「今年」の終わりとは日々とは

 

ヒヨコブタ

 
 

毎日なにかが終わっていくのだとして
新たに始まることも始めることもおそれすぎることもないのだろう
ほんとうには

予測などつかないことばかりの日々がいつのまにか人生などと名づけられうまくいかなかったところをあげつらわれるように感じても
ふりかえればいっしゅんなだけにもみえて

考えていきるという分野が異なるだけのすれ違うひとびとが
温かさを持っていないと思えば生きていくことすらわたしには不可能だったろう
考えないという選択肢がある前提で

きらきら輝きがみえすぎるのは眩しくて
それだけのひとがいないと知っていても目を閉じてしまう
眩しさは素敵だと思うことへの反応のひとつなのか

いつ終わるかは知らずにいる
でもある日不意にそれを告げらたなら足掻くだろう
今までと同じように

同じことばを読んでも
同じ体験をしても
重なりあわぬことの方が多い日々に
驚きすぎず静かにそっと息をはけばいい

ことばですれ違うよりそっと
なつかしさを感じる温もりにも頼りながらいようか
温もりはいつでもなにかの奥底から取り出せるように
それだけは忘れぬように

さまざまな色があるように
さまざまな感情とすれ違いおのれのそれさえときに厄介だとしても
ことばのさきにある、もしくはなかにあるものはきっと温かだと信じて

 

 

 

キッチンのオバケ

 

辻 和人

 
 

出た、出た
微かに首を垂れて垂直にすっと
薄暗い中
丸い小さな3つの光源にぼおっと照らされて
出た
早朝
トイレに行こうと階段を降りると
キッチンに佇む影
ミヤミヤに似た背丈
目玉焼きの乗った丸い皿を左手で支え
右手にトースト
傍にミルクの入ったカップ
口をもぐもぐ動かしながら
細い首がゆっくり回る
髪がばさっと揺れた
目玉焼きの目玉に捕まるぞ
「あら、起きちゃったの? あたし、今日いつもより早く出勤するから。
時間ないんで食器の片づけと戸締りよろしくね」
おおっ、ぼくがいない時は立って済ませるんだ
ぼくがいるからテーブルを明るくして食べながら話したり笑ったりするんだ
いつものミヤミヤなんだ
でもっていない時は
3つの光源にぼおっと照らされた
キッチンのオバケになるんだ
垂直にすっと
出た、出た

 

 

 

東京のまん中にある空虚な場所

音楽の慰め 第31回

 

佐々木 眞

 
 

 

東京のまん中にある空虚な場所が、ようやく民草に返還されたので、長らく皇族だけの特権であった乾門の紅葉などをはじめて見物してから、御成門に廻り、そこからまっすぐ東京駅に向かいました。

駅の上の煉瓦色のホテルが、私ら夫婦の定宿です。
部屋の窓からは、むかしこのホテルの216号室に住んでいた江戸川乱歩のように、8つの干支のレリーフに飾られた天窓付きのドーム、そしてその下に広がる大きなホールを見下ろすことができます。

大勢の人々が旅立ち、あるいは、さんざめきながら、帰ってくる。
私は、彼らがいそいそと改札口を出入りしている姿を、眺めるのが好きなんです。
それ自体が、さながら一幅の絵、あるいは舞台で演じられる無言劇のようにおもわれるのです。

そういえば昔から、このホールではさまざまなコンサートやお芝居、ライヴやパフォーマンスが行われてきました。
今宵はそんなお話でもいたしましょうか。

コンサートの中で特に印象に残っているのは、dip in the pool(ディップ・イン・ザ・プール)という男女2人組の演奏です。
ボーカル担当は、若くて、すんなり痩せた背が高い女性でしたが、その声は繊細で、文字通り“水の中に溶け入るような”あえかな響きでした。

ところが、なんてこった!
彼女が歌っている最中に、心ない罵声が飛んだのです。「これでも音楽か!」というような。一瞬にして氷のように緊張が張りつめたホールに、静かな、けれども凛とした女性の声が響き渡りました。
「すべてのみなさんに、気にいってもらえないかもしれません。でも、これが、私たちの音楽なんです」

するとどうでしょう。
ホールには、たちまち彼女を励まそうとする声が飛び交い、少しは余裕を取り戻したのでしょうか、彼女はかすかに微笑んで、再びプールの中へ、まるでオフィーリアのように、ゆるゆると沈んでいったのでした。

