法廷

 

工藤冬里

 
 

判決前から有罪と決まっている生を
法廷に運ぶ
何でこんなことのために生きてきたのだろう
ハグをはぐらかして今生の別れ
デモからの古典的なしょっぴかれ方ではなく
仕組まれ押し入られ拘束されるという劇が刷り込まれるが
未来がないとしたらその時にはもう死んでいるのだ
時間を消すことで生きようとしている右翼らは
自分がすでに存在していないことにさえ気付かないまま
時間ではなく出来事に組み込まれていく
古典的時間に生きる左翼らは
時間がすでに存在していないことにさえ気づかぬまま
出来事にではなく存在しない未来へと立ち消えてゆく
法廷は存在しない
法廷とはすでに結審した何かだからだ
そして尚且つ生きねばならぬというテーゼだけが
体に与えられているのだ
逃げ道としての死が封じられ
犬猫を放っておけない類の情の時代となるだろう
身体は餌代で破綻したゴミ屋敷となるだろう
海よ法廷を飲み込めと彼らは叫ぶだろう
川よトラウマを流せと彼らは叫ぶだろう
山よ地下基地を覆えと彼らは叫ぶだろう
そして死刑が宣告されるのだ

 

 

 

#poetry #rock musician

雑貨店

 

みわ はるか

 
 

小さな田舎町の雑貨店が静かに終わりを迎えた。
肌つやのいいおばさんが切り盛りしていた雑貨店。
文房具、生活用品、園芸用品、ちょっとした洋服、靴。
けっしてお洒落ではないけれど必需品はなんでもそろった。
自動ドアは常に開けっ放しになっていたけれど、中に入るとふわりといい香りがした

その町のメインストリートと言っては仰々しいのだが、必要最低限のものは確かにそこにはあった。
八百屋、郵便局、支所、農協、車屋、診療所、図書館、そして雑貨店。
みんなのんびり生きていた、ニコニコと優しかった。
道は細く車がすれちがうのがやっとなようなところ。
コンクリートはきちんと舗装されていなくてゴツゴツ。
自販機は錆びれていたし(中の飲料は大丈夫)、赤いはずのポストは色が剥げていた。
支所の職員(小学生時代の同級生のお父さん)は暇だったのかよく外で日向ぼっこしてたような。
透きとおった青い空の中をふわふわした雲がゆっくりと泳いでいた。
そんな町が小さい頃は当たり前にあったし、ずっと続くんだと疑いもしなかった。

「練り消し」という消しゴムが小学生の時ものすごく流行った。
もともとがやわらかい素材でできていて、もちろん鉛筆で書いた所なら消すことができる。
その消しカスを集めて丸めてもう一度使うのだ。
消した後のカスだから黒くて汚かったけれど、それがなぜかものすごく人気だったのだ。
もちろんわたしもお小遣いをもらってその雑貨屋に買いに行った。
オレンジ、グレープ、レモン………。
色んな香りがあってわくわくしながら選んだ。
しばらくは使わずに鼻をぎりぎりまで近づけて香りを楽しんでいた。
食べてしまいたいようなその練り消しは、消し具合はものすごく悪かったのだけども。

中学生に進級するにあたり制服の採寸をしてもらった。
自宅が2階にあるせいか、おばさんはいつもエプロンをしていた。
三日月のような目をした笑顔が素敵な小柄なおばさん。
「まあ、背が高くてすらっとして羨ましいわぁ」
そんな単純なお世辞のような言葉にわたしは浮かれていた。
初めて袖をとおした2本線の入った黒いセーラー服を着た自分は大人びて見えた。
全身鏡を持ってきてもらって上から下まで見るとなんだか恥ずかしかった。
手際よく必要なものを採寸してもらいあとは納品を待つだけとなった。
レジの金額を見たとき結構高いんだなぁと驚いた。
大切に着よう。
帰り際、あの練り消しが陳列されていた棚はロケット消しゴムとやらに変わっているのを発見した。
ロケット鉛筆の消しゴムバージョンらしく、一番上の部分がなくなったら下から押して次の消しゴムを使うらしい。
いくら探してもあの「練り消し」はどうしても見つけられなかった。
その1週間後、わたしはこの町の小学校を卒業した。
中学校は隣町だったためバス通学になった。
あの雑貨店にはそれ以来行くことはなくなった。
おばさんと会うこともなかった。

嬉しいことにそのおばさんは今でもとても元気にあの場所に住み続けていると聞いている。
雑貨店はなくなってしまったけれど、あの瞬間あの場所に存在していたという事実は変わらない。
それはわたしや友人の記憶の中にも刻まれているはずだ。
そしてこれからも忘れることはない。

 

 

 

今宵

 

薦田愛

 
 

