眠れる花

 

村岡由梨

 
 

ある日、私は、
取っ手のないドアの向こう側で
踏み台を蹴り飛ばして首を吊った。
娘たちが幼い時、戸棚のお菓子を取ろうと
背伸びをして使っていた踏み台だ。

もう二度と、あなたたちを残して逝かない、
と固く約束したのに。

せめて、あなたたちにきれいな詩を遺そうと、
言葉を書き留めたはずのノートは白紙のまま。

命は有限なのに、
無限に続くと信じて生きていたのはなぜだろう。
この世に永遠に続くものなんて無いのにね。
組み立てては崩してしまうブロックのおもちゃみたいに、
何度も「家族」を組み立てては壊してきた私たち。

いつの間にか女性らしい丸みをおびた体を
セーラー服で隠して、
「家を出る。もう帰って来ない。」
と言って、眠は
母親である私を振り返ることもなく、出て行った。
赤い絵の具を使って
大好きな猫のサクラの絵をひたむきに描いていた眠。
小刻みに肩を震わせて、
決して泣き顔は見せまいと
サクラの背中に顔を埋めていた眠。
サクラはザラザラの舌を伸ばして
一生懸命、眠の悲しみを食べていた。

蛍光色の段ボールのフタをこじ開けて、
これが最後だと信じて、盗みをはたらいた。
いつでもこれが最後だと信じて
何度も何度も盗んで
何度も何度もやめようとした。
けれど私はズルズルと罪を重ねて、
「私には生きてる価値がない」
そう言って、母を散々困らせた。
母は悲しそうな顔をして、何も言わなかった。
そして、今
「わたしなんて、どうでもいい人間」
「どうして私を生んだの」
と大粒の涙を流して、私を責める花がいる。
花は盗まない。花は嘘をつかない。
けれど、わからない。
私なんかが一体どんな顔をして、
どんな言葉を花にかければいいのだろう。

私は眠で、眠は私。私は花で、花は私。
あの日、取っ手のないドアの向こう側で首を吊ったのは、
私だったか、眠だったか、花だったのか。

森の奥深くの静寂な湖に
紫色のピューマになった私たちの死体が浮かんでいる。
誰が訪れるということもなく
傍らには、4枚の花弁に引き裂かれた私達の花が
ひっそりと咲いていた。

夕暮れ時の、不吉な色の空の下
霧に包まれた林間学校から抜け出して、
もうここには戻りたくないと
踵を返して走り去る、小学生の私。
2人の娘を生んだはずの生殖器が
真っ赤な血を吐き出しながら罵詈雑言を叫んでいる。
涙が後から後から流れてきて
いっそ一緒に死のうか、と娘に言おうとして、やめた。
最後まで駄目な母親でごめんなさい。
せめて真っ赤に生きた痕跡を残したかった。

夜になって海辺に着き、
黒い水平線に吸い込まれるように
(しっかりと手を繋いで)砂を蹴って進む。
もうこの世界には、居場所も逃げ場所もない。
それでも私(たち)がこの世界から欠けたことに、
いつか誰かが気付いてくれるのなら。

 

 

 

台風十号と政権交代

 

工藤冬里

 
 

私の体は日本のようだ
ったが
それも今日でやめよう
スパンと切り替えゴキブリの鈍光
復活しない猫と共に
遠方凝視法で皿ヶ嶺の山の端を見よう
ソーシャルメディアを 使うことで寂しさが増す
必要以上でも以下でもなく
人間だった頃の自己評価のまま
猫になってみよう
雨は時々バラバラと打ち付けるが
月さえ見えている
凶風で家は揺れているが
私は死んでもいい状態だ

 

 

 

#poetry #rock musician

遇うために

 

駿河昌樹

 
 

自由詩のかたちを使うのは

短いから

 
それだけのこと

そうして
なんの説得もしない
ことば並べを
ちょっと
やってみる

ちょっと

説得だけじゃなくて
なにも描かない

なら
もっとよい

むずかしいよ

ことばは
すぐに
描いたふりをしちゃう

すべては
音も想起させず
文字も脱ぎ捨てた
そんな
ことばたちに
いつか
遇う
ために

 

 

 

暴風に 揺るる蓑虫 明日を待つ

 

一条美由紀

 
 


海がある。海の行き着く先に違う国がある。
空がある。空を超えると未知の世界が広がっている。
でもここに居よう。
私はここに在る。
ここでできることは何かと考えよう。
そして最後は
透明な意識となって全てを忘れよう。

 


