半分のなにかと

 

ヒヨコブタ

 
 

うつくしいと感じるとき
半分のわたしになる
いつもほんとうはそうかもしれないこと
それを強く感じるだけなのかもしれないけれど

もう半分がなにを感じ
なにを見ているのか掴めない
ぼんやりそんなことを繰り返す

他者が近しい存在であれば
もっとそれ以上の半分が生まれていく
少しずつぼやかしながら
その感覚をぼやかしながら生きているよう

黒い気持ち、負のなにかを嫌悪し続けることをいまもしたくない
少し前に思う日々がずっしり重みのある年単位になって
半分のわたしが処理してきたり理由づけをしてきたのかとも

あえてつくりだした世界を語ったわたしはもう必要ない
反射のような防御だとしても

飛び去るようなはやさも焦燥も落ちつかせるのに
これだけの時間が必要だったのか
いまがほとんどの理想を叶えていなくても
しゅんかんに助けられること
温もりのあるひとやことばであるなら
概ねよかったんだ

あのひとやあのひとと微笑みたい
叶わなくてもあたたかなことは
なんと呼べばいいのかわたしはまだ知らなくて
知らないから明日を待ちたくて

 

 

 

懐かしくて嫌なもの

 

辻 和人

 

微かなグレーの匂いが
ひょうんひょうん
上下しながら
歩いてる
ここ
喫煙が許された喫茶店
禁煙・分煙の風潮ものともせず
堂々
生き残ってる
備え付けの「ゴルゴ13」読みながら
おいしくもまずくもないブレンド啜ってるぼくは
煙草吸わない派の人間
大学生の時、勧められて1本に火をつけて
吸い込んだ途端、頭くらくらっ
もう煙草なんか吸うもんか
ところが
周りに煙草吸う人だんだんいなくなってきて
ぼくに勧めた奴も禁煙して
飲食店も煙草禁止になってきて
そしたらさ
ちょっと寂しい
煙は嫌いだけど
なくなったら寂しい
と思ってたらこの店見つけた
頭の薄いおじさんが入ってきましたよ
まだ肌寒い春先なのにサンダルつっかけて
入り口近くのどかっと座るなりポケットから四角い箱
カチッ、カチッ、ぷぅー
おじさん、目がうつろ
うっとり
そしてだらしなく開いた口元からグレーのあれが
ひょうんひょうん
歩き出す
歩き出したはいいけど
渦巻く元気はみるみる衰える
ひょ……うんと細い紐のようになって
もう紐の形態を取ることも難しいぞ
ひょ……うん……ひょうん
グレーの微かな匂いだけが
ここまでやっと届いてきました
お疲れ様
ひょうんひょうん、は
嫌いだけど
ちょっと懐かしい匂い
お、もう一人
目をキョロキョロさせて隅っこの席にちょこんと座った20歳過ぎくらいの女の子
花柄バッグを開けるや否や
取り出したのは何とおじさんと同じデザインの四角い箱だ
目細めて
うっとりうっとりうっとり
ひょうんひょうんひょうん
派手なピンクの口紅塗った口からグレーのあれが
元気に歩き出した
微妙に上下しながら
ぼくのところまで来るかな?
ひょ……うん
グレーの匂いの襞の襞みたいのがテーブルの端っこに絡みつきました
嫌いだけど
お疲れ様
嫌いだけど
よく頑張った
開いたページの中では
「俺は依頼主の感傷には興味がない。用件を話してくれ」と言い放ち
おもむろにゴルゴが煙草に火をつける
嫌な奴だけど
連載終わったら寂しい
懐かしくて嫌なものに囲まれてると
ちょっと感傷的になりますね
ひょうんひょうん

 

 

 

この世は、時々うつくしい。

―Et nous nous resterons sur la terre Qui est quelquefois si jolie Jacques Prévert「PATER NOSTER」
 

西暦2019年3月の歌

 

佐々木 眞

 
 

 

雨が上がって、風が吹く。
東の空いっぱいに弧を描いて
久しぶりに大きな虹が出ている。
この世は、時々うつくしい。

どこかで、グヮッ、グヮッ、グヮッと声がする。
滑川を覗き込んだら、春の水の上で
六羽のカモたちが、翼を拡げて駆け回っている。
この世は、時々うつくしい。

妻が、美容院から戻ってきた。
すっかり白くなった髪を、短めのボブにして
その姿は映画『ジャイアンツ』のエリザベス・テーラーに、ちょっと似ている。
この世は、時々うつくしい。

