また旅だより 56

 

尾仲浩二

 
 

本当はいま頃は中国にいるはずだった。
なのにビザの受け取り予約が間に合わず延期になってしまった。
先月観光ビザが解禁になって沢山の人が申し込んだのだ。
なので今回の写真は先月に行ったハノイ。
旧市街の市場に面した小さな部屋を借りて1週間ほど暮らした。
仕事も用事もなかったので、毎日街をウロウロして夜にはビールを飲んでいた。
ベトナムビールは安くて軽いからいくらでも飲める。
街には相変わらずバイクがたくさん走り回っていて騒々しかった。
排気ガスは昔みたいに臭くはなくなっていたけれど
それでもバイクの人だけはマスクをしていた。

2023年3月14日 ベトナム ハノイにて

 

 

 

 

泥ホテル

 

佐々木 眞

 
 

冷蔵庫が 壊れてもうたさか
テレビも 壊れた

  ―言 言 言
   言葉が多いぞ シェクスピア

ジパングが 壊れてもうたさか
おらっちも 壊れた

  ―音 音 音
   音符が多いぞ モーツァルト

ようやく ここまで やってきたけど
おらっち すっかり くたびれちまった

  ―きのう 仏の座とハナニラで覆われていた 原っぱが
   今朝は 泥ホテルに 変わっとる
 
泥ホテル
泥 泥 泥の 泥ホテル

朝飯抜きの 木賃ホテルで
怪盗ルパン のように 眠ろう

泥ホテル
泥 泥 泥の 泥ホテル

泥ホテルで 朝まで 眠ろう
泥泥ホテルで 死ぬまで 眠ろう

 

 

 

四月

 

Sanmu CHEN / 陳式森

 
 

四月用翅膀的灰霧塗抹群山、海岸、我們的眼睛。

四月,古老的蜂群在荔枝樹間
鼓噪,釀造出引擎,
我們重新誦讀遺言。

四月的鞋底拍打着小人
⋯⋯疼痛
永生的碎片。

四月,被迫供的花蕾凋零
季節的臨終,而流血不凝
脈動著……

四月,呼喚我們重返戰陣!
可我們已經不再是戰士,
失去了勇氣。

四月,河流在海中漂流,
沿着星星的軌道,
四月暗青的頭顱。

四月,暴雨洗刷了滴血的聲音
我的骨頭竟如此平靜,而春筍勃起
我將是四月的污點證人。

 
二零二三年四月初 西貢

 
    .
 

四月用翅膀的灰霧塗抹群山、海岸、我們的眼睛。
 四月は翼をひろげた灰色の霧でもって、山々や海岸や我々の眼を塗りこめる。
四月,古老的蜂群在荔枝樹間
 四月、年経た蜂の群れはライチの木々の合い間に
鼓噪,釀造出引擎,
 騒がしげに、エンジンを醸しだして、
我們重新誦讀遺言。
 我々はあらためて遺言を朗誦する。
四月的鞋底拍打着小人
 四月の履き物の裏で憎い奴を叩き打ち*
⋯⋯疼痛
 ……その痛みは
永生的碎片。
 とわの命のかけら。
四月,被迫供的花蕾凋零
 四月、自白を強いられたつぼみはしおれ落ちて
季節的臨終,而流血不凝
 季節が終わりを迎えても、流れる血は固まらず
脈動著……
 脈を打ち続けている……
四月,呼喚我們重返戰陣!
 四月は、我々に呼びかける、いま一度戦さの場に戻るのだ!と
可我們已經不再是戰士,
 でも我々はもう戦士となることはないのだし、
失去了勇氣。
 勇気も消え失せた。
四月,河流在海中漂流,
 四月、川の流れは海を漂い流れ、
沿着星星的軌道,
 星の軌道に沿っていく、
四月暗青的頭顱。
 四月の青黒い頭。
四月,暴雨洗刷了滴血的聲音
 四月、激しい雨が滴る血を洗い流した音
我的骨頭竟如此平靜,而春筍勃起
 私の骨はあげくこうも穏やかなのに、春の筍は猛り立ち
我將是四月的污點證人。
 私は四月の法廷の後ろ暗い証人となるのだ。

 
二零二三年四月初 西貢
 二〇二三年四月初旬 サイクンにて

 