純粋無垢の醜さには我慢ならない
ガラスの椅子に座るその身体は美しい
剥がれていく肌の痛みは、他の誰かに委ねたままだ。

 


今度生まれる時は、
魂は二つ欲しいな。

 

 

 

はんがん

 

薦田愛

 
 

きのう、ね
イナロク沿いだったかな *
自転車で向こうから走ってくるひとがいたんだけど
つばびろの帽子かぶってサングラスかけて
マスクしてた不織布の
おんなのひと
もうね
どんなひとか
ぜんぜん見えないの
「いやひどいよね
きもちわるくなる
マスクしてる顔ばっかりで」
ユウキの全身からうんざり感

ほんとね
電車やお店の中はともかく
人混みでもないし
この暑い昼日なか
「落語の稽古の時だってさ
きいてるひとがみんなマスクしてると
表情がわからないんだよね」
アマチュア落語の稽古場では
手元の見台にアクリル板
師匠だけはフェイスシールドだけれど
自分の番の前やあと席できく受講生はマスク必須
にじゅういくつの
くぐもった笑いがたちのぼるのだろう

ユウキは
町に人間がいないと言う
「マスクして歩いているのは
人間に見えない」と

そうだね
昔だったらコンビニに入るとき
フルヘルメットは外してくださいって
書かれてたよね
いまや
まるっきり包み込まれた顔にも出くわすし
半分見えないのはデフォルト
上半分だけの顔が行き来してる
COVID-19とよばれる
ウイルスが地球の皮膚ぜんたいを
おおいつくす
しらずにふれたひとは
かたっぱしからたおれふす
というおそれに
ふかくそめられていった
このとし(年/都市)

百均で買えていた
個包装七枚入り不織布マスクが
ある日棚から消える
ドラッグストアの列に並んでも買えない
ネットで探すと送料込み一万円にせまるセット売りばかり
ないと聞くと
なければいけないようでどきどきする
見ていたかのように
使い捨てというけれど
洗って何回かは使えますと
手押し洗いの映像
ひもに付着したウイルスが手や口にふれるとイケナイので
よぶんを持ち歩いていますと街頭でこたえるひと
なんて周到 いややおせっかいいらん

「ふつうにしっかり手洗いで十分だよ
あと、よく笑って免疫力アップ
さっ今夜は『百年目』見よう」
落語のDVD、買っておいてよかったよね

赤ちゃんは大人の表情を見て学んでいるから
マスク生活でその機会が奪われるのは深刻な問題、という記事を
Facebookで見かけてシェアする
ひとの心の動きがわからないまま
成長してしまうおそれがあると
そこへ
「目は口ほど物を言うというのは嘘でしたね」と
コメント
ああ畑井さん
ほんとにね
「マスクの下は笑顔」なんて書かれていても
きゅっと結んだ口もとだの
ふっとこぼれた溜め息だの
思わずゆがんだへの字だの
湿った布きれいちまいに覆われてわからない
しげしげ見つめてみれば
眉根が寄って尋常ならざる空気だったり
額のシワがいちだんと深かったり
最高気温三十八度に耳やまぶたが火照っていたり
するかもしれないけれど
接近遭遇が嫌われまくっているこのご時世には
不首尾に終わってしまう可能性が大

ああ
はんがん
伏し目がちな仏像の慈愛に満ちた
半眼、じゃなくて
はんがん
半分きり見えない顔を
めいめい
stay homeで運動不足ぎみな身体に乗せて
歩きまわる二〇二〇年のじんるい

ヨーセイされて自粛なんてさ
ご遠慮くださいといって遠まわしに
お断わりされているのと同じ
じぶんでえらんでしているのではなくて
ほんのりていねいなふりして
なんきん
(カギではなくパンプキンでもなく)
マスクだってさ
まもるというよりフーイン
(かぜのおとではなくて)
そう、ツバとばすなというだけではなく
おくちにチャック
みたいやわ

不織布の 布きれの
しとっと蒸れた呼気をふくんで
ゆらっゆらっと
かしぐ身体
ダレノ
ダレノカワカラナイ
ワカラナイカラダ
カラダノ
ムレ
群れ

ナツのさかり
熱中症のキケンと相談してねといって
テキギ外しましょうって広報
そそそ そやろ
もともと外ではせんかてええねん
そんなん
言われなくたってわかるはずやんか
こんなやったら
ちょっと涼しなってきたらとたんにまた
さぁさ秋冬スタイルってばかりに
すみからすみまでずずずいーっと
並ぶんやろか
半顔
はんがん
にんげん、やのうて