ドナルド・キーンやアンドレ・プレヴィン
ブルーノ・ガンツやカール・ラガーフェルドは亡くなったが、
わが鈴木志郎康や岡井隆は生きている。
この世は、時々うつくしい。

三寒四温の温の日。
イヌフグリの花と葉っぱの上で
今年初めて誕生したキチョウが、微かに翅を震わせている。
この世は、時々うつくしい。

白血病の堀江璃花子選手が「私は全力で生きます!」と宣言し、
私の妹も、抗がん剤の激烈な苦しみと闘いながら
「がんばります!」とメールを寄越す。
この世は、時々うつくしい。

東京千駄ヶ谷国立能楽堂の「第18回青翔会」。
能「海人」の後シテ役で、龍女に扮した宝生流の佐野玄宜が
くるりくるりと「早舞」を舞う。
この世は、時々うつくしい。

高木建材の前の小道で、突然ウグイスが鳴き始めた。
二声目を待っているが、なかなか鳴かないので、
私は、道端の煉瓦の上にどっかり腰を下ろし、それを待っている。
この世は、時々うつくしい。

 

 

 

白蟹さん

 

原田淳子

 
 

 

白い浜辺に白蟹さん

波にさらわれないように
砂にまぎれて
触れば糸切りはさみ
足あと探すのもたいへんね

白蟹さん

わたし
砂のむこうからきたのよ
日出づる黄金のくに
まちはシャンデリア
硬貨は星よりまぶしくて
涙で流れる砂の城

百億分の一の海

百にち一千秒
砂のじこくは永遠のじこく
果てなき砂にくるまり
白蟹さん

わたしは
一秒の砂

 

 

 

「夢は第2の人生である」改め「夢は五臓の疲れである」 第70回

西暦2018年長月蝶人酔生夢死幾百夜

 

佐々木眞

 
 

 

「お客さん、もうこの土地一帯の毒素は、完全に消失してしまってる。中国人どもに買い締められない間に、安値で買っとかないと、一生後悔しますぜ」と、そのブローカーは、口を酸っぱくして説きまくるのだった。9/1

ライバルと比べると、2カ月遅れての出発だったが、我々はそのことを忘れ、ひたすら目の前の目標に向かってひたすら前進したので、半年後には彼らに追いつき、追い越してしまった。9/2

その地域は、2人の王が交互に統治していたのだが、私は、彼らの妻たちの協力を得て、彼らを打倒し、王になった。9/3

私らは夜空の星に輝く銀座鉄道に乗って、アンタレスからアンポンタン星まで快適な旅を楽しんだが、いつのまにか夜が明けて、しののめに朝日が輝いていた。9/4

台風21号の大風で、一睡もできなかった。あるいは、一睡もできなかったという夢を、一晩中みていた。9/5

試写会の案内状を、敬愛するヨドガワ氏とサトウ氏に出し忘れていたことを思い出したので、急いで出すと、二人ともすぐに来てくれた。9/6

「お前を学級委員にしてやるから、是非立候補しろ」と悪友どもがけしかけるので、思い切って立候補したところ、蓋をあけると最下位で、なんとなんと私の1票しか入っていなかった。9/7

「名物決定版はこれだ!」というテーマを編集長から与えられて、これでもう1月以上当地に滞在して、あちこち訪ねたり、あれこれ飲み食いしているのだが、まだその名物には巡り会えないでいる。9/8

「へえ、そうなんでっか」と言いながら、私はその場を警護していた傭兵を、一撃のもとに斬り倒した。9/9

アイルランドの建築家が明治時代に建てた、高層ビルヂングの建築様式が、ロシアフォルマリズムに、なにがしかの影響を与えたか、それとも全然与えなかったか、という問題をめぐって、永代橋のたもとで2人の学生が果てしない議論を続けている。9/10

カンパーとかいう名前のカルテットの第1ヴァイオリンは、相当にわがまま勝手な奴だが、喧嘩となると無暗に強く、これは他のカルテットのメンバーにも共通の特性のようだ。9/12

海辺の砂丘に、陽が落ちてしまった。あと1カット残っているので、どうしようかと動揺していると、ベテランカメラウーマンが、近くのお寺に私らを導き、最後の残光の中で、白く輝く裸身を晒してくれた。9/14

郊外電車の先頭車両は、畳敷きになっていて、松平嬢がお点前をたてていたので、私も一服御馳走になった。9/15

もうすぐ電車が発車してしまうので、駅に向かって急いでいるタクシーの中の私。ふと振り返ると、後ろからオートバイが走ってきた。そこには私が宿に忘れた荷物が積まれているようだが、このオートバイが走っては止まり、止まっては走り出すので、気が気でない。9/16

