコニコして話しかけてくれる

こどもじだいには
そんな大人たちに観察されては
わたしも彼らを思っていた

大人のいう評価とことなる思いを持っていた

夕暮れの美しさとこころぼそさには
温もりもある
さみしいところにつれていかないで
わたしはこころのなかでいまも時々唱える
美しさのなかのさみしさ

 

 

 

うつくしいせかいは

 

ヒヨコブタ

 
 

うつくしいせかいとはどこにあるのだろう
重苦しく制限されるとわたしのこころは
そのどこかへ逃避する

ついこの前まであたりまえだったことが
悲しみの報せに潰されているような今に
流されたくはなくて
ひとびとのなかの淀みのような
それらが溢れかえるとき
うつくしいということにこだわりたくなる

生易しいものではなかったのだ
あたりまえというものは
こつこつ積み上げたそのなかに
温かさや優しさを感じ続けていたのだ

全面にそうではないものが押し出されても
恒に意識し続けていれば
最後には笑っていられるのではないか
そちらにかけたくて
わたしのこころはうつくしいせかいへ
駆け出したくなる

淀みに足をとられるのもじぶん
駆け出せるのもきっとじぶんだと
わたしは信じ続けて
緊張のなか踏み出す

悲しみのなかでは生き続けられないと
どこかで知っている
小さな、ごく僅かな
一笑にふされるようなことが好きだと
胸を小さくはる

いつまでいられるのだろう
この分断されたせかいをみながら
そっとことばを携えてそうではないせかいへむかうとき
少しだけ勇気をもって
じぶんを保つことに集中する

困難、疲弊、それらに
とらわれ続けないこと
きっとできるだろう

目にみえているものだけを信じないことに
わたしは賭けているのだ
優しくて甘い香りのするせかいに身を横たえることで

 

 

 

この夏に、きこえる

 

ヒヨコブタ

 
 

夏祭りのお囃子が
空耳のようにきこえてくるのは
こどもじだいのすりこみか

故郷は遠く、盆踊りも遠い昔になった今でも
歌える歌がきこえてくる
海沿いのとても短い夏に
浴衣を着せてもらってなれない下駄をはく
恥ずかしくて輪のなかに入れないわたしを
大人たちが誘う

そのうちに夢中になって踊る
さいしょは忘れていたような振り付けも
真似しているうちに思い出して
手拍子が揃うと嬉しくて

確かなわたしの記憶が
そこにつれていく

このはやり病のなかでは
それさえこどもたちには届かないのか
大人の無茶で理不尽な混乱を
堪えているのか

願ってやまないのは
こどもらの記憶に
少しの糧が残ること
下駄を脱いだあとの足の裏の違和感を覚えている
かつてのこどもが
この夏の少しの記憶を
いまのこどもたちひとりひとりに
楽しかったと残ること

これもまた大人の無茶な要求だろうと
百も千も承知のうえで
口ずさむ
盆踊りの歌を