はがしとうて
はんがん
ならん
はんがん
はぎとりとうて
ならん
かみきれ
ぬのきれいちまい

 
 

* イナロク 国道一七六号線の俗称。

 

 

 

石鎚残照

 

工藤冬里

 
 

石鎚の尾根伝いにトレッキングしていた知り合いのウェイターが
急にワアーッと叫びながら斜面を駆け下りていった
最近店で怒りっぽく躁に入っていたので心配していたところだった
ジェット機から見ると山は
駆け下りるのに丁度いいようにみえる
樹木などはじゅうたんのようだ
石随の岩は近場の滑川などより数段大きい
体は裂け,内臓が全部出てしまった
夜ラジオを聴いていたら
わたくし機長福山雅治がご案内します

宣伝していて
なにが機長や
ラジオでわたしらがジェット機に乗れるわけないやん
いくら美男子で人気あっても
そんな台詞言わされるくらいなら
死んだほうがましや
そんなんやから日本は滅ぼされるんや
役でやった幕末の志士とかさえあんぽんたんに見えてくるわ

怒りがこみあげてきた
ジェットストリームでは
末日記Ⅱがかかったこともある
伊武雅人が
パリの冬の焼き栗売りは・・
とかやってた頃は
キザやなとは思いつつも
ゲンズブール並みの重さはあった
地震前は
ここまで浮いたことを浮いたままで
風化させる乖離はなかった
わたしの体は日本のようだ
でおなじみのテン年代に
わたしらの言語は安倍化したんや
でも
スポンサーサイドから番組を眺めれば
至極当然の言語空間なのであって
その享楽にミヤシタパークみたいに馴らされていくのが
手に取るように分かる
JALが福山にこう言うてほし言うて
それでこうなっとるんや
この境目の門渡りが
あたらしい詩の場所だ
ここから奴隷の命の大切さに転がり落ちる
殴られてその場で死んだら殺人罪で
ニ、三日生きてれば無罪だが
目が潰れたり歯が折れたりしたらオーナーからは自由になる
胎児が死んだら殺人罪で
人を殺した動物は殺されるがそれを食べてはいけない
放置していたばやいは飼い主も殺人罪
元全共闘Oが言う
宗教的概念と伝統的言い伝えが食い違う時、
言い伝えのほうが真実である
例えば孝行したい時に親はなし
線香上げたって居ないものは居ない
親がないということがどんだけつらいか
分かって作るのが法律や
もう四人殺しちまった
獻身は
イカ焼きの網目
山に向かって被さってくれと言い
丘に向かって覆ってくれと言い出す
このトレッキングの片側が
転がり落ちる詩の場所だ

 

 

 

#poetry #rock musician

わたしと友人と愛犬

 

みわ はるか

 
 

星を見た。
夜中の23時ごろ、久しぶりに再会した幼なじみ3人でアスファルトの上に寝転がって見た。
傍らにはすっかり年老いてしまった我が愛犬もいたけれどおとなしく座ってお行儀よくしていた。
夜のアスファルトの上は気持ちがいい。
少し石っぽい痛さは感じたけれど苦痛というほどではなかった。
どこまでも続く夜空にはこれでもかという程の光が少し遠慮深そうに散らばっていた。
赤い光が一定のリズムで動きながら点滅していたのは旅客機だと思われる。
しばらくすると雲の向こうへ消えていった。
そして、久しぶりの再会を祝ってくれるかのように流れ星がすごい勢いで半円を描いて消えた。
それを見られたのが2人だけだったというのはちょっと残念ではあったけれど・・・・・。
3人とも半袖Tシャツに短パン、楽に歩けるサンダル。
まるで小学校に戻ったみたいな時間だった。
どこからともなくやってくる蚊さえいなければ朝までそこにいてもいいとさえ思えた。

この10年余りですっかり若年の人口が減ってしまった。
田んぼや畑で仕事をしている人はかつてわたしの記憶では若々しかったが今は腰を曲げてしんどそうにしていた。
大型機械に頼る人が増えて少しは楽になったのかと思ったけれど、夏の炎天下は老体には厳しそうに見えた。
ちゃんと水分や塩分を摂っているのだろうかとハラハラする。
それでも順調に生き生きと育っている稲や畑作物を見ると懐かしさがこみ上げずっとこの景色が消えないでほしいと無責任な感情が生まれてしまう。
風になびく稲の穂を目の当たりにするとほっとした。
収穫ももう間近である。
幼なじみから聞いた話によると最近は外国人や都会からの移住者が前と比べて随分増えたそうだ。
空き家になったところに住んだり、安い土地を購入して自分たちでカフェを始めたり。
田や畑を借りて異国の知らない土地で農作業を始め出荷する程の腕前を発揮する人もいる。
そこで家族ができて馴染んでいく人も少なくないそうだ。
もちろんトラブルは少々あるそうだがきちんと話し合えばある程度は解決していくみたいだ。
生きていると周りの様子や社会のシステムはどんどん変わっていく。
こんな「今」になるとは全然予想もしていなかったし、こうやって山や川を駆けずり回っていた友人と小難しい話をする時が来るとも思ってなかった。
愛犬がのそのその動き始めてわたしの方を「そろそろ帰ろうよ」という目で見てくるので2人とまたねと挨拶を交わして別れた。

