たいい りょう
私は 生きているのか
私は 死んでいるのか
生者と死者が
入り交じる世界
夢なのか
現なのか
私は黄泉の世界を
さ迷った
そこには
父がいた
母がいた
私の意識は
朦朧とした
私は死を覚えた
私は死に憧れた
長い長い時間をかけて
生の世界に立ち返った
生と死
二つの世界
それは同じ時空間にあった
私は 生きているのか
私は 死んでいるのか
生者と死者が
入り交じる世界
夢なのか
現なのか
私は黄泉の世界を
さ迷った
そこには
父がいた
母がいた
私の意識は
朦朧とした
私は死を覚えた
私は死に憧れた
長い長い時間をかけて
生の世界に立ち返った
生と死
二つの世界
それは同じ時空間にあった
新しい映像作品のために、ひまわりをずっと撮っている。
初めに植えた6つの種は、
間も無く芽吹いて私たちを喜ばせた。
太陽の光を浴びようと
懸命に頭をグルグル回しながらやわらかい葉を広げる姿を見て、
家族皆で「かわいいねえ」と笑いあった。
その後、強い雨にも激しい暑さにもひるまずに、
伸びて、伸びて、
萎れて茶色くなった葉はむしられて、
育ちの悪いものは間引かれて、
灼熱の大きな眼球の視線に焼かれて
苦しそうに身をよじるようになった。
まるで拘束衣を着て死刑台から落下した死刑囚のように
ひとつの命が、決して死ぬまいと苦しんでいる様を
私はファインダー越しに、
冷徹な眼で見ていた。
カメラのシャッターがカシャっと切られる。
そうか、生きるということは苦しむことなんだ。
今年の夏は、水色の晴れた日に、
娘たちとひまわり畑に行こうと思う。
大きく、屈託なく育ったひまわりとひまわりの間を
白いワンピースを着て走る娘たち。
幸せとは、何なのだろう。
私にとって幸せとは、きっと
自分の大切な人たちが幸せであることなんだと思う。
でも、私の幸せが他の誰かの幸せとは限らない。
「あなたのことが嫌いなんじゃない。
憎いのでもない。
ただ、こわいだけなんだ。」
そう伝えたいだけなのに、伝えられずにいる。
娘たちが幸せになるために、
家以外の場所に居場所を見つけ、
玄関のドアを出ていく日もそう遠くはない。
この映画は、私たちの別れの映画だ。
ひまわりが芽吹いて、大きく成長して、花を咲かせて、枯れて死ぬ。
母と義父母が死んで、私たち夫婦が死んで、娘たちもいつか死ぬ。
娘たちには何百年も生きて生きて生き続けてほしいけれど、
娘たちもいつか死ぬ。
それを受け入れることから、私の「生きる」は始まる。
この「宿命」すらも守られないことが世界で起こっているなんて、
何という悲劇だろうか。
やがて死刑囚はこと切れて、
我が家のひまわりも花を枯らすだろう。
そうしたら、私は
ひまわりの頭を千切って、
たくさんの種を丁寧に集めて、ひとり
水色の空一面に、思い切り蒔いてみよう。
いつか世界中にひまわり畑が広がることを願って。
悲しいほど、切実な自由を胸に。
嵐が収まった
午前1時
これが噂のギャン泣きか
ギャンギャン泣きまくった後
やっと眠ってくれたコミヤミヤとこかずとん
「昼間は割と穏やかですが夜は迫力ありますよ」
先生から聞かされていた通りだ
今日退院して育児タクシーで家に連れてきた
病院の前で一家初の集合写真
撮影は運転も赤ちゃん言葉も巧みな初老のドライバーさん
ただいまぁと入ったお家の配置は
ミヤミヤの熟考を反映してる
水場が使える1階に備品を集約
中央にベビー用マットレスを敷き
隣に見守り用の大人のベッド
東に紙オムツやベビー服が整理された箱が3つ
西にハイローチェアと空気清浄機
キッチンには哺乳瓶とミルク缶のストック