さてそうなると、もっと過激なミュジシャンの、激しい怒りに触れた日のことも、思いださずにはいられません。

青森生まれのそのフォークソング歌手は、彼の得意のギターの弾き語りで「開く夢などあるじゃなし」という怨歌を、強い感情をこめて唄っていました。

しばらくして勤め帰りに一杯やったとおぼしきリーマンたちが、あざけるような笑いを洩らした瞬間、彼は歌うのをやめ、彼らを睨みつけると、青森訛りの押し殺したような低い声を、濡れた雑巾のようにぶつけました。

「俺の歌が気に入らないのは、構わない。しかし俺は、君たちに尋ねたい。君たちに、君たち自身の歌はあるのか?」

たちまちにして凍りついた会場の、一触即発の異様な雰囲気に耐えきれず、リーマンたちはこそこそと退散してしまいましたが、半世紀以上も前に放たれた、「君たちに君たち自身の歌はあるのか?」という彼の問いかけは、その後も不意に蘇って私の胸を刺すのです。

でもその反対に、いま思い出しても胸の中が明るくなるような、楽しいコンサートもありました。アメリカからやってきたNYフィルが、陽光眩しい夏の昼下がりに行った演奏会です。

7月4日はアメリカの独立記念日で、全米各地でパレードやお店のセールやお祭り騒ぎが開催されるのですが、たまたまちょうどその日に演奏旅行をしていたアメリカ・ナンバーワンのオーケストラが、このホールに立ち寄ったというわけです。

本当は人気者のバーンスタイン氏が来日する予定だったのですが、突然キャンセルとなり、ピンチヒッターに立ったエーリッヒ・ラインスドルフという年寄りの、しかし溌剌とした指揮者が、私たち聴衆に向って語りかけました。

「ご来場の紳士淑女の皆さま、本日は私たちの国の独立記念日です。そこで演奏会のはじめに、まずこの曲をお聴きください」
いうやいなや、楽員の方を振り向いて指揮棒を一閃。ホールに洪水のように流れてきた音楽は、スーザの「星条旗よ永遠なれ」でした。

その日のプログラムも、その演奏もすっかり忘れてしまった私ですが、ラインスドルフの颯爽たる指揮ぶり、そしてスーザのマーチの、あの前へ前へと進みゆく重戦車のような咆哮は、いまだに耳の底に残っており、「ああ、これがアメリカの能天気なんだ」と妙に納得させられたことでした。

やはり所もおなじ大広間に、昔懐かしいヒンデンブルグ号が、超低空飛行で飛び込んできた日のことも、忘れられません。

誰彼時ゆえ、上手なかじ取りが、舵を繰りそこなったのでしょうか?
海の外から何カ月もかけて東京にやってきた巨大な飛行船が、何を血迷ったのか、このホールに迷い込んできたのです。

慌てふためいたヒンデンブルグ号は、なんとか出口を探そうと前後左右に身もだえするのですが、そのたびに膨らんだ船体のどこかが壁にぶつかって大きな衝撃を受け、いまにも墜落しそうになります。

やがてようやく体制を立て直した飛行船は、まるでシロナガスクジラが、閉じ込められた内海から逃れるように、よたよたとホールの外へよろめき出ましたが、おそらく船長さんは、自分たちのことをクジラではなく、井伏鱒二の小説に出てくるサンショウウオになってしまうのではないか、と思ったに違いありません。

さて今夜は、いま話題のはあちゅうさんが、AV俳優のご主人に抱かれるかも知れない!という興味津々のライヴがあるようですが、いかがいたしましょうか?
乱歩のように、カーテンの陰から覗くべきか、はた覗かざるべきか、悩ましい選択に迫られそうです。

 

 

 

ろくでなしの墓 亡くなったカミュへ

 

神坏弥生

 
 

明け方俺は、奴を殺し、早朝、ほの暗い街を飛び出しいた
家へ帰ると、妹が自殺していた
ただ混乱した頭をどうしようもなく
喪失してしまったものを探しながら
列車が来るのを待って衝動的に切符を買い列車に乗った
駅前のカフェしか店もそれ以外は無い
黄土色の堅い大地が広がり時折一陣の風が吹いて
黄色い砂埃をあげる駅で降車した
カフェの扉は開いたまま、JAZZなどが静かに流れている
だが怒りは尚、俺の内側から噴煙し噴き上げる
俺の中に居た大切な者の為に怒り狂い固い大地を歩いた
俺を残して死んだ妹を、俺を独りにしたことを憎んだ
俺に「愛している。」などと嘘をついた者を憎んだ
愛していないのに下手な甘い言葉で「捧げる。」などと言ったことを
憎悪した
荒地の中で全ての存在を光々と照り付けて
証明づける太陽を憎んだ
おれを独りにしたことを怒りと憎しみのまま、
太陽に向けて大声で叫んだ、
「殺してやる!」と
朝日の来ない暗がりの中で独りつぶやいて、書き留めておきたかった
俺を、孤独にし独りぼっちにした存在していた全てを憎んでいた
ただただ、砂だらけになって泡を吹きたくても吹けない口と髪や衣類の中も
砂だらけになって
飢えと渇きにより彼は倒れた
彼は、野たれ死んだ
ろくでなしの一生とともに
一生を終えるに、それほど時間はかからなかった
ただ愛するものの喪失を憎めばよかった
「愛している。」が狂気に変る瞬間に
彼は憎いと怒り、死ねない自分をあがいた
彼は憎しみの裡に絶望し
息絶えて
黒く干からびていった
彼の骨を拾うものはなく
墓を立てた者はいない
黒く焼けた骨だけが一陣の砂風にさらされている