再会は驚くほど早かった。
朝5時30分頃携帯が鳴った。
誰だこんな朝早くにと少し不機嫌な顔でコンタクトもつけてないので名前も分からず電話に出た。
昨日の友人の1人だった。
我が愛犬の散歩を3人でしようという旨だった。
もう1人にもすでに連絡してあるのであと15分程で我が実家に到着するという。
こんな朝早くにと驚いたけれど暑い日差しを避けての選択だった。
久しぶりに会ったので名残惜しかったのだろうと少しニヒヒとにやけながらも急いで洗面所に向かった。
コンタクトを入れ終え、歯ブラシに歯磨き粉をつけ終わった所で「おはよう~」と友人たちがやってきた。
案の定もう1人の友人もいきなり電話があったらしくまだ顔は起きてなかった。
麦茶をすすめ待ってもらうことにした。
歯を磨きながらこうやって昔の友人が実家の居間に座っている姿を見るのは何年ぶりだろうかと小首をかしげた。
なんだかあまり違和感を覚えなかったのも不思議だった。
麦わら帽子をかぶり日焼け止めをたっぷり塗って出発した。
愛犬は老犬になってしまったためノロノロと歩いた。
伐採されてしまった木々、いまでは遊べなくなったエリアの川、人気のない家々、手入れが行き届いていない林・・・・。
見るもの見るもの1つ1つに新たな発見があった。
昔通学路だった道、当時は小学校までがものすごく遠く感じだがものの10分で到着してしまった。
一掃された遊具、1匹もいなくなってしまったウサギ小屋、白から鮮やかな黄色に塗り替えられた校舎、水温が高くて入れないため開かれないプール。
200mある運動場のサークルはものすごく短い距離に見えた。
朝早く歩くというのはとても気持ちがよかった。
「早起きは三文の徳」と昔よく亡くなった祖母が言っていたけれどこういうことかと遅かれ気付いた気がした。
1時間も歩くと老犬とともに人間3人もさすがにくたばってきたので家路に急ぐことにした。
愛犬は舌をハッハッと出して体温調節しながら最後の力を振り絞って歩き出した。
わたしたちもそれに倣った。
家に帰って冷蔵庫の中をゴソゴソ探ると水ようかんが大量に出てきた。
麦茶とともに頂くとそれはそれはツルンとしてとても美味しかった。
特段何か特別な会話をしたわけではないけれどただいる、ただそこに古い友人がそこに存在しているという時間が心地よかった。
またまたねと言って別れた。
次はいつになるか未定だけれどまた並んで我が愛犬の散歩に行けたらなと思った。
心なしか愛犬も名残惜しそうに2人の友人の背中が見えなくなるまでいつまでもいつまでもしっぽを振りながら見つめていた。

 

 

 

Sigismund Schlomo Freud
(זיגיסמונד שלמה פרויד‎‎)

 

工藤冬里

 
 

きみが何も分かっていないことを思い知らされながら読んでいくと
今更乍らに驚かされる
多様性を弁え知る訓練になるとでも言うのだろうか
原父殺しがそんなものなら人生なんて楽勝だ
エチオピア演歌の夕暮れに
エフェクターを踏み込むだけだ

過払い金のCMが流れる路上が
解像度を間違えているのは
カバラを思い出すからだ
きみの父が三歳のきみにプレゼントしたのだ
革表紙を打ち直して

今更乍らにきみの居た路上は
まさしくこの風化した解像度であった
トラウマを小出しにして
この午後を過ぎ往かせよ

小屋で暑さに震えるウサギ
子らのやる菜の萎れて
死はここにもやってくるだろう

きみはユングとか弟子の多神教野郎達に本当は耐えられなかった筈だ
ただそのきみでさえ葛の花のように萎れて

この解像度の中で路上に散ったのだ

 

 

 

#poetry #rock musician