* 憎い奴を叩き打ち 「打小人」は、三月初めの驚(啓)蟄の後、四月にかけて、香港では銅鑼湾近辺の橋の下などで行われる呪術的な習俗。「拝神婆」と呼ばれる女たちが、顧客の憎い相手の名前を人型に書き込んだ紙を履き物で叩いて、災いを福に変えるという。

 
 

日本語訳:ぐるーぷ・とりつ

 
 

 

 

 

晩年様式

 

工藤冬里

 
 

前愛媛1区塩崎って新宿高校だったんか
覚えておこう
下からと上からが絡み合っての権力だから逃走線を引くのが厄介なんだ
声優やアニソンの世界は縁遠いものと思っていたが、一龍斎春水「講談金子みすゞ伝」の、悪の声色、善の声色を一身に引き受けて目先の発音の享楽に身を任せる処世からポストポストモダンを発送すると判るのは例えばこういう表層の堅さが何故不安を煽っていたのかということ
dj大江はこれらを処理する家電を模索していた?
https://youtu.be/ikyrzKBooYU
世界はメイヤスーヨーグルトだ
則ち攻殻としての容器と味蕾の記憶である
晩年や自決代わりの様式美

箪笥色のセーターを着て
大きな箪笥の前に坐っている
箪笥はニスで光っている
画面の中では手首や顔だけが薄い

青を羽織って
硝子戸の前に坐っている
巨木の園でブレイクの復楽を見ている
ひとりひとりにそのための水

声が出なくなって
水は
根は
ぽきぽき
秘書は去り
饅頭屋は潰れた
アウトドアグッズは小さなパンチの渦を巻き
変化のない洗濯機のように絶望している
鍵がない

 

 

 

#poetry #rock musician

自由だと思い込んでおり

 

駿河昌樹

 
 

 
ここはなんと悲劇的な領域なんだろう
と少年は思った

下のこの領域にいる人々は囚人で
究極の悲劇は当人たちがそれを知らないということだ

自由になったことがないからこそ
自分たちが自由だと思い込んでおり
自由がどういう意味だか
理解していない

これは監獄なのに
それを推測できた人はほとんどいない

でもぼくは知っている

少年はつぶやいた

だってそのためにこそ
ぼくは
ここに来たのだから

壁を打ち破り
金属の門を引き倒し
それぞれの鎖を
引きちぎるために

脱穀をしている牛に
くつわをかけてはいけない

少年はトーラを思い出した

自由な生き物を収監しないこと
それを縛ってはいけない
きみたちの神たる主が
そう言っている
ぼくがそう言っている

人々は
自分がだれに仕えているか
知らない

これが
みんなの不幸の核心にある

まちがった奉仕
まちがったものに対する奉仕

まるで金属で毒されているかのように毒されているんだ

少年は思った

金属が人々を閉じ込め
そして
金属が血液にある

これは
金属の世界だ

歯車に駆動され
その機械は動き続けながら
苦悶と死を
まき散らし続ける……

みんな
あまりに死に慣れすぎて
まるで
死もまた自然だ
とでも
いうかのようだ

少年は気がついた

人々が園を知ってから
なんとも
長い時間が経ったものだ

園は
休む動物や花の場所

人々に
あの場所を再び見つけてあげられるのは
いつになるだろう? *

 
 

 
の記述の内容は
フィリップ・K・ディック『聖なる侵入』よりの
引用

それを
分かち書きにし
いくらか
自由詩形式に近づけた

ディックが後期に書いたものは
21世紀から22世紀の黙示録と目されるのに
ふさわしいことが
昨今ははっきりしてきている

 
 


 

あらずもがな
だが
引用行為をし
さらに
改変行為も加えたので
『引用の織物』の
宮川淳を
思い出しておきたくなった

「人間が意味を生産するのは無からではない。それはまさしくブリコラージュ、すでに本来の意味あるいは機能を与えられているものの引用からつねに余分の意味をつくり出すプラクシスなのだ。」
(宮川淳「引用について」)

 

 

* フィリップ・K・ディック『聖なる侵入』(山形浩生訳、ハヤカワ文庫、2015)の訳に多少変更を加えてある。

** 宮川淳 『引用の織物』(筑摩書房、1975)