 

 

 

善の研究

 

佐々木 眞

 
 

その1 「リューとピンとポンとパン」

 

おじいさんは朝から山へ薪を取りに、おばあさんは川で洗濯しておりました。
お昼に家に帰ったふたりは、軒先に置いてあった水盤の中の金魚が1人もいないことに気付いて、薪も洗濯物もその場に抛り投げて、おいおいと泣きだしました。

子供のいない2人は、4人の金魚にそれぞれ名前をつけて、とても可愛がっていたのです。小さな金魚ですが、その中でも一番大きい先輩格のリューは、ピンとポンとパンの小さな3人が入ってきたときには、面白半分に追い回していじめたりしていたのですが、しばらくすると、とても仲良しになりました。

おばあさんが4人の名を呼びながら、水盤のふちをコツコツ叩くと、4人は一斉に水面に飛び出して、餌をせがんだものでした。
リューとピンとポンとパンは、いつも一緒に餌を食べ、夜は一緒に眠り、それはそれは仲良く暮らしていたのです。

それなのに今日、おじいさんとおばあさんが、腰を曲げて、水盤をなんべん覗いても、リューも、ピンも、ポンも、パンもいないのです。
きっとこのへんを夜な夜なうろついているアライグマに、パクリと食べられてしまったに違いありません。

ああ、なんて可哀想なことをしてしまったことよ!
水盤を外に出さず、家の中に縁側に置いておけば、こんなことにはならなかったのに!

そう思うといっそう可哀想で、可哀想で、最愛の4人を喪った悲しみは、歳月が流れ流れてもいつまでも続くようでした。

 
 

その2 「ひとかけらの純なもの」

 

樹木希林が、とうとう本当に死んでしまった。
全身ガンに冒されながら、この人はいつまでも死なないのではないか、と思いはじめていたが、やっぱり不死身ではなかったのだ。

それにしても、と私は思う。
樹木希林と内田裕也の関係は、どんなものだったのだろう?
どうして「あんな」男と、最後の最後まで付き合っていたんだろう?

「どうしてあんな人と、まだ付き合っているの?」
と訝しむ娘也哉子に、樹木希林は、
「だってお父さんには、ひとかけらの純なものがあるのよ」と言って、黙らせたそうだ。

確かに金も、仕事も、ヒット曲もないのに、Love&Peaceを振りかざし、
ロックンロールがビジネスになってしまった時代を憂う、寂しいお父さんの内田裕也には、ひとかけらの純なものがあった。

ロックのためにはエンヤコーラ!
ロックのためにはエンヤコーラ!
ロックのためにはエンヤコーラ!

とつぜん東京都知事選挙に立候補して、プレスリーの「今夜はひとりぼっちかい?」を歌う内田裕也の姿には、ひとかけらどころか、ふたかけら、みかけら以上の、純なるものが輝いていた。

けれども悲しいことに、「ロックの時代」はいつの間にか終わってしまった。
ロックの車輪がロクに回らなくなって、路肩に乗り上げてグルグル空回りしている。
それでも内田裕也は、あなたのために「今夜はひとりぼっちかい?」を歌うだろう。

ヘップ! ヘップ! ヘップ!
ヘップ! ヘップ! ヘップ!
ヘップ! ヘップ! ヘップ!

この国の恐らく最後のモヒカン・ロケンローラー、内田裕也に万歳三唱!!!
君の至純のロック魂を、天上の樹木希林は、いつまでも温かく見守っていることだろう。
Love&Peace! いつまでも!

