たいい りょう
明日は 来るのか
今日は いなくなったか
昨日は まだいるか
記憶は はるか地中の彼方に
埋もれた
深く深く
どこまでもどこまでも遠く
記憶は私を未来へと
連れ去った
真っ白なキャンバスは
無限の色彩がうごめいている
何も覚えてはいない
すべて身体に刻まれている
その刻印は 明日に向かって
地平線を滑り出した
明日は 来たのか
昨日は 来るのか
明日は 来るのか
今日は いなくなったか
昨日は まだいるか
記憶は はるか地中の彼方に
埋もれた
深く深く
どこまでもどこまでも遠く
記憶は私を未来へと
連れ去った
真っ白なキャンバスは
無限の色彩がうごめいている
何も覚えてはいない
すべて身体に刻まれている
その刻印は 明日に向かって
地平線を滑り出した
明日は 来たのか
昨日は 来るのか
先日通りがかった上原小学校の前で
2匹のカエルが死んでいるのを見た。
2匹とも、車に轢かれたのだろう。
ぺしゃんこで、黒く干からびていて、
ベージュ色の手先足先の斑点と水かきだけは、
かろうじて確認することが出来た。
2匹は仰向けで、片手を繫いで
ダンスをしているみたいだった。
2匹はつがいだろうか。
春が来て、やっと地上に這い出て、
これからどこへ向かうつもりだったんだろう。
誰も気に留めない死。
一緒にいた野々歩さんと私は、どちらともなく
「こういう風に死ねたらいいね」
「死ぬ時は手を繋ごう」と悲しい約束をした。
明日こそは、私たち
ちゃんと生きようと誓い合って目を瞑るのに
後から後から涙が流れ落ちて、
眠れずに顔が粉々に壊れてしまう。
毎日を無為に生き、着々と死にゆく私たち。
それから暫くして、また上原小の前を通った。
2体あったカエルの亡骸の内、1匹がきれいに無くなっていた。
きっとカラスか何かに食べられてしまったのだろう。
それを見て「もう1匹の残った方の亡骸を口に入れて噛んだら、
どんな味がするだろう」と思ってツバが出た。
ツバが出た。
私たちは生きている。
死ぬ瞬間まで、生きている。
残った方のカエルは、ひとりでダンスしているみたいだった。
ただの気持ちの悪いカエルの亡骸なくせに、
誰にも気付かれず、意味もなく朽ちていくことに抵抗していた。
死ぬ瞬間まで生きていたんだと、全身で叫んでいた。
おいおい
泣いて
樽が軋む
おいおいおいおい
秋霜の鏡
そうなのだけれど
おい、おーい!
とおい、とぉーい人
おいおいと追いかけ
おいつかない
ヨシキリはどう鳴くの
黄色い帽子が浮き沈む
おいおい
疲れて
坂上で見上げた雲
おいおい探す
「優しくなりたい、強くなりたい」
って歌聞いた
えぃえぃ
うえてねじ食う
「ネジしかないからしょうがないでしょ」
でも、歯は欠け
ういうい、なんでもあり
おい、いいかげんにしろよ
「おいはやめて」
えいが飛んでいる
あいはない
うえうえ
おいおい
おえおえ
あいうえおい
あいは
おいは
こないだおらっちが、セイユーで買ってきた大好物のドラ焼きを食べようと、冷蔵庫を開いたら、影も形も無かった。
きっと、コウ君に、食べられてしまったんだろう。
ドラ焼きは、木村屋總本店の特製で、「蜂蜜入りのしっとり生地」が特徴だ。
税抜き価格68円と安価で、「つぶあん」と「さつまいもあん」の2種類があるが、おらっちは、どちらかといえば、シンプルな前者を好む。
しばらくして、冷蔵庫を開けた妻のミエコさんが、「きゃああ、私が大事に取っておいたチョコレートがない!」と叫んでいる。
これもきっと、コウ君に、食べられてしまったんだろう。
コウ君ときたら、まるで欠食児童、みたいだ。
施設のご飯の分量が少ないうえに、食後におやつもデザートも出ないから、金曜日の午後に帰宅したコウ君は、“100年前から飢え続けの狼”のように、なんでもかんでも、がつがつ食い荒すんだ。
いいよ、コウ君。なんでも食べな。
お前さんの好きなものを、いくらでも食べな。
まもなく私たちが居なくなって、ホームが家の代わりになったら、ドラ焼きも、チョコレートも、あんパンも、アイスクリームも、自分勝手に食べるわけにはいかなくなるだろう。
だから、いまのうちに食べておきな。
ドラ焼きも、チョコレートも、あんパンも、アイスクリームも、
なんでも、かんでも、君が好きなだけ、食べていいよ。
いまのうちに、どんどん、じゃんじゃん、一生分を食べておくんだよ。
ぐにゃり
柔らかい
重さ
誕生から一夜明けて
「お父さん、じゃあ抱っこしてみて下さいね」って
手渡された
ぐにゃ、おっとっと
「あ、さっき言いましたけど
赤ちゃん、まだ首がすわってないんです。
頭が大きい割に首は細くてしっかりしてないので
首と頭を押さえないと神経痛めちゃうんですよ。
抱っこする時いつもいつも首のこと第一に考えて下さい」
保育ベッドから取り出されたこかずとん
真っ白なおくるみの中で目を閉じたまま
ぐにゃりとしてる
その中でも一番ぐにゃるトコ
ここ大事
大事なトコ左手でがっしり押さえ直して
「よーしよし、いい子だな」小声で呼びかけると
赤い身をちょいとひねったこかずとん
ぐにゃ、ぐにゃり
細い首が微かに傾いで
返事してくれる
柔らかさと重さが溶けあった
こかずとんの返事だ
重さが柔らかい
細くて大事
いつも大事
桜が咲き誇る日を遠い目で眺めていたときはすぎ
沿道のツツジは満開に。
春から夏へと移りゆく時季を待ち望んでいたのは
少しでもよい兆しを待っていたからだろう。
かなしみに押しつぶされそうなニュースが続くのはなぜだろう。
あまりに、あまりに。
時間の経過とともに癒されるということをわたしじしん信じて生きてきた。
生きていられるうちには喜びが感じられることを信じ続けてきた。
少しの喜びでいいのだ。大きなものを望むとき、人は尊大になりすぎる。
歴史というのは何かと考える。
人のあり方について考える。
今なお戦禍にある人たちに尊大になってはならないと戒める。
それでもことばや気持ちにこころがずきずきする。
過去を知ることは未来に必ず繋がるのだろう。
その過去への認識を誤ってはならないと更に戒める。
知らないふりをして生きてはならない。
外国から見たこの国のありよう、犯した罪、
それらは事実として学び続けなければ
また一歩ずつ認識がずれていくのだろうと
それがかなしい。
受けとめ、思考すること。
いったん手放して現実のなかにいることを確認すること。
同時並行でできることは確実にあるのだと。
嘘を並べればそれらは必ず明らかになる。
ズルをすればじぶんまではだませない。
そんな生き方しかできないけれど
今日も少しの勇気を持って一歩踏み出す。
かなしみや怒りにとらわれすぎぬように。
他者やじぶんを責め過ぎぬように。
あまりに過酷だ。生きるというのはときに。
それでも喜ぶことが互いにあると信じれば
明日は必ずあるのだと今日も踏み出す。