棚の上にはミルクの時間と量を記したホワイトボード
そしてミヤミヤ新米ママとかずとん新米パパ
「すごかったね、ミヤミヤ。
2人とも声の限りを尽くして絶叫してたよね。
この嵐みたいのが毎晩続くと思うと緊張するけど
ウチの子がウチの子らしくしてるわけだから全然ヤじゃないね」
「大変だけどかわいいから全然許せちゃうね。
逆にキャンプみたいで楽しくない?」
そう言やそうだ
1つの部屋に家族4人
テント張って水汲み行って火起こして
オムツ替えしてミルク飲ませて抱っこして
深夜だから灯りは鳥さんの形のランプ型照明のみ
キャンプファイヤーの残り火の
ぼんやりした明るさが
流れ星見ぃつけた
てな気分にさせてくれちゃって
嵐の後の静けさを
交互に小さく乱す
2つの寝息が
渓流から吹く風に撫でられた
てな気分にさせてくれちゃって
ここしばらく
横たわって過ごしていた
世の中のこと、もっと小さな世界のことに
ずいぶんと頭を悩ませてしまった
暑すぎる梅雨の晴れ間に
にょきにょきとわたしは起き上がって
少しずつ歩き出すまでに回復しつつある
どうにもならぬかなしみや怒りに近いものは
やはりあって
世界は通常とは思えない
もぐりこんだわたしの世界の平穏は
途端破られそうにもなる
髪を短くしてもらう間に
少しだけふふっと笑う相手の
小さなヒントのようなものを受け取る
そうだった
これが大事にしたいことだったんだと
ふりかえるとあきれてしまいそうな
ただ真剣に悩んでいたことを理解する
会いに行ける相手ですら今
元気かどうかわからぬ世界に
奇跡的とは大げさだが生きている
少しだけまたふふっと笑う
誰のことも貶まずにいられますように
誰のことも見下さずに生きていられますように
たとえそうされたとしても
その次元に落ちませぬようにと
思い返す
過度な心配は負担になり、わたしはすぐに倒れてしまう
相変わらず弱く、世の中の片隅にいてもいいのかとさえ思う
それらを
ふりはらってふりはらい続けて生きている
突端がふわとかもふとかいうより大魚のカマの弾性で崩れており、突くと夕空の文体が爛れた
髪は短く纏まり、服を着た胴体たちは給水栓の離れ方で離れて立っている
どっぷりと暮れ泥みまし赤を黒くし、青白のマスクは旗めく
あゝそれは角ゴシックで、始まりも終わりもない
余程のことなのだろう、猶予の時間は赤身魚の鎌のようにぷにぷにしている
desireの余韻、人生は後始末が全てだ
物事は繰り返されるが、タラの隣にタラの芽モドキが生え休耕田にイネ科が繁るような質の低下が見られる
ナタンの後、ヨアブのひと芝居は日曜夜の大河ドラマの次元に落ちている
空気の中には蜜があり常住食すに適してゐた(ゆきてかへらぬ)
「暗いニュースが日の出とともに街に降る」わけだが川には逆流してい部分が必ずあって、そうした渦溜まりを八艘飛びの要領で伝って遡上するのが人生である
子音のない夏が
憎しみに変わった愛について
合唱を始める夕暮れ
最期の蛍が落ちて
決意の光も夜気を吸い込み
弾け飛ぶ釦は頭上に貼り付く
これからは下り坂
写真に撮れない夜の母音の階調を
子音として通り抜ける
燃料も電波もなくなり
動けなくなった夏を
息を止めて通り抜ける
短くされることでやり過ごす
傾きの中で身を起こす
居なくなった光は鎌の音になる
➖〈solstice d’été夏至〉
それどころではなくなった、では何だったのか
夢以外が遂に子午線のようなものを超えてしまったのだ
夢以外は遂に、子午線のようなものを超えてしまったのだ
#poetry #rock musician