 
 

その3 「ロタ島のにわか雨」

 

毎日まいにち、暑い日が続いていました。
そんなある日のこと、久しぶりに大学生の次男が帰宅したので、家族4人で小さな食卓を囲みました。

すると、生まれた時から脳に障がいのある長男のコウ君が、
「コウちゃん、いい子? コウちゃん、いい子?」と、何回も私たちに訊ねます。
この問いかけに「ウンウン」と肯定してやると、彼は深く安心するのです。

はじめのうちは「コウちゃん、いい子だよ」と、いちいち答えていた私たちでしたが、
こんな幼稚な問答を切り上げ、はやく食事に取り掛かろうとして、私はほんの軽い気持ちで、「コウちゃん、悪い子だよ」と言ってしまったのです。

「えっ!」と驚いた長男の反応が面白かったので、次男もふざけて「コウちゃん、悪い子だよ」と言いました。
そして妻までもが、「コウちゃん、悪い子」と、笑いながら言ってしまったのです。

長男は、しばらく3人の顔を代わる代わる見つめていましたが、
やがてこれまで見たこともないような真剣な顔つきで、
「コウちゃん、悪い子?」と、おずおず尋ねました。

調子に乗った私たちが、声を揃えて「コウちゃん、悪い子!」と答えたその時でした。
突然彼の両頬から、大粒の涙が、まるでロタ島のにわか雨のように、テーブルクロスの上におびただしく流れ落ちました。

それは、真夏の正午でした。
その時、セミはみな死んでしまった。
私たちは息をのんで、滴り落ちるその涙を見つめていました。

それは、生まれて初めて見た、コウちゃんの涙でした。
そうして私たちは、無知で無神経で傲慢な大人が、ひとつの柔らかな魂を深く傷つけてしまったことを、長く長く後悔したことでした。

 

 

 

生まれたての背骨よ

 

原田淳子

 
 

 

まえぶれもなく
あたらしい月は廻り
はつゆめもみないまま
眼に星は宿る

あかつきは白と黒を燃やし
水は蘇る

月の羽根はないか
破れた靴に泣いてはないか

にぎやかな岬のふりをする
寂しすぎる谷
いつでも新しい湖のこだま

疾走する船に乱れ髪
唇噛んで

河の果てはないか
凍れる指に泣いてはないか

生まれたての背骨よ
砕けた星に誓え

 

 

 

お祭り

 

長田典子

 
 

ててんつく ててんつく どんどんどん

わっしょい わっしょい
いつもいっしょの男の子たちが
遠くで神輿をかつぐ
わっしょい わっしょい
まるく発光する庭に反射する
みしらぬ人の
わっしょい わっしょい

とつぜん知った
せかいのそとがわ
薄暗い座敷で
わんわん泣いて じだんだふんだ
さけびながら じだんだふんだ
あたしもお神輿かつぎたかった
泣きながら でんぐりがえり
でんぐりがえり

ててんつく ててんつく どんどんどん

猫がねずみを咥えて
庭に座る
まるいライトのまんなかに
まだ震えてるねずみを置いたから
ひきだしの箱にしまったよ

ててんつく ててんつく どんどん
ぴーひゃらひゃら
どん

裸電球 麦わらの匂い
秋祭りの夜
はちまんさまのお座敷は
うすぼんやりの幻燈だ
男衆の和太鼓どんどこどんどこ
お稲荷さん食べて おだんご食べて
あたしはでんぐりがえる でんぐりがえる
月はぴかぴか光っていたよ
ススキは穂を銀色にゆらしたよ

わっしょい わっしょい
でんぐりがえる

そらいちめんの星きらきらきらら
山羊が草の葉裏に赤い実みつけて口に入れる
朝になったら
あたしはひろうよ ひみつの黒曜石

ててんつく ててんつく
どん どん どん
わっしょい わっしょい
でんぐりがえる

お祭りだ
猫もねずみも山羊もでんぐりがえれ
スポットライトのまんなかで
お稲荷さん食べて おだんご食べて
月も星もススキもでんぐりがえれ
お祭りだ
黒曜石のお祭りだ

わっしょい わっしょい
どん どん どん

 

※連作「不津倉(ふづくら)シリーズ」より

 

 

 

また旅だより 04

 

尾仲浩二

 
 

用事はなくなったけれども飛行機のチケットは変えられないのでパリからドイツへ行った。
なんの仕事もなければ約束もない十日間。
適当に電車に乗って終点まで行ってみたり、街中のビアホールで昼から飲んだり、近所の池にガチョウにも会いに行った。
クリスマスマーケットではホットワインを何杯も飲んだ。
ドイツの教会の人たちは、あまりに早い時期からマーケットを開けるのはクリスマスを商売に使っていて、けしからんと怒っているそうだ。日本のクリスマスを教えてあげたい。
新宿では三の酉で飲んでいると友達がつぶやいていた。

2018年11月24日 ドイツ フライブルクにて