玉三郎の歌舞伎の一幕見に行って、しばらくするとオシッコしたくなったので、花道に登ってタコツボを開けたら、それはトイレではなく、ツルツル頭の茶坊主どもが出番を待っていたので、頻尿症の私は悶絶してしまった。9/17

幹事のUが、同窓会の貯金を引き出してヴァイオリンを買って、毎日練習しているという噂を聞いたが、本当だろうか?9/18

タカハシ選手が、「大震災には3つの態度があるんだよ、中では3番目の態度が高尚なのよ」と叫ぶので、「そうかもしれんけど、おらっちは2番目の「なんもなかったことにする」で行くんだよお!」とどなったら、黙ってしまった。9/19

私が、イタリア製オートバイ、フンフンネで岐れ道にさしかかると、「ビゴの店」では、創業者のビゴさんを悼む旗を掲げていた。9/20

洞窟の中を歩く彼女は、腕を伸ばして、左右の壁に手を触れていたが、その茶と白のだんだら模様の壁面は、無数の茶と白の小さな蛇が、うず高く積み重なっていることを、私だけが知っていた。9/21

その子はケータイ会社の試験を受け、たった30点で合格したのだが、その会社はソフトバンクだったので、auが受かったと思っていたその子は、今頃になって驚いている。9/22

NHKの次回の大河ドラマの製作を請け負うことになった。とりあえず製作費は膨大だが、1次下請けが2割、丸投げされた2次、3次、4次の下請けがなにもしないでそれぞれ2割のマージンを取った残りの金額は製作実費かつかつで、わが社はどうやっても利益が出そうにない。9/23

アラン・ドロンが引退するというので、激励のために会いに行ったが、彼は私のことなどてんで覚えていないようだったので、よく考えてみると、彼とは一面識もないのだった。9/24

「序曲はいいが、「文学的序曲」の演奏は断じて許さん!」と、その軍人は怒鳴った。9/25

万歳! 私は長年の苦心の甲斐あって、「不要になれば消してしまえる衣料品」の開発に、とうとう成功した。焼却するのではない。特許特製のイレイザー(電動消しゴム)を使えば、まるで手品のように消えてしまうのである。9/26

その一帯は、パピルってた。ああ、東京快感のヘッドギア、走り抜け!シナノヘッズ殲滅す。アヘアヘだあ。デコちゃんヘッズは秀子の額。「11日までに一式揃えないとお客さんに悪いじゃないか。なんとかしろ!」と社長が怒鳴る。9/27

どういう訳かリーマンに戻って、昔の上司に仕えている。「業務が爆発的に順調なんやけど、にわかスタッフが33人も増えて大変だ。来週からNYに飛んでくれ」と頼まれたが、どうにもそんな気にならないので、トイレでお丸のいいやつを探して、その上に座り込んだ。9/28

私が乗った北朝鮮の列車が、無人の野で突然停まった。レールの向こうは河で、河の上は切り立った断崖絶壁。馬上の白髪白衣の翁が命じて、村人たちを次々に崖の上から突き落としている。今度は双子の番だ。2人の少年は、恐怖で眼を大きく見開き、ばるぶる震えながらしっかり抱き合っている。9/29

板橋区から出発した我々は、大草原の高みに立って、地層分析作業に従事していた。それにしても行方不明の板橋君はどうしているんだろう、と案じながら。9/30

 

 

 

巡礼

 

長田典子

 
 

観光バスは
ユーラシア大陸の果てまで旅を続けた

聖地ファティマ
小雨の濡れそぼるなかを
分け入っていくと
聖堂へと続く道の上を 列になって
跪きながら進んでいく巡礼のひとびとを目撃する
襤褸と化した膝あてを頼りに
祈りながら
進んでいくひとびと
太陽が狂ったように空をぐるぐる回った町で

拡声器から聞こえる罅割れた声のほうに
広場を歩いていくと
司祭が大勢のひとびとを前に説教をしていた
あれは神業だね、
舌を震わせるLの発音はどうしてもできない、
連れの男にのんびりと耳打ちをし
群衆から距離を置いて佇む
ぼんやり
音楽のように抑揚することばに耳を傾けていた

抑揚の音符は
空っぽの体内に降り注いでいった
ぼんやりと
ただ 降り注いでいった
だけだったのだが
ふいに
把握しきれない感情が湧きあがり
嗚咽してしまう
熱い涙が頬を伝わるのを抑えられなくなる
炎のように 狂おしい 涙
哀しさなのか いとおしさなのか 怒りなのか
身体の奥底から
今はもういない
たいせつなひとびとに
とつぜん
召喚された
狂おしく