来よ
今宵、
来よ
という
つよい声に
うながされ
鍵をあける
出かける
ひねもす
あしおともなく
おとないつづけていた
あめは
あがって
よるのしきつめられた
灯しひとつない道の
おうとつがこころなし
ゆるんで
いる
うるむくらがりへ
あおのく
ひたいにしたたる
一滴が
まぶたへはしる
ここ、から
来よ
という
声の
在り処へ
うすく
はがした
むきたての
はるの野辺の
やまぎわ
(ささめく)
かわべり
(ゆらめく)
よるの胎のうちがわ
湿るつちのにおいに
つつまれて
ゆく

 

 

 

Groundhog’s Day

 

工藤冬里

 
 

真っ昼間のビルの間(ルビは”ま”)にハープが置かれ
耐えかねて鳴り出すケシの未熟果の傷
みんな難民ギャー
カニグローバリズムギャー
ロ被虐ギャグ数珠メッセンジャーズ
フーチーグーチーとスーチンプーチン
チャイ南端のチャイナちゃいまんねん
ヤンミャーとマンミャー 南京錠で軟禁玉簾
民主主義の進展が愛国主義を生み出し独裁となる歴史は各国で実証済みであるが今回のこれは三寒四温下の春の分断である
立春分断党万歳
春に春に追われし花も散る
私たちは春から憎まれ分断されるべきである

 

 

 

#poetry #rock musician

カメラ

 

塔島ひろみ

 
 

カラスが羽を広げ飛行するその影が まだ見たことのない空と太陽の存在を教えてくれる

くらしをまもるために防犯カメラがまわっている
幸せをこわさないために防犯カメラがまわっている
悲しみをつくらないために防犯カメラがまわっている

高台にある静かな町で 私はS宅角から北へ延びる一本の道を見つめる
100度の広角で電柱に据り、動かない景色の中で私がまわる
犬の散歩、ウォーキング、
朝夕は連れだって中学生も通っていく
最近はみなマスクをして
24時間私が守る安全な道に現われ、小さくまたは大きくなり、ふっつりと、私の知らない世界に消え
次に少し違う様子で現われる人、
まったく違う様子で現われる人、
どこかしらきっと前のときと違っていて、
そのまま 永遠に消えてしまう人も時折いた

見慣れない地方ナンバーの車が停まり 大きな工具を抱えた男が下りた
道を見て 印をつけている そして
ズドドドドドド スイッチが入り激しい音とともに
電動ドリルが舗装をえぐる その下から 血がほとばしる
アスファルトがめくれ 肉塊がのぞく
黒々と光る肉にドリルの先端が突きたてられ
肉は叫びながら小さく砕かれ飛び散った
私はマスクをはずして呼吸をする
青空が見えた
穴の中に 天国の場所を見つけた気がした

車が去り
穿たれた道は平らにならされ あとかたもない
轟音は近隣の一人も呼び出さず
平和な風景に変わりはないが

道のへりに飛び散ったままの肉塊のひとつから 雑草が生えた
私のいない 私が映さないもう一つの世界では
くらしがこわれ、幸せがつぶれ、悲しみがこうして 草花を咲かせる

わたしは 何を守っているのだろう

Sが死んだ
不審な点があったらしく 私の記録が再生された
カメラには なにもうつっていなかったという

S宅は界隈でもっとも古い傾いた家で
まもなく解体工事が始まった
養生シートの隙間から コロンと一片のつちくれが道に転がる
つちくれからはじきに芽が出
春には花が咲くだろう

その小さな脆い固まりを 私は守りたい

 

( 1月某日、目黒区八雲で )

 

 

 

vingt-cinq ans, Sion

 

工藤冬里

 
 

自虐的で愛のない悪霊が纏っている正しさのマントの その綻びからさびしく糸を抜いているような寒さ

合衆国の#トレンドに日本のアニメが昇り 強いられていく緊張

転調を強いられていくアニソンのように活性化してないと淘汰される戦時下の身体性

戦闘モードの放棄を忌み嫌う烏骨鶏舞踏家の末路

以前は身体のことなどに構っているのは反動であり バリケード内では思想の正しさの方が重要であると先輩活動家に教わったものだが「歩行より舞踏」などと叫んでいるうちに失った歩行

今までに殺されたすべての人たちの血について責任がある娼婦の愛人を殺して悲しむ政治家

(no symbolism please
と二五才のユダヤ人ルーが言った)

エジプトで西瓜を食べていた自分を愛する認知療法
あなたが自分を責め続けるのは許されるつもりがないからよ
羽が生える羽が生える羽が生える
過去をどうするのか
無かったことにするのと美化するのとどう違うのか
自分を許し責めるその三寒四温の寒暖の度合い

 

 

 

#poetry #rock musician