召喚された

あれは
銀色のロザリオだった
黒く変色した桐の抽斗で眠り続けていたのは
幼い頃
生家の仏壇の横で
そっと手に取ったことがあった
もう
どこをさがしても見つからない

ユーラシア大陸の果てでは
蒸気した空気にかきまぜられて
混血する
広葉樹林のジャングル、
イスラム様式の建物、
アズレージョ、
野良犬たち、

ジャパン
河沿いの小さな村は
村ごと大移動した
ぐるぐると長い歴史を襤褸のように纏って
わたしたちは混血した
捧げた
河岸段丘の底
すり鉢状の土地を ダム湖のために
新しい歴史のために
昭和のキャピタリズムのために
跪いた
混血した

やがてそのダム湖にセシウムが容赦なく降り注ぐなんて
誰が予想しただろう

わたしたちは捧げた
跪いた
その、
キャピタリズムに

長い歴史を襤褸のように纏って
わたしたちの巡礼は
昏く
続く

深夜
ファティマから
バスを乗り継いでリスボンに到着する
雨に濡れた石畳の坂を
連れの男と並んで登って行く

 
 

※「連作・ふづくらシリーズ」より

 

 

 

また旅だより 07

 

尾仲浩二

 
 

引越しの直前に写真集を売りに横浜へ行って、ふた晩泊まった。
どうせしたたかに飲んで寝るだけだと、いわゆるドヤ街の三畳間。
小さなテレビと冷蔵庫がある、それと薄い蒲団。
床よりも壁が広いこの部屋が妙に落ち着く。
80年代のはじめ、初めて借りた新宿のアパートも三畳ひと間だった。
三日後の引越しには150の段ボール箱を連れて行く。

2019年3月 横浜寿町にて

 

 

 

 

未完成の言葉たち

 

村岡由梨

 
 

1.「旅」

いつかバラバラになってしまう私たち
今はまだ、そうなりたくなくて
必死に一つに束ね上げ
毎夏、家族で旅に出る。

去年の夏は秩父へ行った。
作品に使う画を撮るために、スマホを持って宿を出た。

雨だった。
赤紫色の、名前も知らない花から
ポタポタと雫が落ちていた。

その日、ねむは
中学校の門を飛び出して、
激しく雨に濡れて
死に物狂いで走って帰ってきた。
でも、家のドアの鍵は閉まっていたのだ。
“家の鍵は開いているんだ。”
そう信じて取手を引いた
ねむのぐちゃぐちゃの絶望を思い返すたび、
私は眠ることが出来なくなった。

はなは“早く大人になりたいな”という。
私が“ママは大人になりたくないな”と返すと、
“あはは、ママはもう大人じゃん!”
そう言って、はなは笑っていた。

大人になりたい子供と、
大人になりたくない大人たち。

誰もいない駅のホームで笑う3人の姿を
遠く離れて撮っている私がいた。

 
 

2.「夜」

私は、叫んだ。
“あの女の性器を引き裂いてぶち殺せ!”
引き裂いて、噛み砕いて、床に叩きつけて
お前も死ね 今すぐに
破綻した思考がギイギイと音を立てて
夜の暗さにめり込んでいく。
鱗粉 痙攣 東3病棟
お母さんの瞼が真っ赤に腫れ上がる。
私は真っ暗な部屋の鏡に映る自分の姿を凝視する。
私は悪だ。
私のからだは穢れている。
私のからだは穴だらけ。
繕いもしなければ買いもしない。
ゆりっぺが穿き古したパンツと一緒じゃん。
「幼な心」「憧憬」
このからだがもっと穴だらけになって
早く消滅してしまえばいいと思う。

 
 

3.「空」
—未完成—

 
 

4.「光」

家の裏に、鎖につながれた犬が三匹いた。
首輪をはずして
体を洗ってやって
心から詫びた。
新しい名前 新しい首輪
もう鎖は必要ない。
そのままで生きていて良いと許されたような気がした。
もうすぐ私は私の体とさよならする。
真の自由を手にするために

“ママのうそつき”“ママはずるい”
そう言って娘たちは怒るだろうか。
“親より先に逝くなんて”
そう言って母は泣くだろうか。

ある夜、6本指になる夢を見た。
自分の体の一部なのに、自分の思うようには動かせない、
もどかしい6本目の指。
思い切ってナタを振り下ろしたら、
切り裂くような悲鳴をあげて、鮮血が飛び散った。

真っ赤に染まった5本指は私。
切り落とされた6本目の指は誰?

そんな風に、痛みで私たちは繋がっている。